魔界荘の温泉旅行(3)
次の日。
朝食を済ませた俺たちは現在、森林浴の真っ最中である。
一応、昨日の卓球大会後のことでも語っておこうか。
一人のけが人を出した(俺だ)卓球大会後、間もなくして食事の時間と相成った。山菜の天ぷらやらが出てきたが、これは特筆して語るほどでもないだろう。
俺が食事の味を頭の片隅に追いやって考えてたのはその後のことだ。
それはズバリ、雪乃さんとの混浴。
あの熱戦が繰り広げられた後だ、汗ばむ体を洗い流すため温泉に入るだろうと俺は踏んだ。
それも、既に片方の温泉は入った後だ。恐らく次は混浴の露天風呂に入るだろう。
雪乃さんが入ったのを見計らい、偶然を装い俺も続けば、何も問題もなく雪乃さんとの混浴を共にすることができる。完璧である。いや、あったはずだった。
結果から言うと、雪乃さん達はまた温泉には入った。普通の男女別の方に。
何故そっちなのか、湯上がり美人達にそれとなく訊ねたところ『知りませんでした』だそうだ。
計画が脆くも破綻した俺は、汗を流すためまた男湯に浸かり、黒木さんのたくましい体を眺め、部屋に戻り就寝した。
まあ、諦めてはいないさ。
知らなかったんだからな、そもそもこの旅行の日程は二泊三日。この旅館にも、もう一泊する予定だ。まだチャンスはあるさ。
んで、朝食時にニコニコな笑みを浮かべた雪乃さんから、一つの提案があった。
「水の精霊を見に行きませんか?」
そんな普通ならば、怪しげな電波を受信してる不思議少女が発するような案を、俺はすぐさま肯定し、今に至る。
あくまでも普通ならばだ。雪女に天使と死神、さらには幽霊までいる状況で、今更精霊なんていないと否定する根拠はないだろう。
今はハイキングコースには絶対になりえない、草木がスクスクと自由に生い茂った荒れ道を歩いている。
雪乃さんの話では、水の精霊はこの先の湖に住んでいるとのこと。
しかしまあ、そんな湖は見えそうにないのだが……あるのは背の高い木々のみ。つか、もう帰り道すら解らん。もしかして遭難したんじゃないかという不安要素はこのさい忘れよう。魔界人に鳥並の方向感覚が備わってるのを祈るしかない。
そんな、精霊探し探検隊に参加してるのは、雪乃さん、雪香ちゃん、荒木さん、魅栗さん、それと俺だ。
あとの黒木さん、天使さん両名は待機だ。今頃は酒でも飲んで、のんびりと温泉を満喫してることだろう。こっちは既に体力の限界だ。俺だけな。魔界人とは体の出来が違うのさ。まあ、ここは気力で歩いて、死神に仕事させないようにしないとな。せっかくの旅行中だ魅栗さんに苦労はかけんさ。
「雪乃さん、水の精霊の場所まではあとどれくらいですか?」
不安を紛らわす意味も込めて、並行して歩く雪乃さんに訊ねる。
「もう少しですよ」
と、雪乃さんは答え、疲れを微塵も感じさせない微笑みを浮かべた。答えはアバウトだったが、俺の体力は回復したね。
雪香ちゃん共々ポケットが多数付いたベストを着ており、リュックも背負い探索の準備は万端な姿だ。
そういや、この旅行を取り仕切っているのは雪乃さんだったな。コレも予定の一部に予め入っていたんだろうが、せめて事前に伝えておいてほしかったね。
俺は遭難死しても自業自得だと言われても仕方ない軽装だし、荒木さんはジーンズにTシャツ、魅栗さんはいつもの黒いワンピースだ。明らかに準備不足である。
だが、万が一でも、何かあるのは俺だけだという予感はする。魔界を甘く見ちゃいかんね。荒木さん(穏やかバージョン)は、微笑を称えながら不意に立ち止まっては草木を調べるくらいの余裕を見せてるし、魅栗さんは無表情で黙々と歩を進めてる。
水の精霊とやらに会えるかは解らんが、このまま前方の魅栗さんの黒い背中を追うしかあるまい。心なしか段々と木々の密度が濃くなってるとか、カラフルなキノコが生えてるとかは気にしても仕方ない。
