魔界荘の閑話(1)
場所は店名と店主以外はこれといって特徴のないしがない喫茶店。
穏やかなBGMが流れ、温かい雰囲気を醸し出す店内の様子が今日はいつもとは違っていた。
異質。という言葉が当てはまるだろう。
まず気付くであろうことはここが音のない空間だということ。BGMがないのはもちろんではあるが、普段は通りに面した喫茶店。微かでも街の音と無縁とはいかないのだが、それもない。
聞こえないのは、そのはずだ。通りを望め、店内に光が射し込むはずの大きなガラスに映るのは黒しかないのだから。
夜空のような柔らかな黒ではなく、夜に部屋から明かりを取り払ったかのような重い黒。まるで光も届かない宇宙の果てに飛ばされてしまったかのようである。
店内は煌々と照明が輝き、黒いガラス窓が鏡となり、二つのテーブルを繋げた席に着く面々を写している。
もう一つ。いつもは一定のリズムで時を刻むアンティークな柱時計も、時を刻むのを止めてしまっている。二つの針は互いに重なり合い天を指し示したまま動かない。
何故、そうなったのかは答えようがない。
一つ言えることは、ここは本編と断絶された空間だということだ。
「皆さんー、料理が冷めてしまいますよー?」
沈黙を切り裂いたのは店長の猫又なつきだ。明るい笑顔で柔らかい間延びした声で言うが、どこかぎこちない。集った者達が一様に反応がないのを見て、頭の二対の獣耳がパタリと伏せられ、顔を俯かせカウンター内に戻る。
テーブルに並べられた、色彩鮮やかで食欲をそそられる料理の数々は人数と照らし合わせると減るペースはすこぶる悪い。
まるでお通夜のように重苦しい雰囲気になっているが、当初は祝賀ムードではあったのだ。
――それは三十分前にさかのぼる。
「祝五十話突破! カンパーイ!」
そんな日野勇気の音頭で、カチンとガラスのグラスがぶつかり合う音とともにパーティは始まった。
店内には『50話おめでとう』と描かれた横断幕が壁に掛けられ、数分前に割られたくす玉から垂れる幕にも同じく描かれている。
以上の通り、話数が五十を越したことを祝うためのパーティが開かれているのだ。
招かれた者は、これまでの話で出てきたキャラクターの中からいわゆるレギュラー、準レギュラーとなってる者達だ。
魔界荘の住人はもちろんのこと、半ばメインの舞台になりつつある魔界カフェの者、中編で出てきた聖沢優、それと見習い悪魔までおり、賑わっていた。
「勇気さん、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
白峰雪乃が勇気に取り分けたオカズを乗せた皿を渡す。
「こういうのは久々な気がしますね」
雪乃は柔和に微笑んで言うと、勇気は勇気は頬を染めて首を傾げ、
「そうですかね? 毎日夕食は頂いてますけど」
「ですね。私ったら何を言っているんでしょうね、出番が減ってきたみたいと思ってしまって」
クスッと上品に笑う雪乃の背後にどす黒い何かが見え隠れすることに勇気は気付かないまま、ご馳走を口へと運ぶ。
「……あ、死神さん」
端の席でジュースをちびちびと飲んでいた聖沢優は、隣に魅栗沙羅が座ったのを見て緊張で堅くなっていた表情を僅かに綻ばせた。
「…………」
沙羅は何も言わず、優の艶のある髪を撫でる。気遣うように優しく白い手を動かす。優は頬を桃色に染めながらも、まんざらでもなさそうにはにかんでから、ふと不安そうに、
「私、ここにいるのは場違いじゃないでしょうか……」
「……どうして?」
沙羅はゆっくりと首を傾げて聞いた。
優は両手でしっかりと持ったグラスに注がれたオレンジ色の液体に視線を落とす。
「話数はありましたけど、出番はそれだけでしたから……他の話に出れそうにないですし……」
