魔界荘と温泉旅行(1)
ゴールデンウィーク。漢字だと黄金週間。今までは出口のない休日が続いてたから関係なかったが、今の俺にはそのありがたみが超わかる。なつきさんも気を利かせてくれたのか、五連休(定休日含む)になったから。存分に満喫しよう。
雪乃さんと出かけたり。
魅栗さんと出かけたり。
天使さんと出かけたり。
なつきさんや三神さんとも。
……ああ。難しいだろうさ。雪乃さんなら誘えば、笑顔で『いいですよ』と言ってくれるだろうが、他は難しいだろうな。
ま、とにかく休みだ。存分に満喫しよううじゃないか。
…………暇だ。退屈だ。
いくらゴールデンウィークだからって予定もなけりゃ意味がないってモンだ。所詮、休みなんてあっても、悲しいかなこうしてやることなく昼寝するしかない。昔と変わらんな。雪乃さんを誘う勇気もないからな。
身体を伸ばし、時計を見ると午後四時四十四分のあたりを指していた。運がいいが縁起は悪いな。麻衣も押し入れで絶賛昼寝中だ。俺の中では猫型のアレに次いで押し入れが似合うキャラクターになっている。
「勇気さん、休み中何か予定とかはあるんですか?」
いつもの通り、雪乃さんの愛情がこもった夕食をごちそうになってると、いつもの疲れを吹き飛ばす特効薬の笑みを浮かべ聞いてきた。
「いえ」
全くありませんよ。何ですか? まさかデートのお誘いですか? それでしたら、たとえ寝る間もないほどスケジュールが詰まっていたとしても空けますよ。
「でしたら、温泉とか興味あります?」
え……。今もの凄い単語が耳に入ってきたぞ。温泉とか混浴とか。雪乃さんと温泉だと。
「ええ、まあ」
平静を装いつつ答え、トンカツを一切れ口に入れる。これは……肉汁が口の中で広がり、つまりは美味。
「よかったら、いっしょに行きませんか?」
な、なんですと。今確かに『いっしょ』にどうかと聞こえたぞ。雪乃さんといっしょに……これは妄想が止まらんね。
「ええ、いいですよ」
あくまでも平静を装いつつ答え、高鳴る鼓動を抑えるために麦茶を飲む。うん。よく冷えてる。
「楽しみだね。ユーキおにいちゃん」
「そうだな」
雪香と雪乃さんと温泉か。家族旅行だと思われたりしてな。その時はどうしようか、仲の良いファミリーでも演じたりするか。
「これで、魔界荘全員が行けるということですね、大家さん以外は」
は? 魔界荘全員? どういうことっすか。あ、俺の早とちりか。つか、ここの大家はいつ戻ってくるんだか。家賃払わなくて済むのは助かるけど。
「ユウくん、家出でもするの?」
「違う。明日ここの皆で温泉旅行に行くことになったから、その準備だ」
ホント、急だよな。せめてもう少し前に言ってほしかったが。毎晩雪乃さん家でご飯食ってるわけだし、言うチャンスはいつでもあったと思うが……まさか、あんまり来てほしくないから言うのを躊躇ってたとか……いや、いや、いや、それはない。雪乃さんに限ってはそれはない。断言する。たまたま言い忘れていただけだ。うん。
「お土産買ってきてね。あ、食べ物とキーホルダーとかはなしね」
あ、そうか。コイツは行けないんだ。この部屋から出られないから。
「あーはいはい。覚えてたらな」
麻衣は数日間一人になるのか。一人の寂しさは俺にもよく分かる。
「あ、そだ。今日アレの発売日だよね」
「アレ?」
何かあったっけか。
「ほら、ドラナイ5」
ドラナイとは大作ロープレのシリーズだ。そういえば今日は最新作の発売日だったな。しかし、
「買わんぞ」
「えー!」
「興味ないし」
大作なのは確かだが前作はつまらなかったんだよな。マンネリというか。
『ジュワン』
その音に反応し、首が半ば勝手にテレビの方に向く。これはゲームのコマーシャルの時になる音で、まあ、俺のようにゲーム通ならばパブロフの犬のように瞬時に反応してしまう音だろう。あくまでも俺の独自論だが。
