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鳥の謳  作者: 千歳命
5/12

~孤独の中の神の祝福~

 病室から出て行くかなでさんの背中が、とても寂しげだった……

 ……ボクってば、何を勘違いしているんだろう?

 こんなにも優しくしてくれて、ボクを思ってくれている人がいるっていうのに――。

 バカですよね?

 ホント、ボクっておバカさんだ……。

 そう、なんですよね……? ボクはこのぬくもりが欲しくて、このぬくもりを失くしたくなくて、逃げていたのかもしれません。

 ホントのことを言えなくて、ごめんなさい――。

 ごめんなさい、かなでさん――。


 気が付けば、辺りは暗くなり始めていた。あれから、どのくらいの時間がたったんやろうか……。ウチは結局、そのまま帰ることが出来ひんくって、ロビーの待合室の天井を見上げ、悲しげに憂いていた。ふと気になった天井の模様が、寂しげなウチを迎えてくれる。しかしながら、祐一くんの心はまだウチを迎え入れてくれひんかった――。

 それが悲しくて、寂しくて、切なくて、唇を噛み締めて見せる。涙が自然と溢れて来たのは、言うまでもあらへんかった。淋しさと切なさでいっぱいやった。淋しさと切なさいっぱいで、胸が締め付けられて詰まりそうやった。

 こんなに身体が辛くて悲しいことは初めてやった……。

 こんなに心が苦しくて切ないのは初めてやった……。

 ウチはどないしたら良いのだろう――。

 ウチはホンマ一体どないしたら――。

「……結局、あの時のままやった」

 螺旋状の思い出が、悲しく切なげに浮かび上がってくる。

くるくると回る思い出の数々、ホンマに楽しかったあの頃……。

 何を、思い出に重ねているんやろうね――?

 アホらしさでいっぱいになり、このまま油断してしまえば涙が零れ落ちそうになってしまいそうで、止まらなくなってしまうかもしれひん。ウチはそれを危惧し必死で耐えしのいでいた。

 祐一くんの言葉一つ一つにも、今さらやけどウチにはめっちゃ気にかかっていた。他の人が聞けばなんのこともないようなただの言葉やったんやけれども、あの寂しげで切なげな質問が、ウチにはどないしてもただ事ではない気がして、めっさ苦い薬を飲まされてしもうたかのごとく、嫌な後味が否応なしに残ってもうた。

 ――なんでそんなに……ボクに優しくしてくれるんですか?

 祐一くんの言わんとしている事は、雰囲気でだいたいつかめていた。そやけれども、何故そう言われなければいけひんかったんかが、今のウチにはどないしても理解出来ずに分からへんかった。――いいや、あの時の自分は分かりたくあらへんかっただけなんかもしれひん。ズルイ言葉なんやけれども、ウチはそのことをただ気付いてへん振りしていただけやったんや……。

「……っ」

「――兄は!?」

 ふと気が付けば、ウチの目の前に血相を変えてやって来たあゆみの姿があった。かなり急いできたんか、息も少し切れ切れやった。「兄のことをよろしく」と言われたばかりやのに、全く持って情けがあらへん……。そう言いたげに、ウチはあゆみから目を逸らしてしもうた。

 あゆみはそんなウチのことを気にしつつも、祐一くんの主治医である本間先生のところに真っ先に向かって行った。

 きっとあゆみには、むちゃくちゃ怒られて呆れられてしまうんやろうな……。

 覚悟しとかなきゃと思いつつも、ウチは怖くてその場から動けずにいた。

 ははっ手が、まるで震えてしもうている……。

 ホンマに、情けないわ……。

 今さらながら、こんなん情けない自分に嫌気がさして仕様があらへんかった。

 ホンマは、祐一くんに会うべきではなかったんかな……?

