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コバルト短編小説新人賞投稿作品

或る夢想家の独白

作者: 夏目透子

コバルト短編小説新人賞で、もう一歩だった作品です

 この手紙は、僕が書くおそらく最後の手紙になるだろう。

 そもそも、この手紙が君に届く当てなどはない。僕はただこの手紙を自己満足のために書いている。ただそれだけでしかない。

 僕は毎日、君の事ばかり考えている。

 君が女性であったとしたら、まるで恋文のような文句であるね。

 言っておくが、この感情は男色などというような邪なものではないから安心してくれたまえ。そのような言葉を君は知らないかも知れないが、何、知らなければ知らないままでよい。周囲の人に聞くなどという愚はくれぐれも犯さないように。

 さて、僕はこの手紙を牢の中でしたためている。なぜこのような事になったのかという顛末は、おそらく君がよく知るところではないだろうか。

 おわかりの通り、僕は外国人である君に地図を渡したという罪で捕まり、十八にして死刑を待つ立場だ。

 君がいうところの夢想家である僕は、誠に読みが甘かったと言わねばなるまい。罪を罪と知りつつ、まさかそれがお上にばれるだなどとは、夢にも思わなかった。僕の中ではそれは美しい密やかな思い出の一つであり、それが白日の下にさらされる時がくるなんて、考えもしなかったのだ。

 匿名の筋からの密告とやらは、君のしわざなのだろうか。

 僕はこの事をずっと考えている。そうだったとしたら、なぜ君はそんな事をしたのだろうか。僕としては君を弟のように可愛がっていて、君も僕を慕ってくれているとおめでたくも思い込んでいたのだから、それは全く驚天動地の出来事だった。

 憲兵が家へ上がり込み、父が狼狽えて対応をしているのを見たときは、ようやくこの悪党も年貢の納め時かと物陰からせせら笑ったが、まさかそれが自分の事だったとは。

 憲兵にしょっ引かれる僕を見る父は別人のようにしょぼくれていて、そんな時だがまるで濡れ鼠のようだなどと思ってしまったものだ。

 君には理解ができないかもしれないが、僕は死刑になることは、怖くないのだ。

 これは強がりでも何でもない。今まで生きているという現実感のないまま茫洋と過ごしてきて友達もろくにおらず、唯一の肉親である父とは不仲である僕は、実際いつ死んでもいいなどと思いながら生を重ねてきたのだ。

 それ知れば、恵まれているから何もせずに生きていけるありがたみがわからないなどと君は言うだろう。確かにそうかもしれない。蓄財に長けた父を持つ僕は、金の苦労などしたことがなかった。金があるのが当たり前、しかしその使い方もわからず、人とのつきあい方も知らなかった僕が夢想家にしかなれなかったのは、必然の出来事かもしれなかった。

 頭の中の物語の方が、現実の出来事よりもよっぽど慕わしく感じていたのだ。

 様々な夢想に浸る僕は学校の級友と、まともに会話することすらままならず、自分の空想を反芻しながら日陰の虫のように過ごしてきた。

 ああ、そういえばこんな僕のことを夢を喰う「貘」のようだと面白がり、「君は夢を喰って生きているんだな」と言ったやつがいたことを思い出したよ。

 つまり周りからみれば、それくらい僕はぼんやりした人間だったってことだ。

 そんな日々を送っていた僕が君と知り合った事は、人生で最大の驚くべき出来事だった。

 出会ったとき、君は寒くなりはじめた季節だというのに、脛を丸出しにした薄っぺらい服を着て、寒そうに背中を丸めていたね。訛りの残る話しぶりと、この国には珍しい黒い髪と青灰色の目の組み合わせから、君が外の国から来たのだとわかったけれども、僕はそれに警戒をするよりもまず、君に哀れみを感じてしまっていたのだ。