「ね、ね! 面白そうでしょ」
うむ、確かに。コマーシャルだから面白そうに魅せるのは当然だが、何より俺が注目したのは、
「坂野美里だと……」
ヒロインの声を演じるのは、今俺の中でのマイブームな坂野美里。人気としてはまだまだ途上だが、これからだと思ってる。
「どうしたの?」
首を傾げ麻衣がキョトンとしている。お前にはまだ美里ちゃんの素晴らしさは分からないらしいな。まあ、いい。
「ちょっと買ってくる」
俺は財布を手に部屋を飛びだした。
「ふぁぁー」
と、大きな欠伸を一つ。
「あら、勇気さん寝不足ですか?」
クスッと笑いながら雪乃さんは言った。お恥ずかしい所を見せてしまったな。
「ええ、まあ」
「温泉楽しみで眠れなかったのー?」
いや雪香ちゃん、そんな修学旅行を控えた学生じゃないんだから。まあ、学生レベルなのは違いないが。徹夜でドラナイ5に勤しんでいたなんてな。
まだ序盤だが前作の評判を払拭する出来だったよ。止め時が難しくて気付いたら東の空が明るくなってたよ。
今頃麻衣もプレイ中であろう。あいつはよく寝るクセして、ゲームとなると睡眠時間削るからな。この旅行から帰ったら既にクリアしてそうだ。ちゃんとネタバレさせないよう口止めしとくか。
「旅館まではまだありますから、休んでていいですよ」
「ありがとうございます」
ここは雪乃さんの優しさに甘えるとしよう。もう睡魔が迫ってるし。車の揺れもゆりかごのようで心地いい。
ちなみに旅館まではレンタカーで行くとのこと。ワンボックスカーに魔界荘住人全七名が乗っている。運転手は黒木さんだ。見かけによらず安全な運転をしてくれてる。さて、そろそろ眠りに落ちそうだ。夢に雪乃さんとか出てこねえかな。
「勇気さん、起きてください」
どのくらい経ったかは現時点では定かではないが、上の方から耳へと入る雪乃さんの声。……ん? 上? 俺は確か座席に背中を預けて、あわよくば隣の雪乃さんの肩に寄りかかって寝てたはずだが。
何か頭に心地よい感触があるな。ヒンヤリして、とても気持ち良い。……まさか。これはまさか。
「……あ」
目を開けると、見覚えのある色のシャツ。確か雪乃さんが着てなかったっけ。つーことは頭にあるこれは、雪乃さんの膝枕?
「おはようございます」
名残惜しかったが、即座に起きあがる俺に、目覚めには最適な雪乃さんの笑顔が待っていた。
「あ、はい。すみません」
とりあえず謝る。全く、天国がそこにあったのにグッスリと夢の世界に浸っていた俺のバカ。夢じゃ黒木さんが出てきてたよ。
「いえいえ。では、行きましょうか」
と言って、ドアを開け車を降りる。俺もそれに続きながらふと、
「今何時だ」
誰に言うわけでもなくつぶやく。別に時間に縛られたくないとかダンディズムな理由はないが、腕時計は着けてはない。ケータイも未だなし。つか、魔界荘で持ってるのは、天使さんと黒木さんぐらいだ。
時代に縛られていないというか、ただ単にあまり必要ないから持たないという単純な理由だ。二人は仕事柄必要らしい。
「十二時三十三分」
魅栗さんが淡々と時報のように時刻を教えてくれた。じゃあ、三時間ぐらい雪乃さんの膝で夢見心地だったわけか。
それにしても何か見覚えのある建物が目の前にあるな。大手チェーンのファミレスに似てる。ここが宿なのか。
「さあ、たらふく食って、宿まで飛ばすか! なあ日野」
バシバシと俺の背中を叩く黒木さん。絶対背中には赤い痕が残ってるだろうな。どうやらランチタイムらしい。
ファミレスの店員は不思議な団体を見る目だったな。何とか顔に出すまいと努めてたみたいだが。
そりゃまあ、魔界荘の住人というくくりがなければ絶対集まることのなさそうなメンツだしな。
どの男性も一人は好みが見つかるような三人の美女、泣く子も黙りそうな強面のオッサン、愛くるしい子供、メガネの青年、そして俺。