 なんて今さらながら、後悔してしまいそうやった。

 祐一くんの言葉が、ウチに重く圧し掛かってくる――。

 そうウチが悲観にくれていると、本間先生との話が終わったんかふいにあゆみがウチの前にやって来ていた。

 まだ少し息が荒れているけれども、あゆみはとても真っ直ぐにウチを見下ろしていた。

「本間先生から聞いたわ……発作を起こしたんですってね?」

「……」

「初めてで、ビックリしたでしょ? 兄は今、夕食を取っているそうよ。発作も治まって、もう大丈夫ですって」

 その言葉に、ウチは小さく頷く。

「それより、処置のあと兄の大きな声が聞こえて来て、かなでが泣きながら病室から出て行ってしまったそうだけど――」

 あう――。

 あゆみの言葉が重い……。

 ある程度の予想は、しているに違いあらへんかも。

「……」

「言いたいことはちゃんと言いなさい」

「……このまま黙っていちゃあ、何もならないわよ?」

 そう言うとあゆみは、疲れたと言わんばかりにウチの隣にドカッと座って来た。

 良く見てみると、あゆみはエプロンを付けていたままやった。きっと、夕飯の支度をしている際に緊急の電話があって、慌てて家から飛び出して来たんやろう。

 それほどまでに、あゆみも祐一くんのことを大事に思っていたんや……。

「さあ。何があったのか、話してみなさい」

「……ごめんなさい」

 ウチは結局、謝るしかあらへんかった……。

「あのねぇ……、あたしに謝られてもどうしようもないでしょ。とにかく事の発端から説明しなさい。一体どうしたって言うのよ?」

「――分かった」

 そのあゆみの言葉に、ウチは溜めらいがちにあゆみが帰ったあとのこと、複雑な胸の内を明かすことにした。祐一くんが、何かしらの病魔に襲われていて、そのせいなんか最近あまり元気がなく、そないして発作が起きてしもうたことを。そしてウチに『なんでそんなに……ボクに優しくしてくれるんですか?』と、尋ねて来たことや、淋しげで悲しげな表情を浮かべてきたかと思うと、追い出されてしもうたことなど……。ウチの不安と言う不安や、心配の思いのたけを、あゆみに全てぶつけることにした。その言葉にあゆみは、時たま頷きながらも優しく相槌を打って見せてくれた。

 一通りウチの胸の内を打ち明けると、あゆみは頬をポリポリとかきながら、無表情で遠くを見つめてしもうた。冷たいような暖かいような、ポーカーフェイスで良く分からへんあゆみの横顔。それが今、ウチに痛く突き刺さって来る。

「……」

 長くて険しい沈黙が、ウチとあゆみの間を川のごとく流れていて、めっさ息が詰まりそうで嫌やった。非難されるんなら別にそれでもええと思っていた。それでも、その時のウチは祐一くんのことを知りたくて仕様があらへんかったんや。

すると、あゆみがふいに溜息を付いては困った風に、額に人差し指を当ててはこう言って来た。

「そっか、なるほどね……。つまりかなでさんとしては兄のそばにいてあげたいのだけど、兄に『もう二度と来ないで』と病室から追い出されてしまって、それでどうしようもなくこんなところにいたってわけなのね?」

「うん……」

 心がチクチクと痛む……。

「――ったく、弱腰なんだから」

「へっ――?」

「もっと自分に素直に、ワガママになれって言ってんのよ」

「え、それはどう言う……?」

「確かなことは言えないけれど……兄はホントに、かなでのことを遠ざけたくてそんなことを言ったんじゃないと思うの」

「――」

「兄だってホントのところは、かなでにそばにいて欲しいと思っていた。むしろ、願っていたはずよ……。けれどもそれと同時に、そうしたいと思っていても、願っていても出来ない理由が兄にはあった。だから兄は、心を鬼にしてかなでを遠ざけるしかなかったんだと思う」

「――……」

 それは、もちろん分かっていた。

 祐一くんからは、「自分はすごく重い病気なんです」と言うことだけは、聞かされとったから……。

 そやけれども、それだけ(、、、、)の――たったそれだけ(、、、、)の理由で遠ざけられた意味が、ウチにはまるで分からへんかったんや。

 ううん、祐一くんにとってはそれだけ(、、、、)の理由やなかったんかもしれひん。

確かに、ウチはどう見たって赤の他人かもしれひん……。

 祐一くんにとって、そんなに必要な存在ではないのかもしれひん……。

 祐一くんには、あゆみと言う立派な妹もちゃんといてるし……。

 遠くにやけど、両親もきちんといてはる……。

 そやけども、そやからと言ってウチがそばにいたらあかん理由って、一体何なん――?

「逃げないであげて――」

「――?」

 ふいに、あゆみがウチの目を見つめそんなことを言って来た。

 あゆみの目は、しっかりとウチの目を向いている。

 逃げる……?

 ウチが、祐一くんから――?

