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鳥の謳  作者: 千歳命
10/12

~転落~



「――さあ、祐一くん。着いたで!」

そう言ってタクシーを見送ると、ウチらは防波堤越しに海を眺めてみることにした。

「ああ――。ついに、来たんですね……」

 青々とした海を間じかに見て、祐一くんがそうため息を漏らす。

「感想は?」

「すごいとしか、言い表せないです……。本当に、広くて大きくて――」

「そやね……ホンマに地球の大きさを改めて思い知らされたわ」

 海はいくつもの顔を見せてくれる。怒った顔、悲しい顔、くすんだ顔……。一回きりしか、海はそれらの顔を見せてくれない。そやからこそ、美しくて題材になるんやなと祐一くんは言うんやが、ウチには良く分からへんかった。そやけれども、海の美しさだけはウチにでも分かる。

 寄せては返し、ほんでしぶきを上げてくる波。それが今、ウチらを包み込むようにざわわと流れて来る。その波と海の美しさに見せられて、ウチは女やけどまるで浦島太郎になったかのような誠実な気持ちになった気がした。それほどに、海は穢れを洗い、汚れを流してくれるのである。その穢れや汚れを洗い流してくれる海を、ウチは改めてホンマに好きなり、祐一くんもひどく気に入ってくれたようやった。

 祐一くんが元気になったら、泳ぎに行きたいなぁ……。

……まあ実はウチは、全然泳げないんやけどね。

「綺麗ですね、人っ子一人いませんし」

 シャラシャラと照り付けてくる太陽を避けるように、祐一くんはそう言って来る。

「良かった、気に入ってくれて」

「本当に綺麗です――」

祐一くんがもう一度そう言ってくる。その言葉にウチも、

「そうやね――」

 と、大海原を見ながら感嘆するように相槌を打った。いろいろあったんやけれど、無理してでも来てホンマに良かったと思う。ここは滅多に人のいない穴場スポットや。そのため、ウチら二人はその広大な景色を二人占めしていたんや。

「ありがとうございます……」

 すると祐一くんは海を眺めながら、何故か涙を流していた。

 涙が、ほろほろと零れ落ち海へと混ざり合っていく……。

「……どういたしまして」

 それにウチは、そう言う言葉を言って見せるしかあらへんかった……。

 ふと見てみると、拭ったんやろうか祐一くんの涙はすでに止まっていた。

「ただ唯一残念なのは、本当はここで絵を描きたかったんですけどね……」

「――ごめんなさい」

 その言葉が、めっさ重い……。

 そう、ウチらはただ海を見に行くだけと言う条件の元で来ていたんや。祐一くんのワガママ、海で絵を描くと言った長居することまでは、許可をすることは出来ひんかった。それは祐一くんの身体を思ってのことやし、また病院で心配してくれているあゆみらのことを思ったら、出来ひんことやった。

「……謝らないでください。元はと言えば、ボクのワガママだったんですから。それを叶えて下さっただけでも、嬉しいです」

「……」

 それでも祐一くんはやっぱり描きたいんやろうか、身体がうずうずしているように見て取れた。でもダメなものはダメなんやもんね、ごめんね……。

 でも、やからこそや……。

「さあ、目に焼き付けておかないと――」

 祐一くんがそう言って微笑んでくる。その祐一くんの純粋すぎる笑顔に、ウチは自分が言った言葉と前言をすごく後悔してしまった……。

 どないして、あんなことを言ってしもうたんやろうかと――。

 そやけど祐一くんはめっさ真面目さんやから、今さらウチがやっぱり絵を描いてもええよと前言撤回をして許可したところで、首を縦に振らないんやろうな……。

 ホンマ、なんで「ただ海を見に行くだけ」と言う条件を付けてしまったんやろう……。

 でもそれやったらさ、やっぱり少しでも祐一くんには海の楽しさを味わってもらわんとあかんよねと閃いた。

「……どうしたんですか? かなでさん」

ふいに靴を脱ぎ捨てスカートを捲し上げ祐一くんの後ろに立ってみせたウチに、ふと祐一くんが不安げに尋ねてきた。が、次の瞬間、ウチはいきなり祐一くんの身体をお姫様抱っこよろしく抱き上げて見せたのである。抱き上げて見せた祐一くんの身体は、めっちゃ細く軽すぎてなんやか胸が痛く苦しかった……。

