頻発
維月は、さすがにこの地の揺れを無視できなくなって来ていた。
維心は連日眉を寄せて地を睨み、その原因を探ろうと昼夜を問わず集中していた。明らかに消耗して来ているのがわかったが、維月には維心を抱き締めることぐらいしか、してやれることはなかった。
維心は言った。
「…なぜか、我はこの風景を、見たような気がするのだ。」維心は言った。「ここでこのように地を、空を睨み、連日の異変を読もうと気を集中する…そして…」維心は空を見上げて、首を振った。「わからぬ。なぜにこのようなことを思うのか。おそらく、夢でも見たのであろうの。」
維月は気遣わしげに維心に寄り添った。
「維心様…。」
維心は、維月を愛おしげに見た。
「しかし、その夢には主は居らなんだ。常一人で、孤独に空を見上げておったのよ。それを思うと、我は本当に恵まれておる。主を得て、これほどまでに心安らかに過ごすことが出来る…その夢の中とは、えらい違いよの。」
維月は維心の胸に、顔を摺り寄せた。維心はそれを抱き締め、言った。
「我はどうなっても良い。ただ主さえ無事であるなら…もしも夢の中のようなことが起こるとしたら、我は主を守り切れぬ。」とまた空を見た。「主の夫は、まだ来ぬのか…。」
維月は驚いて維心を見た。維心は苦笑した。
「他人に頼るとは、我も落ちぶれたものよ。だが、我であるのだろう…その夫は。ならば、主を預けて心配はない。」
維月は急に不安になった。一体何を夢に見られたのだろう。
「でも…それは夢であったのでしょう?維心様、そのように思い詰められては…。」
維心は苦笑した。確かにそうだ。我は何を言っておるのか。
「そうであるの。すまぬな、我がたかが夢を深く考え過ぎておったわ。維月…そのような顔をするでないと言うに。主は笑っておれ。のう?」
維月は無理に微笑んだ。この維心様は、やはり維心様で…違いなどない。このかたをここへ置いて帰るなど…やはり私には出来ないかもしれない…。せめて、この地の異変を、迎えに来てくださった維心様と十六夜と共に、解決出来たなら、安心できるかもしれないのに。
心なしか乱れて見える、気の流れに不安を感じながら、維月は思った。
維心は、普通の神なら感じることのない小さな振動を感じていた。今朝方から、断続的に始まったこの振動は、なぜか覚えがあるような気がする…しかし、それが何なのか、わかっているようなのに、どうしても思い出せなかった。なぜか不安に焦りを感じる。維月をここから逃がさねばと、己の内から声がする。だが、どこへ逃がせば良いのか、見当もつかなかった…安全な場所など、どこにもないように思えたからだ。
維心は、、大きくなって来る不安を隠すように、維月に寄り添った。
それでも消えないこの焦燥感を、維心は持て余していた。
維月を助け出そうと碧黎の開けた道に飛び込んだ維心と十六夜、それに義心は、夜のその次元に出ていた。
道は、空中にぽっかりと穴を開けたように開いている。
「この場所を忘れてはならぬぞ。」維心は言った。「ここへ戻らねば、元の次元へは戻れぬゆえ。」
維心は、小さな振動を感じた。この揺れは、おそらく次元崩壊の足音…もう、崩壊はそこまで近付いている。ゆっくりしている暇はない。
「あちらの方角に、我が世ならば龍の宮がございまする。」
義心が言って、指差した。維心は頷いた。
「同じ方角に維月の気を感じる。おそらく、この世でも宮があるのだろう。」と十六夜を見た。「主、月の力は使えるか?」
十六夜はためらったように頷いた。
「物凄い力が降りて来やがる…ここには、月は居ないようだ。力が有り余ってる感じだな。維月はおそらく、誰にも傷はつけられてはいねぇな。これだけの力を使えりゃあ、お前だって倒せるかもしれねぇ。」
維心は苦笑した。
「では、参ろうぞ。それで仮に攻撃されても避けられるゆえ。」
維心が言って、三人が飛び立とうとした刹那、地が、というよりも空間全体が軋むような感覚がしたと思ったら、ドンッと大きな音と共に激しく振動し始めた。
「来やがった!」
十六夜が叫ぶ。
「急ぐのだ!」
維心はフルスピードで維月の気のする方角へ向かった。義心も必死でその後を追った。
この世界の維心は、寝台で目を覚ました。今、小さな振動が途切れた。まさか…この感覚には、覚えがある。
維心は傍らで眠る維月を見た。
「維月、起きよ!」
維月はびっくりして目を開けた。
「維心様…?いかがされましたか?」
維心は起き上がって維月に袿を着せかけた。
「来る!」維心は言った。「これから地が大きく揺れる!」
維心は言って自分も袿を着ながら腰に刀を差し、維月の手を引いて奥の間から出ようとした時、突然に軋むような音がし、ドンッという大きな音と共に激しく床が揺れ始めた。維月はよろめいた…立っていられない。
「しっかり捕まっておれ!」
維心は維月を抱き上げて浮き上がると、居間から出て飛んだ。知っている。これは覚えがある。この後、宮は崩壊し、そして…我は、これを覚えているのだ。何度も何度も、同じように起こったこの出来事。我は死したのだと思ったのに。だがまた、同じように生き、そしてまた、宮が崩壊し、成す術なく次元が崩れて行くのを見る…。
しかし、維月は居なかった。どの時にも。しかし、今はここに、我と共にいる。きっと、維月は本当にここに落ちたのだ。こんな、崩壊を繰り返すだけの、次元に…。
維心は、維月を抱く手に力を入れた。何がなんでも、維月だけは助けねばならぬ。維月を、こんな所で我と同じ運命を歩ませる訳には行かぬ!