「ウチは、別に――」

「分かっている」

「不安や逃げたしたくなってしまう気持ちは、誰しも良くあることで分かっているわ。例えば『失敗を恐れないで』って言うけれど、よくよく考えてみれば『失敗を恐れることが怖い』から、踏み出す勇気がないのよね。けれどもね、だからと言って兄を避けるような……逃げるような行為だけは止めて欲しいの」

「あゆみ……」

「……きっと兄もね、『失敗を恐れてしまっている』んだと思うの。すごく不安で、怖くて仕方がないのよ。この先、かなでを傷つけてしまうかもしれない。かなでの負担が重くなってしまうかもしれない。だからそんな時に、かなでがそばにいてくれなかったら、兄はもっともっとひねくれ(、、、、)てしまうわ」

「――」

 あゆみの言葉が、ウチの身体を包み込んでくれたようやった……。

「だから、お願い。そばにいてあげて――」

 そう言ってあゆみは、ウチの手を取って励ましてくる。そやけれどもウチは、その言葉に一瞬にして不安がいっぺんに消えてしまいそうで、逆に不安を感じずにはいられひんかった。

 ――どないしてあゆみは、こんなウチを励ましてくれるんやろう。

「……ねぇ、あゆみ」

「ん?」

「どないして、なん……? どないしてあゆみは、こんなウチと祐一くんの間を取り持とうとしてくれるん? ウチは、祐一くんに対し何もしてやれひん……あゆみに対しても、何もしてやれひん。また祐一くんやあゆみのことも、まだ全然知らへんのに――」

 そう言うとあゆみは、小さく溜息を付いては天井を見上げる。

「時には、知らない方が良いこともあるのよ……」

「え?」

「……ううん、なんでもないわ」

「……」

 その言葉の意図が、ウチにはなんとなく理解出来てしもうた。

 多分やけれども、きっとあゆみは――。

「それよりかなで、あたしと約束してちょうだい。どんなことがあっても、兄から離れないで兄のそばにいてあげて欲しいの……。これは、今のかなでだけにしか頼むことが出来ないことなの」

「今のウチだけ……しか?」

「そう――。かなでは、兄のことが好きなんでしょ?」

 あゆみの発言を聞いた瞬間、ウチは一瞬あとずさって顔から火が出そうやった。

て言うか、ぼっと赤くなって火が出ていたのかもしれひん。

「なななな、何を――!!!!!!」

 そやけれどもそんなウチを他所に、あゆみは平然と言ってのける。

「あら、あたしが気付いていないとでも思っていたの? て言うかね、他のみんなも実を言うと気が付いていたと思うわよ。だってはたから見たから、かなでが兄のことを好き好きアピールしまくっていることはバレバレだし。気が付いてなかったのは、どうやら当人同士だけだったみたいね」

「うぅ~……」

 めっちゃ恥ずかしい……!

 と言うか、自分でもつい最近知ったばかりやのにっ!

 他のみんなも気が付いていたんなら、なんで教えてくれひんかったん!?

「……だから、なのよ」

「――?」

「……だから、かなでにしか任せられないの」

 恥ずかしげに顔を赤らめるウチに対し、あゆみはごく自然にそう言って来た。

 その言葉にウチはやっと冷静を取り戻し、改まってあゆみと向き合うことにした。

「そんなだから……ううん、そんな素直で真っ直ぐだからこそ、かなでにしか兄は任せられないの」

「……」

 そやけども、そんな力強い言葉とは裏腹にウチは不安で仕方があらへんかった。

 祐一くんには、あんなことを言われたんにゃけれど……。

 正直、今の自分が祐一くんに対し何をしてやれるんか、全然分からなくて不安やったんや。

 そばにいてあげてって、あゆみは言うんやけれども――。

 もしかしたら、何もしてやれひんかもしれへん――。

もしかしたら、何も出来ひんかもしれへん――。

 そんな……そんなウチに対しあゆみは、とても優しげな目で見つめてくる。

 その目から、まるで「大丈夫、自信を持って」と聴こえて来た気がした。

 あゆみはこんなにも、ウチのことを……。

「……やっぱり、迷惑だったかしら? かなでにこんなこと、押し付けてしまって――」

「そんなこと、あらへん」

 あゆみの言葉に、ウチは即座に否定して見せる。

 そうなんや、それはウチの意志が弱かっただけのこと……。

 あゆみはこんなにも、ウチのことを応援してくれてはる言うのに……。

「ありがと、頑張ってみるわ……」

「うん、いってらっしゃい。あたしは家をそのままして出て来たもんだから、もうこれで帰るけど……ホントに大丈夫よね?」

「……うん!」

 ウチの意志……。

 それは、祐一くんのそばにいてあげることや。

 何があったとしても、祐一くんのそばからもう離れひん。

 祐一くんの笑った顔が見てみたい……。

 祐一くんの喜んだ顔が見てみたい……。

 祐一くんの嬉しそうな顔が見てみたい……。

 例え祐一くんに嫌われようとも、自分勝手やワガママやと言われようとも。

 それが、ウチに出来ることやから――。

 それが今、ウチが祐一くんにしてあげたいことやから――。

 そう、あゆみと約束したから――。

正直、ウチは結局のところ何も出来ひんかもしれへん。何かをしてやれる自信が、やはりまだあまり持ててあらへんかった。

――そやけれども、考えてみればや。

そう、考えてみればウチはまだスタートラインと言う位置にすら立っていないんやもん。

つまりは、何もかもまだ未定やって言うこと……やろ?

