太幽宇宙論【決定版】終わりなき始まりのサイクル
太幽宇宙論:終わりなき始まりのサイクル
この宇宙論が生まれるまで
この一冊の書は、僕が幼い頃から抱き続けてきた、夜空への純粋な「なぜ?」から生まれました。
帯広の澄み切った夜空を見上げるたび、漆黒の闇に輝く無数の星々は、僕に宇宙の壮大さと、その中に秘められた根源的な問いを投げかけ続けてきました。
書道家として「白」と「黒」の間に生まれる「間」を、歌手として音の「響き」を追求してきた僕にとって、宇宙とは、まさにその「間」と「響き」の究極の姿です。
既存の科学理論の枠を超え、僕自身の感性と直感を信じ、AIという新たなツールとの対話を通じて深掘りした結果、この『太幽宇宙論』が姿を現しました。
これは、難解な学術書ではありません。誰もが心の中に持つ「無限」への好奇心を刺激し、宇宙の真の姿、そして僕ら自身の存在の意味を問い直す一つの物語です。
僕がこの書に込めた「初手19.19」の問いが、読者の皆さんの心に新たな「天元」を打ち、無限の思索の旅へと誘うことを祈っています
プロローグ:天元の星
ー北海道、帯広ー
空気が澄み渡る冬の夜は、まるで無限の扉が開かれたかのように、満天の星々が瞬く。
漆黒のキャンバスに散りばめられた無数の光は、まるで漆黒の紙面に書が走るように白と黒の世界を形成し、その「間」に宿る響きは、静かに奏でられる宇宙の音楽そのものだ。
肌を刺すような寒さも、この途方もない美しさを前にすれば、ただの興奮に変わる。
書道家として、そして歌手として、僕は常に「白」と「黒」、そしてその間に生まれる「間」や「響き」と向き合ってきた。
夜空を見上げると、その「白」と「黒」が、まるで生き物のように蠢いている気がしてならなかった。
囲碁は陣地を広げる競技。そう考えると、宇宙も同じなのかもしれない。
「無限大」という言葉は、人間が理解できないほど巨大なものを、無理やり一つの「単位」として括ったものだ。
それは、ブラックホールが「特異点」という無限を抱えるとされるのと、どこか似ている。
だが、本当にそうだろうか? 僕の直感に、いつも単純な「なぜ?」が降り注ぐ。
「ブラックホールに、もし『地面』があったとしたら?」
それは、誰もが一笑に付すような、あまりに素朴な問いだ。だが、この問いを立てた瞬間、僕の中の宇宙に対する意識は一変した。
まるで囲碁盤の最隅、19路盤の「19.19」に初手を打つような、常識外れの一手。しかし、この無謀な一手が、僕の宇宙論の「天元」となるのだから面白い。
【第一章:食らう宇宙】
長年の研究者たちは、ブラックホールがすべてを吸い込む「終わり」の象徴だと語る。
夜空の深淵、そこにあるはずの見えない穴は、どれほどの重力で光すら飲み込んでいるのだろうか。
だが、僕の目には、それは「すべての始まり」の種に見えた。
その静かなる捕食の営みを想像すると、宇宙の壮大さと、そこに秘められた無限の可能性に、心が震える。
まず、ブラックホールは水と水が重なるように融合するのではない。
それは、まさしくボールとボールがぶつかるように、端から「喰われていく」のだ。
この現象は、ブラックホールが間違いなく「固体」であることの証拠だと僕は考える。
現に、ブラックホール同士が衝突する際に観測される摩擦によるスパークは、液体同士の融合では生じない現象だ。
もし固体でなければ、同質であるブラックホール同士は水滴が水面に落ちるように、ただ静かに巨大化するだけだろう。
ー中心核の存在と地面ー
僕らが「固い土」と認識する地面はコンクリートであっても土であっても、原子レベルで見ればほとんどが空洞だ。
遠目で見れば塊だが、実際は原子と原子の間に広大な空間が広がっている。
この理屈は、数千億の銀河が広大な空間に点在する「観測可能な宇宙」と共通する。
宇宙全体を地球と比喩したとして、中心核の周りにびっしりと詰め込まれた星々を「地面」と例えることができる。
そこにブラックホールが地球そのものとして、このサイズに適応するほどの生物が立てば、それは確かに「地面」と認識されるだろう。