 君が貧しいと思ったからではない。まだ十二・三にしか見えなかった君が、服も満足に与えられずに親から顧みられていないのではないかと心配になったからだ。これは自分の身を引き比べてそう思ったのもある。

 母をほんの幼い頃に亡くした僕は、それ以来面倒を見てくれていた住み込みのばあやが僕が十の頃に体を悪くして里に下がってからは、それは酷いありさまだった。

 通いの家政婦は、炊事洗濯といった言いつけられた仕事を済ましてしまえば、さっさと帰ってしまう。それに人見知りの僕は、なるたけ彼女を避けるようにしていた。顔をあわせる度に、本ばかり読んでいないで子供は外で遊べと小言を言うからだ。

 仕事に耽溺しているといっても過言ではない父は、僕を顧みることなどないに等しかった。だから僕は、いつも箪笥の中をかき回しては、自分なりに衣装を選んでいたのだが、それは今考えても妙ちきりんで滑稽で、学校でよくからかいの的にされたものだ。

 僕はそれを思い出して――今思えば君を自分と重ね合わせていたのだろう。

 普段の僕からすれば驚くべき事だが、僕は君に話しかけた。

 まず、君はどこの国の人だい? と。

 君は少しまごついた後、隣の国の名前をもごもごとつぶやいたね。そんな君を見て、まつげが長いななんて、妙な事を思ったことを覚えている。

 そうして君はこの国の言葉で挨拶をして、はにかんだように微笑んだ。まるで、子供のように無邪気な笑顔だった。

 そんな事をいちいち覚えている僕に、気分を害しないでもらいたい。この手紙は君に届くことはないだろう。だから、こんな事も書けるのだ。

 そして僕はそれ以来その公園で君とよく顔をあわせることとなり、仲良くなるのはあっという間だった。君はどう思っていたかわからないが、僕はそう感じていた。

 君は、いつも自分の国の服を窮屈そうに着込んで、一冊の本を大切そうに抱きしめたまま背中を丸めてぼんやりと公園を眺めていたね。そうして僕が来たのに気がつくと、どうしていいのかわからないような顔をして、とりあえずといったようにいつも静かに笑ってみせた。

 そういった君のぎこちなく不器用な態度も、僕は自分と似たところをみつけたようで、安心できるものだった。

 僕は話すのがあまり得意なたちではないが、君と話すのはいつも楽しかった。

 専ら話すのは口べたな僕の役目だった。これはなかなかに骨の折れることだった。何せ僕は話題など乏しいのはわかりきっているので、話をひねり出すのに必死だったんだ。おまけに話慣れていない僕の会話は、あっちへいったりこっちへいったり、まとまりがなく落ちもないようなお粗末なものだった。ずいぶんつまらなかったのではないかと思うが、それでも君は、静かに耳を傾けてくれていたね。

 ある時、君はなぜ君たちは皆同じ服を着ているのかと聞いた。真似をしているのかと。

 学校の制服だと言うと、同じ服で同じような髪型をしていると教師が生徒を誰が誰だかわからなくならないのかと言った。

「そんな訳はない。皆顔も違う。体格も違う。わからなくなるなんて事はないよ」

「でも、僕にはみな同じ顔に見えるよ」

 君は肩で風を切って歩く学生の群れを見ながら、そうつぶやくように言った。僕はなんと返したものかわからなくて、黙り込んだ。僕もあの群れと同じ顔に見えているのだろうか。そう聞きたかったが、怖かった。あなたも皆と同じ。そんな言葉を聞きたくなかったのだ。