 と言うことは、何かの間違いで未来は変えられるかもしれひんってことや。

 ほんでそれがもし、祐一くんのためになるのであるんやったらウチは喜んでその身を捧げるわ。

それが、ウチの決心――。

それが、ウチの決意――

ウチはそうやって自分自身に言い聞かせて見せると、あゆみと別れて祐一くんの病室に向かっていた……。



 ……もしかしたら、自分(ボク)は自分自身を偽っていたのかもしれません。

最近、そう思い始めたのは、今回のことがきっかけでありました。

ホントの自分を、教えられなかった……。

別に、自分のことを教えたくなかったわけではないのです。

ただ、自分にその覚悟がなかっただけのこと……。

かなでさんに自分のことを、全く教えられなかっただけのこと。

だけど、ホントにそれだけ……なのかな?

こんなにも心が苦しいのは、それだけじゃないような気がしてならないのです……。

自分にもっと勇気があったなら、あるいはかなでさんを傷付けずにすんだのかな……。


「あの、かなでやけど――」

「――っ」

「入って、ええやろうか……?」

「……」

「――入るで?」

 ドアをノックし、そう言いながら少し緊張した面持ちで祐一くんの病室に入ってみると、紺の天鵞絨(ベルベット)に大きなまんまるの青白いお月様が静かに、でも明るく窓に映し出され、祐一くんは一人それを魅入るように眺めていた。

「……」

 この時何故か祐一くんの身体がより小さく見えたんは、きっと気のせいなんかではないやろう……。

 祐一くんもウチと同じように後悔をし、自分自身を見失っているんや……。

 そやからこんなにも小さく見えるんやと、ウチは思えて仕方があらへんかった。

 祐一くんはその背中に、どんな重みを背負っているんやろう……。

 祐一くんの背中の重みを、ウチは受け入れて楽にしてあげたい。

 ウチも一緒に、祐一くんの重みを背負って軽くしてあげたい。

 あんなことがあった手前、もしかしたら祐一くんはウチにその重みを打ち明けてくれひんかもしれへん……。

それでも例え背負うことが出来なくても、少なからずも支えることはきっと出来ると思う。

 いいや、したい。そうしたいんや……。

 それが例えウチのワガママで、エゴであったとしてもや。

 そうするって、先ほど覚悟したんやから……。

 そうするんやって、ウチはそう心に決めたんやから……。

「……なんで、来たんですか? 『もう、二度と来ないでください』と、言ったはずですのに」

 ふいに、祐一くんがウチの顔を見ずにそう尋ねて来た。祐一くんの瞳は未だに、紺の天鵞絨(ベルベット)を眺めている。

 でもきっと祐一くんの顔は、苦悩の表情を浮かべているに違いないんや……。

「うん。そやけど――」

「ワガママになろうって、決めたんにゃから――」

「――」

 そう言うとウチは、一歩だけ祐一くんに近付いた。

「――例え祐一くんに迷惑やとか思われても、や。ウチは、祐一くんのそばにいてあげたい。ううん、ウチは祐一くんのそばにいたいんや……。そう思うたから、ウチはここに戻って来たんや」

「……」

 また一歩、祐一くんに近付く。

「――祐一くんがウチに『もう、二度と来ないで』と言ったんは、病気が原因やからなんやろ? それも、すごく重い病気で――きっとウチに迷惑をかけてしまうかもしれひん。ウチを傷つけてしまうかもしれひん。……やからウチのことを気遣って、遠ざけようとしたんやろ?」

「……」

 祐一くんの身体が一瞬、ピクリと反応したように感じた。

「……そやけれどもウチは、そんな祐一くんのこと何も知らへんかった。何も、知ろうとは思わへんかった。祐一くんが何か、言ってくれるそれまでは――。でも、それじゃあダメやって気が付いたんや。このままじゃあ、祐一くんはただ黙ったままウチのことを避け続けてしまうから――。やからウチが、ワガママになろうって決めたんや。そやからウチの方から、一歩を踏み出そうって決めたんや……」

