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死神のお仕事(6)

 頂上での休憩を終え、せっかくだしと雪乃さんへの土産に景色をデジタルカメラに納め、山を下ることとなった。ちなみに荒木さんから借りたカメラだ。

 下山する、といってもこのまま駅まで行って『良い景色だったな』とか電車内で談笑するのはまだ尚早だ。

 もしこのまま一気に下りたとして、落胆を隠して微笑みを作るであろう優に、俺はどんな言葉を掛ければいいか分からない。

 だから考えなくて済むように、何としても優の思い出を見つけだして本当の笑顔を眺めながら帰りたい。

 俺たちは現在来た道をゆっくり戻っている。

 まるで宝の地図に記された秘密の通路を探すように視線をしきりに動かしながらだ。

 端から見たら少しばかり怪しげな集団に見えないだろうか。葉が色づいてる上じゃなく、主に膝丈くらいまである草むらを眺めているからな。

 優の記憶によると獣道を抜けた先らしいし、注意深く見ていけばなんらかのヒントがあるはずだ。草が妙にうなだれていたりとかな。

 幾ら携帯の電波が入るといっても、無闇に草むらをかき分けて探すよりは可能性が高いだろう。万が一にも遭難したら困るしな。魅栗さんと優は何となくそうなっても大丈夫そうだが、俺は自力で何とかしなければいけなさそうだし。

「なんか目印でもあればいいんだけどな」

 “こちら隠れ紅葉スポット”とでも書かれた矢印看板とか。こうも左右が同じような景色ばかりだとどこから入ればいいか分からん。

「目印ですか……お父さんもそういうのがあったから入っていったんだと思いますけど…」

 道の端を木々の隙間を覗きながら歩く優が俺の呟きに答えてくれた。

……そういや、魅栗さんが依頼したという探偵はあの写真からここだと判ったんだよな。だったら探偵に聞けばいいんじゃないか……しまった。番号知らない。最終手段にしておくか。


――その時、ふいに風が吹き抜けた。


 唐突の強風により木々の葉ががさがさと騒がしくなり、落ち葉が舞う。優も乱れる髪を手でおさえている。

 すぐに風は治まり、元の静かな風景が戻った。

 晴天で風は穏やかだったのにな。山の天候は変わりやすいというが。

 魅栗さんの方は大丈夫かと、あの長身痩躯が吹き飛ばされてやしないかと心配になり後方に首を向けると、

「……魅栗さん?」

 長い黒髪を一切乱した形跡がない死神が道の脇へと瞳を向けて棒立ちしていた。別に驚きはしないさ。魅栗さんがいつの間にか前方百メートル先にいてもおかしいとは思わないし、強風対策シールドを展開していたとしてもおかしくはない。

「何かありました?」

 テテテと優が魅栗さんに駆け寄っていき、

「あ!」

 と、魅栗さんと同じ方向を見て驚きの声を出した。なんだろうか。ツチノコでも見つけたのか。

「……おお」

 俺もため息を吐くように驚きの声を漏らした。

 魅栗さんの向いている方向。そこは草むらが木々の隙間を埋めるように広がっていたのだが……その草がまるでバイクでも通ったかのようにペシャンコになっていた。

「……獣道?」

 優はそれを見ながらつぶやいた。

 確かに獣道なのか判断しがたいな。狼がここを頻繁に通っていたとしてもここまではならないだろう。人為的な匂いもする気がする。というより、俺が先程見たときは草はピンピンしていた気がするのは俺の記憶違いか?

「行ってみるか?」

 俺は二人に、特に魅栗さんに判断を仰ぐように聞いた。この御方ならベテラン裁判長よりも的確な採決を下してくれる。

 魅栗さんは数秒黙してから、草むらに足を踏み入れた。その先に求める場所があると考えていいんですね。信頼していますよ。

「…………」

 優を見ると、胸に手を当て呼吸を整えていた。堅い表情だ。この先にあるかもしれないと思って緊張しているのか、膨らむ期待を抑えているのか。

「行くか」

 俺は手を前に出す。

「はい」

 頷いて優は俺の方を見ずに死神の黒い背中を追った。

 差し出してみたこの手はどうしようか。はぐれたら危険だと思ったんだが。俺はやり場のない手で頭を掻きながら二人を追った。




 草がうなだれてできた道は、木々を避けるように蛇行しながら、奥へ奥へと続いていた。

 これはもはや動物の仕業ではないと断言できる。動物がこうも綺麗なS字を描くように草を踏み固められたなら、それは新種で結構な知性を持っていることだろう。九九なら答えられるくらいの。