精霊の居場所だ。国民全員がローラー作戦かけたところで見つかりはしないだろうし、いつの間にか異次元的な空間に迷い込んでるとしてもおかしくはない話だ。
ちなみにその精霊がどんなナリをしてるかは知らん。あえて聞いてないからな。楽しみとして取って置いている。この秘境探検を無事に乗り越えて拝む精霊の姿は実に神々しく感じること間違い無しだ。
「見えてきました。あそこですね」
と、雪乃さんが指す先には湖が見える。距離的にはまだまだあるが。まあ、目的地が見えたことでこの樹海探索ツアーにとりあえずの区切りができるな。
「早くいこー!」
と、笑みを絶やしてない雪香ちゃんは湖に向かって歩を早めた。どうやら疲れ果ててるのは俺だけらしい。何気なく魅栗さんに確認したら三時間は経過している。
腹時計もそんな時刻を告げているな。ペース的にも湖での昼食もいいかもしれんが、誰か用意してあるのかね。雪乃さんの背負うリュック以外は皆手ぶらなんだが。俺はただの散歩気分だったし。
もし通信設備があったとしても連絡は取れないだろう。帰り道への不安はもう考えるのはやめた。なるようにはなるんじゃないか。きっとな。
さて、悲鳴を上げすぎて、限界を越えた足にもう一頑張りしてもらうか。湖まではあと少しだぞ。
改めて申そう。
俺たちは異次元空間をいつの間にやらすり抜けたのだろうか。だと、したらこんな風景が地球の技術を持ってしても見つからなかったのは頷ける。
足をようやく休めることができる場所、水の精霊が居るという湖の周辺は木々がなく、拓けた場所にあった。上空から眺めたら、短い芝の緑に囲われた丸い水色が陽光でキラキラとさぞ小さな楽園のように見えるのだろう。
しかし、トンでもなく澄んだ湖だ。漫画の一場面のように、裸の美少女が水浴びしててもおかしくはないな。
とりあえず俺は近くの手頃な大きさの岩を椅子代わりにし腰を下ろす。ようやくの休息で足が震えてるのが解る。マラソンの後とでも表せばいいか。最近してはいないがな。
こうして俺がちっぽけな空っぽの体力ゲージを回復してるが、他の方々のゲージはまだ十分にあるようで、三者三様の行動をとっている。
魅栗さんは水際に自殺志願者のように突っ立ち、無表情で水面を眺めている。
荒木さんは相変わらずの微笑を称え、湖の周囲を散歩でも楽しむかのように歩いている。
雪乃さんは、湖へと入りなにやら語りかけているようだ。水の精霊でも呼んでいるのか? 雪香ちゃんもその近くで水遊びをして実に楽しそうに遊んでいる。ここから見ると水しぶきが煌めいて綺麗だ。
雪乃さんは話し終わったようで、踵を返し、水際に戻ってくる。雪香ちゃんもいっしょだ。まさか、いなかったとかいうオチはないよな。そうだったら徒労どころではないぞ。と、
「おや、」
湖を一周し終えた荒木さんが、湖面を興味深げに眺め、声を出す。まあ、そう反応するのも分かる。明らかに先ほどより水かさが減っている。まるで風呂の栓を抜いたかのように凄い勢いで湖面の高さが無くなっていく。一つ違うのは、渦がないということだ。ほら、風呂の水が少なくなっていくと出来る奴だ、最後にシュゴゴゴと鳴ったりして。
ほどなくして湖は姿を変え、一つの窪みが出来上がった。クレーターのように凹んだ穴ぼこには、底に洞窟へと続くような穴があり奥へと続いてるようだ。
「なるほど、実に興味深い仕組みですね」
「前に来たことはないんすか?」
指を顎に当て科学者ぶった言い方をする荒木さんに聞いてみた。
「ええ、精霊というのは魔界でも限られた者としか交流しないんですよ。あまり人前に姿を現すことを好まないといいますか」
荒木さんは湖だった窪みに視線をやって、
「このように、自らの隠れ家みたいなところに住んで、滅多に外とは干渉することはないんです」
「案外簡単に会えそうな気もしますが」
「まあ、そうですね。白峰さんが知り合いだったことに感謝すべきですね。私もかねがね精霊には会ってみたいと思ってましたから」
