崩壊の日
当日、朝早くからカイレンは王城のダンスホールへと足を運んだ。ドーム型の天井で、中央だけはガラス天井になっており、青空が見える。今は輝く太陽が主役になっている。シャンデリアは複数天井からぶら下がり、蝋燭の代わりに炎の魔力が込められた魔石でホールを照らす予定だ。階段やホールの壁際に飾られた花は本日摘み取った生き生きとしたもの。コスモスやダリア、リンドウなのが華々しさを醸し出す。
(演奏者たちももうすぐで到着するから、一時間後にリハーサルを……)
すると使用人の男性が入り口の階段をパタパタとと降りてきた。
「カイレン様! お時間よろしいでしょうか?」
「どうした?」
「その、オハルス殿下がカイレン様に御用があると。宮殿の方に来いと仰っています」
「分かった。君はいつも通りの業務に戻ってくれ」
使用人の男性は申し訳なさそうな顔をして、その場を去っていく。
(この間のことで何か言われるんだろうか? 今日はパーティーだと言うのに……)
しかし王命とあらば行くのが家臣である。カイレンは少しだけ眉を顰めた後、涼しい顔つきでオハルスの宮殿へと向かった。
彼の宮殿は王城の西側に存在する。ダンスホールから行くとなると十五分ほどは歩くことになる。
宮殿近くまで歩いていた時、廊下を掃除していた複数人の女性の声が聞こえてきた。曲がり角の奥にいるようだ。話している声は若いために新人のメイドたちだろう。
「ねー、今日あの第二王子が来てるらしいわよ」
「嘘!? 陰魔法で殺されちゃったらどうしよう……。目が合っただけで呪われるって北の宮殿のメイドから聞いたことあるよぉ……」
「あら、でも第二王子ってオハルス殿下までとはいかないにしても美しい見目をしているらしいわよ。アンタ、イケメン大好きじゃない」
「呪ってくるような化け物なんてイケメンでも論外よぉ!」
「ずっと北の方に引きこもっていればいいのにね~」
彼女たちの話はこの国の第二王子を貶す内容であった。
(メイドの教育はどうなっているんだ、全く)
カイレンは嘆息を漏らす。
王位継承権第二位である、第二王子ヴァジュラ・クロム・スフェラ。前王妃の息子で、オハルスの腹違いの弟。しかし弟と言っても、生まれた日は同じで一時間の差だったらしい。
(陰魔法の使い手というだけで、使用人まであのようなことを言うとは……)
魔法の属性は炎、水、風、土だ。しかし極稀に氷魔法や雷魔法といった特殊な属性を所有する人間が現れる。特殊な属性は珍しく、身分を問わず重宝される存在になるのが定例だ。
しかし陰魔法だけは禁忌の闇魔法と近しいという理由で疎まれている。闇魔法、それは深淵を覗くもの。過去に様々な災いを引き起こしている。過去の記録から闇魔法の魔力の色が黒だったため、色合いが似た陰魔法は闇魔法と同一視されてしまったのだ。
(だとしても王族を侮辱していいわけじゃないだろうに……)
カイレンは履いていた靴を高鳴らし、冷ややかな目で彼女たちの前に立った。
「か、カイレン様!?」
メイドたちを軽く睨む。彼女らはすぐに姿勢を正し、頭を下げた。彼女たちはまさにカエルで、ビクビクと肩を震わせていた。
「先ほどまでの発言、関心しないな。王族を貶すのは重罪だ」
「で、ですが」
「陰魔法は闇魔法とは違う。偏った見方はやめなさい。今日は私だけが聞いていたからよいものの。王族を軽んじる発言は戦争だって引き起こすんだ。……次はない」
強く言い放つと、メイドたちはペコペコと頭を下げて、逃げ去る。
片手を腰にあて、ため息を吐く。メイドの教育方針を改める必要がありそうだ。
(まったく……)
その時、探るような目線を感じて、思い切り振り返る。しかし誰もいない。
「……?」
何か引っかかるも、足を進めることにした。
「やけに遅いと思えば……。あんなこと放っておけばいいというのに。王家の恥など、何を言われてもどうでもいいだろう? 真面目だね」
その声にバッと振り返る。そこには、王国の太陽であり、とても忙しい状況の中で呼び出してきた人物がいた。
「ごきげんよう、オハルス殿下。従者からご用命と聞きましたが」
いつも通り頭を下げる。
「えぇ。将来の妻とランチでもどうかと思ってね」
その言葉にカイレンはピクリと目を見張った。呑気な提案や、妻という単語に気味悪く感じる。
「ランチですか……。申し訳ありません。今日のパーティーの準備のために外出は控えなければなりません。王城のシェフに今から手配させます」
「いや、そんなことはしなくていいよ。準備はすませいるから」
オハルスは手を背中に回し、腰を抱いてくる。顔がこれでもかと急接近し、まつ毛の数を数えられるほどだ。
いつものオハルスと違う言動にカイレンは目をぱちくりとさせていた。
(なんなんだ、急に……)
その行動に全身に鳥肌がたつ。どうにか、腰の手を外して一歩離れた。
「準備、ですか? 一体どこで食事をするのか教えてもらっても?」
「フフフっ、サプライズだよ。知ってしまったら意味がないだろう?」
オハルスは妙に浮かれているように見えた。いつものように張り付けたような笑顔ではなく、高揚したようなそんな笑顔だ。
移動中は時折蛇のような瞳で見つめてきた。その瞳にどうも肌がざわつく。
(なにかいつもと違うような?)