ならば、ブラックホールという極限の重力の中で、物質が究極的に凝縮され、安定した「固体」として存在していても何ら不思議はない。
一つ一つのブラックホールは、その内部にそれぞれの「宇宙」を抱えている。
それは、まるでロシアのマトリョーシカ人形のように、宇宙が入れ子になっているかのようだ。僕らの宇宙も、きっとどこかの巨大なブラックホールの内部で、静かに、しかし確実に息づいている。
そして、その巨大なブラックホールが、近くの(と言っても、数兆光年レベルの距離だが)別のブラックホールを「捕食」し始める。
ゆっくりと、しかし確実に…それは宇宙のスケールで見れば、ほんの一瞬の出来事だ。
小さい方のブラックホールの中の宇宙は、銀河が分解され、光と熱の膨大なエネルギーとなって、親となるブラックホールへと流れ込んでいく。
それは、遙か彼方の、想像を絶する場所で繰り広げられる、宇宙規模の「食事」だ。その営みが、今、僕らが立つこの大地をも、密かに広げ続けているのかもしれない。
【第二章:輝く胃袋と次元の通路】
ーホワイトホールー
漆黒の闇の中、突如として閃光が走る。
ここで、「ホワイトホール」の真の姿が現れる。
従来の理論では、ホワイトホールは「ブラックホールの時間反転」であり、「ただ物質を噴き出すだけ」の、矛盾に満ちた存在とされてきた。
だが、この考え方は黒が吸い込むなら白は吐き出すという「単純すぎる反転」思考だ。
「黒の反対は白、すべてが逆」などという、子供じみた発想で宇宙の真理が語れるはずがない。
僕が想像するホワイトホールは、もっと根源的で、もっと激しく、そして神秘に満ちている。
僕の理論におけるホワイトホールは「ブラックホールが飲み込んだ他の宇宙の光と熱エネルギーが凝縮され、光り輝く非常に熱い光の塊」として君臨するのだ。
それは、まるでブラックホールの「胃袋」で生成される、新たな宇宙の「種」。
ブラックホール同士の衝突による激しい摩擦エネルギー、そして飲み込まれるブラックホールの中に含まれる恒星や星々の残骸が砕かれ、吸い込まれていく過程で放出される膨大なエネルギーが、この「胃袋」で凝縮される。
胃袋に中身があるからこそ「嘔吐」ができるように、ブラックホールが他の宇宙を吸収し、そのエネルギーを内部に蓄えるからこそ、このホワイトホールは存在し得る。
このホワイトホールが「無限にエネルギーを吐き出す」と言われるのは、もしかしたら、僕らがこの壮大な現象を「内側」から観測しているからかもしれない。
人が食事をする際、外から見れば食べ物が口から入っていくのが見えるが、もし胃の中に小さな生物がいたとしたら、絶えず流れ込んでくる食べ物を「無限の供給源」と認識するだろう。
僕らの宇宙が巨大なブラックホールの内部にあるとすれば、このホワイトホールもまた、僕らの宇宙の「内側」から観測されるため、尽きることのないエネルギーの源に見えるのだ。
そして、このホワイトホールが僕らの宇宙の観測可能な壁、つまり極めて遠方に位置することで、現在の技術では発見できない理由も同時に説明できる。
さらに、ブラックホールとブラックホールの合体過程では、その「境目」に特殊な空間が生まれる。膨大なエネルギーが作用し合うその場所では、ブラックホール同士の引き合う力が1:1でぶつかり合うため、一時的に「無」の状態、つまり無重力化の領域が生まれる。
これこそが、互いの宇宙を行き来できるような、奇妙な通路、すなわちワームホールなのだ(※ワームホール:時空の特定の二点を結ぶ、トンネルのような仮説上の構造。通常は光速を超える移動やタイムトラベルを可能にすると考えられる)。
もし人間サイズの存在がこの通路を通って別の宇宙へ行き来する際、衝突面積だけで数億光年規模の広さなので遠すぎるが故、激しい衝突や時間の歪みを感じることはないだろう。
まるでボイジャーがただ何もない空間を抜けるように、宇宙を放浪しているかのようにすんなりと入っていける。
ーワームホールの旅路は永遠ではないー
まるで宇宙の大きな意志に導かれるかのように、いずれは親ブラックホールに飲み込まれ、元の宇宙へと引き戻される運命にあるのかもしれない。