 恥ずかしい事を承知で言うのだが、僕は君に特別視してほしかった。あなたは皆とは違う。そんな言葉を欲していた。

 なぜこんな事を思ったか。それは、僕は、君を勝手に自分の弟だと夢想していたからだろう。僕は、君の家族になりたかった。つまらぬ戯言だ。気にしないでもらいたい。

 僕は君と話すと、妙に心が高揚するのを感じていた。澄んだ君の声を聞くのは楽しかった。これはやましい気持ちは誓ってない。信じて欲しい。

 ただ純粋に、僕は君の事が好きだったのだ。

 例によって僕は君で夢想の花を咲かせ、君を想像の中で勝手に僕の父の隠し子と言うことにしていた。異国の女と行きずりの恋。父はそれを知らぬままでおり、君は父と腹違いの兄に会いに、この国へ来た。そこで僕たちは縁の糸の導きで出会ったのだ――という空想を空かずに幾度も僕は繰り返していた。

 君の顔を見つめながら、似通ったところを探したりもした。

 まさか目の前のいい年をした男がそんな事を考えているなんて君は思いもよらなかっただろう。本当に恥ずかしい事だ。死を目の前にしているから、こんな事まで吐いてしまえる。僕はそんな、どうしようもない夢想家なのだ。

 あるいは素性が知れなく、何の繋がりもない君が、ある日ふいと姿を消してしまうのが怖かったのかもしれない。

 そうして幾度も話をするうちに、僕は君を家へ呼ぶまでの仲になった。例によって、自分の弟かもしれないという夢想から、君に家を見せたく思ったのだ。女中は君にあからさまにうろんな目を向けたり、僕に面と向かってあんな怪しげな異国人を家に呼ぶなんてと、意見するものもいた。

 僕はそんなものは全く気にしなかった。僕にとっては君は弟も同然だったからだ。部屋に並ぶ物語や絵本、図鑑など、夢想を刺激するような趣味の本を君に見せて悦に入っていた。菓子も食べきれないほど目の前に並べてみせた。喜んでくれると思っていたからだ。

 後から考えてみれば、君はろくに読めない異国の本を読ませられたり、やたらと菓子を与えられて辟易していただろうにね。考えるほどに赤面するような思い出ばかりだ。

 恩着せがましい事を承知で言うなら、僕は君を喜ばせようとこれでも頭をひねっていたのだ。

 僕の頭の中は、君にああしてやろう、こうしてやろうということで一杯だった。

 だから、君が僕の部屋で見つけたこの国の地図に興味を示しても、それを君にあげることに何の躊躇もなかった。ご丁寧に自分の家のあたりに印をつけて、この家はここにあるんだ、もし国へ帰ってもいつでも尋ねてきたら良い、と念を押しさえした。

 君はそれを聞きながら、静かに笑っていた。

 そういうことをいちいち思い出す度、僕は考える。

 君は僕をどう思っていたんだろう。

 今になって、僕はそれだけを君の口から聞けなかったのが心残りだ。それが叶えば死んでも思い残すことはない。なに、僕がただの阿呆なカモだったと聞かされてもかまやしない。ただ僕は、君の口から君の思いを聞きたいだけなんだ。

 あるとき君は、自分には母はいないと教えてくれた。父もいないと。

「なら木の股からでも生まれてきたのかい?」

 軽口に紛らわせるようにそう言うと、だったらいいのにと君はつぶやいた。

 木のようにひっそりと、水と日の光だけを食べて生きて行ければこんなに楽で幸せな事はなかったのに、と。

 君があまり――いや率直に言えばはっきりと不幸な人生を歩んできたんだろう事は、言葉の端々や態度から、察することが出来た。

 無口な君は自分の事を話したがらなかったが、それでもぽつぽつと僕に引きずられるように少しずつ自分の事を打ち明けてくれるようになった。

 僕が一番心に残っているのは、君の首に下がっていた、鮮やかな翠の石の話だ。

 それは、琅玕(ろうかん)といわれる翡翠だと、君は教えてくれた。母からの唯一の形見だとも。

「これはこの石の中で、最高級に美しいものなんだ。僕の幸せのお守りだよ」

 日の光にそのぽってりとした翠色を翳し見ながら、君はわずかに口もとをほころばせながらそう言った。

 失礼を承知で言うが、僕は相づちをうちながらも、その言葉には半信半疑だった。確かにその石は美しい。だが、最高級の翡翠は、とんでもない価値がつくことを、僕は知っていた。君がそんな高級な宝石を持つのは、明らかにそぐわない。

