死神のお仕事(2)
――死ぬみたいなんです。
聖沢さんは、そんな自分の行く先を微笑を称えて言った。
俺はどんな言葉を返したものか分からず、必死に探す。目の前に死神と名乗る美女が現れて、死を告げられて平然と認める聖沢さんは強い心を持っているのかもしれない。
俺だったら、混乱しながら、やり残した事を考えてる間にタイムリミットになりそうだ。
「――ですよね?」
と、聖沢さんは傍らに立つおそらくは自分の死期を告げた者を見上げて、確認でもするように訊く。
「…………」
魅栗さんは漆黒の瞳を向けたが、言葉を発さず、首も動かさず肯定も否定もしない。
「死ぬの、怖くないのか」
こういう時、こんなありきたりな言葉しか出ない自分が恨めしい。だが、何か言わないと俺の方が悲しくなりそうだった。
「怖いですよ。――ですけど、」
と、聖沢さんは言って、胸の辺りに手を当てて、
「私、もう長くないのは分かってましたから」
悲しいのを隠すために無理に作ったように聖沢さんは微笑んだ。
「……そうか」
俺の口から出た言葉は実に弱々しかったと思う。
「そんな顔しなくていいです。私、今すごく楽しいんですから。こうして死神さんが直々に来てくれて、姿まで見せてくれたんですから」
「まあ、確かに。魅栗さんのような人が現れたらドキッとなるかもしれないな」
色んな意味で。
「はい! 私もあの時は凄く驚きました。綺麗な人だなあ……って」
俺が初めて会った時は、まずホラーチックな幽霊を見たように心臓が鼓動を早めた後、よく見たら美女だったことに気付いてさらに心臓が高鳴ったな。確か。
「というか、よく死神だと言われて信じたな」
俺も今思えば、詐欺師の格好の餌食になりそうなくらいアッサリと信じてしまったが。
「最初見たときからそうかもしれないと思っていて、死神だと告げられて、あっやっぱりそうなんだ。って、私の好きな小説に出てくる死神とそっくりでしたから」
「そっくり?」
と、俺は首を傾げてると、聖沢さんは本が幾つか並んだ棚に手を伸ばし、一冊取り出した。それにしても実にご機嫌よくニコニコとしている。死神が好きなのかね。某殺人ノート漫画もあるようだし。
「これです。似てますよね」
差し出された本を受け取り、表紙を見ると俺も読んだことがある作品だと分かった。死神が主役のライトノベル。表紙には主人公の死神が描かれ、それと魅栗さんの姿を交互に見て。
「どこがだ?」
ハッキリ言おう。見た目だけなら似て非なる者だ。表紙の死神は白を基調とした姿なのに対し、魅栗さんは黒だ。正反対だ。 横浜ベイスターズにいたローズと近鉄などにいたローズくらい、同じ死神にしても違いすぎる。
唯一似てる箇所といったら、鈍色の鎌を持ってるところぐらいか。
「確かに見た目は少し似てない部分もありますけど、雰囲気が似てるとは思いません?」
少しどころか全く似てないと返したくなったが飲み込んで、もう一度表紙を眺めてみる。やっぱり似てないな。
挿し絵でも見比べようかと、何気なく中身をパラパラ漫画のように繰ってると、ページの間から白い紙がヒラリとユラユラと舞いながら床に落ちた。
「あ、それは……」
聖沢さんが小さく声を挙げたのを聞きながら、俺は屈んでそれを拾い上げる。
拾った瞬間の手触りで分かった、白い紙に見えたそれはどうやら写真であると。腰をあげながら俺は写真ひっくり返し、それに写るのを見た。
若い夫婦らしき男女に挟まれ手を繋いでいるのは、聖沢さんを十数年幼くしたような子供。三人とも幸せを目一杯笑顔として浮かべている。背景には葉が赤や黄色に色づいた大きな一本の木が写っており、そのさらに後方には無数の木々が同じく赤や黄色の葉を纏っている。
