隣の世
洪と義心は顔を見合わせた。
「…つまり、主はその隣の世から事故でこちらへ来てしまったというのか?」
義心は言った。維月は頷いた。
「信じてはもらえないかもしれないけれど、なので私はあちらの世のあなたがたを知っておるのです。だから、そのように申しました。」
洪は考え込むような顔をした。
「確かに、隣の世というものは存在すると王も言っておられたことがある。しかし、そこからの迷い人など、聞いたこともないの。」
維月はうなだれた。簡単には信じてもらえないとは思っていたけど。
「でも、そうなのです。だから、それ以外に申し上げられませぬ。私は、陰の月の維月と申しまする。」
義心は目を丸くした。
「月?主は月だというのか。」と眉を寄せた。「こちらの世では、月に力などないがな。気配を感じたこともない。」
維月は頷いた。
「こちらには、月はいないのでございますね。でも、私は月なのです。元は人でありましたが、維心様の力で月の命を頂きました。」
洪は驚いた顔をした。
「なんと、その世にも王は居られるのか。して、何歳になられるのか。」
維月は頷いた。
「かれこれもう1800歳でございます。こちらの維心様は?」
洪は答えた。
「王は今1400歳であられる。我は400歳、義心は300歳であるぞ。」
維月は考えた。少し時間のずれがあるようだけれど…義心はあちらでは、まだ400歳だし、維心様の歳と考えたら、まだ生まれていないはずだもの。
「私は、100歳でありまする。」
相手はびっくりした顔をした。
「なんと、まだ成人しておらぬではないか!しかし、人であったから成人しておるのか?」
義心と洪は顔を見合わせた。洪は、決心したように立ち上がった。
「これは、王にお聞きせねばならぬの。我らでは判断できぬわ。」
維月は震えあがった。この世の維心様…どんな維心様?やっぱり怖いのかしら…。見ず知らずの女には、特に冷たいと昔瑤姫に聞いたことがある。
「あの…この世界の維心様は、やっぱり怖いのでしょうか…。」
義心が振り返って苦笑した。洪が答えた。
「確かに王は恐ろしいかたであるが、誰彼かまわず殺したりしないゆえ安心せよ。だが、偽りを申すと、恐ろしい事になるぞ。」
洪は脅すように言うと、義心に頷き掛け、立ち上がった。そして、維月を促して歩き出した。
そこを出て歩きながら、自分がどこにつれて行かれるのかわかった。歩きなれた道なのだ…きっと、維心様の居間の手前にある、応接室につれて行かれる。あそこは、居間にまで連れては来ないけど、まあ親しいかたが来た時に入れる場所。なので、自分が警戒されている訳ではないのはわかった。つまりは、女一人など、取るに足らないということであろう。
そこに着いて座らされると、洪だけが出て行って、しばらくして誰かを連れて帰って来た。
義心がすぐに立ち上がって膝を付く。維月も立ち上がった…面倒そうに入って来たのは、紛れもなく維心だった。しかし、髪は昔出逢った頃のように長く、後ろに束ねてあった。維月は慌てて頭を下げた。これは、別世界の維心様なのだ。
「表を上げよ。」
聞きなれた声が言う。維月は、恐々顔を上げた。
維心はしばらくじっと維月を見つめていた。その時間は、とても長かった。その深い青い瞳は、紛れもなく維心のもの。維月は、この維心が自分を知らないことに、とても悲しく感じた。
維心は、やっと口を開いた。
「維月といったな。主は、月と申すか。」
維月は頷いた。
「はい。私の世には、月には二人居りました。表の、陽の月と、裏の私、陰の月。」
維心は頷いた。
「その力、見せてみよ。」維心は目の前に小さな玉を出した。「これを砕くのだ。」
維月は、さっき月の力が使えるか試して置いてよかった、と思った。これを砕くぐらいなら、私にも出来る。維月は軽く手を上げて、月から力を呼んだ。思った通り、すぐに光りが大量に降りて来る…そんなに力は要らないのに。
維月はそっと力を込めた。…それだけなのに、玉は、激しく砕け散った。これには維月もびっくりした…もっと加減しなきゃならないの?どれだけ力が余ってるのかしら、ここの月は。
三人は、それを見て目を丸くしている。確かに、月から力が降りて来ていた。そして、この力の波動は知らないものだ。月の波動…確かに、これは月なのだ。
「よくわかった。」維心は立ち上がった。「我らの役に立とうぞ。この宮へ置け。」
洪と義心は頭を下げた。維月はびっくりした。
「お待ちください!私は元の世へ戻らねばなりませぬ。あの…夫が、心配しておりまするゆえに…。」
維心はちらっと振り返った。
「夫?主の夫とは、こちらの世では誰にあたるのだ。」
維月は言い出しにくそうに下を向いた。維心はこちらを向き直った。
「言えぬのか?」
維月は、思い切って言った。
「維心様でございます。」維心は明らかに驚いたように維月を見た。「私は、維心様の正妃。1700歳の時に嫁ぎました。子も6人居りまする。」
洪が仰天したような顔で維心を見る。維心は黙って維月を見た。
「…今の我に、妃は居らぬ。一人もの。つまり子も居らぬ。」と、維月をじっと見て、しばらく黙ってから、維心は言った。「主、我の妃になりたいか?」
維月は驚いた。これは維心様だけど維心様ではない。私の維心様は、今頃私を助けようと、一生懸命探してくれているはず。
「私の夫は、あちらの維心様なのです。」維月は言った。「あちらの維心様にも、他に妃は居られませぬ。なので…私は維心様の所へ帰らなければ…。」