「大丈夫」
無表情の目元を少しだけ細めて沙羅は言う。
「私もそれから出てない」
励ましにもなってない、自虐めいた言葉ではあったが、言葉に含まれた優しさ伝わったようで、優はニッコリと笑う。
「ありがとうございます」
「おや? 黒木さん、あまり進んでないようですが」
席が足りないため、カウンター席に腰掛ける黒木の隣に座る、魔界荘の大家である榊真央は、減り具合が遅い黒木のグラスを見て声を掛ける。
「酒は苦手でな」
黒木は照れくさそうに、浅黒い、グローブのように大きな手で頭を掻く。
「意外ですねえ」
榊の隣でグラスを傾けていた荒木修が、微笑を浮かべながら言った。
「ガハハ。よく言われるな」
豪快に黒木は笑う。
体躯の大きな男が酒が苦手というのはギャップを感じさせるものだが、酒樽ごと飲む姿が想像に難くない体躯を持つ黒木だと、それがより顕著に見える。
「それにしても、初めてじゃないですか? このスリーショットは」
ふと気付いて荒木は言う。それを聞いて榊は記憶を探るように俯き、顔を上げた。
「確かにそうかもしれませんね」
「ワシが出たのは“勇気の厄日”が最後だったな。それも少しだ」
黒木が意外な記憶力の良さを発揮すると、
「僕もその辺りですよ」と荒木
「よく覚えてますね。二人とも」
榊が感心して言った。
「一応は僕たちも魔界荘の住人ですからね。一応はね」
荒木が微笑を称えたまま皮肉っぽく言うと、
「扱いにくいキャラはそうなっていくもんだからな」
達観したように黒木は遠い目をした。
カウンター席には陰を負った男達の背中が並んでいた。
「あ、コレおいしそうね」
「ベシル……それ、ボクの皿……」
「細かいわねルシルは。別にいいじゃないの、まだあるんだし」
と、分かりやすい上下関係を披露しつつ、一方はガツガツと一方はチビチビと食べているのは、銀髪と真紅の瞳の見習い悪魔二人。
「……もう」
ルシルが不満げな表情を浮かべたのをベシルは見逃さず、唐突に箸をルシルの眼前を指し、
「何か不満なわけ? アタシより一話多く出てるくせして」
憎々しげにベシルはルシルを睨みつける。細かいことを気にしてるのはどっちだろう。
「その話(魔界と人間界)だって、ベシルがメンドクサがらなければ出れたと思うけど……」
「うっさい!」
オドオドとしながらも振り絞ったルシルの精一杯の反論は一言で一蹴された。
「ま、これからってとこね。上手いこと主役の部屋に潜り込んだわけだし、出番はまだあるはずよ」
「……そうかなあ」
「ていうか、何であいつが主役なのかしら。理解に苦しむわ」
不満げに言いながら腹を満たすベシルの対角線状の向こう側からクシャミの音がした。
「あ、雪香ちゃん。ジュースのおかわりはいる?」
テーブル席で三神莉子が、隣に座る雪乃の娘、雪香に訊ねた。
「うん!」
雪香は元気良く頷くと、コーラが残り僅かに入ったグラスを両手で持ち、莉子へと出し、莉子はペットボトルからそのグラスへコーラを注ぐ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
満面の笑みで雪香が礼を言うと、莉子は微笑みを返した。
そしてコクコクと炭酸を飲む雪香を妹想いの姉のような瞳で見つめる。一人っ子である莉子は妹に憧れがあったりする。余談だが勇気の妹、優梨はこの場にはいない。
「大丈夫? 疲れたんじゃない?」
気遣いも莉子は忘れない。
この場には雪香と同年代の者はおらず、大人同士の会話を聞きながら食事をするだけでは、楽しくもなく疲れるものだ。
「ううん。だいじょうぶだよ」
雪香は笑みを絶やさずに答えた。
「そう、よかった」