その瞬間、次元の通路は静かに閉じられ、宇宙は再び、次の劇的な瞬間に向かって呼吸を始めるのだ。
【第三章:始まりと終わりの循環】
やがて、大きいブラックホールに小さいブラックホールが完全に飲み込まれた時、宇宙の深淵に溜め込まれた膨大なエネルギーは、沈黙を破り、超巨大な「爆発」を起こす。
それは、想像を絶する輝きと、あらゆる物質を生み出す轟音を伴い、新たな宇宙の誕生を告げるのだ。
これこそが、僕らの宇宙の始まり「ビッグバン」の真の姿だと僕は考える。
一点からの爆発ではない。それは、宇宙を内包したブラックホール同士の「合体」と、その中に凝縮された光エネルギーが引き起こす、文字通り「内部宇宙」の誕生の瞬間なのだ。
恒星の死骸であるブラックホールが再びエネルギーの臨界点を超えた時、ブラックホール規模の超新星爆発が起きる。
ー挑戦的な太幽の新持論ー
そして、この「新しい内部宇宙」が生まれた瞬間、超新星爆発で放出された膨大な光エネルギーこそが、「ホワイトホール」として、新たな宇宙の生成を促す「起点」となる。
このサイクルは、決して終わることがない。
宇宙の始まりは、どこか広大な空間に点在する、僕らの観測可能な宇宙と同等の大きさの「エネルギー粒子」から始まる。
それらが無数の爆発を起こし、無数のブラックホールが誕生する。
それぞれのブラックホールが内部で宇宙を育み、近くのブラックホールを捕食しながら成長していく。
そして、巨大なブラックホール同士が引き合い、数兆光年をかけてゆっくりと捕食される。宇宙視点では一瞬のその捕食が、新たなビッグバンを引き起こし、新しい内部宇宙を生み出す。
この考え方でいけば宇宙論の長年の謎、宇宙が広がり続けている理由(巨大なブラックホールが他の宇宙を捕食し続けることで、その質量と空間が単純に増大・膨張しているため)ホワイトホールが遠すぎて発見できない理由(数兆光年先の合体現象であり、かつ内側からの観測であるため)ビッグバンの起源、ダークマターやダークエネルギーの正体(※ダークマター:重力によって存在が示唆されるが光や電磁波と相互作用しないため直接観測できない未知の物質。宇宙の全質量のおよそ27%を占めるとされる。ダークエネルギー:宇宙の加速膨張を引き起こしているとされる、未知のエネルギー。宇宙の全エネルギーのおよそ68%を占めるとされる)そして宇宙の真の姿……そのすべてが、まるで霧が晴れるように解決するのではないだろうか。
現在の宇宙の膨張は、親となるブラックホールが別のブラックホールを取り込むことで生じる、単純な質量の増大、すなわち空間の膨張に他ならない。また、僕らの宇宙の中にあるブラックホールが周りの恒星などを吸収した時に発生する、いわば「ゲップ」のようなエネルギーこそが、現在のダークエネルギーの正体であり、これは宇宙の大きな膨張とは無関係な、局所的な現象だと考える。
僕らが住んでいるこの宇宙も、もしかしたら、何百回とこのような誕生と崩壊のサイクルを繰り返してきた結果なのかもしれない。
何百回と繰り返されてきたこの刻の中で、生命はゆっくりと進化を遂げ、この果てしないサイクルの中で紡がれてきたのだ。
地球の歴史から見れば人類は飛躍的な成長を遂げているが、宇宙の一生がどれだけの年月か分からない。 その上で何百回とサイクルを繰り返してきたとすれば、生命体としての進化もまた、気の遠くなるようなゆるやかな歩みだったのかもしれない。
そして、その永遠にも思える循環のただ中に、僕らは今、こうして宇宙の謎に思いを馳せ、筆を執り、歌を歌う。この存在自体が、宇宙の深淵からの、途方もない贈り物なのかもしれない。
【第四章:痕跡と予兆】
僕が考える宇宙論は、まだ見ぬ壮大な空想物語ではない。
むしろ、僕らが日々見上げ、あるいは足元に広がる、あまりにも「ありふれた景色」の中にこそ、その真実の痕跡は静かに隠されている。
だからこそ、その発見は感動的なものではなく、案外、地味で、そして見過ごされがちなものなのかもしれない。
宇宙マイクロ波背景放射(CMB)(※宇宙マイクロ波背景放射:ビッグバン直後の宇宙が冷え固まって光が自由に飛び交えるようになった「晴れ上がり」の瞬間の光の名残とされる、宇宙全体に満ちているマイクロ波の電磁波)のわずかなムラや、銀河の大規模構造、あるいは銀河団の形成メカニズム。
