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乞う

宿舎へ戻ると、侍女があわただしく入って来て、着物を差し出し、甲冑を脱がしに掛かった。維月はびっくりしたが、前の世では常のこと。黙ってされるがままになっていると、きれいに化粧されて髪を結い上げられ、維月の慣れ親しんだ姿に戻った。

侍女達は頭を下げた。

「では、王のお呼びでございまするので、こちらへ。」

維月は頷いて、侍女に従って歩いた。

向かっているのが、維心の居間であることは、歩く道筋でわかっていた。何を言われるのかとハラハラしながら、維月はそれでも顔に出さないように気を付けて歩いた。

居間の戸が見える。侍女は左右に分かれて頭を下げた。

「維月様のお着きでございまする。」

侍女の声の後、戸が開かれた。維月はそちらへ向かって足を踏み出した…いつもここへ帰って来るとホッとした気持ちになっていたのに。今は緊張でしかないなんて…。

入って行くと、考え事をしていたらしい維心が、居間の一番奥、真ん中正面にある、大きな天蓋の付いている寝椅子に座って目を上げた。見慣れたその姿に、維月は胸が痛くなった…維心様。きっと、この維心様も同じなのだ。一人、いつもああやって考えている。この内容は、大概が臣下や民のこと。自分のことなど、考えてはいなかった。

維月はそんなことを考えて見ていると、維心は言った。

「これへ。」

維月はそちらへ慎重に歩いて行った。示された維心の前の椅子に向い合せに座ると、維心は話し出した。

「…疑って悪かったの。主は軍神であったのだな。しかし手に、刀を握った時に出来る型もなかったゆえ、我はあれほどに立ち合えるとは思うておらなんだのよ。」

維月は自分の手に視線を落とした。

「…それも道理でございまする。私は軍神ではありませぬ。月は、見たまま全てを模倣して、己の体を動かすことが出来まする。ゆえに、斬り込むときは皆の型を真似、ほかは、ただ型など知らぬので逃げ回るのみ。なので型を知り尽くしている者達には、反って動きが読めず、勝てぬのです。スピードも元より月であるので、ございます。それで、あのように。」

維心はじっと維月を見た。維月はその目を見て愛おしさに苦しくなった…維心様の目。同じ視線だ…。

維心は無理に維月から目を逸らすと、言った。

「維月よ…我の妃になって欲しい。主が否と思うておるのはわかっておる。だが、我は主より他は要らぬのよ。主の世の維心が迎えに来るまでで良い…我と共におってくれまいか。」

維月は困ったように視線を下げた。維心様…。

「私は、あちらの維心様がいらしたら、帰ります。その時は、お別れしなくてはなりませぬ。いくら違う世の維心様とは言っても、愛していたかたを置いて行くなど、私には出来ないと思うのです…ですから、妃になることは出来ないのでございますわ。」

維心は維月を見て、手を取った。

「我は、違う世を探してこの辺りを探ってみた。だが、次元の亀裂が開く様子はない。向こう側でも、今主を探しておるであろうが、見つけ出すのに何年かかるかわからぬ…場合によっては、何百年もかかるやもしれぬ。本当に、その間だけで良いのだ。我は約束は違えぬ。」と唇を寄せた。「嘘だと思うのなら、我と心を繋いでみよ。維月…主の真実も知りたい。我に見せよ。」

維月はためらったが、その唇を受けた。流れ込んで来る維心の記憶…ほとんど、あの維心様と同じ。父王を殺し、王座に就き…孤独を背負って一族を守り抜いて来た。そして、この維心様は、まだ孤独なままだった。私を求めている…本当に、子供のように。真っ暗な心の中に、私が光のように差し込んでいるような…。でも、私は去るのに。私の維心様の元へ…。その時、またこんな暗い中を歩いて行くの…?