「……」

 祐一くんは今、どんな表情をしているんやろう……。

 めっさ不安で仕方がなく、ウチは怖くていつにも増して震えていた。

「……祐一くんに心配されないくらい、もっとウチはワガママになろうと思うんや。祐一くんに気遣われないくらい、ウチはもっと自分勝手になろうとや。そないしたら、きっと祐一くんのそばにいられると、思うから――」

 そやけど、自然と笑みがこぼれていた……。

 ふと気が付けば、祐一くんがウチの瞳を見つめていることに気が付いた。

「祐一くん、あなたのその苦しみや痛みをウチにも背負わせてちょうだい。そうやって一緒に分かち合えば、きっと少しは楽になれるはずやから――」

「……」

そう言うとウチは、ベッドにいる祐一くんに視線を合わせ優しく見つめてみる。

「確かに、実際に病気にかかっているんは祐一くんやし、その痛みや苦しみはウチには到底理解出来ひんかもしれへん……。祐一くんの苦しみも、多分分かってあげられひんかもしれへん……。そやけれどもウチは――ううん、そやからウチは祐一くんをもっともっと知りたいんや。祐一くんことを知って、支えてあげたいんや」

 どんなことがあっても、支えてあげたい。

 そう思うているから――。

「これはウチのワガママであって、ウチが自分勝手にすることなんや。やから祐一くんには、嫌とは言わせひんしダメとも言わせへん――」

「――」

 そうウチは、断言して見せた。

 すると祐一くんは、そう断言してみせ見つめてくるウチに対して、なんやか困ったようなでも照れくさそうな顔を、浮かべては頭をかいて見せる。

「……はぁ。全くもって、困り果ててしまいましたね。どうして誰も、ボクの気持ちを全然考えてくれないのかなぁ」

「……」

 そう溜息を吐くように言ってのけると、祐一くんはまた窓の外を眺め出してもうた。その祐一くんの物哀しそうな哀愁漂う背中をバックに、ウチもしばらくは何も言わんと静かに祐一くんを見つめていた。

「……時々、恐くなってしまうんですよね」

 どれくらいの時間が流れたんやろうか。

窓の外を眺めていた祐一くんが、ふと呟くように言って来た。

「……」

「ボクだけのために、みんな何かとても重要なモノを犠牲にしてしまっているんじゃないかって……。あの時かなでさんを避けたのだって、かなでさんがまるでボクのために自分の人生を全て捧げるような口ぶりをしてみせたからなのです――」

 あれはやはり、ウチのことを気遣っての発言やったんやね。

ああ、祐一くんもやはり覚悟の上やったんやね……。

よかった、ホンマによかった……。

そう理解はしたんやけど、そんなんじゃウチの心は祐一くんから離れられひん。

 祐一くんはそう言うと、振り返ってもう一度ウチを見つめてきた。

「……だからなのです。だから、かなでさんの大事な時間をこんな死にぞこないのボクなんかのために、無駄にしなくたって良いんですよ?」

 そう祐一くんが、優しくウチを突き放して来た瞬間やった。

「ふ、ふざけへんでっ……!」

 ウチはそう、祐一くんに向かって怒声を浴びせかけていた。

 祐一くんのそんな自己犠牲が、すごく耐えられなかったから――。

 そんな祐一くんは、ウチが怒ったのを見て、めっさ驚きあふれていた。きっと思いもしなかったことなんやと思う。

 ウチも、自分でびっくりやったわ。

「そんなん、何の理由にもならへんわ……! 言ったはずや、そんなん言葉だけの優しさなんかウチは欲しくあらへんって……!」

 ウチの頬を伝って、熱い何かが流れ落ちてくる。

「――」

「どないして……どないして、そんな風にウチを優しく避けようするんや――。ウチの方から祐一くんのそばを離れるように、仕向けようとするんや……。ウチは祐一くんのことがめっさ好きや! 大好きなんや! そやけどウチのことが嫌いなんやったら――そばにいて欲しくあらへんのやったら、はっきりそう言えばええやんかっ!」

