迷い
西の無法地帯は自治権は龍にもあるものの、獅子の領地に変わり、それを神の王の会合で維心が認め、当然のことながら他の神達も認めることとなり、ついに神の世最悪の治安だった地域が統治され整理されることとなった。
生えるに任せて放って置いた木々は伐採され、回りの森は間引かれて気の通りもよくなり、その辺りを根城にしていた盗賊達も、軍神へと再教育されることになった…まるで傭兵部隊のような軍隊だが、皆、盗賊とはいえ神であり、生活して行くことが出来ないからこそ仕方なく身を落としていた者達ばかり、神として落ち着くことは、皆の願いであったのだ。神でありながら命の危険を感じながら、身を潜めて子々孫々まで日陰の身であることなど、誰も望まなかったのだ。
宮の建設は急ピッチで進められていた。
龍だけでなく隣接する白虎の宮、月の宮、それに小さな宮々からも応援がやって来て、入り口だけを外へ出し、後は異次元に包み込む形で獅子の宮は建てられて行った。寄せ集めの、出来たばかりの軍隊である獅子の宮の軍も、自分達が共に住み守ることになる宮を、その家族と共に一生懸命形作っていた。その様は、見ていても清々しかった…どんなに荒んだ者でも、神なのだ。こうして立ち直る機会を与えて来なかったことは、自分の落ち度なのかも知れない…。維心は、そう思っていた。
帥明は、宮の形が出来始め、皆、土や埃に塗れながらも、与えられた真新しい着物に身を包み、幸せそうにしているのを眺めながら、複雑な気持ちだった。自分は、確かに絶望していた…戦火からは逃れたものの、もう死ぬしかないと思っていた自分を拾い、戦力にならない自分を参謀として使うと言って世話を申し出てくれた。そして居場所が出来たものの、鳥の宮などという大きな宮で仕えていた身には、そんな日陰の身に落ちたことが嘆かわしくで仕方なかった。
そして、また大きな宮に仕えることになる。それは望みであったので、本来なら嬉しくて天にも昇る気持ちであったであろう。だが、自分は己のことばかり考えて龍憎しと思っていたにも関わらず、観は鳥が滅ぼした宮の皇子だった…なのに、観は鳥の自分に何一つ言うことなく、拾ってくれていた。自分は、観に龍がどれほど残虐か、必死に話していた。観は困ったようにそれを聞き流していたが、決して自分を責めることも、鳥をけなすこともなかったのだ。
帥明は自分を恥じていた。感情が先に来て、何も考えていなかった。龍は、己から襲って来たのではなかった。鳥が謀反を企て、龍王の記憶を奪い、王妃を奪い、激昂した龍が攻め入って来た…原因を作ったのは、鳥だった。
もちろん、龍も世を己が抑えようとしたのは悪いと帥明は思っていた。鳥も、炎嘉様の代には共に世を治めていたのだ。なのに、王が亡くなり次の王の力が弱いと見るや、龍王は一人で世を治めようとし始めた。それが我慢ならなかったのも、帥明は理解していた。だが、所詮勝てるはずはなかったのだ…それを、あのように短慮に進めて、一族が滅ばされたのは間違いなくあの王、炎翔の判断のせい。
…戦に、どちらが悪いなどとないのかもしれない。開戦した時点でお互いに殺し合うのだから。要はそれを、どうやって避けて行くかなのだ。自ら原因を作る王など論外なのだ。
観は、王だった。生まれながらの王だ。誰にも教えられることなく、王の判断が出来るようになったのだ。そんな観の情けにすがって、自分は本当に、重臣として傍に置いてもらっていいのだろうか…。自分は、相応しくないだろうに…。
出来て行く宮を見ながら、ただ帥明はそれを思ってため息を付いていた。
炎嘉は、宮の建設の間、龍の宮へ滞在していた。建設現場から戻って早々に維心に呼び出され、ぶつぶつと文句を言いながら居間へとやって来た。そこには維心しか居らず、維月は居なかった。
「なんだ、呼ぶからには維月も共に居るのだと思うておった。」炎嘉は文句を言った。「我もそう暇ではないのに。」
維心は鼻を鳴らした。
「あれは今、緋月と湯殿ぞ。あれ以来世話に余念が無くての。我の事などほったらかしよ。」維心は不満そうだ。「座れ。」
