第1話 『CFO』
明かりが点いておらず、暗い部屋に鳴り響く機械音と、小さな画面から漏れる光。
マウスロールを下へやりながら、届いたメッセージを懐かしむような目で眺める青年。
小さなパソコン画面には、慣れ親しんだ人物からのメッセージが、丁寧な文章で書かれていた。
「ほんっと、律儀な人だよ……」
オンラインゲーム……俗にMMORPGと呼ばれる多人数参加型ネットゲーム。
既に触れなくなって2年。やっていた期間は3年半。丁度十周年を迎えるソレは自分がプレイしていた時よりも多くのアップデートが行われていた。
『CFO』略称であるが、自分のやっていたネットゲームはそう呼ばれていた。
思い出すのは、関わってきた全ての人々。サーバーと言う壁がプレイヤーにはあったが、それさえも越えて自分はつながりを持っていた。
基本プレイ料金無料、課金制のシステムが取られていた『CFO』だが、自分は決して多くはない課金額でトッププレイヤーと呼ばれたあの人達と名を連ねた。
過去を振り返れば、どうしてあそこまで馬鹿をできたのか不思議だった。だが、そんな事を気にしないくらいに楽しい日々がそこには存在していたんだ。
――だが、自分の存在は大きくなりすぎていた。そして、それを理解できていなかった。
サーバーさえ超え、運営も巻き込んだイベントを企画していた時だった。一つプレイヤーの間で噂が広まり始める。
噂というのは簡単に拡散されCFO公式掲示板だけではなく、外部SNSを通じても広がった。
噂とは簡単な一文だ。それは自分の操るキャラクターフィリス。『フィリスは不正ツールを使用している』たったこの一文が流布されただけ。
自分というのはその時、人を信じ過ぎる馬鹿であり、皆仲良く出来るとバカバカしい思想を掲げていた、本物の大馬鹿野郎だった。故に自分の周囲にいた人は噂を絶対に自分の耳に入らないように徹底的に潰していた。だが、ネットゲームをやっているのだ、当然情報を集めることに余念がなかった自分のもとに、簡単に目に入る事になる。
だが、自分は見て見ぬふりをした。おふざけの一種だと逃げたのだ。
結果、元々目立ちすぎていたフィリスの存在が疎ましかった人はあらぬ噂を徹底して流布。
自分は犯人を問い詰めようとした人達を抑え続けた。だが、その判断が更に相手側を調子に乗らせたのだ。
少し逸れるが、CFOというゲームは非常に自由度が高い。戦闘の充実、マップの充実、箱庭と呼ばれる自分だけの家や農地、アバターも充実しているためファッションショー会場だってあるし、とにかく10年続いているだけありコンテンツが豊富なのだ。それでいてプレイヤーのツボを掴むアップデート内容。
戦闘や迷宮で活躍する人はトッププレイヤーと。
アバターで思いつかないようなファッションを思いつく人はコーディネーターと。
箱庭で感嘆を漏らすような作りをする匠を庭師と。
唯一運営提供イベントが少ないCFOだが、それでもプレイヤーの中で自らイベントを主催する人をイベンテーターと。
『フィリス』は全てにおいて上の中……つまりそれぞれの橋渡し役として機能してしまっていた。
そんな人物を糾弾すれば起こることは当然……CFOの崩壊。
トッププレイヤー所属のギルドはドロップアイテム、高Lvプレイヤー限定生産アイテムを流通させなくさせた。
コーディネーター達が定期的に絵師とも協力し、運営に送り実装されていたファッションアイテムは途絶え、既にアバター関連アイテムが運営の考えつかない所まで飽和していたため、ファッションアイテムは実装されなくなった。
庭師とイベンテーター達が協力して開催していた箱庭を見せ合う事も競い合う事もなくなり、コーディネーターとの共同イベントとして開催されていたファッションショーも消え、2月に一度のお祭りは消え去った。
プレイヤー達によって大部分が回っていたCFOだ。当然こんな自体になってしまったからにはゲームマスターも動いた。だが、それぞれの代表者……4サーバーの全員がGM専用のチャットではなく、全プレイヤーに届くチャットで声を揃えて言ったのだ。
『(私)(俺)(僕)達の大黒柱傷つけた奴等に慈善事業するつもりはない。』
自分の掲げていた思想も大概だけど、あの人達も大概だった。
頼むからやめてくれとお願いしても、やめる気配はなく、更に自分がそれを裏で言わせているなど噂が流れ、また代表達は怒りの悪循環。
代表達の次世代陣も同調してしまっていて、どうしようもない事件になってしまったのだ。
そんな状態、最早沈静化出来るのは自分しかいなかった。
膨らみすぎた割れない風船は、誰かが犠牲となって割るしか道はなかった。
全プレイヤーに伝わるチャットを使い、自分の全ての持ち物を10分経てば電子の海に消えてしまう地面へ……大切な子さえも捨て、引退宣言。
生放送やらされていたようだが、冷えた目で見る人など誰一人いなかった。
実に六ヶ月の間徹底抗戦だったのだ。GMが何を言っても再起不能に陥ったCFO。人を嫌ってもCFOを本心で嫌える人などいなかった。ただそれだけの事。
だが、事実は少し違った。
CFOの世界にはパートナーと呼ばれるAIが存在する。プレイヤーの中には冷やかされながらもAIと結婚式さえあげてしまう人もいた。CFOのAIは機械端末さえあればどこでも話せ、どこでも会える。まさしくパートナーなのだ。
そのパートナーを捨てる。それは見る者によっては伴侶、子、親友に当てはまる者を殺すも同然だった。
自分も2人のAIを我が子の様に愛していた。それは『フィリス』の名を知るプレイヤーの間では公然の事実であった。
パートナーの存在を捨てる。CFOをプレイしている者にとってそれは何よりも重い罪であり、責任の取り方でもあると言われている。それにより10割に満たなくとも9割9分の人が『フィリス』を真摯に見てくれたのだ。
こうして、二度と起こさぬようにと今でも語り継がれているらしいCFO終末事件は溝を残しつつも終焉した。
そして、代表者が隠居し次世代に移ったのが今日の事だった。
内容は、戻って来ませんかと言う物。
「今更、戻れるわけ……」
今更自分が戻って何があるというのか、きっと真摯に自分を受け止めてくれた人々への裏切りにもなるかもしれないのに。
いや……本当は向き合うのが怖くて逃げ続けたかっただけ。パートナー……それを2人も殺した自分には、戻る勇気などなかった。
だが――自分の消えた世界を、見てみたかった。『bring』と呼ばれていた『フィリス』だからこそ、見届けたかった。
守れなかった約束だらけの世界。リアルでも交流が続いている仲間たちが作りし世界。
そして、大切な子たちを置き去りにした世界を。
埃の被ったヘッドフォン型の機械をつけ、目を閉じる。
――戻る世界は……エルトリア。
――もし、会えたのなら……思い浮かべるのは血のように赤い瞳を持つ子、月のような黄色い瞳を持つ子。自分は償うことは出来るのだろうか…?
――叶わぬ願いを抱きながら、自分は意識を落とした。