そうして辿り着いたのは王城の西に位置するオハルス殿下の宮殿であった。白と金が主な色合いの左右対称で丸みのある建物だ。入口までは整えられた花壇や植木が並ぶ庭園がある。噴水は巨大で三段になって吹き出ている。そして女神や天使の有名な石造が飾られている。
宮殿の中に入れば、ずらりと壁には名画があった。あの絵の技法は世界的に人気の画伯のもの。廊下に飾られた花瓶も美しいガラス細工が施された繊細なものだ。
(一体どこから、こんな予算が)
ここまでの道すがらカイレンは背中を冷や汗で濡らしていた。オハルスに渡しているお金では到底揃えられないものばかりである。それなのにここまで煌びやかに出来ているのは、家令の一部が買収された可能性があるからだろう。
パーティーが終わり次第、帳簿の確認をする予定が立つカイレンであった。
「……ん? 殿下、ここは殿下の私室ではありませんでしたか?」
目の前をふと見ると、金色の植物のツタに似た装飾がギラギラとした扉があった。
私室で食事は流石に気が引ける。
困惑しながら返答を待っていると、彼は扉を開けて、そしてカイレンを部屋の中に突き飛ばした。
「なっ!?」
床に倒れ、立ち上がろうとするが、右足首が痛む。どうやら足を捻ったようだ。
(一体何が目的――この、文様は)
真っ白のタイルの床には赤黒い魔法陣があった。円型で、内側に五芒星が引かれている。よく見れば小さな文字があちらこちらに描かれていた。その文字は現在使われているものではない古代文字だ。近くにある文の解読を試みる。最初の単語は『契約』、この時点で最悪だ。
刹那、周りに紫の稲妻が走る。
本能が危険だ、逃げろと忠告するも遅すぎた。
「がッ!?!?」
全身を這うように奔る激痛にカイレンはのたうち回る。次第に髪が乱れ始め、完璧だったシニヨンは崩れて、長い髪が露になる。
雷のような痛みが神経を走り、何度も何度も意識の淵へと叩き落とす。息を吸うことすらできない。
「かッ、ヒュッ……」
痛みに耐えるために握った拳は血まみれだ。
「ッあ!? ぐ、ぅ……ッ! あ……、あああッ!!」
喉の奥から漏れる声はもはや悲鳴ですらなく、ただ獣じみた呻きに近かった。
一体、何が起きているのか、その疑念の叫びの中で瞳はオハルスを捉えた。隣にはフラウンの姿がある。痛みのせいで思考が纏まらない。
「……フフフ、あのカイレンは無様に打ちひしがれるとは。こんなに楽しく思えるのは久々だなァ。あぁ、君が【王の剣】でよかった……」
「ふふ、お姉さま、ごめーんね? でも欲張りなお姉さまが悪いのよ。だってラズワルド公爵家の後継者も王妃様の座もぜーんぶアンタのものって……。笑わせないでよ」
何を言っているのかは分からないが悪意だけは伝わる。
這いつくばるカイレンは悔し気な瞳で二人を見上げた。荒い息をし、こわばった表情を浮かべる。どんなに風が吹こうとも崩れることを知らなかった高貴な百合は花弁をもがれ、今にも茎を切られそうになっていた。
その一方でオハルスとフラウンは顔を上げ、薄気味悪い笑みを浮かべている。その姿が目に焼き付き、彼らへの想いを冷めさせていく。
『【王のつる――』
すぐにでも権能で状況の打開を図ったが、神聖力が霧散するのを感じた。
「ッ!?」
体中の血が抜き取られるような感覚だ。魂まで持っていかれるのではと思うほどで、大切な何かが抜け落ちていく。
その異常に気づいた頃には激痛が収まった。
「……なにを、した!」
目の前の二人に怒号交じりに問うた。
片膝をつき、立ち上がろうとする。足や手が痙攣してまともに体動かない。
「今夜のパーティーで全部分かりますよ、お姉さま。それまではぜひともいい夢でも見ていてくださいな」
「……じゃあね、カイレン。君との婚約生活も中々悪くなかったよ」
ここで二人を止めなければとんでもないことになる。しかし、揺れる視界がそれを許さない。
手を伸ばすも、空しく体は床に伏せた。指先一つ動かず、意識は薄れていく。