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カイレンの日常

 彼と視線が合うと、矢は止まる。カイレンもそれと同時に結界を解く。

 揺れる赤の魔力を掌に宿しながら、悪びれた様子もなく、彼は微笑んでいた。


「流石、歴代屈指の【王の剣】。術の展開速度、神聖力の精度……、また磨きがかかったね」


「……オハルス殿下。遊びで魔法を行使なさらないでください。危険です」


 なるべく冷静に、礼を崩さぬままに言葉を返す。

 だがオハルスは、さらに愉快そうに肩をすくめた。


「僕はこの国の王となる存在。魔法の腕は磨かなければ。それに、君の実践訓練でもあるんだよ。僕の王妃として、剣として、いざという時に動けなかったら困るだろう?」


 その口調に反省も怒気も悪意もない。ただ、「楽しんでいる」のだと分かる。


 オハルスはいつもこうだ。優雅に、完璧に振る舞いながら、その内側では何を考えているか分からない。完璧な王子仮面を貼りつけてはいるが、本性は平然と誰かを踏みにじるような人間なのではないか、と時折考えてしまう。


(私が一瞬でも防御が遅れていたら、無残に焼かれていただろう)


 先ほどまでの炎の矢――それを思い返しながら、カイレンは静かに彼を見据えた。


 オハルスは、そんなカイレンの視線など気にする様子もなく、掌に揺れる炎を見つめている。その表情には、まるで幼子が新しい玩具に魅せられたような、無垢さと狂気が入り混じっていた。


「君がどこまで僕の理想に応えてくれるか――試してみたくなるんだよ」


 その声は、穏やかで、それでいて何より恐ろしいものに聞こえた。


「殿下。貴方には戴冠式が迫っております。いつまでもそのような素行では王としての威信に関わりますよ」


 諫める声音は穏やかで、礼儀は崩さない。しかし、その奥にある警告の意は、確かに込めた。


 この国は、十年前の事故以来、王妃ラトラナの手によって代理統治が行われている。国王ソヤフルは、馬車の転覆事故で命を落とした。その場にはカイレンの両親も随行しており、王に仕える忠臣として共に命を落としたのだ。


 オハルスは現在十七歳。本来ならば、もう王に即位してもおかしくない年齢だ。王妃が代理で政を担うのは、あくまで一時的な措置に過ぎない。王家の血を引く男子こそが、玉座に就かねばならないのだから。


 カイレンの言葉に、オハルスはくすりと笑った。


「フフフ……どんなに素行が悪くても、僕以外に王になる者はいないだろう? 僕は僕のままに生きるよ。人間の生なんて、あまりに短いんだからさ」


 次の瞬間、オハルスはくるりと背を向け、何の未練もないようにその場を去っていった。ゆったりとした足取り、品のある仕草。誰が見ても、完璧な王子の姿だった。


 カイレンは、ひとつだけ小さく息をつき、スカートの裾の焦げ跡を払う。


(……実技訓練をするなら、訓練場でやってくれればいいのに。またあのようなことが起きたら――)


 オハルスから不意に攻撃を受けるのは、今回が初めてではない。剣、魔法、言葉。あらゆる手段で試すように、彼は時折、カイレンに牙を剥く。それが他人に被害を及ぼさない限り、カイレンは彼の剣として受け入れてきた。


 だが半年前。今回のようにオハルスが魔法をカイレンへ向けて放った。その時そばにいた若いメイドがカイレンを庇うように前に出てしまい、そのメイドは顔の半分を焼かれることに。その後その少女は城を去ることになった。

 その事件の後、オハルスは一言の謝罪もなく、まるで何もなかったかのように日々を過ごしていた。


(……あの御方には、後悔や罪悪感という感情がないのかもしれない)


 そんなことを思ってしまう自分を、カイレンは嫌悪する。

 オハルスは王族であり、カイレンの主であり、婚約者である。その彼に対して恐れや疑念を抱くなど本来、あってはならないことなのだ。


(こんなことではお父様に怒られてしまう。【王の剣】として情けない)


 【王の剣】を生み出すラズワルド公爵家には他の家系とは少し違う歴史がある。

 建国時代、女神は地上に自身の遣いを残して天に還った。「女神の遣い」は、王国を守り、王族を支えることを命じられたのだ。そうして女神の遣いは子孫共々王国に尽くし、ラズワルド家という一族を作り上げた。