莉子は優しく言い、それから他愛のない会話を雪香に振った。それはこの空間独特のものではなく、穏やかな日常会話だった。
雪香は出番が少なくとも気にしない性格で、出番が多い莉子も些細なことと気にすることはない。だからこそやや歳の離れた仲の良い姉妹のような会話が成立する。
カウンターでは、両極端な容姿を持つ二人が向かいあっていた。
一人は、亜麻色の髪を肩下まで伸ばし、縁取る顔はクリッとした水晶玉のような瞳にやや小振りな目鼻立ちをした女性。見た目から歳の項は二十歳前後だろうか。
それだけでも『可愛い』という印象を振りまく容姿だが、頭に対になって生える焦げ茶色の三角形の耳がそれをより増幅させ、ミニスカートの中から足下へと垂れる二本の尻尾も魅力をより引き立てる。
名は猫又なつき。この店、魔界カフェの店長である。感情を如実に表しピョコピョコと動く猫耳と尻尾に、怪訝な目を向ける客もいるが、そんなことは些末なこととほとんどの客は、いずれうっとりと目を細めるようになり気にしなくなる。
カウンターを挟み、彼女の正面の席でビールを浴びるように飲んでいるのは『美女』だ。更に付け加えるならば『絶世』が相応しいくらいの女性。
日の光を凝縮したかのような輝きを放つ金色のロングヘアー。雲一つない空を思わせる碧眼は鷹のように鋭くやや近寄りがたい雰囲気があるが、厳選したように整った目鼻立ちと共に、十中八九が『美人』と評価を下すであろう顔だ。
体つきもメリハリがあり、体の線が出やすい薄着のため扇情的な魅力をバラの香りのように振りまいている。
が、みだり近付けば手痛い目にあう、綺麗なバラには棘があるを体現する女性。
それが天使ミカである。
「皆さん楽しそうですねー」
なつきは、つまみが盛られた小皿を天使の前に差しだすと、店内を見回して柔和な微笑みを浮かべながら言った。
「そうは見えないのもいるけど」
天使はカウンターに頬杖を突き冷淡に言い放ち、チーズをつまむ。
「そもそも、祝う必要があるのかしら? ワタシは呑めるなら別に理由はなんでもいいと思ってるけどね」
「でも五十話ですよー。凄いじゃないですかー」
天使の直球な疑問にも、なつきはニコニコと笑みを絶やさずにいつもの調子で返す。ちなみに天使は既にビール瓶を三本空にしてるが酔ってはいない。素面である。
「作者の遅筆っぷりからしたら凄いかもしんないけど、五十話を越えた作品なんて他に幾らでもあるし、祝うようなことでもないじゃないの」
なつきの笑みに多少の困惑が覗く、
「でもー、“ゲームの世界にようこそ”シリーズも終わって丁度いいタイミングでしたしー」
「間延びした挙げ句、オチが強引だったシリーズね」
天使は毒舌な評論家のように辛辣にスッパリと言い切った。表面上からは窺うことはできないが、出番が少ないことに対して思うところもあるのかもしれない。
「えっとー、それはー」
上手い返答が見つからずなつきは困ったように苦笑いを浮かべるしかない。
大ジョッキに半分残っていたビールを一気に飲み干すと天使は、
「そもそもね、」
言う途中でゲップをし、一度言葉を止めて店内を見渡す。
集まった面々は一部冴えない表情を浮かべるグループもいるが、軒並み楽しんでいるといって差し支えないくらいに賑わっている。
そして、天使は仏頂面を浮かべたまま、
「この小説、人気ないじゃない」
――人気ないじゃない
――――ないじゃない
――――――じゃない
天使の声に当然エコーは掛かっておらず、声量も目の前のなつきと会話する程度ではあったが、店内に行き渡った。
賑やかだった店内からは音が消え、誰もが動きを止めていた。
まるで時間が止まったかのような空間。
止まってないことを証明するかのように天使はしれっとした顔でビールを呑んだ。