彼岸花と少女
第二作目です。
もしかしたら連載するかも…?
「美しいですわ、姫」
鏡に映るのは綺麗に化粧を施された白い顔。
その顔は無表情でにこりともしない。
私は今日、人の世から消えるのだ。
**
私が生まれたのは大きな山のふもとの小さな村。
小さな村ではあったけど、自然に囲まれた環境で皆が協力しあい、自給自足する暮らしは穏やかで心地好い。
しかしここ数年、村は厳しい飢饉に襲われていた。
作物が育たない。
食べるものがない。
人々の心は荒み、病み、村には暗い陰が落ちていた。
そこで誰かが言ったのだ。
山の神が怒っているのだ、と。
怒りを鎮めるために、供物を捧げるのだ、と。
何かに縋りたかった人々は皆その案に賛成の意を示した。
できる限りの食べ物を、酒を、そして
「姫、そろそろ時間ですわ」
「…そうですか」
「きっと山神様も、姫様を見初めになりますわ」
山神の、花嫁を。
白い着物を着て、綺麗に髪を結って、美しく化粧をして。
若い娘なら誰もが憧れる美しい花嫁装束。
でも今の私には、この白い着物が自分の死に装束にしか見えない。
用意された豪華なかごに乗せられ、山道を大層な行列で進む。
山の高見にある、山神が祭られている祠へと向かうのだ。
かごの隙間からだんだんと遠くなる村の様子を伺う。
村を出るときの皆の顔、同情の中に潜む、どこか嬉色の浮かぶ顔。
やっと自分たちは救われるという、安堵の顔。
私は小さく、着物の袖を握った。
花嫁候補はたくさんいたのだ。
比較的若くて、美しいまだ純潔を保つ少女。
村から五人が選ばれた。
そのどの娘も条件は揃っていたのだが、唯一私だけ違う点があった。
それは、両親がいないこと。
他の娘の親は、何とか自分の子供を手元に残そうと、あの手この手で私を陥れた。
庇う人が誰ひとりとしていない私は、案の定簡単に周りに流されて山神の花嫁として決まってしまったのだ。
私を育ててくれた叔母でさえ、お前は山神に嫁ぐべきだと私を捨てた。
悲しかったし、怖かった。
だって私は知っているから。
山神に嫁ぐなんて建前。
本当は生贄として祠の奥の座敷廊に閉じ込められるのだ。
そしていつかは餓死して死ぬ。
そこで初めて、山神に嫁いだということになる。
これは昔から里に飢饉が襲うと必ず行う儀式なのだと、祖母が昔教えてくれたのだ。
よもや自分が贄になるとは思わなかったが。
「着いたぞ」
「さあ姫、御降り下さい」
「…はい」
「足元に御気をつけて」
恭しく手を引かれ、かごから出る。
先が見えないまっくらな祠、というよりも洞窟がぽっかりと口を開けている。
ここが私の墓場なのかな。
ぼんやりと、手を引かれるがまま前に進む。
祠の中はひんやりとしていて時折水が滴る音が響く。
暫く歩いて、松明に鈍く光る何かが見えてきた。
私は思わず歩みを止める。
座敷廊だ。
「姫様?どうなさいました?」
「…いえ…」
「さあ、御早く。山神様がお待ちですわ」
山神なんて、本当はいないのに。
そう呟きそうになったが寸でのところで止める。
また里の人たちが煩くなるだけだから。
私を座敷廊に入れて、がしゃりと南京錠が閉められた。
仕事は終わったと言わんばかりに、人々はそそくさと祠を出ていく。
無意識に鉄格子の隙間から手を伸ばした。
行かないで、一人にしないで、私をここから出して。
言いたいことは山ほどあるが、口にだすことが出来ない。
言ってどうなる、誰も聞いてくれやしない。
私は贄だもの、神様の供物だもの、人間が奪っていいものじゃないんだ。
私がここから出たって、迎えてくれる人はいない。
喜んでくれる人はいない。
誰一人、私を見てくれやしないんだ。
「…化粧、落とそう…かな」
誰も見てないんだから化粧なんて意味がない。
ついでに髪も下ろしてしまおう、と複雑に結ってあった髪から簪を引き抜く。
バサリと黒い髪が肩に落ちてきた。
視線を巡らすと、天井から滴る水が窪んだ岩に貯まって、水瓶のようになっているところがあった。
そこでばしゃばしゃと顔を洗う。
体の芯から凍りそうなほど、その水は冷たかった。
洗ったはいいが拭くものがない。
しばし逡巡した後、まあいいか、と花嫁衣装の袖で顔を拭った。
誰に咎められることもないだろうから。
ふう、と一息吐いて顔を上げると、見知らぬ男が目の前にいた。
「ほう、やはり化粧を落とした方が良いな」
「!」
「何だ。何を驚いている?」
心臓が止まるかと思った。
目の前の男は長い黒髪を後ろで一つに結い、黒のような赤い瞳で不思議そうにこちらを見てくる。
私も思わず、その目を見つめ返した。
「だれ…?」
「何だ、旦那のことさえわからないのか?」
「旦那?え…?」
何かの冗談じゃないのか。
私は神に嫁いだ身。
その私の、旦那だと…?