 その疑問混じりの口調が、君に伝わったのだろう。君は静かに僕を見かえして、自分がこれを持っているのは不思議かと問うた。

「盗んだものだとでも、思っている?」

 いいや、と否定しつつ、僕は別のことを思っていた。

 それは、きっと偽物だろう、と。

 級友の母が、偽の琅玕(ろうかん)をつかまされた話を僕は聞いたことがあった。

 ただの翡翠でも、油に漬けておくと、やがて琅玕(ろうかん)のように澄んだ輝きを宿すようになる。級友の母はそれをつかまされて、目の玉の飛び出るような金額を払ったそうだ。

 油が抜けて元の屑翡翠(くずひすい)に戻った頃には後の祭り、というわけだが、僕はまさにこれはその類の翡翠だろうと考えていた。

「これは、本物だよ」

 そう言って大切そうに、君はその石を撫でた。まるで、いたわるように。僕はその様子を見て、つまらぬ事を考えた自分を恥ずかしく思った。君はなおも話し続けた。

「少なくとも、僕にとっては本物だ。君は自分の事を夢想家だと言うけれど、僕も自分をそうだと思っている。僕の夢想の中ではね、これは代々母の家に伝わる由緒正しい宝石なんだ」

 珍しく多弁な君に、僕は黙って耳を傾けた。そうせざるを得ないほど、君の様子には必死なものが見えた。

「僕は、父も母もいなくて、氏素性もしれないけれど、この石を見ていると、こう思うんだ。こんな高級な石を持っていた母は、きっと高貴な血筋の生まれだったんだろう。いつか、その家から僕の所に迎えが来たり、こっそり僕を陰から見守っていてくれている人が、もしかしたらいるんじゃないかって」

 そうかもしれない、としか僕は言えなかった。空想を膨らませる君に、僕は何を言っていいかわからなかった。

 自分が夢想に浸る時は、いつだって自分の足りないものを想像の中で補って自分を慰める時、自分の人生を誤魔化すような時だったからだ。

 まるで壇上の演説者のように君は語り続けた。それは自分すらも騙す演技のように感じられて、僕は息が苦しくなった。

 ――本当に、そうなのかもしれない。君は高貴な生まれで、君を心配して陰から見守っている人間が本当にいるのかもしれない。君の事を手を尽くして探している優しい祖父母や伯父が、存在するのかも知れない。

 だが、寒々しい格好で熱に浮かされたように語り続ける君を、僕は見ていることが出来ず、いつしか僕の視線は下を向いてしまっていた。

「だからさ、大変な事があっても、いつかきっと幸せになれるって僕は信じている。だって、高貴な生まれの人間は、困難を乗り越えて、必ず最後は幸せになれるものだから」

 その証拠だ、というように君が差し出した本は、君の国の言葉で書かれているので僕には読むことが出来なかったけれども、挿絵から想像すると、高貴な生まれの娘が不幸にたたき落とされても希望を失わず最後に幸せになるという、よくある型の物語のようだった。

 それは、君の父が君の幼い頃にどこかからか手に入れてきた本だという。

「それは、高貴な姫の物語なんだ。姫は、辛い目にあっても皆に助けられて、最後は幸せをつかむ。でも、姫の侍女は――素性の卑しい娘は、姫のために簡単に死んでしまって、誰にも顧みられない。僕は、そんなのは嫌だ。だから、高貴な生まれじゃなくちゃ駄目なんだ」

 手垢で黒ずみ、端がすり切れて丸まってしまったそれは、きっと君が何度も何度も繰り返し読んだのだろう。いつもそれを抱えていた君は、きっと辛いときや大変な時にそれを紐解いて、自分を慰めていたのではないか。

