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勇気の厄日(1)

 寂しい。

 一人での夕餉はこんなにもパズルのワンピースが欠けたように、寂しげなものだったんだな。

 昔の俺は一人で食うのが当たり前だったから、そういう寂しさとかはほとんど感じなかった。いや、感じないように覆い隠していた。

 だが、今は一人で食事というのが不自然に思えるようにまでなってしまっている。

 ここに来てから朝、晩と雪乃さんの部屋でいっしょにするのが自然になってしまったからな。

 人というのは日常のサイクルから何か一つが欠けただけで、歯車の欠けた機械のように気持ちに微妙な不具合が生じる。俺にとって、雪乃さん達との食事の団らん風景は下手な歯車じゃ修復不可能なくらいの大きな損傷と言っていい。

「ユウくん。やけに馬鹿なりに難しそうな事考えてるような表情で食べてるけど、雪乃さんの料理美味しくないの?」

 バカなりに……は余計だ。

「美味いに決まってるだろ。これをマズいといったら何を美味しいと言えばいいのか分からなくなるくらいに」

「ふぅん」

 反応薄いなおい。

「ま、私にはどうでもいいけどね。食べれないし」

 麻衣は幽霊だからな。食事は不要。学校も試験も何にもない。あと娯楽は必要だな。なかったらやかましくなるし。

「美味い物食べたときの幸せとか感じられないのは残念だと思うが。つか、思い出したりしないのか?」

「うーん。生きてた頃は味気ない食べ物ばっかりだったから。思い出したりはしないかな。今はいいよね。美味しそうな料理がたくさんあって」

 麻衣が生きてた頃というと、昭和初期か……。俺のイメージだと欧米文化が入り始めてカステラとかありそうだが、それでも庶民は質素な暮らしだったんだろうな。

「つか、そんだけ死後も過ごしてんなら、精神年齢は成長してもいいんだが」

「いつまでも若い心は持ってなきゃね」

 エヘンと腰に手を当てて威張る麻衣。褒めてはいないんだが。ま、いいか。落ち込んだ時に麻衣の脳天気さを見ると、細かいこともどうでもよくなってくるし。


 細かい事は気にしてはいけないな。

 この雪乃さんが運んできてくれた食事を味わおう。うん美味い。




 次の日。

 昨日、皿を舐め回すくらい平らげた食器を丁寧に洗ってから、それらを持って俺は隣室のドア前に来ていた。ちなみに実際に舐め回してはいないが。

 朝七時に朝餉を食べに訪れるのが毎日の生活パターンとして、既に染み着いている。これが崩れたら俺は身体に異変を起こしてもおかしくはない。

 それほどまで雪乃さんの柔和な笑みと手料理は、一日の活力を満たしてくれる。

 ノックを二回して数秒待つ。

 万が一にもいきなりノブを回して入ったりしたら、少年誌のちょいエッチなハプニングみたいな雪乃さんの着替えシーンに遭遇してしまうかもしれんし。……見たいけど。

 紳士な俺はそんな真似はしない。数秒待って返事がなければ入っていいという合図だ。何か入ってはならない事情がある時だけ声が返ってくる。

 心中で三秒数えたが返事はなし

 俺はノブを回して部屋に――

「……ん?」

 ノブが回せないッ!?

 鍵が掛かっているのか? 今までそんな事ありえなかったはず。雪乃さんに何かあったのではないか。と、ドアを蹴破ろうか、自室から窓枠伝いに部屋に行こうかと考えると――ガチャリ。鍵が開く音がした。