義心が飛んで来て維心の前に頭を下げた。
「王!宮がもう、持ちませぬ!」
「皆を外へ出せ!」維心は、無駄だと知っていた。だが、命じた。「宮から離れるのだ!空へ向かえ!皆を退避させよ!我が妃は我が連れて参る!」
義心は頭を下げて飛び去った。維心は、維月を抱いて外へ飛んだ…そんなことが無駄だと、分かっていた。次元自体が崩壊するのだ。どこに居ても、誰も逃れることは出来ない…。
そして、もうすぐ空を飛ぶことも出来なくなるのは知っていた。気がどんどんと消耗して行く。そして、最後には飛ぶことも出来ず、地と共に何かに飲まれるように終わりを迎えるのだ。一番気を持っている自分ですら、もう地上すれすれを飛ぶことがやっとであった。維月は、それを見て言った。
「降りてくださいませ!私は歩けまする。これぐらいの揺れ、大丈夫でございまする!」
維心は苦笑した。維月は自分から飛び降りると、維心の手を取った。
「さあ、少しでも宮から離れましょう!ここは駄目ですわ!」
維心は、維月の強さに驚いた。そう、維月は強い。我も、最後まであきらめてはならぬな…。
しかし、揺れは想像以上にひどかった。宮の方向から、悲鳴がいくつも聞こえて来る…だが、自分にはそれを助けに行ける力がもう、残されて居なかった。しかし、驚いたことに、維月は気を失っていないようだった。
「私は月がある限り大丈夫ですわ」維月は言った。「きっと、違う次元から来たからでしょう…根本的に、他と違うのです。きっとそうです。さあ、維心様…。」
維月は、月の力で膜を作り、飛んで来る物を避けた。維心は気が流れ出して行くのを感じていた。残り少ない気で探ると、龍達はちりじりになって、そして一人、また一人と倒れて行くのを感じる。唯一残って居る気は、義心達軍神達の気だった。その軍神達も、宮を離れて必死に地を歩いているのが分かる。気の少ない者から順に、倒れて行った…維心は思った。このままでは、同じ…記憶と同じ。この後一度揺れが収まり、そして次に揺れ始めた時、全てが終わるー。
「維心様、あの場所へ…!」
維月は先に開けている平野を指した。維心は頷いて維月に支えられて歩き、やっと物が落ちて来なくなったと思っていた頃、揺れがフッと収まった。
「ああ!」維月が嬉しそうな顔をした。「収まりましたわ!」
維心は微笑した。何も知らない維月は、こうして笑っている…。そのまま、維月にいざなわれて、 維心は大木の下へ維月と共に並んで座った。
空には、月が出ている。今までの崩壊では、月を見上げる心の余裕などなかった…維心は苦笑した。
「月が出ておるの。」維心は言った。「こんなに美しい月は初めてぞ。」
維月も月を見上げた。この次元でも、こうして月は昇る。でも、きっと私はここで死ぬのだ。いや、正確には、崩壊と共に私だけ次元の狭間に取り残される。自分は不死な上、別次元の者だから…。
「維心様…。」
維心は、維月を抱き寄せた。
「すまぬ。主がここへ来たのは、こんな想いをするためだったとは。我はこれを覚えておる…維月、ここはの、崩壊と再建を繰り返し繰り返し、時を巻き戻しては同じように崩壊する、悲劇の次元であったのだ。我は思い出せなんだが…これは、毎回そうよ。こうして終わりに思い出す。そしてまた、絶望の中で元へ戻るのだ。そして必死にまた生きて…崩壊する。その繰り返しよ。」と、維月の頬に触れた。「だが、此度は違った。主が居った…我は、常の崩壊より、よほど幸福に過ごした。願わくば主だけでも、崩壊の後元の次元に戻れるものならば…。」
維月は維心を見た。
「維心様…私の次元の維心様は間に合いませんでした。私は、きっと次元の狭間に取り残される。維心様と一緒に、何度も崩壊を繰り返すことすら許されませぬ。維心様…どうか、私の命を切り離してくださいませ。」
維心は驚いて身を起こした。
「そのような…我が主の命を絶つなど。」
維月は首を振った。
「私は不死でありまする。そうしなければ、永遠に死することは叶いませぬ。ゆえ、我が世の維心様とは、寿命が来た時に、命を切り離して共にお連れ頂くお約束でした。維心様、崩壊より先に命を絶てば、きっと私達は共に黄泉の地へ参れまする。繰り返すことなどなく、先に黄泉へ旅立つのですわ。私を斬り離し、維心様もお越しください。待っておりますから。」
維心は、維月をじっと見た。維月と共に黄泉へ。さすれば、もうこのように何度も崩壊に合わずとも済む。そして、愛する維月と共に、永久に居られる…。
もう直に最後の揺れが始まる。維心は維月を抱き寄せ、口付けた。
「では、共に参ろうぞ。」維心は言った。「維月、我は主を愛しておる…もしも別次元で別の黄泉だったとしても、我は主を想うておるぞ。それは、信じておってくれ。」
「はい。」維月は頷いた。「私も…。」
維心が刀に手を掛けた時、地が激しく揺れ始めた。来た!これで最後だ。
「…時はない。」維心は言った。「維月…、」
「居たぞ!」聞きなれた声がする。維月は声の方を見上げた。「維月!」
「十六夜!」
維月は叫んだ。そこに浮かんでいたのは、十六夜だった。すぐに維心と義心が追い付いて来る。
「おお!」維心は叫んだ。「維月!維月!おお、無事で…!」
刀に手を掛けていたこの次元の維心は、目を見開いた。あれは、自分ではないか…髪は短いが、間違いなく自分だ!