 そう思うと僕はいてもたってもいられず、思わず自分の襟巻きを君の首に巻いたあと、小さな君を抱きしめていた。その時の僕にはそんな事しか君にしてやれなかったのだ。

 君の体は強ばり、戸惑いをみせたが、小さい声でお礼を言うなりすぐに立ち去ってしまった。

 僕はその場にひとり取り残され、ぼんやりと今の話を反芻しながら自分の中で消化していくので精一杯だった。

 君に何かしてやりたい。そう思っても、今の自分に何の力もないことを、あらためて僕は気がついてしまったのだ。

 いつか君が僕のことを兄さんと呼ぶのではないかと、僕は恥ずかしくも夢想していた。そうなったらどんなにいいだろう。滑稽にも僕はそう考えていた。

 思えば僕はあんなに人と同じ時間を過ごしたことはなかった。級友との会話も、あいまいに笑っては右から左へと流してやり過ごしていた。件の僕を貘と名付けた級友とは話せる方だったが、それでも僕はもっぱらに彼の話を聞いて相づちをうつばかりだった。

 君との会話で、僕は意外に話すことを持っているのだと思えることができた。

 自分の気持ちなど言葉にすることはついぞなかったし、自分の将来など、あいまいにしか考えたことはなかった。何しろ僕はこんな自分も家も親も嫌いだったので、親の仕事を継ぐなぞまっぴら、しかし何が出来るでもなく、いっそ早くこの世から消えてしまいたいなどと考えながら、やくたいもない夢想を貪って人生を消費していたのだ。

 そのような事を考えていたから、こんな目にあったのかもしれない。

 しかし、これだけは言っておきたい。

 君に地図を渡したことで僕はこのような事態に陥っている。

 だが、誠におかしなことだが、僕は君と出会ったことを後悔したことはないし、君と過ごした日々は、僕の人生で唯一といって良いほど、本当に楽しく輝かしい思い出だと今でも感じている。

 僕の頭はいよいよおかしくなってしまったかもしれないね。

 でもどんなに考えても、そうなんだ。

 君が最後に残した言葉を、僕は覚えている。

「夢想ばかりする自分を、僕は嫌いだった。でも、君と出会って、憎めない夢想家もいるとわかったよ」

 きっとそれは君なりの別れの言葉だったんだろう。それで会えなくなる何て思わなかったから、その時僕は、君は唐突に何を言っているんだろうと不思議に感じただけだった。

 僕は君がその地図をうまく利用して、君の国で幸せに暮らせるようになっているといいなと思う。

 何せ僕の国はよその国に対して、呆れるほどに秘密主義だ。きっとその地図は君の国ではとても貴重で価値のあるものではないだろうか。

 僕の家は、我が国でも指折りの名家と言うことで通っているらしい。それは僕には本当かどうかはわからないが、一握りしかいない地図の管理ができる地位を得ているのだから、まあ多少は重要な地位に就いているのだろう。

 父はそれを利用して、あくどく儲けてきた。僕はそれを唾棄すべき事だと嫌悪してきたのだが、もしそのために君との縁がつながったのなら、僕はこの家に生まれてよかったとさえ思うんだ。

 ああ、本当にいよいよおかしくなってしまったのだろう。こんな奇妙な事ばかり書き殴っている自分が、滑稽でたまらない。

 僕がここにいるのは、誰かからの投げ文で密告があったせいだと憲兵は言っていた。憲兵は君が密告者だと推測しているようだが、僕はそれが君ではないといいと思っている。僕は君に騙されてもいいけれど、殺されたくはないんだ。