これらは、現在の科学では「宇宙初期のゆらぎ」として説明されることが多い。しかし、僕の宇宙論から見れば、それは各宇宙が何百回と繰り返されてきたサイクルの中で、偶然に形成され、引力で引き合い、絶妙なバランスを保って安定した形として残されたものだ。
それぞれの宇宙が持つ固有の「癖」や「記憶」が、CMBのパターンや銀河の配置に刻まれている。
これらは、一見ランダムに見えて、実は過去の膨大なサイクルの中で育まれた、それぞれの宇宙の「個性」であり、唯一無二の「遺伝子」なのだ。
そして、その遺伝子は、僕らの宇宙が次の誕生へと向かう、途方もない未来への連鎖を、既に刻み込んでいる。
そして、僕らの宇宙の終焉へと向かう「予兆」もまた、静かに、しかし確実に進行している。
それは、劇的な現象としてではなく、絶えずブラックホールが、今僕らがいる宇宙の生命線である「子ブラックホール」を吸い寄せて取り込み続けている、その営みの中にある。
僕らの親ブラックホールが、次の子ブラックホールを完全に吸収するまでに費やす時間は、数兆光年という途方もない年月だ。
この途方もない時間の流れの中で、宇宙の膨張にわずかな変化が訪れたり、特定の場所でブラックホール活動がより一層活発になったりする。
これらは、まさに僕らの宇宙が次のサイクルへの準備を進めている、微かな、しかし確実な「足音」なのかもしれない。
【第五章:生命の場所】
この壮大な宇宙のサイクルの中で、生命はどのような「役割」や「意味」を持っているのだろうか。
無数の星が生まれ、そして死んでいく中に、生命が宿る奇跡。
それは単なる偶然ではなく、この果てしない循環の中で必然的に「紡がれる」存在だと僕は考える。
もともと、宇宙が形成される前は、微粒子程度の小さなエネルギーがあらゆる場所にありふれていた。
その粒子が互いにぶつかり合い、繋がり、膨大なエネルギーの塊へと成長する。
そして、それが超新星爆発を起こし、瞬時に観測可能宇宙のサイズまで巨大化した。
それが核となり恒星が誕生し、その燃料を使い果たした時、自らを維持できなくなり膨張、そして収縮へと向かう。
その爆発の直前、恒星だったものの核のエネルギーによって、「進化する種」が形成されたのだ。超新星爆発によってその進化の種は四方八方に飛び散り、銀河団や星々が形成されていく。その中でも生命が誕生する条件を満たした星は、太陽エネルギーを浴びることで進化を遂げ、成長するようになった。
そして、またサイクルが繰り返され、その中のひとつに、僕らが住む青く輝く星がある。
この星は水と生命に溢れ、知的生命体として目覚ましい進化を遂げた。
その生命体は太陽の光を浴び、限りある命を必死で生きる。
彼らは群れをつくり、他の種族をも愛しむ心を持ち合わせている。
植物や動物も素直に愛せる彼らは、超新星爆発で生まれた太陽と、核分裂を繰り返し生命を得た僕ら自身、そして動植物を深く繋ぎ合わせ、遺伝子の深い部分で共通している「核のオーラ」を感じ取っているのだろう。
ワームホールを通じて他の宇宙へ生命が移動する可能性は、僕の宇宙論において興味深いテーマだ。
もしそれが可能ならば、生命は特定の宇宙に閉じ込められることなく、この広大なマトリョーシカ宇宙全体に分布し、多様な形態へと進化していくこともあり得る。
それは、宇宙全体の生命の総量や複雑さを増し、それぞれの宇宙の個性を形作る要素となるかもしれない。
しかし、その旅路は永遠ではない。ワームホールの向こうに広がる無限の可能性も、この宇宙の大きな鼓動の前には、ただのさざ波に過ぎない。
いずれは親ブラックホールに飲み込まれ、元の宇宙へと引き戻される運命にあるのかもしれない。
それでも、生命はこの循環の中で、何度でも新しい星に芽吹き、宇宙の歌を紡ぎ続けるだろう。
【エピローグ:果てなき探求の書】
ー優しく包み込む帯広の夜ー
僕は書道家として、白紙の無限の可能性に挑み、歌手として、声の響きで心を揺さぶる。