維心も、維月の肩を抱くその姿に固まった。あれは、我だ…!髪は昔のままだが、間違いなく!
「…主の夫か」この次元の維心は言った。「ギリギリ間に合ったの。さあ、帰るのだ。主の世へ。」
維月は、その維心を見た。
「維心様…!」と、自分の世の維心を振り返った。「維心様、こちらの崩壊は止められないのですか?!十六夜と維心様の力を持ってしても…!」
維心は首を振った。
「この次元は時の繰り返しに落ち込んでおる…それを、今回で碧黎が止める。今すぐ帰らねば、我らもそれに巻き込まれてしまうのだ。ゆっくりしておる時間はないのよ!」
この次元の維心が言った。
「誠か。ならばもう、こんな想いはせずに済むの。」と維月を見た。「さあ、早く行くのだ。維月、我はもう、とうに死んでおるはずの者。早く行け。」
十六夜が腕を引っ張った。
「維月、ほんとに時間がないんだ、話なら帰って聞いてやるから!」と抱き上げようとした。「早くしろ!」
「これが陽の月か」と別次元の維心はフッと笑った。「どのような者かと思うておったが、最後に会えてよかったものよ。」
すると、自分の世の維心は、ふら付いた。維月はそれを支えた。
「維心様?!」
「いや、大丈夫だ。長く居られぬな…」維月は目を見張った。気がものすごい勢いで、維心から流れ出ている。「気が流出するのが止められぬ。義心もよ。」
ふと見ると、義心はもう、立っているのも辛そうだった。自分が持ち上げて行くしかないと維月は思ったが、月から力を呼ぼうとして、驚いた…全く力を感じない。月を見上げると、月は歪んで色を変えていた。なんの力も感じられなかった。…そうか、この次元の月だから…。十六夜も、歩こうとして足を出した。
「くっそう!次元が崩壊するとは、こういうことか…!」
このままでは、崩壊の時間までに出口に辿り着けない!十六夜は叫んだ。
「くっそうバカ親父!こんなことは教えなかっただろうが!オレ達を殺すつもりか!出口をこっちへ持って来い!」
すると、まるで爆発するように閃光が走ったかと思うと、真上にあの丸い光の門が開いた。
それを見た維心が言った。
「…怒っているぞ、十六夜。」
「構わねぇ!行くぞ!」十六夜は維月を小脇に抱えて、飛び上がろうとした。「くそ、駄目だ!」
「主らは己の身だけ考えよ!」この次元の維心が言った。「維月は我が!」
十六夜は悟ってフラフラと飛び上がった。維心と義心もそれに倣う。出口まで来た時、この次元の維心は言った。
「維月、愛している。願わくば、またの。」と残りの気を全て込めて維月を跳ね上げた。「受け取れ!」
「維心様!!」
維月は跳ね上げられて、維心の腕に抱き止められた。この次元の維心は膝を付いて倒れた。もう、気は残って居ない…。
「維心様!維心様!」
維月は泣き叫びながら手を伸ばした。こんな別れは、嫌だ。すると、繁みからこの次元の義心が飛び出した。
「維月!王を!」
義心もまた、その気の全てを込めてその維心を跳ね上げた。
「義心!」
維月は叫んだ。維心がこちらへ飛び込み、十六夜が受け止める。
「王を…頼むぞ…。」
義心はばったりと倒れた。
「閉じるぞ!」
碧黎の声が聞こえる。地は崩壊して、全てを飲み込んで行く。そしてその光景は、ぱたりと戸が閉じるかのように目の前から消えた。
維月は、その瞬間に意識を失った。