黄忠の若き日
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後漢桓帝の頃、荊州南陽郡の片田舎に、ひとりの男児が産声を上げた。宦官が朝を牛耳り、地方には流民があふれ始めていた時代である。父はかつて郡兵として国境を守った男であったが、若くして足に深い傷を負い、以後は鍬を手に痩せた畑を耕して糊口をしのいでいた。母はその村の生まれで、名は伝わっていない。生まれた子は忠と名づけられた。のちの黄漢升――黄忠である。
父は歩くたびに右足を引きずったが、弓だけは達者であった。畑仕事の合間、忠を連れて伏牛山の裾野に入り、兎や雉を射て晩の膳の足しにするのが常であった。「弓は力ではない。息を止め、心を止め、的と己が一つになったとき、矢はひとりでに的へ吸い込まれていく」父はそう繰り返し教えた。忠が十四の年には、村の若者が束になってもしならせられなかった強弓を、ただひとり滑らかに引き絞ってみせ、大人たちを驚かせている。「よいか忠、正面から挑むばかりが能ではない。敵の虚を突き、油断した背に一矢を送れ。それができてこそ、真の武人ぞ」父のこの教えを、幼い忠はまだ深く理解してはいなかった。
十五を過ぎたある年、村を襲った野盗の群れを、父と忠のふたりだけで追い返したことがある。父は満身の古傷を隠して弓を引き絞り、忠もまた震える手で矢をつがえ、初めて人を射た。野盗が去ったのち、父は血の混じった息で笑い、こう呟いた。「わしはもう長くはあるまい。だが忠、お前の弓はまだ本物ではない。お前が本当に強くなるのは、白髪になってからのことだ」幼い忠には、老いてから強くなるという言葉の意味が分からなかった。それは長く胸の奥に引っかかる謎として残った。
その冬、父は床につき、二度と起き上がることはなかった。忠に譲られたのは、使い込まれた一張りの弓だけであった。
父を失った忠は、伏牛山中に籠る隠者のもとへ弟子入りした。名も素性も語らぬその老人は、かつて都で武を修めた者であったらしいが、忠には多くを語らなかった。三年のあいだ、忠は薪を割り、水を汲み、合間に弓馬と剣の型を仕込まれた。別れの日、老人は忠の掌をとり、じっとその相を見て言った。「お前の器は、若木のように速く育つ器ではない。老木のように、時をかけて芯を固める器だ。世に出て功を焦るな。真に仕えるべき主に出会うまで、じっと根を張っていよ」そう言い残すと、老人は再び山を降りることなく姿を消した。
やがて忠は村の娘を娶り、息子を得た。名を叙といった。だが叙は生まれつき体が弱く、駆けることも弓を引くこともままならなかった。忠は我が子に武を仕込むことを諦め、代わりに書を与えた。「お前は武ではなく智で身を立てよ」と語りかけながらも、内心では一抹の寂しさを拭えなかった。
光和七年、黄巾の乱が南陽にも及んだ。賊徒が村々を焼き払うなか、忠は近隣の若者を率いて郷里を守り抜いた。乱戦の最中、賊将の背に忠が放った一矢は寸分違わず急所を貫き、それを見た者たちは長く語り草にしたという。隠者仕込みの弓は百発百中、その腕前はやがて郡の役人の耳にも届いた。推挙を受けた忠は、時の荊州牧・劉表に仕えることとなった。
劉表はまず長沙で太守張羨の反乱を鎮めると、忠を中郎将に任じ、甥の劉磐とともに長沙郡攸県の守りにつかせた。国境の向こうには江東の孫策が勢力を伸ばしており、忠らを警戒した孫策は太史慈を建昌都尉に任じて睨みを利かせた。忠は幾度となく太史慈の軍と対峙したが、目立った武功を挙げることもないまま歳月だけが過ぎていった。建安十一年に太史慈が病没し、後任の程普とも長く対峙を続けたが、それでも忠は一守将にとどまり続けた。同輩が次々と昇進していくなかで、老隠者の「時をかけて芯を固める器」という言葉を、忠は幾度となく思い返した。焦りと自嘲が胸をよぎらなかったと言えば嘘になる。
建安十三年、劉表が病没した。跡を継いだ次男の劉琮は、母方の伯父蔡瑁らの勧めに従い、南下してきた曹操にあっさりと荊州を明け渡してしまった。忠はそのまま任地にとどまることを許されたが、身分は仮の裨将軍に落とされ、新たに赴任してきた長沙太守・韓玄の配下に組み込まれた。韓玄は疑り深く、忠の武勇にも冷ややかな目しか向けなかった。かつて仕えた主家は消え、いま従うのは面識もない、心を許すことのできぬ太守である。これは、仕える者としての誇りを深く傷つけられる日々であった。
同じ年の暮れ、長らく床に伏していた叙が息を引き取った。忠が長沙の陣中にあって知らせを受け取ったのは、葬儀もとうに終えたあとのことであった。老いた身に子に先立たれる哀しみが重くのしかかり、忠は幾夜も眠れぬまま、亡き父や隠者の言葉を胸の内で繰り返した。「真に仕えるべき主に出会うまで、じっと根を張っていよ」――だが、その主はいったいどこにいるのか。忠はすでに齢六十に手が届こうとしていた。己の人生の大半を、名もなき守将として費やしてしまったのではないか。そんな迷いが、初めて忠の胸を苛んだ。
赤壁において曹操が敗れると、荊州の情勢は一変した。ほどなくして劉備の軍が長沙に迫った。韓玄の下で迎え撃つ側に立った忠は、その陣中にいた猛将・関羽と一騎討ちに及んだ。日を跨いでの激しい打ち合いとなったが、両者ともに相手を討ち果たせぬまま、矛を収めた。齢六十を超えてなお衰えぬ忠の武勇は、こうして敵将の口を通じ、劉備の耳にまで届くこととなった。
まもなく長沙は劉備軍の前に城を開いた。忠は捕虜としてではなく、ひとりの武人として陣中に招かれた。
忠を迎えた劉備は、白髪混じりの老将をまじまじと見つめ、労うように言った。「そなたの弓と槍の技、聞き及んでおる。歳を重ねてなお、その眼に曇りひとつない。わしのもとで、存分に振るってはくれぬか」忠はしばし言葉を失った。功名を求めぬ穏やかな眼差し、身分を問わず人を推し量るその態度――忠はその瞬間、亡き父と隠者が遺した言葉の意味を、ようやく悟った。
老木のように、時をかけて芯を固める器。
若き日には解せなかった謎めいた言葉が、還暦を前にしたいまになって、鮮やかに解けていく。この弓が真に力を発揮するのは、これから――老いてなお盛んなる、これから先の日々にこそあるのだと。
忠は深く頭を垂れ、静かに答えた。「この老骨、微力ながら」
長い漂泊の果てに、黄忠はついに、己の生涯を捧げるべき主を見出したのであった。のちに蜀の人々は、忠をこう評することになる。「義に厚き壮士」と。
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