~この選択は正しかったか~
「ねえ、祐一くん……?」
ウチは窓の外を寂しげに眺めながら、留守番をさせられて駄々をこねるように点滴を打たれ、ベッドでふて腐れて寝てしまっている祐一くんに向かって、それとなしにぼやいてみることにしてみた。
「……」
そやけれども、答えは返ってくるはずもなく、ウチは寂しげに溜息を吐く。
「分かった。返事せーへんでもいいから、聞いてな?」
「ひどい発作を起こしてしもうたんにゃから、どないしようもあらへんやろ……」
「……」
「ましてや、祐一くんが生きるか死ぬかの瀬戸際やったんやから、ホンマ仕方があらへんと思うんや……。例えどんなに願ったとしても、叶えられひんことなんてぎょーさんあるんやってことは、祐一くんも分かっているやろ?」
「やから――て言うたら、あれかもしれんにゃけど。しゃーないやん」
そう言って見せるも、祐一くんは黙りこくったまま何も言わないでいる。そんやけ、今日をとても楽しみにしていたんやと言うことなんやろうな……。そう思うと、やはりなんやかウチの心にも悔しさが奥底からフツフツと湧き上がってくる。――そやけれども、や。こればかりは、ウチにもどないすることも出来ひんやもん。
青く澄んだまばゆすぎる空から小さな涙が空を切り、やがて地面へぽしゃりと静かに落ちて行く。それがたびたび続けば、雨となり道は濡れてしまう。さらに道が濡れ続け雨が激しさを増し雷雨になれば、それは小さいけれど流れが速い小川へと変貌する。小川は大きな川へと合流し、大河になる。大河は最後に海へとたどり着き、そしてまた空高く雲へと返っていく――。
――輪廻転生、それぞれがそれぞれの役割を果たして、ほんでまたその役割を終えて消えて行ってしまう。人間の小さな願いや望みやって、ウチはそんなモノなんやろうなと少しばかり思っている。何かが欲しくて、何かに憧れていて、ほんでそれを手に入れてしまうとまた何かを欲しがる。そやけれど、それでもやはり運命には勝てやしないんや。例えどんなにあがいたとしても、例えどう逆らったとしても……。
ああホンマに、人間一人の力なんてこんなにも小さくて儚くて弱いものなんやろう――。
祐一くんは今朝、突如またひどい発作を起こしてしまったのだ。先生からは大事をとって安静を取るよう言われたために、今日約束していた海へ行くことは儚くもまた(、、)延期になってしまったんや。また(、、)と言うことは、実は今日以前にも延期になってしもうたことがあると言うことやな……。
「やっぱ、なんか言うてえさ……。黙ってたら、ウチは寂しい」
「……」
一回目の延期は、今年七号目の台風が接近していたためにやった。あとの二回目、三回目は祐一くんが発作を起こしたために延期になってしもうている。
祐一くんの言わんとする気持ちはもちろん分かっている。……分かっているつもりやけれども、こればっかりはどないしようもあらへんことなんやよね? こればっかりはどうすることも出来ひん願いなんやよね? そう分かっているはずやのに、祐一くんと同じように認められひん自分がそこには確かにいた。
自分に限界があることを感じてしまうと、もうウチは前に進めんくなっていた。祐一くんの気持ちが痛いほど分かるからこそ、やはりそれはウチの心を重く辛くさせてしまう。
そやけど、かと言ってどうすればええんかさえも、ウチの乏しい頭では見当も付かひんかった。ホンマ、どうすればええんやろう……? こんな時にあゆみがいてくれたら良かったんにゃけど、あいにくあゆみは先生に呼ばれていてここにはいいひん。
「ねえ……」
もう一度さりげなく、祐一くんの方を寂しく見つめてみる。相変わらずと言う感じで、祐一くんは不貞腐れて寝ていた。その隣には、昨日準備していたスケッチブックと絵の具道具が一式置かれている。
「ねえ、祐一くん……?」
哀れみの気持ちで、もう一度祐一くんを呼んでみた。
「……」
何の反応もなかったんにゃけれど、多分聞いているはずやろうな。そう感じたウチは、溜息混じりに白い天井を見据えながら、それとなしに呟いてみた。
「……ほな、屋上にでも行ってみよっか。院内やったなら、全然大丈夫やし」