 誰が犯人かは分からないが、はてさて先には何が待っているか。まあ、落とし穴くらいなら笑ってやれる。あからさまな誘いに乗っかったわけだし自業自得だ。ここでもっとも腹立たしいのは途中で道が途切れるパターンだな。何もなく引き返すだけというのは時間の浪費でしかない。


 そして歩くこと体感的に二十分くらい。

 草が敷き詰められた道を辿り無事にゴールへとたどり着いた。

 褒美は眼前に用意されていた。

 拓けられたその空間は、色づいた木々によって円形に囲まれていて、その中心には大きな木がどっしりとした存在感で立っていた。その周りに木々はなく、まるで木が放つ威圧感で恐縮して離れているようにも見える。

「はぁ……」

 その木を視界に入れて優と俺は感嘆していた。魅栗さんも黒い瞳で木を見つめている。

 一言で表すなら幻想的。

 鮮やかな紅葉を枝に纏う一際大きな木。土が見えないくらいに敷き詰められた落ち葉の絨毯。拓けている場所のためか、空からの陽光がこの空間を照らし出し、紅と黄色のコントラストををより鮮明に際立たせている。

 この場所を映画製作会社にリークしたら確実にワンシーンに使われるだろう。しないが。

「ここです……」

 優は感極まった声を発し、ふわりとした一歩を踏み出した。

「あの時の場所です」

 言わずとも分かる。写真を見比べるまでもない。ここが優の思い出の場所。また訪れたかった場所だ。

 落ち葉を踏みしめながらゆっくりと一歩一歩、優は木に近づいていき幹に手を触れ、木を見上げ柔和に微笑んだ。

 俺に絵心があったなら是非ともイーゼルを立てキャンバスを置いて描きたいが、生憎絵に自信は全くない。幼稚園児並だという自信はある。

「あの風、魅栗さんがやったんですか?」

 隣に立つ死神に訊いてみた。

 ここにたどり着く起点となった一筋の風。偶然とはあまりにも言い難い。

「私ではない」

 濁すようにに無言でも貫くかと思いきや、淡々と魅栗さんは答え、こちらを大仰な動作と声で呼ぶ優へと向かっていく。

 魅栗さんじゃないとすると他に誰がいるんだ、という疑問はこの際気にしないことにする。

 偶然でも、誰かの仕業でもこうして目的は果たせたんだ。結果良ければ全て良しというやつだ。

 俺も優へと駆け寄っていった。




 それから、思い出の風景の中で満面の笑みを浮かべる優と、隣で等身大パネルのように変化のない無表情の魅栗さんとのツーショットを写真に納めた。

 休憩がてら、地表を押し退け地面を這うぶっとい木の根に腰を落ち着けて、しばし歓談。

 優はここの思い出だけは色濃く残っているらしく、再び訪れたことでより鮮明になったのか饒舌に語ってくれた。

 ここの風景に両親と一緒に感動したこと。

 木をバックに写真に納めようとしたが、三脚もなく、ツーショットの写真しか撮れなかったこと。

 交代して写真撮っていると、綺麗なお姉さんが現れて写真を撮ってくれると言ってくれてこと。

 そのお姉さんを紅葉のお姉ちゃんと呼んで楽しく会話したこと。

 それらの話をする優の表情が喜びに満ち溢れていて、俺にも当時の優の気持ちが伝わってくる。家族との温かい思い出。

「また来れてよかったです」

 優は大木を見上げながら郷愁に浸るように優しく言った。

「……本当に」

 葉がふれ合うような声量でそう呟いて、優の表情に儚さが滲んだように見えた。

 優はここに来れるのはもうないと確信しているのだろう。明確な日付と時刻はおそらくは伝えてないと思うが、死神と名乗る者が現れたんだ。信じてしまえば命が短いと悟る。わざわざ数年前に来ることもないだろうし。

 俺は命があと数日でも気丈に笑顔を絶やさない優にこの言葉がついて出た。

「来年も来てみないか? 今度はここで弁当でも食べて本格的なピクニック気分で。今度はもっと大勢で。魅栗さんももちろん行きますよね?」

 言って、魅栗さんを見る。肯定も否定もなく黒い瞳を俺へと向けているだけだ。

 優も俺を見ていて、口を結び悲壮感溢れる表情をしていて、顔を背けると下を向いた。

「…………そんなこと言わないでください」

 絞り出したような震えた声を優は発した。

 肩も小刻みに震わせていて、心配するように魅栗さんが優の小さな肩にそっと白い手を添える。

 繊細な髪が横顔を隠していて窺えないが、それだけで優が泣いていると知るには十分足りえる情報だった。そして俺の言葉が優をそうさせたことも。

 優のカレンダーには来年――いや今月すら――がない。それを自覚している優に対し、勝手に来年の秋に予定が書き込まれたらどう思う?