「なに?」

 ドアが少しだけ開いた。俺は視線を下に向け、

「おはよう。雪香ちゃん」

「なに?」

 む。おかしい。いつもなら『おはよー』と無邪気な笑みを浮かべて挨拶を返してくれるんだが、今、顔を上げて俺を見る雪香の顔は、冷めたイマドキの子供のように笑みはない。

「あ、朝食を……」

 改めて言うとなんと情けないことか。今まで当然の如く朝は雪乃さんのトコで、が根付いていたが、客観的に見ると毎日食事をせびりにくる隣人だからな。

「今日はない」

 え、今なんと言いましたか。

「ないのか?」

 聞くと、雪香は頷く。

「どうして?」

 聞くと、雪香は何か言いあぐねるように家の中に一度視線を向けてから、

「…………」

 無言の返答。

「そうか。じゃ、これ渡しといてくれ。ごちそうさまでした、と」

 食器を渡すと、雪香はドアを閉め、またガチャリと鍵を閉める音が聞こえた。


 俺は涙目になりながら部屋に戻った。




 朝の活力源を見ることが叶わず、おまけに部屋のミニサイズの冷蔵庫にはちくわしか入っておらず、栄養も満たされてない。

 まあ、それでも魔界カフェでのバイトはしっかりとこなせてはいるが、頭の中では何故、雪香が冷めてて朝飯を食わしてくれないのかという、いつも餌をくれるばあさんが突然くれなくなって困った野良猫のような気分になっている。

 どうして唐突にそうなったのか考えたが、金に困っている。とか、気まぐれだとかしか思いつかない。……さすがに俺に飯を食わすのが嫌になったはないよな。そう願いたい。

 俺は団らんができればいいんだ、いっしょに食事風景に加われればいいから、食費くらい二人分含めて言ってくれれば出すというのに。帰ったら言ってみよ。

「あのー。勇気さん」

「はい?」

 と、俺を呼んだなつきさんは続く言葉を言いあぐねてるのか「あー」とか、「えっとー」とか、視線をキョロキョロ、猫耳をピクピク、尻尾をフリフリさせ、落ち着きがない。その姿を見てると活力が湧いてくる。

 ようやく、こちらをキリリとした瞳で見ると、一度気持ちを落ち着かせるように胸に手を当てて、そして言った。

「……は、働けクズ! ……ですー」

 まるで恥ずかしさに打ち勝って告白を果たした女子のように、背を向けて店の奥へと走り去っていくなつきさん。

 その後ろ姿を徐々にぼやけていく視界で見送りながら、俺は石像のように固まった。

 ハタラケクズ。

 呪文のようにその言葉が脳内で巻き戻しては再生が繰り返される。ホワイ? 俺はいつだって真面目に働いてきたつもりなんだが。

 そりゃ確かに、客がいない間には雑誌読んだりしてたし、今し方も椅子に座って物思いに耽ってはいたが……。今まで一度たりとも仕事に対する姿勢に、なつきさんから苦言を呈されたことはなかったのに。ここに来てまさかのクズ扱いですか。これはボクシングチャンピオンの伝家の宝刀右ストレートをもろに受けたように効くぜ。