「山神、様…?」
目の前の美しい顔をした男は、満足そうに一つ頷いた。
信じられない。
本当に山神というものが存在するのか。
私は少しいぶかしむような目で男を見上げた。
男はにこりと綺麗な笑みを浮かべる。
「…本当に…?」
「疑ってるのか。私は正真正銘この秋咲山の神だぞ?」
「あ…」
光の加減で、男の目が鮮やかな赤になる。
秋に咲く、彼岸の花の色だ。
この人はやっぱりこの山の神様なんだと、心のどこかにストンと落ちる音がした。
「お前、名は?」
「…弥生、と申します」
「ああ、その堅苦しい話し方はしなくていいぞ。村ではもっと砕けた話し方をしていただろう?」
「何で知って…?」
「山神だぞ?この山周辺のことならなんでも分かる。もちろん山のこともな」
ふふん、と得意げに山神様が言う。
案外、お茶目な人なのかな。
そうだ、私の役目とか色々、聞いておいた方がいいのかもしれない。
私に出来ることなんてほとんどないんだろうけど。
元から、死ぬつもりでここに来たのだから。
「山神様、私は何をすればいいですか?」
「何を、とは?」
「私は貴方に嫁ぎました。しかし、私はここで死ぬことを村人から望まれているのです。村の飢饉を救うために。私が死ねば、山神様は村を救ってくれますか?」
私の言葉に、山神様は眉根を寄せる。
そしてしばらく唸り、一つ溜息を吐いた。
赤い瞳が呆れたように細められる。
「弥生」
「はい」
「村の飢饉は自然なことだ。私とて、自然に刃向かうことなど出来ない」
「わかっています」
山神様は目を見開く。
私はちゃんと知っている。
飢饉は山神様が怒ってるからじゃない。
たまたまここ近年の気候が、飢饉をもたらすようなものだったからだ。
それはごく普通な自然の流れ。
いつもいつも人間の言いように自然があるわけじゃない。
人は自然という巨大な力の前で、どうすることも出来ない。
それは知っている。
ちゃんと理解している。
だけど。
「なにかしら、人には縋るものが必要なんです」
辛いから、苦しいから、誰かに全て投げてしまいたい。
誰かに縋って、楽になりたい。
そんな村人の思いを背負い、私はここにいる。
数ヶ月後、村人が再びこの祠に赴き、花嫁がちゃんと”嫁いで”いるか確認しにくるのだ。
そのときちゃんと花嫁が嫁いでいれば、死体は祠の外に土葬される。
そして災厄は完璧に神に浄化してもらえる。
そう、言い伝えられてきたのだ。
「お前はそれで納得しているのか?」
「しています」
「周囲に流されるまま花嫁になり、理不尽だとは思わないのか?」
「思いません」
「…弥生は、死にたいのか?」
ぐっと、言葉が詰まる。
死にたい?