 俺は大馬鹿だ。優の気持ちを一ミリたりとも分かってなかった。その結果がこれだ。俺は優を泣かした。

「……お二人とも優しいですよね」

 か細い声でそう言い、優は顔をあげた。

 魅栗さんを見て、俺を見て、遠くの木々を見ながら優しく笑みを創った。目元の雫を華奢な指で拭い、

「そんなこと言われたら、死にたくないって思っちゃうじゃないですか」

 優は、赤くなりはじめてきた空を眺める。

「私は長い間病院のベッドで過ごしてきて、いつかこのまま出られずに死んじゃうんだろうなって思ってました。けれど、それは仕方ないことで、それが私の運命だからって割り切ることにしてきました」

 優は瞳だけ悲しそうに潤ませ、

「本当は凄く怖かったし、このまま何もなく死んじゃうのかと思うと、なんてツマらない人生なんだろうって……寂しくて悲しくて結構泣いちゃってました」

 優は魅栗さんに顔を向け、

「死神さんが現れたのもそんな夜でした。月明かりで凄く幻想的に見えて、涙を指先で拭ってくれたんです」

 できたらその役は俺に譲って欲しかった。言ってくれたら駆けつけたのにな。

「それから、死神だということ、私の命があと僅かだということを聞かされました。……でも不思議と怖くはなかったんです」

 どうしてだ? という疑問を汲み取ったかのように優は潤んだ瞳で遠くを見ながら、

「私は死神が出てくる物語が好きです。でもそれは架空のお話で、実際にはいないって分かってたつもりです。ですけど、心のどこかには死神さんが私の前に現れて死を運んでくれるかもって思ってたんです。……それが実際にあって、怖さより嬉しさが勝ったんだと思います」

 優は一度区切るように森の空気を吸い込んで吐いた。

「それからは清々しい……みたいな感じで過ごせました。勇気さんと会って、この場所まで連れて行ってくれるって死神さんから聞いた時、私は今一番幸せなのかもって感じました。……最期にこの景色を目一杯観ておこうって……観たら綺麗に死ねるんだろうなって……」

 ピタッ。と小さく音がした。

 優の膝の上に置かれた手。その甲に滴が落ちる音。堰を切ったように滴が優の白い頬を伝っては落ちていく。

 ハンカチはないかとポケットを探ったがなかった。家を出るときにチェックしとくんだった。いや、そもそも家にすらなかった。

「あ……ありが……グスッ……とうございます」

 吐息のような声を漏らし優は涙声で言った。

 しなやかな白い指先で優の目からこぼれる水玉をすくい取り、魅栗さんは無表情をほんの少しだけ柔らかくした顔を優に向けている。

 俺には似合わないやり方だな。魅栗さんだからこそ絵になる。悔しいが俺はここは入り込んでいい空気じゃないな。


「私……今、死にたくないって思ってます」

 膝の上に置かれた優の手が小刻みに震えていた。

「このまま、生きて、もっと死神さんといっしょに過ごしてみたいです……」

 震えを抑えるためか優はギュッと手に力を込める。ここで俺は? と聞くほど俺は空気の読めない人間ではない。

「……今になって死ぬのが凄く怖い……」

 寒さに凍えるかのように優の肩は小刻み震えている。

「…………死にたくない」

 優は心の奥底から絞り出したかのような細く小さな声で、はっきりとそう言った。

 優の生きたいという気持ち。それを聞いて俺はどこか安心していた。死ぬのを受け入れているみたいに振る舞う優。だが、本当は誰しもが怖いに決まっている。その心を見せてくれたからかもしれない。

 俺は自然に一度目を閉じ深呼吸をしていた。心を落ち着かせて、掛ける言葉を見つけだし、目を開けた。


――俺の目に映ったのは


 優が胸に手をあて苦痛に顔を歪めている姿だった。



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