慈愛の月
維月は十六夜が待つ部屋へ帰った。十六夜は驚いたように振り返ると、言った。
「なんだ、維月、義心と話してこなかったのか?せっかく遠慮してやったのによ。」
維月は驚いた。十六夜が場を外したのは、ワガママからではなかったのだ。
「もう、十六夜ったら…。私は義心と結婚出来ないのだから、仕方ないでしょ?それでなくても維心様がナーバスになってるのに。」
十六夜は笑って維月の肩を抱いた。そして、もう出ているこの次元の月を見上げて言った。
「なあ維月…月は慈愛の象徴だって知ってたか?」
維月は驚いて十六夜を見た。まさかそんな言葉が十六夜から出るとは思わなかったからだ。
「知らなかったわ。そうなの?」
十六夜は頷いた。
「お前があっちへ行ってる時に、碧黎が陽蘭を連れてここへ来た。親父とおふくろだな。」十六夜は微笑した。「面倒だなと思いながら話し相手になってたら、おふくろが言ったんだ。月は慈愛の象徴なんだぞ、とな。」
維月は黙って月を見上げた。確かに、月は私たちを守ろうとしてくれた。力も無尽蔵に分け与えてくれる。寄生してる私たちに。そして、異次元の月は、その力の全てを掛けてあの次元を守った。あれに何かの意思があるなら、間違いなく慈愛の象徴だわ。十六夜は、続けた。
「だからオレ達月の気は慈愛に充ちていて、疲れた神や人、特に己を律して責務に忠実な者にほど強く求められるのだそうだ。そして、オレは攻撃とかの外向き、維月は守りとかの内向きの気がより強いから、維月が神の王達に乞われるのも道理なのだと言っていた。維月は無意識にそれを知っていて、だからこそ受け入れるのだとな。維心がオレにいまいち抵抗出来ないのも、力が敵わない云々よりも、月の気のせいだとさ。あいつはオレのことも好きなんだよ。もちろん友達としてだがな。」
維月は笑った。そして、なぜあんなにいろいろな神に乞われるのか理解出来た。私は月で、この気のせいなのだ。
「じゃあ、私は神達を癒さなきゃならないのね。でも、みんな自分だけのものにしたがるし、深い繋がりを求めて来るでしょう?いくらなんでもあっちもこっちも無理よ。元は人だったんだもの。」
十六夜は頷いた。
「分かってるよ。だから維心の妃じゃねえか。ほんとなら、独り占めは許されないんだが、お前は人だったからな。その関係が成立してるのさ。だってな」と月を指した。「ほんとは手が届かない存在なんだ。焦がれても焦がれても、決して手に入らず、そしてお前は裏側だから、見ることも叶わないほどのな。お前は神達の神のような、ほんとはそんな存在なんだ。オレが表に出てお前を守り、お前の意思を地上に表す。なのにお前は地上に降りて、そして地上の王だった維心はお前に焦がれる。至極当然のことだった。しかもあいつは人としてのお前すら愛してやがる。オレも認めない訳にゃいかねぇわな。」
維月は十六夜を見た。
「十六夜…あなたも私が人だった時から、守って愛してくれたわ。何も飾る事は要らないし。だって、信じられるの…愛してくれてるって。」
十六夜も維月を見た。
「維月…オレはお前が人だろうと神だろうと月だろうとなんだっていいんだよ。ただ愛してるんだ。オレが生きて来た中で、お前と居るのが一番幸せだ。体がどうのより、心が常に繋がってる事が幸せでならないんだ。記憶を無くして何を忘れてもオレだけは忘れなかった…そこに、オレ達の繋がりの強さを感じてる。だからな、オレが誰にお前を許そうと、そんなことは気にしないでいいさ。」
維月はフフフと笑った。
「分かってるわ。それであなたに不信感なんて持ってないわよ。」
十六夜はフフンと意地悪く笑った。
「そうそう、だからな、お前が誰と繋がろうとも、オレだけはなくならないんでぇ。要は夫が維心とオレ、義心とオレ、将維とオレって感じで常にオレはついて来るからな。そこが維心と違うところさ。あいつの心配性は、そこを感じるゆえだな。分かってるから不憫でよ。いつも譲ってやるんだけどな。」
維月は、まあ!という顔をした。
「十六夜ったら…維心様も私にとって唯一のかたよ?夫と認めてるのはあなたと維心様だけ。他は違うわ…仮に体を繋ぐなんて事が起ころうと、私が望んでいるのはあなたと維心様だけ。望まれるのは知らないわ、勝手に寄って来るんだもの。でも、私自身が望んでいるのはそうなの。他はあり得ない。だから変な気回さないでよ?」
十六夜は笑って、維月の肩を抱く手に力を入れた。
「ははは、分かったよ。維心に聞かせてやりてぇな。だが、安心するのもシャクだから、教えてやらねぇ。」
だが、維心はそれを聞いていた。
元々、あまり離れたくなかった維月と、政務に忙しく戻ってすぐに離ればなれになってしまった…それだけでもつらかったのだ。
なのに、ここは月の宮で自分は退かねばならず、維月が十六夜と二人のんびり月を見上げているなんて。本当なら維月に止められているので、維月の目からものを見たりしないようにしていたのだが、維心は一人自分の対に戻って、たまらず見ていたのだ。
…そして、十六夜との会話を聞いた。維月は、焦がれても手の届かない月…。維心は胸が痛んだ。まるで十六夜に、身の程知らずと言われているように思ったのだ。だが、維月は十六夜と同じように我を望んでいると言ってくれた。他は何も望まないと…。維心は心が暖かくなった。ずっと諦めず、ここまで愛して来て、よかった…。