「…良いのだ。」維心は唇を離して、言った。「一時でも、本当に欲しいものが出来たなら、その傍に居たいと願うのだ。維月…我の妃に。我が傍に…。」

維心の目は、真剣だった。こんなにもつらそうな維心様を、突き放すことが出来るだろうか。でもこれは違う維心様で…でも、やはり維心様で…。

維月が黙っていると、維心はもう一度維月に口づけて、自分の腕の中へ引き込んだ。維月は腕を引かれて維心の椅子の方へ倒れ込み、維心はそれを受け止めて抱きすくめると、寝椅子に倒れ込み、手を上げて椅子の上の天蓋を閉じた。

「良いであろう…?」

維月は、その思い詰めたような瞳に、思わず頷いた。維心は、本当に嬉しそうに微笑んだ。

「おお維月よ…!」

維心は維月の髪に顔をうずめた。


「なんと!」洪が侍女からの報告に飛び上がった。「王が維月殿をお召しになっておられると!」

義心は横で茶碗を落とした。まさか…それを避けるための立ち合いではなかったか。しかし、洪は涙を流さんばかりに喜んで頷いた。

「さもあろうよ、王のお力をもってして叶えられぬことなど有り申さぬ。よしよし、とにかくはこれで、まずはひと安心よの。」

義心は立ち上がった。無理に望まれたのか。あれほどの力を持つ、月だから…。

「義心?どうしたのだ。」

義心は踵を返した。

「失礼する。」

義心は宿舎へ急いだ。維月…主はそれを望んではおらなんだはず。本当に王に?!

たどり着いた宿舎の部屋には、維月は居なかった。甲冑が揃えて置いてあるのを見ると、一度ここへ戻って着替えて出たようだ。義心は、その甲冑に手を置いた。我は…王には逆らえぬ。維月が今どんな状態でおろうとも、何も出来ぬ…。

義心は、そこに膝を付いた。あのとき、見逃せばよかったのか…どこかに匿うことは出来たはずなのに。考え無しであった。許せ、維月…。

義心はしばらくそのまま、そこから動けなかった。


維月は身の回りの物を整理したいと、維心の傍を辞して軍の宿舎へ戻った。維月の部屋は、何も言わないのに、あの世界の維心と同じように、維心の部屋の隣に設えさせられていた。

洪達臣下の喜びようは並みではなく、祝宴をと準備に忙しい。維心も機嫌良くそれを受けていた。

これでよかったのかしら…。維月は思った。維心様はやはり維心様で、何もかもが全く同じだった。言うことも反応も考え方も同じ。あの世界の維心様は、まだ来る様子はない。あの裂け目は閉じてしまったのかもしれない…それで探せないのかもしれない。維月は傾いた日を見ながら、残して来た世を思った。維心様…どれほどにご心配なされて、お心を痛めていらっしゃるものか。蒼と十六夜も、きっと探してくれているはず。維月は着てきた着物に頬を寄せた。維心様が選んだ着物…。早くお会いしたい…。

ふと、気配に振り返った。そこには、義心が立っていた。

「義心…。」

維月が言うと、義心はいきなり歩み寄って、維月を抱き寄せた。

「維月…すまぬ。我がここへ連れ帰ったばかりに、このような事に…。主はこのような事、望まなかったはず。」

維月は驚いて、義心を見上げた。

「義心…あなたのせいではないわ。あなたは職務に忠実なだけ。それに、私が選んだことなの。維心様はあくまで説得しようとしてくださった。私はそれを、拒めなかったの。私の夫と、本当に同じなの…だから、突き放せなかったわ。」

