クリスマスはサンタといっしょ(2)
想像を絶する光景というのは何だろうか。良い意味でならば、俺はなつきさんを初めて見たときだな。あのような萌えの権化が世の中に実在し、俺の目の前にいる。その時の俺の衝撃と感動は、愛は地球を救うテレビ番組を軽く凌駕した。
……さて、悪い意味での方だが、まさに今俺の視界にそれが広がっている。
鋭く固めた角刈りに、鷹のように鋭角な目、頬には十字の傷があり、顎の無精髭を太めの手で撫でつけている。
着流し姿で、口にはキセルを加えて紫煙をくゆらせている。
他には、坊主頭とかパンチパーマとかが目立っている。一様にガタイが良く、丸太のように太い腕をしている男までいる。
人を見た目で判断するべきではないとはいうが、ここは見た目を信じて引くべきだと俺は瞬時にそう決断した。多分、開けるドアを間違えたのだろう。
俺はそう冷静に判断し黙ってドアを閉めようとして――角刈りと目があってしまった。
「ん?」
鋭い目を更に細めて俺を見ると、つかつかと大股でこちらへと寄ってくる。早くドアを閉めて逃げ出したかったのだが、まるでメデューサにでも睨まれたかのように体が言うことをきかない。
角刈りの男はドアを掴むと全開にして、俺を見下ろす。この時、俺は少し前にトイレを済ましていてよかったと思った。
「なんじゃ、お前は?」
渋く低い声で訊いてきた。俺は腰が抜けそうになるのを抑えるのが精一杯で思考がフリーズしてしまっていた。
万が一に備えて自分の半生を振り返っていると、角刈りの男は無精髭を撫で、眉間に皺を寄せ思案顔を浮かべる。
「お前が白峰の言ってた、助っ人っちゅう奴か?」
いや、勝手に助っ人にしないでくださいお願いします。カチコミとかにしても俺なんか足手まといですからマジで。壁にしたってもっと体つきのいい奴選んだほうがいいと思いますし、というか白峰って誰ですか俺はそんな人は知らな――
「あ、え、雪乃さんが?」
俺は思わず素で聞き返してしまった。白峰とは雪乃さんの名字だ。……まさか、ここ、なのか?
「やはりそうじゃったか。なら中に入れ」
ガシッとしっかり俺の腕を掴む角刈り。
「あ、俺は……何か間違ったような……その……」
「忙しいんじゃ。早くせえ!」
俺の抵抗やむなく一喝され、成すすべなく部屋へと引き込まれる俺。ドアが強く閉められ、怖い男たちの視線を受けながら俺は安請け合いはすべきではなかったと猛省するのだった。
「よし! 全員揃ったようじゃのう!」
「おう!」
むさ苦しい男たちが一斉に腹の底から出したような野太い声で返事をした。
「そこの! しっかり返事せえ!」
ビシッと角刈りの男が俺を指さし返事を促す。どうやらリーダーらしく、一人こちらを見渡して喋っている。
「はい!」
恐怖と恥ずかしさから上擦った声で俺は叫んだ。……どうして俺が一番前なんだ。周りは俺よりデカいのばっかりだから、一人でも前にいればバレなかったのに。
……雪乃さん、これは何の試練ですか?
ただ今俺の緊張は極限まで高まっており、背中には冷や汗、額には脂汗が滲みっぱなしだ。俺は運動部ではなかったし、ましてやこのような強面集団と関わったことなんて今までの人生で全くの無縁だ。
今すぐにでもここから逃げ出したいが、入り口は反対側にある。どうしようもない。
「今更言うまでもないと思うがのう、いよいよ今夜じゃ」
『おう!』
はて。今夜とは? 貴方が言うと不穏なイメージしか浮かばないのだが。
「今日だけじゃからのう。ミスは許されんぞ! 死ぬ気でやるんじゃ!」
『おう!』
今日だけ? 死ぬ気で?
……はたして俺は死地に来てしまったんじゃないだろうか。
「……ッ!」
ふいに肩に手を置かれ俺の全身に寒気が走る。恐る恐る隣を見ると強面が。360℃そうだが。
「おい、兄ちゃん足が震えてるぞ。大丈夫か?」
「……あ、はい。大丈夫……です」
下手なことを言ったらマズいと思った。
「そう緊張すんな。新入りにキツい仕事は与えねえよ」
「……はぁ」
全然安心できないんですが。ねえ、何の仕事なんですか? というか俺はただの日雇いみたいなもので、新入りというのは少々違う気もするし。
「ふむ。皆いい顔をしているのう。よし、斉唱行くぞ! ワシに続け!」
満足げに頷くリーダー。斉唱ってなんだよ。『命を捨てろ』とかか?