 なぜだろうね。

 僕が君にとって死んでもかまわないような価値しかないのは、やっぱり嫌なんだろうな。

 君と話したいことはたくさんあるけれど、今の僕には何一つ伝える術はない。

 もう紙がなくなりそうだ。一言、最後に記しておきたい。

 僕は君が好きだったよ。これだけは間違いがなく、その気持ちは今も変わっていない。君と一緒にいた時間は、僕にとって、とても幸せな時だった。

本当に僕が君の家族だったら、君にみすぼらしい格好などさせやしないし、君を陰から見守る事だって出来ただろう。

 そんな事を思ってしまう僕を、どうか許して欲しい。

 それでは、元気で。願わくば、幸せに。


「まるで恋文のような手紙だったな、貘くん」

 級友はニヤニヤと僕が獄中で書き綴った手紙を渡してきた。

 僕は恥ずかしさで顔から火が出そうだった。なぜ人の手紙を勝手に読むんだと非難すれば、級友は、この手紙が憲兵に読まれる前に隠してやったんだから、感謝して欲しいなとぬけぬけと言い放った。

 まさか牢屋からお咎めなく出られることになるとは思わなかったし、出獄前に自分の私物をお上に取り上げられて、調べられるはめになるとは思わなかった。

 この級友は、軍の重鎮である父のおかげで、憲兵にも顔がきくらしい。僕は彼のおかげで無事に牢屋から出ることができたのだろうか。そう聞きたかったが「今日は早く家に帰り給え。父君が倒れて家が大変らしいぞ」と促されて、その機会を失してしまった。

 言われるままに家へ帰れば、そこには親族や父の仕事の関係者が首を並べて僕を待っていて、寝込んだ父の代わりにこっぴどく叱られ罵倒され、さんざんな目にあった。

 そうしてなし崩しに僕は父に代わって現実的なあれやこれやを対処せねばならないはめになり、ずいぶんあちこちをかけずり回って神経をすり減らすこととなった。

 跡取りというものは、ぼんくらでもそれなりの事をせねばならないのだと、僕は思い知った。夢想の殻からいきなり現実へ引きずり出されて、とまどい泣きべそをかきながらも、僕は自分の過ちの尻ぬぐいをひとつひとつ終えていった。


 そうして、季節が変わる頃、ふらりと級友は僕を訪ねてきた。

「貘くん、全て終わったよ。そして君に、渡すものがある」

 彼は僕に紙袋をひょいとよこしてきた。覗き込むと、そこには見覚えのある本と――琅玕の首飾りが入っていた。

 事の次第が飲み込めなくて、僕は級友の顔を見かえす。

「君に、渡して欲しいってさ。彼女が」

「かの、じょ?」

 どういうことだ。これは確かに彼の物だ。だが彼は――男ではなかったのか? 

 彼の短く切り取られた黒い髪と少年のような格好を思い返し、僕は級友に目で問うた。

「男のふりを、していたんだよ」

 その後、言いづらそうに彼は口ごもった後、結論だけを伝えてきた。

「彼女は死んだんだ。――死刑になって。地図は無事戻った。よその国へは渡らなかった。だから君は牢から出られたんだ。君の家柄と、多少の俺の周旋のせいもあったけど」

「――死んだ? 彼――彼女が? ……嘘だ……何かの、間違いだろう」

 僕は彼女の言葉を思い出していた。幸せになるんだと言っていた。簡単に死んでしまうようなのは、嫌だと。

 なのに、なんでそんな……。

「落ち着けよ。最初から話す」

 気づけば僕は級友の胸ぐらをつかんでいた。自分にこんな事ができたのは驚きだ。

 もごもごと謝りながら手を離すと、級友は怒った様子も見せずに、ずいぶんと男らしくなったな、と真面目な口調で言って卓上の茶をぐびりと飲んだ。

「彼女は自分から捕まりに来たんだよ。君の地図を持ってね。で、君を許して欲しいと言ってきたそうだ。自分が罪を償うからと」

「そんな……じゃあ、僕が放免されたのは彼女のおかげだって言うのか!?」

「そうだよ。何だと思ってたんだ」

「君が……手をまわしてくれたのだと……」

 言ってから、僕はその考えが恥ずかしくなった。世間に足を踏み入れるようになって、現実を知り始めた僕は、世の中がそんな甘いものではないと肌身でわかっていた。

 軍の重鎮の子供の口利きで死刑が取りやめになるなんて事、あるはずがない。ましてや、重犯罪が縁故ごときでうやむやになるはずもない。

「そんな事は、俺なんかの力では無理だよ」

 静かに言って、彼は僕を見つめる。

「彼女は、自分の国から密偵になるように命じられて、この国に来たらしいんだ。最近あの国は、領土を拡大しようと色々画策しているらしくてね。で、国の重鎮の息子である君に接触したというわけだ」