そやけど大いに楽しまんとと思い、そのままダッシュしずっと何処までも続く海へ祐一くんを連れて行くことにした。

「えっ? あ、ちょっ……! ちょっと……!」

「うひーっ! やっぱ冷たい! でもほら、こうすれば海をもっと感じることが出来るはずや!」

 バシャバシャッ、波打ち際に祐一くんを連れてウチはひんやりとした海の中へ入っていく。それに祐一くんは恐怖を感じてしまったんか、

「止めてください! 止めてくださいってば! せっかくの服が濡れちゃいます!」

 と、その祐一くんの悲鳴にも似た声を出して必死にウチを止めてくる。

「ウチが付いているから大丈夫やって、濡れひん濡れひん。そうや、せっかくやからもうちょい深いところまで入ってみーひん?」

 しかしながら、ウチは祐一くんの話しを一向に聞くことはせずに、どんどんと海の深いほうへと向かって行くことにしてみた。……まあと言っても、水かさは太ももぐらいまでが限度やけどね。

「止めて! お願い! ボクが何をしたっていうんですか! お願い、服を濡らさないで! ボク、替えの服を持って来ていないんですよ?!」

「やから、大丈夫やってば――」

 もはや泣き叫ばんばかりに、祐一くんは何故かウチに懇願をしてくる……。かなりジタバタと暴れたかったようやが、暴れてしまうと逆に海へ落とされてしまうんやないかとハラハラしてしまい暴れられず、最後にはもう子供のようにグズり出してしまった。

 あれれ~……?

「ゆういち……くん」

まさか泣き出してしまうとは思っていいひんかったウチは、さすがにこれ以上はと気が引けてしまい、

「ゴ、ゴメンなさい……」

 と謝りながら、しずしずと砂浜へと戻ることにした。祐一くんを楽しませようとした結果、逆に泣かせてしまう事態になってしまいウチはめっちゃ反省してしまうしかあらへんかった。

砂浜に戻ってきた後も、祐一くんはめっさ不機嫌やった。

「……」

「あう……堪忍! 堪忍や!」

「ホンマにごめんってば! ウチはただ、祐一くんを楽しませようと思っただけなんやの……ホンマやで?」

「ツーン……」

 そう弁解してみるも、まるで聞く耳なしと言わんばかりに祐一くんは「ふんっ!」と、めっちゃ怒った表情で頬をぷくぅと脹らませてしもうている。

「……ほ、ほら! そやけど濡れていいひんからええやない!」

「な、なぁって?」

 焦りながら結果オーライ的なことを言うと、逆に祐一くんにギロリと睨まれてしまい、ウチはしょぼんと申し訳なさに身を縮めるしかあらへんかった。

「――ボクは別に、海に入りたくて来たんじゃないんですよ!? それに、あんな風に突然抱きかかえ上げられて海の方へと向かって行ってしまったら、誰だって海へ落とされてしまうんじゃないかと勘違いしてしまうじゃないですか」

 確かに、ええごもっともでありますよね……。

 ちょっとばかり……、いいやかなりふざけすぎたかもしれひんです。

 あい、ごめんなさい……。

「……なんですか? そのニタニタした顔は」

「えっ? し、してへんよ?」

「……かなでさん、本当に反省しているんですか? さっきから、顔がにやけていますけど――」

「う…うん、それはもちろんやで!」

 怒っている祐一くんが可愛くて、ついつい顔がほころんでにやけてしもうていたようや。

 危ない危ない、また怒られるところやったわ……。

「ホンマに、ごめんね? めっさ反省しているから……」

 頬を脹らませつつ、ジロリとウチを睨み付ける祐一くんに、ホンマに申し訳ない気持ちを見せて謝った。その言葉に祐一くんはようやく、仕様がないですねと言う感じで大きく溜息を吐く。

