的確
「こんにちは」
「あっ、こんにちは」
何度も店に足を運ぶお客さんがやってきた。
「今、準備しますから」
「いつものコースでお願いします」
「はい、いつもので」
店主は笑いながら、ガチャガチャとひげ剃りで使う備品を出してる。
いつものコースというのは、カット・シャンプー・ひげ剃り・耳かき+αでお送りする、この理容室の定番であり、人気のメニューである。
特に耳かきはファンが多い。
元々ホテルの理容室で修行を十年近くしてから、自分の店を持っていた。
「えっ、やめるの?」
「あっ、そうなんですよ」
やめる一ヶ月前から、お客さんにも挨拶をすると、次はどこで何をするの?と聞かれ、店を持つというと、行くからねと、お世辞でも嬉しかったが、結構な人数が、実際にお店に訪れていた。
店主は特にカミソリと耳かきが上手い。
「髪は、実はこの間切ったばかりなんですよ」
お客さんの髪は整っていた。
「時間が無くて、出張先で、いい感じだったから入ってみたんですけどね」
そこもトータルでやってもらったんだが…
「耳かきがイマイチだったんだ」
耳かきというものがわかっていないそうです。
「ここで一回耳かきしてもらって、修行しなおしてほしいですよ」
「まあまあ」
「あっ、すいません」
「いえいえ、それじゃあ、先に耳かきからしましょうか」
「お願いします」
この店主は手前から耳かきをする。いわゆる耳のひだからである。
「まあ、どっちでもいいんですけどね、いろんなやり方があっていいと思ってますが、手前からの方が、奥から取りだした時に、どうしてもパラパラとかけら落ちますからね」
それを綺麗にするのが楽だから、手前かららしい。
「耳結構、堅くなってますね」
冷たくて、堅いときはストレスが溜まってる。
「そうですか?」
「でも、先に耳かきをします」
使う耳かきは結構太い。
「耳の穴が狭い方はいますけどね、なんだかんだで、これでみんなやってしまいますね」
コリコリ…
気持ちいいらしく、お客の唇がムズムズと動いた。
竹の匙の部分が、軽く外耳の中をこする。これぐらいの力で、あっさりと垢は取れる、快楽が走る。
耳の中は平らではない。谷もあれば、山もあり、またでこぼこしてるものだ。
カメラで、耳の中を覗きながら掃除をするわけではない。手の感覚だけでこの店主は耳かきをする。
なんで、気持ちいい場所がわからないが、ここは気持ちいいんですと、言わなくても、あなたの気持ちいい箇所はここですねと自分も知らなかったポイントを攻めてくる。
カリカリ
快楽を教え込むように、2、3回カリカリすると、そこで大抵のお客はビク!っとするのだ。
しかし、店主は無情にもそれ以上は行わない。これこそが、この店にわざわざ遠方から通いつめるお客がいる秘密なのである。
この店主が、資格を取って、就職した先はホテルであった、そこは腕を持つもの達が、日々研鑽するような場所で、生半可な腕では、息苦しくなるようなところだ。
何年かは、悔しくなるような日々が続き、給料日になると、腕がいいという同業者の店に足を運んだ。
それと同時に、眠気と戦いながらも、学生時代から業界紙などを見て学んできた。
それらが店主の中で、経験として蓄積されて、技術として、今はじけている。
「店長の耳かきは、耳の中がわかってるよね」
「ありがとうございます」
眠りから覚めて、椅子を起こしたときの一言が、彼の腕を的確に表現していたのだった。