「密偵活動のために?」

「そうなんだろうな」

 僕はいつしかへたり込み、手のひらで顔を覆いながらその話を聞いていた。もう何がなんだかわからなかった。

 しかし、なぜ密偵である彼女は、わざわざ自分から捕まるような愚を犯したのだ? 

「彼女はさ、地図を持って、国へ帰ろうとしたけれど、この国では他国のものに許可なく地図を渡せば死罪っていうのを知って、わざわざ戻ってきたんだってさ。君に地図を返そうと思ったそうだ」

「そんな……」

 僕は顔を上げた。

「で、彼女の国の人間は裏切った彼女を追ったけど捕まえることが出来なかったから、まず君を密告して牢屋にぶち込むことにしたんだろうというのが軍の見立てだ。そうすれば、彼女もあきらめて帰ってくると思ったんだろうな。結局それは功を奏さなかったが」

「彼女は……命をかけて、僕を助けてくれたのか?」

「そんな事、俺に確かめるまでもないだろう」

 腕の中の紙袋は、僕が身じろぎする度にかさかさと音をたてた。この中には、彼女のたった二つの私物が収められている。

「なんで、そんな事……しなくって……も、僕、なんかのっ……ため、に」

 僕の目からはいつしか涙が溢れていた。引き攣れていく口が思うように動かない。

 彼女が死んだ。実感のないその現実が、じわじわと僕の心を浸食していく。あの少女は、こんな人生の結末なんて望んでいなかったはずなのに。

「僕の事なんて、放っておけば、よ、よかった、なんで、自分から、死っ、死ぬような」

 そうすれば、いつか幸せをつかむことが出来たはずなのに。

 しゃくり上げる僕を見つめて、級友はつぶやくように言葉をおとした。

「そこら辺は彼女は何も話していなかったようだけど、でも、一つ言い残したことがあるそうだよ。貞操の危険を防ぐ為に男の(なり)で来たけれども、女の格好を君に見せられなかったのが、ただ一つの心残りだって言ってたって。年を聞けば、十五の少女だったらしいね」

「十五の――」

 僕はその事に呆けたように口を開けた。女の格好の彼女と出会っていたら、何かが変わっていただろうか。男と女として、僕たちが巡り会っていたならば。

「まるで、悲劇の恋物語のようだな」

 その級友の小さな小さなつぶやきは、僕に聞かせるためのものではなかったのだろう。だが不幸にも僕の耳はそれを捕らえてしまい、僕は呪縛されたように動けなくなった。

 ああそうだったのか、と僕のどこかが合点した。

 僕は自分でも気づかぬうちに、彼女に恋をしていたかもしれない。

「さようなら……また来るよ」

 級友の声を遠くに聞きながら、僕は気がつけば紙袋の中から出した琅玕を握りしめていた。それはしっとりと手のひらに吸い付くようになじんでくる。


 それからいくつもの季節が過ぎ、胸に下がる色褪せた翡翠の重みにも慣れた頃。僕の書棚は紳士録や帳簿などが幅を占め、ずいぶんつまらない部屋になり果ててしまった。

 めっきり夢想をすることもなくなった今の僕を見たら、君はどう思うのだろうか。

 幸せにならなければ。それだけを譫言(うわごと)のように繰り返しながら、僕は生きている。だって僕は、君からこの琅玕を託されたのだから。

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