「……濡れていないから良いものを、今度こんなことしたら許しませんからね?」

「うん、めっさ反省しています……」

「本当の、本当ですかぁ?」

「うぅ……。祐一くんなんか怖い」

「当然です! 怖い思いをしたんですから!」

「……すんまへん」

 もう一度申し訳なさそうに謝ってみせると、ウチは「ほんなら」と立ち上がって行こうとした。

「っ! ――何処へ行くんですか?」

 ふいにウチが、立ち上がって何処かへいこうとしたことに気が付いた祐一くんが、ウチの服のすそをひっぱっては不安げにそう尋ねて来た。その言葉にウチは、

「いや、何処にって……ジュースを買いに近くの自動販売機へ行こうとしていただけやで? ほら、祐一くんをめっちゃ怒らせてしまったお詫びに、や」

 と、苦笑しながら答える。しかしながら、その言葉に祐一くんは何故かあまりいい顔をしていいひんかった。

「――」

「うん?」

「……いえ、なんでもないです! それよりも、ボクも一緒に付いて行きます」

「え――?」

 その祐一くんの言葉にウチは逆に目を丸くしてしまった。

「……いけませんか?」

「……あ、ううん。それは別にかまわないんにゃけど、なんで付いてくるんかなって。せっかく抜け出して来たんやから、祐一くんは海を目に焼き付けて少しでも長く堪能していればええのに――」

 そう言って見せると、祐一くんは少し唇を尖らせぼそっと言って見せてきた。

「一緒に観なきゃ、意味ないんですよ――」

「?」

 その言葉の意味を、ウチはまだ良く理解出来ていいひんかった……。

 ホンマは、ウチと一緒に観なきゃ、意味ないって言いたかったんやよね――。

「ま、ええか。祐一くんがええのであれば、一緒に行こうやん」

「はい」

 そう言ってウチらは手を繋いで、結局一緒にジュースも買いに行くことにした。

手を繋ぐ瞬間、聞こえるか聞こえないかの非常にか細い声で、

「――ごめんなさい」

 と、申し訳なさそうに祐一くんが謝って来た気がしてしまい、ウチは一瞬驚きあふれて祐一くんの顔を覗むように見てみてしまった。やけど覗き込むように見てみた祐一くんの表情は、まるで何事もあらへんかったように平然としていた。

「? どうしたんですか?」

「い、いや――」

「気のせいやったんかな……?」

 そうぽつりと呟いてみせたウチは、小首をかしげながらも祐一くんと一緒に自動販売機へジュースを買いに向かうことにした。

 人や車の往来が少なく、ゆるゆると二人仲良く並んで歩くことができた。

 海を背景に県道を渡った少し先に、少々デザインが古めかしい、派手めな自動販売機がぽつりと見えた。

 自動販売機の前に立って、何が売られているんか確認してみる。すると、祐一くんの好きなポンカンジュースがなんと偶然にも売られていた。

「祐一くん、めっちゃラッキーやで。ポンカンジュースが売られているわ。しかも、病院で売られとったものよりも二十円安い百円やで?」

「……」

 しかしながら、そう嬉しそうに言ってみせるも、祐一くんは何故かウチの一歩後ろに下がって黙っていた。

「祐一……くん?」

 祐一くんの表情がなんやか、少しばかり険しい気がする……。

「……って、なんでそんなとこで黙っているん――」

「――」

そう言った、次の瞬間やった。

 それは一瞬の出来事やった――。

 陽炎がまるで夏の昼下がりに、

 瞬きをした瞬間のごとく――。

祐一くんの身体が突然ふらりとよろけて見せたかと思うと、そのまま祐一くんはその場に蹲るように、地面へと倒れこんでしまったんや。

「――ゆ、祐一くんっ!?」

突然の出来事に驚きあふれてしまったウチは急いで祐一くんの元に駆け寄ると、祐一くんの身体を抱きかかえてみた。慌てて顔を除きこんでみると、祐一くんはめっちゃ苦しそうに息を荒々しくさせながら、自分の胸をすごい力で押さえつけていた。あと、非常に高い熱もあった。