秋の行楽で撮った家族写真。それ以外には思い浮かばない。
「すまん」
「……あ、いえ。ありがとうございます」
写真を渡すと、聖沢さんは目を細め、写真を眺め、
「昔、お父さんとお母さんで紅葉を見に行ったことがあるんです。これはその時に撮った写真で、大きな木からモミジがゆっくりと降ってきた光景が綺麗で……」
思い出を語る聖沢さんの頬に一滴の雫が伝って、白い床に水の玉を作った。
「…………」
「あ、すみません……」
魅栗さんがそっとハンカチ(どこから出したかは分からん)で聖沢さんの目から流れた雫の軌跡を拭った。
「また、見たいな……」
か細い声で呟いて、病室の窓の外に広がる街並みを見る聖沢さんの姿は哀しげだった。
そんな死神と出会った少女との話を終え、俺が自宅で静養し、雪乃さんに献身的な看病をしてもらいたいという願望を思いながら寝てると、風邪の症状はだいぶ治まってきた。
弱ってきた風邪菌に止めをさしたのは、雪乃さんの栄養満点な料理だろう。
一日にて完全復活した俺を呼んだのは、意外な人物であった。
「…………」
沈黙。
そこには、互いに望みもしないお見合いで二人きりになったような空気が流れていた。どちらが先に話を切り出せばいいのか分からず、互いにチラチラと視線を合わせたり反らしたりしてるうちに恋が芽生え――なんてことはあるわけがない。
そもそも、チラチラなんてしていない。ブラックホールのような瞳をずっと、真っ黒なテーブルを挟んで座る俺から離さない。
というか、呼んだのはそちらで、そちらの部屋にいるのだから、話を切り出すのはそちらからが当然の流れで、あと粗茶でも出してほしいのだがそれもない。……いや、紫色でゴボゴボ沸騰し続ける液体を出されるかもしれないし、なくていいか。
このまま見つめ合ってても、俺は一向に構わないのだが話が進まないし、
「あのう、魅栗さん。話ってなんですか?」
最初の三点リーダからして、分かっただろうが、俺を呼んだのは魅栗さんだ。
いつの間にか俺の傍に立っていて、『来て……』と言われた時は、どこか別の場所(黄泉とか)に連れて行かれるかとも思ったが、隣室で安心した。
初めて魅栗さんの部屋へと足を踏み入れたが、無駄な物を置かない主義なのか、殺風景すぎる部屋だ。家具の色がほぼダーク系で揃えられてるのは、やはり死神的イメージカラーだからだろうかね。
しかし、普段どうやって過ごしているのか検討もつかない。瞑想するくらいしかできなさそうなのだが。
「これ」
と、魅栗さんは十分振りに口を開くと、一枚の紙切れをスーッとテーブルに滑らせ俺の目の前に差し出してきた。
「神平山」
紙に書かれた達筆な、山の名らしき文字をそのまま読んだ。ちなみにどう読むかは不明だから“かみひらやま”と読んだ。その下には近くの町らしき地名が書かれている。なんだこれ。
「……分かる?」
「へ?」
聞いたこともない山と町名だ。
「行き方」
そう聞いて数秒してなるほどと、魅栗さんが言いたいことが分かった。この山への行き方を知りたいのか。
「まあ、俺は知りませんが、調べたらすぐ分かるかと」
多分、文明の利器インターネットを介せばすぐに出てくるだろう。
「調べて」
そりゃ、魅栗さんに頼まれたらノーという言葉が出ることはないが、
「どうしてです? よかったら理由聞かせてもらってもいいですか?」
わざわざ、初めて俺を呼んでの頼みごとだ。余程のことなのか、もしくは他の人に頼むほどではないくらいくだらない事なのか。どちらにしても理由くらい聞かせてもらう権利はあるだろう。
「写真」
何故、魅栗さんとの会話のキャッチボールは、投げられた短い言葉から伝えたい意味を考えなければならないのか。疲れる。