うーん。どういう関係に見えただろうな。雪乃さんと雪香は親子だな、それは事実だし第三者から見てもそう思うだろう。
天使さんと魅栗さんは雪乃さんの友人といったところで、荒木さんはそのどちらかの彼氏。
黒木さんは近所のたまたま付いてきたオッサン。そして俺は雪乃さんの夫……いや、恋人かな。ここは譲れん。そう思わしといてください。
夫と別れて一年余り、俺と運命の出会いをした――という設定はどうだろう。実際雪乃さんはバツイチらしいし、ありえない話ではない。
俺が何でそんな妄想を繰り広げてるかというと、落ち着かないからだ。先ほどまでは、俺の席は最後尾の真ん中だった。それは変わらないのだが、隣は雪乃さんと雪香に挟まれていた。
しかし今度は何の因果か魅栗さんと、天使さんに挟まれている。うん、気まずい。
何か話題を振ろうにも、天使さんはイヤホンで音楽聴いてるし、魅栗さんは感情を出さないことが美徳という教育を受けているような無表情で、窓から流れゆく景色を眺めている。実に絵になる姿だ。どちらも、話しかけられる雰囲気じゃない。
ちなみに前席の雪親子は仲良く寝息をたてています。観てるだけで癒される光景だ。
俺も眠りたいが先ほどの安眠膝枕のおかげに冴えに冴えている。それに今寝たりして誤って天使さんの方に寄りかかったりしようものならどうなるか分からん。
抜群のプロポーションを水色のキャミソールとジーンズ素材のホットパンツで包んでいる姿は実にそそるが。……オヤジか俺は。
まあ、そんな一歩間違えたら痴女と思われかねない、天使さんの露出した肩に寄りかかったらどんなに気持ち良いのだろうかとか、その締まった太ももを枕にしたら……とか、妄想を掻き立てられる。
「……なに?」
そんな俺の視線を感じてか天使さんはこちらを向き不機嫌な表情を見せる。
「いえ、別に」
と、俺は言うが、そのシャカシャカうるさいイヤホンのせいで聞こえないと思い同時に首を振った。そして視線を他に向けた。
魅栗さんは相変わらずの黒いワンピースに身を包んでいる。つか、黒以外の服装を見たことがない。死神協会の決まりでもあるのかね『黒以外の服装禁止』とか。ところで死神協会って何ですか。
「…………」
また俺の視線を感じてか魅栗さんがこちらを向き、何を言うのでもなく黙って黒い瞳で俺を見つめる。
「な、何ですか」
戸惑い、照れながら俺は言った。俺は魅栗さんと会話を盛り上げるほどの喋りスキルはない。どうしよ。
「別に」
短く言って、更に見つめ続ける。俺はもうどうしていいか分からん。だから、
「いい天気ですね」
窓から見えた澄み渡る空から、あまりにも面白味のない話をしてしまった。すいません。つまらん男で。
魅栗さんは首を回し窓の方を見て、すぐに戻し、
「そうね」
やった。会話が成った。
「最近どうですか?」
今度は主語のない言葉で訊ねてみる。
魅栗さんは少し首を下げ考えるような仕草をし、
「まあまあ」
また会話が成立した。
しかし、これ以上会話を繋ごうとすると俺の気まずさが限界に達しそうだし、そのまま沈黙を貫く。
少しして、魅栗さんはまた窓の方を向いて景色を観ることに戻る。今度は窓枠に頬杖を付き、窓を開けたため、風が艶やかな黒髪をなびかせ、一種の芸術作品のようだ。
俺は緊張状態から脱し、息を吐き身体の力を抜きシートにもたれ掛かった。
「…………」
……つもりであったが、やけに柔らかい何かが頭にあたっている。その感触は数時間前にも経験したようなもので、それよりもさらに柔らかい気もして、それは人の胸だとすぐにわかって、俺の額からはなぜだか脂汗が吹き出して、すぐに頭を離すと不機嫌な顔をした天使さんの姿があって。
まあ、つまりは危険が危ないということだ。さて、俺はまた眠ることになりそうだ。既に天使さんの手から青白い湯気のようなのが立ち上っている。
永眠にならないことを祈ろう。