そんなの、死にたいわけがない。
両親は死んでしまったが、私は確かに二人の親から生まれてきたのだ。
命を授かって、この世に生を受けたのだ。
それなのに、自ら死を望むわけがない。
だけど、でも。
私は選ばれてしまったのだから。
今更、逃げ出せるはずもないのに。
「弥生が全てを背負うことはないんじゃないか?」
「……」
「まだ、幼い子供なのになあ」
呟くように山神様は言うと、私をそっと抱きしめた。
安心させるように頭を優しくぽんぽんと撫でられる。
ふわりと、彼岸の花の香りがした。
その時、私は自身の体に堅く力を入れていることに気付く。
カタカタと、微かに震えていた。
「…私は子供じゃないです」
「私からしたら十分子供だ」
「山神様は、神様だから…」
「神だって死ぬぞ?代替わりもある。まあそれでも寿命は長いがな」
さらり、さらりと山神様の手が私の髪を梳く。
俯いているから顔は分からないが、きっと笑っているに違いない。
そんな雰囲気がじんわりと伝わってきた。
温かい、と思った。
神様も温かいんだな。
この温もりが、私を抱きしめてくれる温もりが、私はずっと恋しかったのかもしれない。
求めていたのかもしれない。
「どうだ弥生。ここで私と暮らすか」
「ここで…」
「私とゆっくり暮らすんだ。村に戻れないのなら、ここで暮らすしかないだろう」
「いいのですか?」
「私が弥生と暮らしたいのだ。それに、私たちは夫婦だろう?」
面白そうに山神様の口角が上がる。
神様もこんな顔をするのだなあ、と思った。
悪そうな、いやに人間じみた顔。
それでも、今の私には安心できる表情だ。
「山神様は…」
「ん?」
「山神様のことは、何とお呼びすれば?」
「私の呼び名か…」
なにやら考え込まれてしまった。
秋咲山の神様ではあるけれど、彼一人の呼び名はないのかもしれない。
難しいことを聞いてしまったのかも。
私はおず、と顔を上げると、山神様の目を見つめた。
綺麗な顔が優しげに微笑む。
口に出そうか躊躇ったが、ここまできたら言わないわけにもいかない。
「あの、私が」
「ん?」
「私が山神様の呼び名を、決めてもよろしいですか?」
「弥生が?」
「はい…あの、嫌ならいいんです。無礼も承知で…」
「本当に弥生が決めてくれるのか!」
「はい…」
嬉しそうに弾んだ声。
そこまで期待されても言いにくいのだが。
そして今更ながら、この抱きしめられている体勢が恥ずかしくなってくる。
な、なんでこの体勢のままなんだろう。
「どんな名だ?」
「はい…えと、秋様…と」
「秋、か!良いな!」
「そうですか?秋様、気に入っていただけましたか?」
「うむ、気に入ったぞ!」
ぎゅうっと力を込めて抱きしめられる。
首筋に、秋様の息が当たってくすぐったい。
すると突然くい、と顎を持ち上げられた。
そのまま何か柔らかいものが押し当てられる。
突然の事過ぎて何がなんだかわからなかった。
「弥生、私の愛しい人」
「秋、様…」
「様はいらないだろう」
「しかし、神様なのに…」
「今は違う。今は弥生の旦那の秋だ」
むす、とした顔がまた人間じみていてどこか可愛らしかった。
そっと秋様の頭を撫でると、目を見開かせる相手。
まずかったかな?
しかし秋様はより一層笑みを深めると、またも口づけを落とした。
額に、頬に、髪に、首筋に、たくさん。
私は今真っ赤になっている自信がある。
神様と言っても、感触は人間のそれと変わりないのだ。
温かいが、くすぐったくて、恥ずかしい。
「これからよろしくな、弥生」
「はい、秋様」
ここから、また新しい私の人生が始まるのだ。
秋という神様の旦那様と共に。
END
まだまだ拙い文章ですが、読んでいただきありがとうございます。
次回は長編にチャレンジしたいですね!