義心は維月を見た。

「維月…主が望むなら、ここを出ようぞ。我が連れて参る。結界を出て身を隠し…我だけなら難しいが、主の力もあれば可能ぞ。迎えが来るまで、我が主を守る。」

維月は驚いて義心を見上げた。

「そんな!あなたの戻る所が無くなってしまうわ。この最大の宮の筆頭軍神なのに。まだあなたには未来がある。そんなことはさせられない…。」

義心は首を振った。

「このままここに居れば、迎えが来ても阻まれるやもしれぬ。我も命に逆らえぬので、討たねばならなくなる…主の夫を。」

維月は涙ぐんだ。

「ああ、あなたも変わらないのね。義心、心配しないで。維心様はやはりあちらの世でも維心様なの。それに、あちらには月も居る。私の片割れ、陽の月の十六夜が。私よりも強い月の力を持ってるわ。あの二人は地を滅ぼし掛けたほどの力の持ち主…むしろ、あなたの身が心配よ。維心様は私を取り返すためなら、この世界を滅ぼすこともいとわないでしょう。それだけの力があの二人にはあるの。それは、今の維心様にも重々申し上げたから…大丈夫。心配しないで。」

義心はじっと維月を見た。自分は、維月を見つけた瞬間からこの気に惹かれていた。王が妃に迎えると言った時は、間違いで会ってほしいと願い、そして妃になったとわかっても、こうして傍に置きたいと願う。自分は維月を望んでいるー。

義心は、維月に口付けた。維月は驚いたように身を退こうとしたが、義心は離さなかった。維月を顔を逸らすと、慌てて言った。

「義心、お咎めを受けるわ!私はもう、こちらの維心様の妃なのよ。もしも維心様が知られたら…どれほどにお怒りになるか。」

義心は腕を離さなかった。

「我は一目見た時から主に惹かれておった。見つけたのは我であるのに…なぜにこんな想いをせねばならぬのか。」

維月は悲しげに義心を見た。きっと、あちらの世の義心もこんな風に思っているのかも…。私の気、どうしてこんなに神に好まれるのか。

「義心…世の理であるのなら、仕方がないことなの…。」

「控えよ!」後ろから維心の声が飛んだ。義心が吹き飛んで壁に叩き付けられる。「我が妃に何をしておる!触れることは許さぬ!」

維心が目を青く光らせてそこに立っていた。そして維月の腕をぐいと引っ張ると、自分の方へ引き寄せた。本気で怒っていらっしゃる!維月は思い、言った。

「維心様、義心は私を心配して来てくれただけなのです!何も致しておりませぬ!」

維心はそちらを見ない。義心を睨み付けて立っていた。片手は腰の刀に置いていた。

「…我の居らぬ所では、話し掛けることすら許されておらぬ妃に」維心は食いしばった歯の間から言った。「触れるとは何事ぞ!」

今にも刀を抜きそうだ。維月は思った…これは維心様。全く維心様と同じ反応。ならばきっと何もかも同じはず。

維月はそっと、維心の体に身を摺り寄せた。

「そのような…維心様、本日はおめでたい日でございまする。臣下達も祝宴を開いてくださると聞きました。私も今から戻って、着飾らねばと思っておったのです。」と維心を見上げた。「私はいつも、着物を選んでもらっておりました。維心様は、私の着物を選んではくださいませぬか…?」

維心はためらったように維月を見た。維月は思った。この維心様は、私の維心様よりももっとこんなことに慣れていらっしゃらない。きっと、大丈夫…。

「維心様…?」維月は悲しげに下を向いた。「もしかして…維心様は祝宴など、面倒だとお思いですか…?喜んでくださっては、おられないの…。」

維心は慌てて維月の肩を抱いた。

「そのようなことは、ない。我は…主が遅いので、様子を見に参っただけなのだ。そのように浮かぬ顔をするでないぞ。喜んでおるに決まっておるではないか。」と維月の顔を覗き込んだ。「維月…機嫌を直せ。良い着物を選んでやるゆえに。」

と踵を返した。そして、歩き出しながらちらりと義心を見て、言った。

「以後気を付けよ。」

そして、維月と共にそこを出た。維月はホッとした…よかった、維心様と同じ維心様で…。

義心は、二人が立ち去った部屋で、一人唇を噛んだ。

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