「子供に夢を!」
『子供に夢を!』
「子供に笑顔を!」
『子供に笑顔を!』
「子供に愛を!」
『子供に愛を!』
鼓膜をつんざくような大音声で男達は唱和した。応援団ばりの腹の底から地響きのよう発せられ、重なる声に俺は耳を塞ぎたくなったが一人違う行動は目立つので口パクで凌いだ。
……しかし、この男達からは全く似合わない言葉だ。子供番組のテーマのようなワードとは対極に位置する風貌だし。
「よし! それじゃ制服を配るぞ」
『おう!』
全員に配られた制服とやらを見て、俺はバイトの内容を何となくは理解できた。
赤を基調とし、白いモコモコの毛がついてるブカブカな上下の服。赤い帽子。白い付け髭。つまるところサンタ服だ。
これを着て何をするかはまだ分からないが、どうやらヤバいことに首を突っ込んだ訳じゃないと俺は安堵した。
が、目の前に広がる光景は最悪だった。
プロレスラーがごとく隆起した筋肉の鎧を纏った男……漢たち。上腕二頭筋、腹筋……引き締まった尻。あの尻に食い込むフンドシに割り箸を挟んだら、果たして何本まで真っ二つにできるだろうか。……ウフフ、いい尻だなぁ。キレてるよ!
「――って、イカン!」
あまりにアレな光景に脳がショートしかけていた。俺はぶんぶんと頭を振り正気を保つ。
簡潔に説明すると、男たちが一斉にサンタ服への着替えを始めたのだ。
これ以上の説明は必要かね? いや、必要ないだろう。俺の精神を崩壊させないためにも、想像は各々に任せることにしたい。
「あの〜……トイレはどこですか?」
俺はせめて着替え中だけでもこの場から逃げ出すため、話しかけやすそうなのを選んで(それでも怖そうだが)そう訊ねた。
「ああ、こっから出てあっちの突き当たりを右に行ったところだ」
と、上半身裸の男が指さしながら教えてくれる。
「あ……はい、ありがとうございます」
へこへこと頭を下げつつ俺は早足で向かおうとすると、
「ついて行ってやろうか?」
「……いえ、一人で大丈夫ですから!」
俺は丁重に断って、そそくさとこの場から撤退した。
トイレに逃げ込み、便座に座って俺は心からの安堵の溜息を吐いた。あのむさ苦しい空間よりも、何倍も安心できる個室だ。
『アンタに電話!? ハ? きっと間違いでしょ。出なくていいんじゃない? 友達がいないアンタなんかに掛ける人なんていないだろうし。ま、別に出てもいいんだけど……ほら、早く出なさいよっ! 切れるわよっ!?』
着信音(友達がいないが幼なじみは4人いるっ! 暁美沙樹 CV:坂野美里 着信用ボイス4)が鳴り、俺はポケットから携帯を取り出した。
相手を確認すると、雪乃さんだった。俺は深呼吸をしてから通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。
「もしもし」
できうる限りの落ち着いた声で俺は応答した。
『勇気さん。すみません、仕事中でしたか?』
「いえ、今は大丈夫です」
通話口の向こうからホッと安堵したような息の音が聞こえ、
『よかったです。無事着いたみたいですね。ちゃんと伝わっていて安心しました』
無事には着いたが、その後無事でいられるか分かりませんけどね。むしろ、間違っていてほしかったです。
「……えっと、いったい何の仕事なんでしょうか?」
持ってきた衣装から大まかには推測してはいるが、明確な答えが聞きたい。
『え? 聞いてませんか?』
「ええ、……まだ」
あの中で手を挙げて質問する度胸は持ち合わせてないからな。ヘタレというわけではない。正常な判断と言ってくれ。
『サンタです』
「……は?」
至極簡潔な返答。俺はサンタの扮装をして何をするか聞きたいのだが。
『あの方たちは、昔からサンタに扮して町の子供たちにプレゼントを配ってるんですよ』
俺は雪乃さんの話を飲み込むのに十秒ほどの時間を要した。
「何故そんなことを?」
『子供の笑顔が見たいから、と仰ってましたよ。素敵ですよね』
笑顔より恐怖に歪む顔が好きって印象なのだが……いや、人を見かけで判断してはいけない。
「そうなんですか」