どうしたら帰れるのだろう。維月は悲しくなった。最後に手を伸ばしていた維心様の顔が思い出される…会いたい…。
目の前の維心は、維月に手を差し出した。
「こちらへ来い。」
維月は、仕方なく、その手を取った。王の言うことに従わねばならぬのは、わかっていたからだ。洪が驚いたような顔で見ていたが、ハッと我に返ったような顔をして、言った。
「しかし…次元とは無数にあるもの。その中から、維月殿の世を見つけるのは至難の業でありまするぞ。あちらからも探し出すのは大変なはず。帰れる保証はありませぬ。ならば、ここに居場所を見つけるのが、得策ではありませぬか?」
維月は洪を見た。居場所って…。
「既に我の妃であったなら、何も抵抗はないであろう。我が妃にしようぞ。さすればここに居場所も出来る…主が洪や義心を呼び捨てにしておったと聞いて、もしやとは思うたがの。参ろうぞ。」
維心は取った手を握って歩き出そうとする。維月は慌てて首を振った。
「そのような!私の維心様は、そのように安易に妃を決めたりなさいませぬ!」
洪が厳しく割り込んだ。
「こちらの王も、安易に決めるおかたではありませぬ!」咎めるような声だ。「我らがどのように言うても妃を娶ってもらえなんだものを。維月殿、ささ、王がおっしゃるのでございます。共に!選択の余地は、あなた様にはございませぬ!」
維月は驚いて洪を見た。そうか…この洪も王一筋、王が絶対なのだわ。そして、この洪の王は、この維心様なのだ。
「私…でも、違う維心様であるのに!」
維心は言った。
「それでも、我は維心、龍族の王よ。」と手を引いて歩き出した。「主ならば、良い。なのでそちらの維心とは同じであるのだろうの。」
「お待ちくださいませ!維心様!」
維月はじたばたと維心の手を振り払おうとしたが、維心は事もなげにそれをしのぎ、そして部屋を出て自分の居間へと向かった。
洪はその背中を見て、ホッとしたように肩を落とした。
「これは思いも掛けず、拾いものをしたかもしれぬぞ、義心。まさか王が、拾った女をと申すとは…この際、誰でもよい。子を生んでさえくれたらの。あちらの世の王に感謝せねばならぬわ。」
義心は、それを聞いて複雑だった。あの気…確かに惹きつけられる。王が最初にあれほど長く見つめていたのは、おそらく、己の気を抑えるため。我も、最初あの気にあてられて酔うかと思うた…。
義心は密かにため息をついた。しかし、向こうの王妃であったなら頷ける。王は、本当にあの維月を妃になさるのか…。
維月は、見慣れた居間に引っ張って来られて、やっとそこで解放された。しっかりと握られていた手が痛い。維月が手を擦っていると、維心が言った。
「我の宮に残るのなら、主は我に仕えねばならぬ。妃になる他に、我に主は何が出来るのだ。」
維月は 維心を見た。
「…それは…では、私はここを出て参りまする。維心様の結界を出て、別の所へ…」
維月が先を続けようとするのを、維心は遮った。
「それは許さぬ。主の月の力は、他の種族の手に渡っては困るゆえな。主が選べるのは、ここに残るか、斬られるかだ。」
維月は予想はしていたことだったので、驚きはしなかった。確かにそうだろう…でも、ここに閉じ込められたままなんて。この維心様は、確かに私の維心様なら言ったであろうことを言う。でも、違う維心様なのだ…妃になどなる訳には行かない。きっと、私の維心様は迎えに来てくださるから…。
維月は下を向いた。私など、ここではなんの役にも立たない…どうしよう…。
考え込んでいると、自分の体がフワッと持ち上がるのを感じた。維月は驚いて顔を上げた…維心が、自分を抱いて歩いている。
「維心様…!私は、本当に別の世から来たのでございます。どうかご容赦くださいませ…!」
奥の間への戸が開く。維心が気で開けたのだ…いつも、同じなので分かった。そして、背後で戸が閉まる。その奥の間の中も、全く同じだった。
維心は維月を寝台に降ろした。
「我の妃になれ。さすれば、ここに居ることが出来る…何も不自由することもない。維月、主は我の為にこちらへ来たのではないか。主を一目見て、そう感じたのだ。主の夫がそちらの世の我であるなら、抵抗はなかろう。」
維月は首を振った。だが、維心は維月に口付けた。維月は嫌だと思わなかった事に驚いた…維心と同じだったからだ。唇を離すと、維心は言った。
「…同じだったか?」とフッと笑った。「主の世の維心だと思うてもよい。ただ我は、主が欲しい…。」
維月は呆然と唇を受けていたが、腰紐に手が掛かった時、ハッと我に返った。
「…お待ちください!」維月は自分を抱き締めるように横を向いた。「私は…私は軍神としてお役に立ちまする!あちらの世では維心様よりほか私に勝てる者はおりませんでした。私はこの宮の軍に入ります!」
維心は眉を寄せた。軍だと?女の維月が…?
維心はしばらく黙ったが、身を起こすと言った。
「それほどに妃になるのが嫌なら、試してみるがよい。」と、声を上げた。「義心!」
維心は寝台から降りて歩いて行く。維月は解放されてホッとして起き上がると、急いで維心を追った。居間へ出ると、すぐに義心が入って来て膝を付いた。
「御前に、王。」
「こやつは主に勝てると言う。」維心は無表情に言った。「軍に入れよ。明日朝、我の前で立ち合うてみよ。」
義心は驚いたように顔を上げたが、すぐに頭を下げて言った。
「は!」と維月に頷き掛けた。「こちらへ。」
維月はすぐに義心の方へ歩み寄った。維心はそれを見て、くるりと踵を返すと、奥の間へと消えて行った。