 ピロリーン。

 気の抜ける電子音が、今にもどこか遠くへと飛び去ろうとしていた俺の意識を、引き戻した。

「何を撮ってんすか、三神さん」

 女子高生らしくない、ストラップすらないシンプルな黒い携帯を構えるバイト店員が目の前にいた。

「面白い顔してたから」

 だからって勝手に撮らんでくれ。俺にも肖像権ってものが……まあ、いいか。今はそれより、

「何故、なつきさんがいきなりあんな事を……」

 俺の疑問に、三神さんは自信に満ちあふれる笑みを浮かべる。

「簡単な事よ」

「え?」

 三神さんは、横を向いて一歩二歩ゆっくりと勿体つけるように歩く。まるで自信満々に推理を披露する探偵みたいだ。

 そしてキリリと引き締めた顔をこちらに向けると、

「日野くんが、真面目に働いてないからに決まってるでしょ!」

 ドーン。

 と、マンガならば集中線でより鋭く見せるであろう指先で俺を指した。

「……まんまじゃん。いや、俺は真面目に働いてるつもりだが」

 俺の言葉を犯人の戯言を聞くように鼻で笑い、探偵気取りなのか三神さんはゆっくりと歩き出して推理を述べる。

「それは日野くんが思ってるだけで、なつきさんはそうは思ってなかったということよ」

「だったら何故今更言うんだ?」

「なつきさんが、不満をすぐに口に出せるような性格に見える?」

「……それは……」

 普段、穏和な人ほど内にはストレスを抱えてると聞くが……なつきさんに限って……

「きっと日野くんの勤務態度に思うとこはあったけど、言うに言えなかったわけ。それが溜まりに溜まって今まさに――」

 三神さんの歩が止まる。

 顔だけをこちらに向ける。犯人を完全に追い詰めた探偵のように自信溢れた表情。

 まずは人差し指を一度、ナンバーワンをアピールするかのように天を指してから、

「吐き出したってわけ!」

 ドドーン。

 真っ直ぐに腕を伸ばして俺を指した。

「……そうだったのか」

 俺は完全に手詰まりになった犯人のように、膝から崩れ落ちて床に手を付いた。半分はその場の雰囲気だ。

 まさかなつきさんが不満を溜めていたとは。注意を通り越してクズと言い放つぐらいまでに。

 三神さんの推理を鵜呑みにしたわけじゃないが、なつきさんが言ったことは聞き間違いであってほしいが、現実なわけだ。それだけで、心には深い傷を負ってしまっている。

 普段おっとりな人が、はっきりともの申されるとこうまで心に響くものなのか。同じ事を三神さんに言われたとしても、こうまではならないだろう。




 泣きっ面に蜂とはこの事か。

 なつきさんからの戦力外通告のようなクズ発言に傷心したまま癒えることなく、バイトを終え帰宅した俺の耳に入ってきたのは麻衣の一言だった。

「お前に食わす夕飯はねえ! だってさ」

 やけに懐かしさを感じさせる言い方をしながら、雪乃さんから預かったという言づてを麻衣から受け取った。

 せめて似せる努力はしろ。あと、多分脚色が加えられてるだろその言づて。雪乃さんはンな事言わない。もう少し優しく伝えるだろうよ。

 というわけで、空っぽの冷蔵庫を何度開け閉めしようが、呪文を唱えようが腹を満たす物は出てこないから、片道三十分はあるコンビニに向かう途中、見知った後ろ姿を見つけた。

 モデルのようにスラリとした体型が二人分。オーラでも発しているのか、その行く先は見とれながら道の端による人々。

 光を具現化したようなブロンドのウェーブしたロングヘアーに、闇を凝縮したような超ロングな黒髪は、まさしく天使と死神だろう。

「魅栗さん、天使さん」

 背後から声を掛けたが、振り返ることもなく会話もしてない二人は歩く。

 無視ですか? 聞こえてないはずはないと思うが。今度は前に回り込んで、

「こんばんはー」

 と、言うと二人の歩みが止まる。よかった認識はされてるようだ。

 別にウザがられようが気にはしない。むしろ「なに?」とか綺麗な顔の眉間にしわを寄せて、眼光鋭く睨まれたい。変な趣味じゃないが、なつきさんと雪乃さんの普段とは違う応対をされた今となっては、普段と何ら変わりない反応された方が安心する。


「邪魔」

「……キエテ」


 天使さんの冷淡な碧い瞳と、魅栗さんの髪間から覗く怨むような瞳が俺を硬直させ、二人は横を通り過ぎていった。

 違う。いつもの二人じゃない。

 天使さんは、石ころを見るように眉間にしわを寄せることすらなかったし、魅栗さんはいつもなら淡々と単語帳から引っ張り出したような短い返答をするか、無言を貫くはずなのに、呪いの言葉みたいなのを行ってきたんだが。


 ……たまたまか。

 きっと今日は揃って虫の居所が悪いんだな。

 ……たまたまだ。



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