荒木さんは晴れやかに微笑む。そいつはかなりツいてるということか。つか、ツきすぎてるな。魔界荘で魔界人と知り合いになり、そこに住む魔界から来た数少なき人が精霊と知り合いか。
曲がり角でぶつかった美少女が転校生で、そいつがアラブの大富豪と知り合いなくらいの偶然だな。
できればその運は宝くじ買うときのためにとっておいてほしかったが。
「では、入りましょうか」
との、雪乃さんの声で俺は重い腰を上げた。
森林探索から洞窟探索に移行した、魔界荘探検隊(仮)。
湖が干上がって現れた洞穴は、水に浸かっていたとは思えないほど、ジメジメとはしておらずコケむしてもいない。
あと、驚くことに内部は明るかった。
別に照明器具があるわけでもなく、不思議と明るいのである。月光に照らされてるような光だな。これも水の妖精とやらの力なのか。
「ココですね」
雪乃さんが言って、あちこちと洞穴内を見回していた視線を前へと向ける。
あー。これも水の妖精の力なのだろうか。目の前にはドアがあった。木製のそれは岩壁にもとからハマっていたかのように、寸分の隙間もなく水平に建て付けられている。
雪乃さんが呼び鈴を鳴らす。
もう疑問には思わん。世の中は不思議に満ちているんだ。このドアの向こうには3LDK程の空間が広がっていてもおかしくはないさ。
『はーい』
と、ドアの向こうから応答があり、少ししてドアが開かれた。
「お久しぶりですね」
雪乃さんが言って、ドアから出てきた女性は軽く笑みを浮かべ、
「久しぶりね。雪乃」
久方ぶりらしき友人? に挨拶をし、後ろに控える魔界荘一行を見て、笑みを少し苦くし、
「また色々と連れてきたわね。どうぞ、入って」
隠れ住んでいると聞いて、不安にはなったがどうやら招き入れてはくれるようだ。ここで門前払いなんかされたら、ここまで来た疲労が倍にされるとこだったな。
俺はもう驚くことに労力は割かない。
洞穴にドアがあって、その先にマンションの一室のようなフローリングの床があろうが、それは詮無きことだ。
現に他の皆はそれを当然だと言わんばかりに、何のリアクションも見せないしな。雪香ちゃんはピカピカのフローリングをスケートリンクに見立てて滑ってるが、これは魔界荘の部屋は畳だし、もの珍しいからだろうし。
魅栗さんが驚く表情は見てみたい気もするがね。
「どうぞ」
淡々とした物言いで水の精霊は長方形テーブルにカップを置いていく。中身はただの透明な液体。おそらくは水だろう、氷すら入ってない。だが、ここまでの疲労から喉が乾いている。ありがたく戴くことにしよう。
ッ! 美味い。水にこんなに衝撃を受けたのは初体験だ。さすが水の精霊、六甲だとかエ○アンとは比べものにならない美味しさだ。
「で、どうしたの? こんな辺境まで来るなんて珍しいじゃない」
と、水の精霊は雪乃さんの隣に座して言った。
「旅行で近くに宿を取ったんで、ついでに寄ってみたんですよ」
どこが近くなんだと雪乃さんにツッコみたくなった。
「そ。魔界荘だっけ? そこの旅行な訳ね。確か世間はゴールデンウィークだろうし」
「はい」
意外と日本の休み事情に詳しいな水の精霊。まあ、このリビングに大きい薄型テレビがあるし当然か。
「それにしても、」
精霊はカスピ海のような淡い水色の瞳を俺に向け、
「人間なんて珍しいわね。数百年ぶりかしら」
「いったい何歳なんですか」
思わず訊ねてしまった。
だって、当たり前のように数百年とかいうもんだから。数年、数十年とかは解るが、百の位を曖昧に言うとはな。百年変わるだけで文明がかなり衰退するんだが。
「レディに歳を訊くのは失礼だと思わない?」
ニコリと笑みを浮かべて、精霊は優しく言った。
だが、俺には見える。その笑みの裏には怒りマークが浮かんでるのを。つか、そのこちらに向けた掌はなんですか? 光線でもでるんですか? あ、水の精霊だから水流がでるみたいですね。ほら、当たった。消防車の放水のような勢いで俺に――。