魔界の商品(1)
俺が魔界カフェでバイトを始めて一週間が過ぎた。常連と思しき客が二、三人できたが、まだ暇な時間が多く占める。ちなみに雪乃さんはここまで三回来た。
あと、魔界カフェという名前が呼び水になるのか、魔界荘以外の魔界の住人も度々訪れる。さすがに見た目はなつきさんのようにネコ耳があるとかではなく、至って普通なのが多い。もう魔界って何なんだろうね。この街でもこれだけいたら、俺以外にも魔界の存在を信じてる奴が結構居そうだ。
「日野」
「はい?」
「魔界に興味があるらしいな」
「……あまりないですが」
どこからそんな話になるんだ。
現在魔界カフェの店内には、客が一人。スーツ姿でメガネのイケメンな彼は、見た目は一般人だが、魔界の方から来ました。という人で、ここの常連客の一人だ。
「そうか、興味あるか」
話聞けよ。まあ、お客様は神……彼はエルフらしいから声には出さんが。客は横に置いた鞄から何か取り出すと、それをカウンターに置いた。まん丸い赤い飴玉が入ってる小瓶だ。
「何ですかコレ」
さすがに見せられたら気になる。
「今度、上に提案しようと思ってる製品だ」
「…………」
沈黙が続く。いや、だから何なのさコレは。
「えっと……どう使うんですか?」
客は心底嫌そうに溜息を吐き、やれやれ説明してやるか面倒だな。というオーラと言葉を放った。オラなんだか苛々してきたぞっ。
「これは、名前はまだ決めていないが。一度だけ命令を効かせることができる――おっと、」
話を途中、ピリリリと携帯の着信音が鳴り、客はスーツの胸ポケットから、携帯を取り出して会話を始める。
まだ途中だが、よーく把握した。だとしたらこれはとんでもないステキアイテムだ。
「すまんが急用だ。これは自由に使ってくれて構わん」
電話を終え客は小指でメガネの位置を正すと、そう言って立ち上がり、勘定を置いて店を後にした。カウンター席には飴玉が入った小瓶が残された。それを手に取る。
「一つ命令を……か。だとしたら、凄い商品だ」
おっと、独り言が漏れた。今はなつきさんは奥にいるが、誰かに聞かれていたらマズい。しかし、あの客こんな商品を扱う会社に勤めてるのか……。闇の世界に流通させんのかね。
「まあ、いいか」
とにかくこれさえあれば、俺は新世界の――おっと邪な考えが浮かんでしまった。が、これは試供品サイズなのか飴玉の数は四粒しかない。要するに命令を聞かせることができるのはつまり四回。慎重に使わねば。
「あらー、帰ったんですかー?」
「ええ、急用とからしいです」
サッと小瓶を持つ手を背中に回し、俺はしれっと言ってのける。大丈夫だ全く怪しくはない。
……なつきさんか。相変わらず見る度に癒される容姿――いや、全体から癒しを放っている。歩くマイナスイオン発生装置だ。
だが、俺はまだ一つだけ足りないと思っていた。髪からピョコンと出す三角な猫耳に、感情を如実に反映して動く二本の尾。こういうキャラなのに、しゃべり方はおっとりとした口調だ。それはそれでいいが、一つだけ望みが叶うなら言ってみたいと思ったことがある。
それは、語尾に『ニャン』と付けさせてみたいと。それ即ち、鬼に金棒。メイドにネコミミ。元気っ娘にボク。萌えの宝石箱と化す。
こんな球を七つ集めたら現れる龍にパンティーを要求するくだらない願いだとしても、俺はなつきさんのニャアを聞いてみたい。
飴玉の効果を実証する意味でもやってみてもいいだろう。
「なつきさん、飴いりませんか? さっき貰ったんですが」
小瓶を見せると、なつきさんはニッコリと微笑んで、
「いいんですかー?」
「はい。もちろん」
と、小瓶から飴玉を取り出して渡す。
飴玉の形をした、一回限りの王様ゲーム強制薬はなつきさんの口の中に入った。