これはもしや――。

「……ほっ発作や!!」

と、咄嗟にウチはそう叫んでいた。

「し、しっかりしぃ、今すぐ救急車を呼ぶから!!」

「……」

 必死にそう祐一くんを呼んでみるも、祐一くんは苦しそうにし返事がなかった。

「あかんな――!」

 これは一刻の猶予もない――。

 ウチは咄嗟に携帯で電話をかけようとポケットに手を突っ込んでみた。

「あ、あれ……!? ない、携帯ないで!? 確かここに入れていたはずなんやけど――」

 ところが、なんとポケットに入っていたはずの携帯がなくなってしまっていたのである。

その後、いくら探してみても携帯が見つからひんかった。

あいたっ……!

 まさか、海に入った時に誤って落としてしもた……!?

「く……かはっ――」

 アカン――このまま誰もこーへんかったら、祐一くんの命が!!

 最悪の予感が頭を一瞬よぎってしまった。人がいない海を選んでもうたんが、逆に仇となってしまったんや……。

それに先ほどウチらが乗ってきたタクシーも、もう帰してしまった……。

ど、どないしよ?

ホンマどないしよ。

 どない、しよう――?

「……」

 ウチは唇を噛み締め、必死に脳を回転させ記憶を手繰り寄せてみる。

 そう言えば、少し向こうの方に民家があったような気が……。

迷っている場合ではあらへんかった。

「行くしかあらへん!」

 とにかく、祐一くんをこのままにしておけひん――。

そう思った瞬間ウチは、荒々しく息を吐きつつ苦しそうにしている祐一くんを背中におんぶしてみると、道路沿いを戻るように歩き出すことにした。とにかく一歩でも、一歩でも早く近くの病院へ行かなければと思って……。

「しっかりつかまっているんやで?!」

「……」

息苦しそうにしている祐一くんを背中に背負って、ウチは地面を噛み締めながらずんずんと前に進んでいく。

 はぁ……はぁ……はぁ……。

 しかし歩くたびに息が上がってしまって、どうしようもあらへんかった……。

「くっそ……!」

 こんなんで、負けてなんかいられひんのやっ!

軽いはずの祐一くんの身体が、今めっちゃ重たく感じられる……。

ぼたぼたと、汗が額や頬を伝って顎から垂れ落ちてくる――。

腕や足が、しびれて感覚がなくなりそうやった……。

そやけれど、ウチは歩みを止めようとはしいひんかった――。

 祐一くんの息が、どんどんとか細くなっている気がしたからや。

「が、がんばって――!」

「もうちょっとや! もうちょっとの辛抱……!」

「――」

 ウチは背負っている祐一くんを必死に励ましながらも、前に進んでいくしかあらへんかった……。

 がんばって、ホンマにがんばってや――。

汗を垂らしながらしばらく歩いていると、ウチの記憶が正しかったんか民家らしき建物がようやく見えてきた。

 ウチはもう少しやと思い、気力を振り絞ってその民家らしき建物に近付いてみることにした。

 が――。

しかしながら――残念ながら民家らしき建物は、空き家やった。

「はぁ……はぁ……」

 アカン、アカンで――。

 これは、いよいよマズい――。

一度汗を拭い、中を確認してみると、長らく人が住んでいいひんかったのか草木が生い茂り、中は埃だらけになっていた……。

「……」

 ダメや、また歩かなきゃ……。

 そう思った瞬間、偶然にも空き家の隣に乗り捨てられ寂れた原付バイクが、ウチの目に留まった。ウチはそのバイクに吸い寄せられるように、近付いてみた。すると、何たる幸運なんか最近まで誰かを乗せていたんか少々錆付いているけれど、見た感じ何処も壊れていなさそうな感じやった。しかも、良く見てみるとバイクのキーも刺さったままになっている。

 いけるやろか……?