「――」
その言葉に、祐一くんはようやくゆっくりと身体を起こして来た。
機嫌を直したわけやない。ただ、祐一くんもどうしようもないと言うことは分かっていはるから、仕方なく諦めてウチの話をきいてくれたんかもしれひん。
ウチらは病室を出て、ゆっくりと廊下を歩き始めた。
「……デートらしく、手を繋ごう?」
「……」
祐一くんは終始無言やったけれど、ウチはお構いなしに手を繋ぐことにした。
祐一くんの手が、異様に熱っぽかった……。
エレベーターに乗って屋上に行ってみた。
エレベーターの中でもウチらは終始無言やった。
何かいお思うてんにゃけど、結局思いつかずやった。
チンて、寂しげに屋上に着いた音が鳴る。
屋上に出てみると、真っ白いシーツが一面いっぱいに――干されていいひんかった。
「シーツ、干してあらへんね」
「……ドラマの観すぎですよ」
祐一くんがようやく、口を開いてくれた。ほっとしてすかさず、ウチは祐一くんを連れ立って屋上の一角にあるベンチに腰を下ろすことにした。
最近の病院は、ヘリポートになっていたり衛生面から、病院の屋上でシーツを干すことはなくなったそうや。
ドラマて、けっこういい加減なんやなーとその時思うたわ。
「ふうん……じゃあシーツてどないしているんかな?」
「……業者さんが回収しているみたいですよ」
周りに高い建物がないせいなんか、ふいに優しい風が頬をかすめる。
「気持ちのええ風やねえ」
「……」
そう言ってみるも、今度は返事をしてくれひんかった。
ふと見てみると祐一くんは、空を優雅に飛んでいる鳥を寂しげに眺めていた。
「ああ、鳥やね。なんの鳥かな……?」
「……たぶん、トンビかと」
「トンビ――鷹の仲間よね?」
「おおまかに、言えば」
「そおかー。気持ちよさそう」
「……空を自由に飛び回れるって、ホント良いですよね」
また祐一くんがふてる。
「……あんな、祐一くんが今日をめっさ楽しみにしていた気持ちも、ウチは良く分かっているつもりでいるんやで? ウチやって、今日をめっさ楽しみにしていたんやもん。ホンマはこのまま諦めたくあらへん――祐一くんと、一緒に海へ行きたかったんやで。でもやから――って言ったらおかしいんにゃけど、やっぱり祐一くんのためにこればっかりはどないしようもないってことぐらい、分かるやろ……? ウチも、心を鬼にして分かっているつもりや。やから、非常に――ホンマ非常に残念やけど今回は諦めるしかあらへんやないの。きっと……うん、きっとまた次があるはずやわ。やからまたそん時に、行こう? ね?」
「――ないです! 『次』なんて、ないんです!!」
ふいにそう突如言って来た祐一くんの怒声が、まるで雷が落ちて来たかのようにドズンッと激しく身体中に響き渡って来てしまい、ウチを驚かせた。
「……へ? え? い今、なんて――」
「ボクにはもう――『次』なんて言う言葉は、残されていないんです! 『また今度』と言う言葉も、ないんです!! 知っているんです……過して行く中で、ボクの身体が日々衰えて行っているのが怖いくらい自分でも、良く分かっているんです! 『死』に一歩一歩、確実に近付いているんですよ!? それなのに……それなのに……っ! だから『次』、だとかなんて言う言葉はもうボクには残されていないんです! 『また今度』なんて言葉はないんです!」
「ですから、ボクは――!」
震える唇を必死に我慢し噛み締めて、祐一くんはそうウチに思いを吐き出してきた。それを聞いた瞬間、ウチは胸がいっぱいになってしまって思わず祐一くんを抱き締めていた。
「アカンッ……! そんな弱気になったら、あかんねん……っ」
「……うぅ」
「大丈夫……祐一くんは、まだ――」
ウチの胸の中で、か弱き祐一くんは悔しそうに泣き腫らしている……。
そうなんや……。
ああ、そうなんやねん――。
ウチは何で、知った風なことを言ってしまっていたんやろう? 祐一くんは、重い病気を患っているんや。完治することのない、不治の病を。あとどれくらい生きられるかも分からへんほど重い病気を……。それなのに、それなのにウチは――!