十六夜が維月を抱き締めたので、維心はリンクを切った。これ以上は自分の焦燥感を増すだけだ。そして月を見上げながら、異次元の自分を思った…あれは誰と縁が繋がるのだろう…。
その次の日、龍の宮では、王の帰りを聞いて皆色めきだっていた。
これで、この宮へお帰りくださる。洪はホッとして宮の回廊を歩いていた。将維に不満は何一つなく、逆に何でも話を聞いてくれるので、とても感謝していた。だが、やはり咄嗟の決断力は何より王が勝っていて、じっくり考えるタイプの将維では、まだまだ困ることもあった。長年王を務めて来た維心に比べ、将維はまだ成人もしていない龍。王にそっくりで力は強いものの、やはり王が居ないと宮は落ち着かなかった。
ふと庭を見た洪は、そこに見慣れた後ろ姿と気を見た。座り込んでじっと考え込んでいるようだ。洪は声を掛けた。
「なんと王妃様?王より先にお戻りでしたか。」
相手は振り向かず、そのまま立ち上がると肩でため息を付いた。
「…洪」その相手は振り返った。「あなたまで間違うのね。」
振り返った姿は維月よりも幾分若く、そして目は維心と同じ青色だった。洪は慌てて頭を下げた。
「緋月様!申し訳ございませぬ。もう間違えぬと毎回思うのでございまするが…。」
緋月はまたため息を付いた。
「良いのよ。皆が皆間違うので、我ももう慣れたわ。」と歩み寄って来た。「お父様とお母様が帰っていらっしゃるのですって?」
洪は頷いた。
「はい。只今月の宮に居られまするが、本日中にはお帰り頂けると知らせが参りました。」
緋月は頷いた。
「そう。お迎えの準備をしなければね。」
緋月はそう言うと、回廊を自分の部屋へと歩き出した。
緋月は、維心と維月の間に、一番最後に生まれた皇女だった。20年ほど前に生まれたばかりなので、兄弟の中で誰よりも若い。一番上の74歳の将維とは52歳差の22歳だった。そして生まれた時から言われていたように、紫月よりも維月にそっくりで、その気もかなり近いものだった。なので、今は人で言うところの10代終わりの外見ではあるが、臣下達に間違われて仕方がなかった。神は姿よりも気でその相手を判断するところがあるので、維月のような感じを受けたら維月なのだと思うようだ。
だが、兄と父は自分と母を絶対に間違えなかった。いくら母のフリをしようとも、笑って緋月、戯れるなと流される。そして驚いたことに、臣下の中で義心だけは決して自分を間違えた事がなかった。緋月はそれが不思議だった…やはり注意力の問題なのかしら。
そんなことを思いながら歩いていると、前から兄が歩いて来た。
「お兄様。」
緋月が呼ぶと、将維はこちらを向いた。
「緋月。」
将維が答えて立ち止まったので、緋月はそちらへ歩いて行った。
「洪から、本日お父様とお母様が帰られると聞きましたわ。いつぐらいになるのかしら。」
将維は首を傾げた。
「どうであろうの。父上は思いつきで動かれるゆえ。時間の指定がないのなら、あまり早くと期待せぬ方が良いぞ。」
将維は落ち着いている。誰よりもお帰りを待っているはず…宮の業務や政務が溜まっているからだ。緋月は将維をじっと見た。
「お兄様って…どうしてそんなに落ち着いていらっしゃるの?私とお母様を間違うこともないし。時々不思議に思うわ。」
将維は眉を上げた。まるで母のような事を言う。姿や気ばかりか、性格までそっくり生まれたとは…まるで我と父上のようではないか。
「なぜと言われてもの。我は生まれた時から次の王と定められておったゆえ、嫌でも落ち着かねばならなかったのよ。それに、主と母は確かに瓜二つであるが、違う命よ。間違うはずはなかろうが。」
緋月は拗ねた。
「でも、さっき洪にまで間違えられたわ。臣下達は皆なのよ。ほんと、イヤになっちゃう。」と横を向いた。「我も紫月お姉さまのように、月の宮へ留学しようと思っておりますの。ここにお母様と居ると、皆が困るでしょう?お母様が教えてくださって、いろんなことを知ってるから、あっちのほうが肌に合ってる気がするのよね。お兄様はいかが思われますか?」
将維は眉を寄せた。
「父上が許されぬであろうな。」将維は言った。「紫月がそれで結婚が決まって、早くに宮を出たからの。主は最後の子だと言っておられたし、生まれた時には成人するまでどこにもやらぬと言っておったのよ。今のお考えは知らぬが…まあ、あの考えを曲げるのは苦労するであろうて。まずは母上を味方につけることぞ。さすれば父上は首を縦に振るかもしれぬわ。」
緋月はパアッと明るい顔をした。
「お母様ね!お母様ならお話しを聞いてくださるわ。」と踵を返した。「ありがとうございます、お兄様。では失礼いたしますわ。」
嬉々として走り去って行く緋月の後姿を見ながら、なんてそっくりなのだとうと将維は思った。きっと、臣下達から見たら、自分も父上とこんな感じに似ておるのであろうな。
それにしても、宮の中を女神が走ってはならぬと、教えておかねば。転ぶのを心配するのは、母上だけで充分だ。
将維はため息を付いた。
遠くで緋月が着物の裾につまずいて膝を付いていた。