写真ね。……なるほど。俺をモデルにして写真を撮りたいと、背景には山がいいと、紅葉をバックに俺を撮りたいということだな。いいですよ、幾らでも付き合います。……んなわけがない。と、自分でツッコんどく。
「聖沢さんのか?」
当たりといったふうに魅栗さんは頷く。
魅栗さんと俺との関係の中で写真が登場したのは今日の一件だけだしな。俺が知り得ない所で、他に写真がどうのこうのという話があったとしても、“写真”というヒントだけでそこに行き着くには土台無理だ。
「で、その聖沢さんの持っていた写真の風景がある場所が神平山ですか」
コクリと魅栗さんは頷く。
「そこに行くんですか?」
魅栗さんはコクリと頷く。
「一人で?」
できたら俺もお供したいが。紅葉に映える美女が見たい。荷物持ちとしてでいいから是非行きたい。
そんな俺の妄想が届いたのか、顔を微振動させ、否定の意を示した。
「じゃあ……俺と……とか?」
ゴクリと生唾を飲む。思い切って聞いてしまった。いや、多分違うだろうけど。ほら、魅栗さんは何考えてるか分からんし、可能性はゼロってわけでもない。さあ、どう反応を示すか。
「できるなら」
と、淡々と魅栗さんは答えた。
……これってデートだよな? 二人きりで紅葉見物という。ついに俺にも春が訪れたな。秋で紅葉だが俺の心中には桜が満開だ。
「あ、いつ行きます? まあ、俺ならいつでも大丈夫ですよ」
なつきさんなら一日、二日休んだくらいニコニコと認めてくれるだろうしな。万が一には仮病という秘策もある。
「……明日か明後日。彼女の時間はあと僅かだから」
明日かー。風邪が長引いてるという手もあるな。彼女も時間がないようだ――ん?
「……えと、誰ですか彼女って?」
「聖沢優」
「聖沢さんもいっしょに行くと?」
「そう」
いやまて、聖沢さんの時間があと僅かって……やっぱり本人が言った通りだったのか。
それで、あの写真を懐かしむように儚げな表情で見ていた余命幾ばくもない少女に、その紅葉風景を死ぬ前に今一度見せてあげたいということだろう。しかしな、
「聖沢さんは入院してるし、そもそも外出は難しいんじゃないか?」
病室でみた聖沢さんの姿を思い返す。
日陰に咲いた白百合のような華奢すぎる弱々しい身体だったし、ベッド脇には車椅子があった。院内はともかく、山へのピクニックは酷というものだろう。
「大丈夫」
魅栗さんは淡々とだが、しっかりとした口調でそう答えた。
「いや、あんまり無理な事はさせないほうが――」
「大丈夫」
もう一度、今度はやや芯の強さを感じさせながら魅栗さんは言う。
相変わらず表情は無を貫いているが、熱血主人公なら瞳に火を灯していそうだ。
まあ、魅栗さんがそう言うのならまさしく大丈夫なのだろう。任しとくことにしよう。
「分かりました。じゃ、俺は神平山への行き方を調べとけばいいんですね?」
「お願い」
そんな懇願するような黒い瞳(俺の勝手な思いこみ)で言われたら、たとえ行き先が異世界だろうと調べ上げますよ。
「けど、よくあの写真の場所の山分かりましたね。聖沢さんに聞いたんですか?」
「彼女は知らなかった。調べたのは知り合いの探偵」
魅栗さんの知り合いの探偵か。何となくだが俺にも思い当たる人物な気がする。インチキクサいわりに意外と迅速で優秀なやつが。まあ、どうでもいいか。
さてと、俺も探偵並に迅速に行き方を調べなきゃな。その探偵、行き方も書いといてくれればいいものを詰めが甘い……いや、だったらこうして魅栗さんに頼まれることもなく、一緒に行けなかったかもしれないのか。前言撤回、ナイス探偵。
と、腰を持ち上げ部屋を後にしようとした時、
――コンコン
ドアをノックする音がした。