 そう言った瞬間、祐一くんの身体がピクリと反応した。

「一つだけ――」

「……え?」

「一つだけ、間違っている事実があります……」

「……」

 そうウチの言葉を指摘すると祐一くんは、あきらかに先ほどとは違う感じで、まっすぐにウチを見つめてきた。

「……ボクは、かなでさんのことを本気で嫌ったことなんか一度もありません」

「――っ!」

「……むしろそばにいて欲しくないはずが、ないじゃないですか! だってボクは……ボクも、かなでさんのことがホントは大好きなんですから――!!」

「やったら――!」

「好きですよ、大好きですよかなでさんのこと。……出会った頃からボクはかなでさんのことが、今までずっとずぅっと大好きでした。――だけど、『本当に貴女のことが好きであるならば……やっぱり、貴女の幸せを願って別れなきゃいけない』と言う言葉も、知っておいて欲しいんです」

「――」

そう言って見せた祐一くんの頬に、キラキラと陽に照らされ光るものがあった。

それをウチは、黙って見つめていた。

瞳をそらさずに、じっと静かに――。

(あゆみ)のお友達なんですよね、かなでさんは……」

「……せやね」

「前々から妹にかなでさんのこと聞かされていましたから、別に驚きはなかったんですけどね……。でもまさかこんな不甲斐ない(ボク)のために、こんな素敵なお友達を紹介してくれていたなんて。その、紹介された時は残念ながら会えなかったですけれど、後日会ったその素敵なお友達に、ボクは本当に会えて嬉しかったのと同時に、良かったと思っていましたよ?」

 祐一くんが、寂しげに笑う……。

 そう――、初めて会ったあの時のことやってすぐに分かった。

「――そして、その妹のお友達のことを知れば知るほどに、こんな情けないボクの心はとても苦しくて仕様がありませんでした。だって、ホント情けないですけどボクは一度たりともこの病院から出たことがないんですよ? そんなボクが、人生で初めて他人を好きになると言う気持ちを知ったんですから……。そう、これが所謂ボクの初恋だったのかもしれません……」

 祐一くんはめっさ嬉しそうに笑った。

ホンマに嬉しそうな笑みを浮かべて……。

 ほんで祐一くんの表情から、笑顔が消えてしもうた。

 祐一くんが肌身離さずずっとかぶっていたニット帽を、外したからやった。

「――かなでさん。医療が発達した現代であっても、治すことが出来ない病気って、実はこの世の中にはまだたくさんあるんです。発症してしまえば、決して治すことの出来ない確実に死にいたる病気――。それは徐々に、身体を蝕んでは浸透して行きます……。そしてボクは、その病気を患っているんです。肺と心臓の疾患……それが今、ボクが患っている病気です」

「……」

 祐一くんの言葉が、ポツポツと雫のごとくウチの中に染み込んで行く……。

 祐一くんの髪はホンマ可哀想と言ってしまいそうになるほどに、抜けてしまっていた。

 抗がん剤言う、強い薬の副作用やって祐一くんは自分の頭を撫でながら言うた。

 祐一くんの身体がさらに小さく見え、細かく震えているように見えてしもうた……。

「……手術をしたとしても、完全に治すことは出来ません。むしろすでに、いろんなところにも転移してしまって手の施しようがないそうなんです。そして、その病気を患ってしまっているボクの命は、二十歳までしかもたない――。ボクは、二十歳までしか生きられない身体なんです――」

「――っ」

 音が、まるで一切消えてしまったかのようやった――。

 気が付けば、紺の天鵞絨(ベルベット)に浮かぶ青白いまんまるお月様はすで雲に隠れてしまい、見えなくなってしまっていた……。

 祐一くんから告げられた言葉は、あまりにも残酷すぎた。

 まさかの宣告……。

 祐一くんは、それをたった独りで背負っていたんや。

 その、重すぎる宣告を……。

 二十歳までしか生きられひんと言う、恐怖を……。

 やから、ウチを避けていた――。

 そやからウチを、避けようとしていたんや――。

「……」

 そんな祐一くんに、ウチは何も言えひんかった……。

 てか祐一くんに、何を言ってやればええんか分からへんかった……。

 ホンマに、何を言ってやればええんかさえ……。

 あまりにもかけ離れた、ウチと祐一くんとの距離――。

 祐一くんはただただ、ニット帽をかぶりなおしウチの顔を寂しく見つめていた……。

「二十歳までしか生きられないなら、思い切り楽しい時間を、もっともっと過ごしたい。だけどそう思う反面……ボクはもうすぐ死んでしまうんです。そう、タイムリミットが迫ってきていてもうすぐ死んでしまう……。ひどいですよね、こんな仕打ち――。だけどかなでさんに苦しい、哀しい思いをさせたくない。だから、こんなボクなんかよりも――」