炎嘉は維心の目の前に腰掛けた。
「何の用ぞ。獅子の宮なら順調であるぞ。」
維心は首を振った。
「それは将維からも報告を受けておるわ。その事ではない。」と、真剣な顔をした。「主、身を固めるつもりはないか。」
炎嘉は眉をひそめた。
「…何を言っておる。維月を譲る決心でも付いたのか?」
維心はため息を付いた。
「…そんなはずはなかろうが。緋月ぞ。」維心のその言葉を聞いて、炎嘉は眉を寄せた。「あれの侍女に聞けば、小さな頃から主になついておると聞いた。主ならばあれを守り切れよう。年も近い。生まれた時に、主はあれを嫁にと言っておったの。」
炎嘉は維心を険しい顔で見た。
「確かに申した。だが、冗談であったわ。主も許さなんだであろうが。まだ子供の緋月を我に許そうとは、さては主、責任逃れを考えておるの。」
維心は目を逸らした。
「…我は女の気持ちなどわからぬ。娘の気持ちも全くわからぬ。守り切れる自信もなくなった。ならば然るべき男に嫁がせようと思うのよ。何も今すぐでなくともよい。」
炎嘉はじっと黙っていたかと思うと、椅子にそっくり返ってため息を付いた。
「主は…女どころか、男の気持ちすらわかっておらぬわ。我は主の臣下とは言っても、言いなりにはならぬぞ?ならば義心にでもやるがよい。あれは主の命には逆らえぬわ。娶るであろうよ。」
維心は眉を寄せた。
「緋月では不満か?」
炎嘉はしばらく呆れたように維心を見ていたが、息を付いて言った。
「そうではない。なんと言えば分かるのかの…例えば主が、十六夜に許されて将維を成した後、維月は月の宮に帰っておったとしようぞ。主は当然のことながら、維月に焦がれておるの。だが、十六夜に守られた維月には手を出せぬ。そのまま月日が流れて…十六夜から、そうよの、涼を娶る気はないかと言って来たとする。涼は知っての通り維月にそっくりぞ。主、なんと答える?」
維心は険しい顔をした。おそらくその状況が目に浮かんだのであろう。
「いくら似ておっても涼は維月とは違う。娶れぬわ。」
「であろう?」炎嘉はそれ見たことか、という顔をした。「同じぞ。我も維月以外は要らぬ。いくら似ておってもの。緋月は可愛がっておったが、娘のようなものぞ…妃にするなど考えたことはないわ。向こうも父親のような男に嫁ぐなど考えられぬだろうて。確かに緋月の相手となれば、それ相応の力が無くばならぬが、我は諦めよ。」
維心は肩の力を抜いて、ため息を付いた。
「主に期待しておったのだがの。我らの話を出されては押しつける訳にも行かぬ。」と恨めし気に炎嘉を見た。「しかし、維月をいくら想うておっても無駄ぞ。我は絶対に退かぬ。あまつさえ死するも共と決めておる。ならば緋月を娶っておったほうが、幸福だと思うがの。」
炎嘉はフフンと笑った。
「甘いの。主は人特有の心変わりを計算に入れておらぬわ。忘れたか?維月は十六夜だけを愛しておったにも関わらず、主も愛したのだ。長い時の中で、主だけが特別だと思うておったら間違いであるぞ。それに我は別に、共に暮らさずとも良いしの…ただ、時に共に居ることさえ許されればの。」と立ち上がった。「主は最近、敵は居らぬと油断しておるぞ?気を付けよ。ではな、維心よ。」
維心は、その後ろ姿をまだ恨めし気な目で見送った。わかっておるわ…思い出させよって。
居間の横の、布地の出入り口が動いた。
「維心様、お待たせいたしました。」何も知らない維月が、湯殿から帰って来た。「…維心様?」
いつもは帰ったのを見て嬉しそうに笑う維心が、今日は何やら恨めし気にこちらを見ている。維月は何かあったと直感した。
「誰かこちらへ来られたのですか?」
維心は頷いた。
「炎嘉よ。我が呼んだ。」
維月はため息をついて、維心に歩み寄って手を取った。
「また何か言い争いでも?」
この二人は、仲が良いくせにしょっちゅう口げんかをする。維月はなんとか機嫌を直さねばと思った。維心は維月の手をぎゅっと握って、言った。
「炎嘉に緋月を勧めたら、断られた。そして、主の心変わりを待っておるようなことを申して…。」