 【王の剣】とはその女神の遣いの力をきちんと引き継いだ存在なのだ。


 そんな王家への忠誠の宿命を持ったカイレンは、歴代屈指の忠誠心を持つ。王国のためならば自身の命など簡単に捨てられるほどだ。


 だというのに、主君であるオハルスには一向に忠誠心が湧かない。今の彼女を動かすのは、王国への忠誠心のみ。あくまで国のためにオハルスに仕えている状態だ。


(……オハルス殿下は王に相応しい能力を持っている。それは、間違いないんだ)


 拳を強く握りながら、彼女は歩を進め、城の廊下に足を踏み入れる。

 その後、カイレンは明日の予定を確認した上で業務を終了させた。




 カイレンは王城に留めている馬車に乗り込み、王都にあるラズワルド家の別邸に向かう。

 彼女の年齢になると本来は王城に住んでいるものだが、ラズワルド公爵家の現当主である叔父がそれを許してくれなかった。


(叔父も諦めが悪い。【王の剣】ではないフラウンが王妃になるのは無理だというのに)


 馬車で一時間ほど揺られ、屋敷に着いたのは十時。月が昇り、梟が鳴いている。馬車は屋敷の前で止まった。


 屋敷は石材で出来たもの。壁はクリーム色で青い瓦。格子状の窓がずらりと横に並んでいる。王都ではかなり大きいものだ。


 数段の階段を上り、屋敷の扉を開ける。中に入ると、深海色のカーペットと奥にある赤茶色の階段が目の前に広がる。数人の使用人たちが掃除を行っていた。


「……今帰った」


 使用人は挨拶ではなく、冷たい視線で応答する。一応の礼儀なのか頭だけは下げた。

 いつものことだ。気にすることなく私室へ行こうとしたが、それは叶わなかった。


「あら、下民の子が帰ってきたのね」


 会いたくない人物がヒールを高鳴らし、前方の左側の階段から降りてくる。


 悪意のある言葉を高らかに言うのは、ラズワルド家現当主の愛娘、フラウンだ。カイレンの従妹であり義妹である。自身と違って明るいスカイブルーの髪に黄色の瞳が特徴的だ。愛くるしい顔立ちは社交界でも有名で、殿方からの縁談は数え知れず。


 そんな彼女が宝石をちりばめた薄く淡い青緑色のプリンセスラインのドレスを揺らして目の前へやってきた。


(……お父様が死んでから、いつもこう)


 カイレンの両親は貴族と平民の恋愛結婚。そんな二人は陛下と共に亡くなった。

 その後、保護者として叔父がラズワルド公爵家を継いだ。カイレンは養子になったことで庶子として扱われることに。本来後継者として受け取るべきものを叔父の娘フラウンに盗られてしまっている。


「まったく、どうしてこんな薄汚い下民を王妃なんかに……。そんなにお姉さまは王妃になりたいんですの? 雑種の血が混ざっているというのに?」


「【王の剣】だから仕方ない」


 この国の伝統では、【王の剣】は生まれた時から将来が決められている。祖である女神の遣いが、王に寄り添うことを女神に命じられたからだ。

 女性ならば、王妃に。男性ならば、王の右腕に。そこに血筋などは関係はなく、神聖力を使いこなせればいいのだ。

 今代の【王の剣】は本家、分家を合わせてもカイレンのみだったため、彼女は幼い頃からオハルスの婚約者であった。


「そうよね。その力がなければ庶子のお姉さまなんて……」


 フラウンは言葉最後に嫌な笑顔を向けた。

 ぞわりと鳥肌がたつ。嫌な予感がしたが、そのまま別れた。


 カイレンは肩を落としながら、私室へ辿り着く。


(……庶子か。確かにこの血は王妃としては駄目なのかも、しれない)


 貴族の血を重視するのは、優れた遺伝子を繋げるため。それを考えると相応しくないのはよくわかる。しかし、どうしろというのだ。


 着替えることなく私室のベッドに倒れる。


(明日はパーティーだったな……。打ち合わせはしたし、大抵のことはすませているはず。五大貴族の内の四家が揃ってくるからちゃんとやらないと。明日はすぐに現場に向かおう……)


 少しだけ目を瞑った後にカイレンは明日への支度をした。

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