 そう言いかけて、祐一くんは口を止めてふいにウチを見て来た。

「――そう、思っていたんですけどね。先を越されちゃいました」

「っ――」

 そうや――祐一くんが別れを告げようとした時、ウチは祐一くんに告白をしていたんや。

 ほんで祐一くんはあの告白に、めっちゃ動揺してしもうたんや……。

「――ごめんさい。あの時咄嗟にかなでさんを突き離すことしか、ボクの心は抑えきれませんでした……。でも、言ってしまった後でただただ後悔でいっぱいだったんですよ? かなでさんを哀しませてしまってすごく後悔していて、謝りたかった……」

 ああ、やっぱりあゆみの言うとおりやったんやな……。

 そう思うと同時に、少し寂しさを覚えてしまい仕方があらへんかった。

 やからなのかもしれひん、ふいにこんなことを尋ねてしまったんは……。

「……祐一くんはまだ、ウチにそばにいて欲しくないと、思っているん?」

「……少しだけ、まだほんの少しだけ迷っています。たぶん……いやきっと正気ではもう、ボクはかなでさんを突き離すことは出来ないでしょう。だからまたいつか、今回のように突き離し一方的に別れを告げてしまうかもしれません。――だけど、かなでさんはそれでもボクのそばにいるつもり、なんですよね?」

「ええ……当然そのつもりや」

「……だったら、もうボクから言うことは何もありませんよ。まあ元々、言える立場じゃありませんでしたけどね」

「それって――」

 その言葉に、ウチは祐一くんの顔を見る。すると祐一くんは、自分の額にウチの手をそっと当てて来て祈るかのように、言って来た。

「……ボクは今まで、誰かに対してお祈りやお願いをしたことは一度もありませんでした。それは自分に対しても、もう諦めかけていたからです。でも今回、ボクは初めて諦めたくないと思う気持ちが心の中で渦巻いています。聞いてください、ボクからのお願いです。どうかボクが死ぬまで――いえ、ごめんなさい。言い方がすごく悪かったですね……どうかこんなボクのそばに、ずっといつまでもいてください。きっとまた、不安や恐怖にかられてかなでさんを突き離してしまうかもしれません……。それでも、そうだとしてもそばにいてほしいのです。そうじゃないと、ボクの心は今にも恐怖や不安で押し潰されてしまいそうなんです……!」

 まるでこの世のあらゆるものを統べる神様に、祈るかのごとく……。

 言い知れぬ、穏やかな雰囲気が辺りを包み込んでいる。どれほどの不安を抱き、どれほどの恐怖にさいなまれながらも、祐一くんは今までの日々を送って来ていたんや……。きっと、話すこと自体も億劫やったはずなのに。

 それなのに――。

 ウチなんかのために――。

 そう思ってしまうと、ウチはもう心がいっぱいで「ありがとう」「ごめん」と叫びたくなった。鈍感なウチをわざわざ気付かせてくれた、あのあゆみの思い……。ほんで、こんなにも不安を抱き、こんなにも恐怖にさいなまれながらも、自分のことをしっかり語ってくれた、祐一くんの思い。ウチは人知れず、心がいっぱいやった。

「どうかボクに、不安と恐怖以外のモノを置いていってください――」

 祐一くんの目から、大粒の涙が零れ落ちる……。

 その、次の瞬間やった。ふいに祐一くんが、嗚咽を吐きながらウチの胸に飛び込んで来たのである。

「めちゃくちゃ怖いんです……! 恐ろしいんです……! ホントは死にたくなんか、ないんです――! ボクは、ボクはまだ死にたくなんか……っ!! お願い、どうかお願いします。そばにいて――!」

こんなにも小さな身体に抱え込んだ不安。こんなにも、小さな身体に染み込んでいる恐怖。こんなにも小さかったんかと思えるほどほっそりとした小さい祐一くんの身体は、苦悩に不安と恐怖で、ガタガタと細かく震えてしまっていた。その気持ちに溜まらなくなってしまい、ウチは祐一くんを離すまいと大きく強く、しかしながら優しく温かく、ほんで包み込むように抱きとめていた。小さく頑張った鳥の羽根を休ませるかのように、不安を取り除くように、優しくそして温かく……。