『勇気さんも頑張ってくださいね。帰りは遅くなるかと思いますけど、お食事の方は用意してお待ちしてますから』
「はい!」
プツンと通話が切れる。
もの凄く意外性がある話だったな。まさか本当のサンタとして活動しているとは。
ということは三神さんのサンタ話は虚言や、パパではなく、あいつらだったってことになるのか。……もし、サンタを見ようと好奇心から起きていたらトラウマになるところだったろうな。
たとえ、絵本の世界のサンタっぽい服を着ていようとも、顔を見た瞬間に強盗と思うに違いない。
俺は三神さんの思い出を汚さぬよう、このことは心にしまい込み、サンタ服へと着替えるのだった。
赤と白の衣装に着替え終わり、俺はトイレから出た。出る前に鏡を見たら、地味な服装からガラリと変わった姿に変身ヒーローな気分になりつつも、俺は溜息を吐いた。
またあのムサい空間に戻るかと思うと自然と足取りが重くなる。猫背で俯き加減で嘆息するサンタの方が余程子供の夢を壊しかねない。
逃亡を図る選択肢もあったが、後が怖いし、先ほどの雪乃さんの電話もある。しっかりと仕事を終えて帰宅しなければ。
……恐らく帰りは夜遅くになる。雪乃さんのしつけが行き届いている雪香はまず間違いなく寝てるだろう。二人の食事、クリスマス、ワイン、酔う。これらのキーワードから連想できる可能性。それを考えると俺のやる気は薪をくべたがのごとく燃え上がる。
「……ん?」
戻る途中、微かに黄色い声が聞こえてきて俺は立ち止まった。男臭の濃い空間にいたためか、女性はいないか、入ってこないとも思っていたがおかしい話ではないか。
廊下には他にも部屋が点在しているし、トイレも男女別だったしな。
俺は耳を澄まして声のする方向へと近付いていく。角を曲がりすぐのところにある部屋から聞こえてくるようだ。
俺はドアに耳を当てる。
「ねえ? これちょっとキツくない?」
「別に変わってないでしょ〜。アンタが太ったからじゃないの? ホラ」
「ひゃぁぁん! ちょっとォ…触らないでよ〜」
「あ、肉が付いたといえば、胸、大きくなったんじゃない?」
「そこまで付いてないってば!」
「え、ワタシ…? そんなこと……」
「これは確認する必要がありそうね〜! あっこら! 隠すな〜!」
俺はゴクリと唾を飲んだ。部屋の中からはキャッキャッウフフといったような楽しげな声が。それも若い女性に違いない。
これは、もしもオーディエンスがいるならば、開けろ開けろの大合唱が巻き起こる状況だろう。期待に応えるのが筋だ。
俺は一人頷き、そっとノブに手を掛けて慎重に、爆弾を解体するかのようにミリ単位にノブを回していき、音を立てずにドアを僅かに開けて部屋をのぞき込む。
中にはサンタさんがいた。
それもムサい男や、白髭の爺さんなどではなく、二十代くらいの女性。顔はどれも文句の付けようがないくらいに整っている。
そんな美女たちの格好は全員が赤と白のサンタ服。俺の着ているようなブカブカで肌の露出がないに等しいものではなく、白いファーの付いたミニスカと丈の短いジャケットを羽織り、その下には白のチューブトップを着て、くびれた腰とヘソが晒されている。
頭にはサンタ帽、足下はファー付きの赤いブーツを履いている。あと、生足から、黒のストッキング、ニーソックスを履いてたりする。グッジョブ。
この時期限定のキャンペーンガールといった感じの集団だが、或いはこの人たちもこちらと同じなのだろうか。……だとしたら、俺はこちらに混ぜて貰えないだろうか、と更にドアを開こうとした時、肩に手が置かれた。
振り返るまでもない。肩をつり輪を掴むようにがっしりと握られているのだから、そんな大きな手の持ち主は……
「おい、ここじゃないぞ。迷ったのか?」
上の方から降る低い声。俺は怖々と振り向くと、サンタ服のヤクザ面。
「はい……そうみたいです」
俺は能面を張り付けたような無表情で言った。
「そうか。ま、気にするな。こっちだぞ」
男はポンポンと肩を叩いてから、俺の首に腕を回して引きずるように連れて行かれる。
遠ざっていく楽しげな声を俺は名残惜しみながら、覚悟を決めたのだった