ああ、ごめんなさい……。
あんなこと言ってしもうて、ごめんなさい……。
ホンマに、ごめんなさい堪忍や――。
祐一くんを抱き締めながら悔しさと、苛立ちと、苦ったらしさとがウチの心の中を交差してはぶつかり合い、さらに腹立たしさをかもし出してくる。改めて自分の無神経さに、ウチはどないしようもなく腹が立っていた。何も考えなしに大丈夫やって決めてしもうていた、自分に腹が立っていた。情けのない自分を、めっさ罵りたかった……。
「……ごめんなさい、ごめんなさい。またこんな情けない姿を見せてしまって」
祐一くんが涙を拭きながら、そう言ってウチに対して謝ってくる。
ホンマは、謝らなきゃいけひんのはウチの方やのに……。
「ううん。ウチの方こそ、堪忍や、ホンマに堪忍やで……」
「う、うぅ……」
「祐一くん――」
ウチは、ホンマはきっと何処かで、祐一くんと一緒に行きたいとそこまで願っていいひんかったんかもしれひん……。そう思うとホンマに自分に対する苛立ちと、腹立たしさで、いっぱいやった。ホンマに自分自身がムカついていて、悔しいくらいに唇を噛んでいた。ほんで次の瞬間、ウチは祐一くんにとんでもないことを口走っていた。
「……海を見に行こう」
舌がまるで自分のものではあらへんような気がした。ウチのその突然の発言に、祐一くんも明らかに戸惑っていた。
「は……? 一体何を、言っているんですか? 先ほど、かなでさん自身『諦めるしかない』っておっしゃっていたんじゃないですか。それなのに――」
「ええ、そうやね……確かにそう言うたわ。そやけどさっきはさっき、今は今や。ウチは、祐一くんの気持ちを全然考えていいひんかった……。祐一くんには、『次』や『今度』と言った時間があまり残されてないことも、忘れてしもうていたんや……」
「……かなでさん」
「そやから、見に行こう――ううん、見に行きたいんや!」
「最後の思い出になるかもしれひんから、残しときたいんやよ」
本来なら、こんなアホな言い分絶対に聞き入れひん。
やけど後悔だけはしたくあらへんと、ウチは思っていたんや。
どうしようもなくて、でもどうにかしたくてあがくウチら。
何かしてあげたくて、でも何もしてあげられなくて、やからウチはこの祐一くんのささやかな願いを、なんとかして叶えてあげたいと思うたんや。ウチは祐一くんの切実な言葉や願いに、いつのまにか心を動かされていた。
「――ホントに、いいんですか?」
「もちろん――」
この時、もっと色々後先のことを考えていれば良かったのにウチは、自分自身の願いと祐一くんの願いを優先させてしもうた……。そやけれども祐一くんはそのことに、全然気にしていないと言ってくれた。むしろ、優先させてくれてありがたいとさえ……。
やけどそれはウチにとっては、複雑な思いやった……。
結局このウチの安易な考えのせいで、祐一くんの命は儚く散ることになってしてしもうたんやから――。
本来ならばもう少しばかり生きられたはずの祐一くんの命を、ウチは強引に摘み取ってしもうたんやから――。
後悔だけが、ウチの心の奥底に突き刺さっていて痛い……。
痛いわ……。
ホンマに痛い……。
ホンマ、イタイスギルワ……。