「……これで、バッテリーさえ生きていれば」

 そう願うように、祐一くんを少し木陰で休ませるとキーを回しスイッチを入れて、祈るような気持ちでバイクのエンジンから出ているキックスターターレバーと言う、エンジンを動かすレバーを思い切り蹴ってみた。

「えいっ!」

ぷすんっぷすんっ……。

もう一度、チャレンジをしてみる。

ぷすんっ、ぷすんっ……。

「くそうぅ。やっぱり、ダメなんかな……」

 つい最近までと言ったって、ガソリンが腐っていたりしたら使えひん……。

 それでも諦めきれず、動けと願いながら何度かキックスターターレバーをガシガシと蹴ってみる。

 お願いや、かかって――!

 神様、仏様、あゆみさまー!!

 ウチは自分の全体重を乗せ、これが最後やと言う思いで渾身の力を込めて、勢い良くキックスターターレバーを蹴ってみた。

 プスンップスンッ……ブロロロロ――。

 すると、なんと言うことなんやろう……!

 幸運にもウチの願いが通じて、バイクが動いてくれたのである。

「やった……! やったで祐一くんっ!!」

「うぅ――」

「これで病院帰れる!」

 運はまだ、ウチらに味方をしてくれているんやと言わんばかりに喜び、木陰で休ませていた祐一くんの元に行ってみた。ところが過呼吸にも似たように息も荒々しく、すでに顔色も青白く手脚も冷たくなって来ていて、祐一くんはもう見るからにヤバイ状態であるのは明らかやった。

「……っ!」

 ヤバいっ! マジで危険やっ!

「ホンマに、もうちょいやで!?」

 ウチは着ていた上着を咄嗟に祐一くんに羽織らせると、祐一くんを背負ってバイクにまたがり、上着を自分の腰に巻きつける。本来ならメットもかぶらなアカンけど、雨水が溜まり使えひんかったため、捕まってもかまへん覚悟で「いくで!」とそのまんま発進させることにした。バイクは全力疾走で海を通り過ぎて行く。あの、白くて灯台やった教会も横目に見ながら……。

坂道を一気に登り切り自然に出来た森のトンネルを出てみると、ふいに雲行きがずんずんと怪しくなって来ていた。

「さっきまであんなに良い天気やったのに――!」

 ああ、もうっ……! 雨よ雨、まだ降らんでちょうだいなと願うウチの願いも空しく、透明な雫がはらりとウチの頬を冷たく寂しく濡らして来はった。それをかわきりに次々と、はらりはらりウチや祐一くんの頬を濡らしたかと思うと、ビタビタと今度はまるで殴り付けるかのようなどしゃぶりの雨が、ウチらを冷たく濡らして来る――。

「くっ……!」

 途中祐一くんが出来るだけ濡れひんよう上着を着せなおし、どんよりと暗い空の下バイクを走らせる。もはや、今が夕方なのか夜なのか分からへんほどに、空はどんよりとし雨が地面を叩き付けていた。

 後ろにいる祐一くんの様子が、めっちゃ心配やった。ウチの背中で小さく震えてしまっている祐一くん……。それはまるで、鳥籠に入れられた哀れなカナリヤのごとく、祐一くんはウチの背中で雨に降られてしまい冷たく縮こまるように震えてしまっているんや。そう思うてまうと、ウチはホンマに気が気ではあらへんかった。

「もう少しや……! もう少しの、辛抱やから――!」

 自分にももう少しやって言い聞かせるように、ウチはそう大きな声で言い放つしかあらへんかった。それを、朦朧とする意識の中祐一くんは小さくかすれた声で、

「は……い」

 と、一言だけ頷いてくれた。返事をしてくれたことは嬉しかったんにゃけれど、正直言うてやっぱ、めっちゃ不安やった。

 もう少しって、後どれくらいなんやろう……?