 どうすることも出来ひん……。

 もはや、手遅れや……。

 どないしようもあらへん……。

 そやけどそんな祐一くんの不安と恐怖を、和らげるために――。

 しばらくの間そうしていると、目を腫らしつつもようやく泣き止んだ祐一くんは、抱き付いていたウチからそっと離れては、申し訳なさそうに謝って来はった。

「ぐす……すみません、男の子なのにこんな情けない姿を見せてしまって」

 いつものように、ウチに対して気を使いすぎる祐一くんに戻っていた。

 そんな祐一くんが、ウチはとてつもなく愛しく思えて仕方があらへんかった。

「ううん、気にせんといて……。と言うかむしろ、ウチの方こそおおきに――ありがとうやな。やってこんなウチなんかに、とっても重要な話をしてくれて……」

 そう言うてしまうと、ウチはなんとなしに照れ臭くなってしもうた。

 祐一くんも、そんなんウチを見て照れ臭くなったんやろう。困ったような、でも嬉しそうな笑みを浮かべて見せる。

「あの……すみませんが、面会のお時間はとっくに過ぎていますよ?」

ふいに、いつの間にか病室に看護師さんがやって来ていて、ウチらに向かってそう申し訳なさそうに言って来た。

「あ、はい。すみません……」

 ウチはそう言うと、慌てて立ち上がりふと少し後ろめたい気持ちで祐一くんを見てみた。

 祐一くんも名残惜しいんか、ウチのことを見つめて来ていた。

「……ほんなら、帰らなきゃ」

「……はい、分かりました。それじゃあ、玄関先まで送っていきますね。夜は何かと、物騒ですから」

 そう言うと祐一くんは、ベッドから降りてウチを見送ろうとしてくる。きっと、少しでも長くウチと一緒にいたいんやろう。ウチも、祐一くんとまだ一緒にいたい気持ちは同じやった。けれども、ウチは祐一くんの申し出を断ることにした。

「ううん、ここで大丈夫や。逆に、祐一くんにもしも何かあったらいけひんもん」

「でも……」

「ダメやで? さっき発作を起こしたばかりなんやから、少しは自分を大事にして、安静にしておかなきゃ――」

 そうウチにたしなめられてしまい、祐一くんはウチの言葉にしぶしぶ従う。そんな祐一くんの言動一つ一つが、ウチの心をどないしようもなくざわつかせる……。

 ホンマは、もう少しだけでも長く一緒にいたかったんやろう……。

「……大丈夫や。うん、大丈夫やって。心配せんと明日からもまた、バンバン遊びに来るから――ホンマに来てあげるんやからっ……。やから、覚悟しておきい」

「あははは……分かりました。それじゃあ、覚悟しておきますね」

 ウチの言葉に、祐一くんはすごく嬉しそうに喜んでくれたんか笑みを浮かべて見せる。

「ほんなら、今度こそまた明日……」

「はい、また明日です――」

 そう言って後ろ髪を惹かれる思いで祐一くんと病室で別れ廊下に出ると、看護師さんとも別れてウチは足早に祐一くんの病室から離れることにした。一刻も早く、より早くこの病院の外へと出たかったからやった――。

「はぁ……! はぁ……!」

 薄暗くなったロビーを抜けようやく病院の外に出てみると、今まで我慢していた涙の粒が頬を伝って流れ落ちて来ていた。なんとか病院の敷地から出るまではと思い、必死に涙を拭いながら早足で来たんやけれども、それももはや我慢の限界やった……。

 前がどうしようもなく曇ってしまい、良く見えない……。

 歩く、歩くからまだもうちょっとだけ我慢して……。

あふれんばかりの熱くてしょっぱい涙が、止まらない。

ボロボロ、ボロボロと……。

もう止めようと思っても、次か次へと出てくる……。

次から、次へと――。

ようやく病院の敷地外から出たところで顔を覆い、壁を背にワタシは堰を切ったかのごとく、涙を流し泣き崩れた。

「うぅ……っ、うわあああああああ……っ!」

「ああああああああっ……!」

ただただ、祐一くんのことを思い……。

ただただ、何も出来ないことが悔しくて……。

 だから……。

 だからこそ、なのかもしれない……。

 悲しみの思いで、涙をずっと流し続けているのは。

誰かのためではなく、自分の……ワタシのためだけに。

けれども、大人になれば大人になるにつれて、それは苦しみへと辛さへとなってしまう。

気付いているはずやのに、何故かワタシはそれを逃げるように気付かないでいたのだ。

 それではいけない……。

 いけないんやっ!

 そう、気付いていたはずなのに――。

 そう思ってしまったからこそ、ワタシは今涙を流しているのだ。誰のためではない。そう、気が付いたのだから……祐一くんが、気付かせてくれたから――。

そんなワタシを、隠れていたお月様がいつの間にやら雲から顔を出して来て、優しく照らし出してくれていた――。



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