「おいしいですー」
同じシチュエーションで幼い子供が見せるような、満面の笑みを浮かべるなつきさんの口の中では少しずつ飴が小さくなっていってるだろう。
今命令して効果があるか分からんし、全部溶けるのを待つか。仮に今『語尾にニャンを付けろ』と言って効果がなかったなら、俺の胸に秘めてた趣向がバレることになる。
そろそろ、飴玉が溶けた頃合いだろうか。俺の脳内レコーダーを用意し、一息吐いて念願を言おうとした――時だった。
「いらっしゃいませぇー」
ドアが開き、客が来た。
クッ……まさかここで邪魔が入るとは。
ま、いいさ。この客が帰ったら実行するとするか。
ん、待てよ。この客は今カウンター席に座っている。カウンターにはなつきさんがいる。要するに俺を介すことなく注文を直接なつきさんに申し付けるのが普通だろう。
注文するって命令に入らないか? 仮に王様として考えるとメイドに『コーヒーを持ってまいれ』と言うことだ。これは命令か否か……。うん、命令に入ると思う。というわけで、先手必勝。俺は素早く客に近寄り、
「あ、ご注も――」
「コーヒーと、ナポリタン」
ぬああああ。間に合わなかったああああ。こんな名無しふぜいに貴重な飴玉を無駄に消費されちまうとは……。
「はいー」
ニッコリとなつきさんは微笑んで注文を承り、テキパキと――というには少々時間の流れがゆっくりとした動作で用意を始める。
しかし、これだと飴玉の効果があったか分からないな。命令じゃなくても客の注文を断るわけがないし。断ったらそれは態度が悪すぎる店だ。効果が残ってるのか確認してみるか。
「あ、なつきさん」
「はい?」
と、冷蔵庫から材料を取り出しながら、なつきさんはこちらを見ずに反応する。
「語尾にニャアと付けてもらってもいいですか?」
客の存在なんていいや。むしろ、なつきさんは語尾にニャアを付けたほうが客も喜ぶだろう。
「え……、何でですかー?」
こちらに大きな瞳を向けパチパチと瞬きをし、耳をピクッと動かしてなつきさんは首を傾げる。
「いえ、……何でもないです。何となく思っただけなんで……」
慌ててそう言い繕うと、頭上にハテナマークを浮かんでるような表情を見せ、作業に戻る。うーん、やはり命令権は客に使われたということか。
「あ、勇気さん。奥に行って玉葱を持ってきてくれますかー?」
「は――」
い。と、答えようとした瞬間、背筋がピンと伸びた。俺の意思に関係なく。まるで糸に操られているかの如く、手を額に持って行く。
「イエス! マム!」
これは俺の口から――いや、腹の底から出た、まるで厳しい軍隊で上官の命に答えるときのような張りのある返事だ。何故だ……。
「……お願いしますー」
なつきさんも客も、変貌ぶりに驚いた顔でこちらを見ている。何より俺が一番驚いている。
それから、いつ体に染み着いたのか、足を大きく上げ手を大きく振り、軍隊の行進のような動作で玉葱を取り行き、
「玉葱持って参りました!」
と、玉葱を渡すと再び敬礼。腰を九十度に折ってから回れ右したところで、体に自由が戻ったと分かった。
「ありがとうございますー」
俺は首を捻りながら、空席に座して思考する。小瓶に入った飴玉を眺めながら。これを渡しやがったメガネの客の言葉を思い出してみる。
確か、これが命令を一度だけ利かせるということは聞いたが、具体的な使用方法は聞いてなかった。
頭上に電球が発光するイメージが浮かんだ。手のひらの上に拳をポンッと置く。
どうやら俺はとんでもない思い違いをしていたようだ。なんか漫画の展開にあったのかもしれないが、飴玉を“舐めさした”相手に命令が一度できるという先入観が根付いてしまっていたんだ。