 自分で言っていて、めっちゃ情けないやん――。

 果てしない道が続いているかのように思えてしまい、小一時間近くと言う言葉が今のウチにはなんやかとてつもなく長い時間のように感じられて、頭がおかしくなってしまいそうになり、自分が今現実にいるか幻想にいるのかさえも全く分からへんくなってしもうていた。それほどにウチは、今を逃げ出したかったんかもしれひん……。それほどまで、今の現実を認めたくあらへんかったんかもしれひん……。それほどまでに、夢であって欲しいとずうっと今まで願っていたんかもしれひん――。

そやけれども――。

見間違うことなく、これは(・・・)現実(げんじつ)やった…(・・・)…(・・・)。まぎれもなく、これは(・・・)事実(じじつ)やった……。これは(・・・)逃げてはいけひん、ウチが目を反らしてはならへんものやった――。

うざったいバラバラと降る雨を全身にびっしょりと浴びながら、ウチらを乗せたバイクは郊外を滑るように走って行く。もはや、ずぶ濡れの自分のことすら考えている余裕はあらへんかった。……いいや、あったとしてもかまってられひんかった。すぐにでも、今すぐにでも祐一くんを病院へと連れて帰らなければいけひんと言う思いからか、とうに雨宿りと言う考えもあらへんかったんや。

「大通り出たで……!?」

「……」

「祐一くん大丈夫!?」

「……は、はい」

「よっしゃ!」

 交通量もさほど多くなってきて、メットなしのウチがいつ捕まっても分からひん状態になってきた。

 てか、メットなんかかまってられひん!

 ――いいや。

もう捕まってもええから、祐一くんを今すぐに助けてや――。

 ウチはそう、願っていた。

願っていたんやけど案外、こう願う時にかぎって捕まらひんものなんやな……。

「がんばれ……! がんばれ……! もう少しやから――っ!」

「――」

「もうちょい! もうちょいやで!?」

 言葉とも思えない叫び声をあげて、ウチはチラチラと後ろを気にしつつ辛そうにしている祐一くんを必死に励ます。もはやそう言う以外、言葉が見つからへんかったんや。ホンマにどう言ってやれば良いのかさえ、見つからへんかった……。

ただ一言、がんばれとしか――。

ホンマに、何も出来ひん自分が情けない……。

「みえた、見えたでっ……!!」

 一筋の光明が、ウチの目の前をふいに照らし出してきた気がした。

 病院(それ)を見た瞬間、ウチは意識が朦朧としてしまっている祐一くんに向かって、そう叫び声を上げた。真っ赤に燃える十字架が、漆黒の左上にテカテカと照らされている。歓迎してくれているんか、それとも迷惑がっている赤なんか……。それは分からひんけど、ウチらは赤々と照らされている病院を目指していたんや。

 それが今、ようやく目の前に到着しようとしている……。

「祐一くん! もうすぐ着くから! もうすぐ、やから――!!!」

 大声とも、叫び声とも分からない声を必死に張り上げながら、バイクは左へと蛇行してようやく病院の敷地内へと入った。

 中央玄関に到着すると、心配していたんかあゆみと看護師さんが玄関の前で待ってくれていた。

「あんたたち、ずぶ濡れじゃないの!? ――何かあったのね?」

 祐一くんの容態にいち早く気が付いた看護師さんが、険しそうな表情を浮かべて近寄ってくる。

「発作が起きたんです! お願い、祐一くんを助けて――!」

 そう言ってウチはバイクを乗り捨てて、冷たくなってしまった祐一くんを背負いながら泣き叫ぶように騒いでいた――。



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