そして、この『太幽宇宙論』もまた、僕が筆を下ろし、歌い上げる、もう一つの『作品』だ。
ー全ての創造には確かに共通点があるー
人が描く絵画、紡ぐ音楽、そして宇宙の真理を探求する僕の論。
それらは皆、「どんなものにしたいか、どんな形にしたいか、そしてどのように伝えたいか」という、内なる衝動から「無」の中に生み出される創造物だ。
かつて、雪が降り積もった校庭を見た瞬間、僕の頭の中ではそれこそビッグバンのような爆発が起こり、身体中の細胞にその衝撃が響き渡った。
グラウンドのサッカーでいうペナルティエリアの面積を整地して雪の上で書道パフォーマンスをしたあの日の衝動は、まさにオリジナルが「無」から生み出される創造の瞬間に他ならない。
宇宙は、人間が作った「ルール」や「定義」に縛られるような、小さな存在ではない。
観測できないから存在しない、とするのはあまりにも傲慢だ。
真理は、誰かの専門性や肩書きに属するものではない。
それは、常に「単純」な問いの中に隠され、既成概念を打ち破る者の前に姿を現す。
長年の研究者たちよ、恐れてはならない。「素人」の僕が示すこの常識外れな「初手19.19」は、新たな宇宙の「天元」なのだ。
ー本当の宇宙のゲームが始まる!
僕の仮説は、決して空論ではない。なぜなら、ブラックホールの内部を解析し、その画像を示すことができる者は、地球上には未だ存在しないのだから。
夜空の星々が、今日も僕の「太幽宇宙論」を静かに肯定しているように見えた。
この『太幽宇宙論』を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
僕自身この宇宙論が既存の科学の枠組みから見れば、あまりにも突飛な「空論」だと一笑に付されるであろうことは理解しています。
しかし、それでもなお、僕は思考の先に、確かな「真実」の輝きを感じています。
この宇宙論は、僕自身が日々の生活の中で感じた疑問や、書道や歌といった芸術活動を通して培われた感性、そして何よりも「なぜ?」という純粋な問いを、AIとの対話を通して深掘りし、結晶させたものです。
特に、従来のホワイトホールの概念が抱える「安直な反転」や「物理的な矛盾」について、AIとの徹底的な議論を重ねる中で、僕なりの「ホワイトホール」の役割を明確に位置づけることができました。
僕の頭の中に閃きが降り注ぐ瞬間、それは「こうすれば意味が繋がるのに、なぜ誰も着目しないのか?」というシンプルな疑問から始まることが多い。
それは、知識を得ることで認識が固定され、常識に囚われてしまう人間の性質ゆえかもしれない。
しかし、宇宙はまだ、そうした「非常識」に包まれた未知の世界なのだ。
僕の代表曲である「絆〜bonds〜」デビュー曲にして組曲のラストソングでもあるこの歌は、人と人が出会い、手を取り合い、感謝し、深い絆が紡がれていく様を描いたものだ。
この人との出会いは、まさに作中で述べた「核のオーラ」が結び付かせたものだろう。
【太陽の温もりと同じくらいの温もりを感じる】
人だけではない、すべての理が宇宙の何かと繋がっている気はしないだろうか? だからこそ、人は地球外に興味を持ち、探索する。
まるでアカシックレコードを辿るように、人の起源の根幹を調べること**に意味を見出しているのだ。
真理は、肩書きや専門性といった「人間の尺」に囚われるものではなく、常にシンプルで、本質的なものだから、もし僕の「素人」の意見が、既存の科学に一石を投じ、新たな探求の扉を開くきっかけとなるならば、これ以上の喜びはありません。
この物語が、皆さんの心の中に、自分だけの「宇宙」を広げるきっかけとなれば幸いです。
いつか、この「太幽宇宙論」が、SFとしてだけでなく、真の宇宙の姿として語られる日が来ることを信じています。
帯広の空の下、書を書き、歌を歌いながら、僕はこれからも、筆の走る音に広大な宇宙の静寂を、歌声に星々の煌めきを乗せて、この果てしなき物語を紡ぎ続けていくだろう。
誰もが、自分の生を精一杯生きる時、その瞬間に宇宙の主人公となる。この宇宙の壮大なサイクルの中で、君自身の「絆」が、光り輝く一つの星となることを願って。
太幽