飴だからって舐めるのが使用方法とは限らない。ヘソにでも張り付けるのかもしれない。が、ここまでの展開でよく分かった。
この飴玉は“舐めた本人が一度だけ誰かに命令を下すことができる”のだ。
だから、飴を舐めたなつきさんに玉葱を持ってくるような命令されたから、俺は否応なしに体が勝手に動き、持って行って命令を遂行したら、元に戻った、と。
あのメガネ……、半端な説明しやがって。一つ無駄にしてしまった。
……だが、しかし。
飴玉を舐めた後、誰かに命令を一つだけすることができる。
それだけなら素晴らしい商品だと思う。しかし、一つ気になる点がある。
命令された側は誰もが軍隊調になってしまうのか? と。
鬼教官には逆らえない隊員のように一々『サー! イエス! サー!』と、発言前後に『サー!』を付けてしまう反応になってしまうとしたら、それを女性にさせてよいものか。
例えば、なつきさんがほんわか空気を振り払って、そんな風になってしまう姿は俺としてはみたくない。
だとしたらこれは男に使うのがベストだろうが、俺に男を命令するような趣味はない。
……返した方がいいのかもしれないな。メガネの客には、改良点として従順なメイドのように命令に従ってもらうように言っておくか。
「日野くん、どしたの? 何か考え事?」
カウンター席にて考える人モードに浸っていた所に割り込んでこないでくれ三神さん。それに急にのぞき込む形で端正な顔が近くに来たから、心臓が早鐘のように速まってきた。
「いや、別に」
素っ気なく返し、立ち上がり仕事に戻る。客はいないからテーブルでも拭くぐらいしかないが。
「ん、何コレ?」
「あ」
と、俺の間抜けな声が漏れた。
「これ日野くんの?」
カウンターに置きっぱなしだった小瓶をこちらに見せ、三神さんは小さく首を傾げた。
「……え、あ、ああ。そうだ」
ごく自然に言い、自然に出来の悪い二足歩行ロボのように三神さんに歩み寄り、小瓶を受け取ろうと手を出す。早く返してくれ。
「ね? 一つ貰ってもいい?」
口元を緩ませて笑みを作り、三神さんはやや上目遣いで聞いてくる。
いや、それは危険な代物だからやめたほうがいい。これは毒だから舐めてはいかんぞ――と否定する言葉を練っていると、
「その飴、とっても甘くておいしかったですよー」
「へえ、そうなんだ」
なつきさんの評価を聞いて、三神さんは飴玉を一つ取り出し、口に入れた。
「うん、おいしい。あ、サンキュー」
俺の手に小瓶を置き、三神さんはテキパキとテーブルを拭き始める。俺は再び席に腰掛け、考える。
今から飴玉を吐き出させるのは無理である。んなこと言ったらトンデモ性癖の持ち主だと冷たい視線を浴びるのは確実だ。
じゃあ、素直に効果が発揮されるのを見てるしかないということか。この飴玉の効力がいつまで持つかは分からないが、日常生活の中で命令する事なんて、たかが知れてる。三神さんが優秀なスナイパーにするように暗殺を命じたりするわけはないし。由々しき事態になることはないだろう。
この場にしたって、立場的には店長であるなつきさんに向かって命令――それが『何か取ってきて』だろうとしないだろうし、俺も歳からしたら人生の先輩だ。何か言われたりは――するかもしれない。三神さんに俺を敬う様子がないことは既にタメ口なことで明らかだ。
だが、それでも俺が命令される確率は低いと弾き出した。帰宅までの数時間からすると、三神さんの姿が俺から離れてから、飴玉効果が発揮される確率の方が高い。
俺の目の前でなつきさんが、ハキハキと軍隊口調になるのは見ずに済めば後はどうでもいいや。
「あのさ日野くん、何考えてるかは知らないけどさ、真面目に働きなさいよね」
……前フリって大事だよな。
「サー! イエッサー!」