維月は困ったように顔をしかめた。ここのところ、その手のことでは維心様はご機嫌を悪くすることはなかったのに。炎嘉様ったらもう…でも、緋月を勧めた維心様も悪いのだけど。
「維心様…もう、そんなご心配はないものと思っておりました。確かに私は人でありましたけど、心変わりはこの70年なかったでございましょう?それどころか、愛情が深くなったと思うておりまする。この気は維心様のためであるのでしょう?そんなことに惑わされてはいけませぬわ。」
維心は、小さく頷きながらも、あまり納得していないようだ。維月は困った。このままだと、また嫉妬深くなって、里帰りしてはいけないと言ったり、奥宮から出てはいけないと言ったり、将維と話すなとか、炎嘉様が居るうちは居間から出るなとか、困ったことになる…。
維月がどうやって維心の機嫌を直そうか思い悩んでいると、維心が言った。
「維月…やはり主はまだ人の心持ちであるか?我を…置いて出て行こうと考える時が来る事が、あるかもしれぬと思うか…?」
維月は慌てて首を振った。
「まあ維心様!その様なことはございませぬ。いくら人と申して、これほど長く共に居たかたと、それは思い入れもございます。それに心変わりするのなら、とっくにしておりまするわ。人はこんなに寿命もございませんもの。こんなに愛して参りましたのに…まだお信じくださいませぬのか。」
維月が責めるような目で維心を見たので、維心は慌てて言った。
「信じておる。」と抱き締めた。「だが、不安であるのよ。維月…我から離れてはならぬ。緋月の世話はもう乳母と侍女に任せよ。我の傍に居れ…わかったの。」
維月はやっぱり…と思ったが、黙って頷いた。当分は仕方ない。この程度で済んだのだから、よしとしなくては。
維心はまだイライラとしている…気が落ち着かない。維月はどうしようかと悩み、いつも自分の気が癒しの気と、維心達が話すのを思い出した。そうか、この気を維心様に意識的に向けてみよう。維月は意識的にこの気を向けるのは初めてだったが、維心に向けて出来る限り力を込めてみた。
自分から、大きく湧きあがった気が維心に向けられた。
「…う…。」
維心は、まるで気を失うように維月の方へよろけて倒れ込んだ。維月は慌てて、頑張って気を止めた。出すのは勝手に出せるぐらい簡単なのだが、止めるのは至難の業なのだ。
「維心様!」維月は維心を見た。「維心様、大丈夫ですか?!今、手当の龍を…」
維心は侍女を呼ぼうとする維月の腕を掴んだ。
「…大事…ない。」維心はやっとという感じで声を出した。「主の…気よ。これほど、強くは…。」
維心がふらふらと寝椅子にそのまま横になった。維月は腕を掴まれたままなので、侍女も呼べずどうしようかとおろおろした。
「ああ、癒せるかと思ったのに。いったいどうしてこんな…。」
維心はグイと維月の腕を引っ張って抱き寄せた。維心は息が乱れているが、気は弱まっていない。むしろ、強くなっていた。
「ああ…なんと激しい一撃であったことか。」維心はかすれた声で言った。「たまに、まともに食らうと眩暈を起こしてその気に取り込まれそうになるのだが、今のは、主、意識的に我に向けたであろう…?」
維月は頷いた。
「申し訳ございませぬ。己の気のこともよく分かっておらず…ただ、癒しの気であるならと。」
維心は苦笑した。
「確かに癒しの気でもあるが、これには催淫の効もある。癒すような誘うような気であるのだ。なのであまりに強いと、こちらは我を忘れてしまうのよ…我は咄嗟に己を保とうとした。なので今は意識ははっきりしておるが、収まりそうにないぞ。これは責任を取ってもらわねばの。」
維心は手を上げた。寝椅子の天蓋からカーテンが降りて閉じられる。維月はワザとではないとはいえ覚悟した…仕方がない。維月がおとなしく言いなりなので、維心は上機嫌になって維月に口付けた。そしてふと、思い出したように言った。
「…そう、ゆえにこの気は我以外の男に向けてはならぬ。こんなことになっても、文句は言えぬぞ。わかったの。」
そして、そのままそこで夜を明かした。




