第5話 婚約、ですか? まあ、会うだけなら……。
腕輪の件から一週間後、エリシアはゴルドーを伴って王宮の外れにある離宮へとやってきていた。
「まったく、お父様ときたら……。一週間近くも婚約に向けての顔合わせを放置するなんて、ありえませんわ!」
「いやあ、あの時はエリシアの将来がかかっていたからね」
彼の言いたいことはわからなくもない。だけど、貴族にとって婚約も将来がかかった大事なものだろう。しかも、相手は王家である。それを平然と放置していた。
「あ、忘れていたけど、王家から婚約の打診があったんだよね。顔合わせは一週間後くらいでいいかな?」
そう、悪びれる様子もなく話すゴルドーに、エリシアはどう反応して良いかわからず、なし崩し的にうなずいてしまった。
「王家からの婚約の打診を一週間も放置するのはお父様くらいですわ!」
「まあまあ、向こうも何も言ってこなかったから大丈夫だよ。それに相手はお見合いクラッシャーの第一王子殿下だからね」
第一王子であるクラウス・フォン・ランドールは、これまで何度も婚約を前提としたお見合いをしてきた。もちろん、相手は権力のある王子殿下なので、積極的だった令嬢も少なくなかったはず。
しかし、その尽くをお見合いの翌日には断りを入れるということを繰り返してきたらしい。その結果付いたあだ名が『お見合いクラッシャー』である。もちろん、王家の前で、言うものはいない、ゴルドーを除いて。
「もう、お父様! ここは既に王宮の中なのですよ。そんなこと言ってはいけません!」
「そうは言っても、みんな言ってるからなぁ……」
「表立って言っている人は一人もいませんわ!」
破天荒なフェリシアの伴侶としてやってきただけあって、ゴルドーはあまり動じない性格だった。権力欲もほとんどない上に、その性格も相まって、これまでほとんど王家との関わりを持ってこなかった。
「まあまあ、落ち着きなさい、エリシアよ。そろそろ先方も来る頃合いだ」
そんな性格にも関わらず、教養があり、勘も働く。まるでチキンレースのように不敬を寸前で回避する彼の行動に、エリシアは始まる前から疲れ切っていた。
「すまないね。遅くなった」
「いえ、お構いなく……」
作り物めいた笑顔で、クラウスが部屋に入ってくる。熱を上げる女性がいるのも頷けるほどの美形ではあるが、男だった前世の意識が残っているエリシアにとって、そもそも彼は恋愛対象であるという意識がない。
「お初お目にかかります。ファーレンハイト家エリシアでございます」
「そんな堅苦しい挨拶は抜きだ。楽にしてくれ」
立ち上がってクラウスにカーテシーで挨拶をすると、少し戸惑ったような微妙な笑顔でエリシアに座るように促す。前世の記憶を動員させて再現した挨拶だったが、彼の微妙な表情を見て、エリシアは一瞬だけ顔をしかめた。
「いやいや、幼いのに良くできたお嬢さんじゃないか。ゴルドーよ」
「ふん、お世辞はいいから、用件を言え」
きっちりと挨拶をしたエリシアの振る舞いを無に帰すような物言いに、機嫌を損ねたゴルドーは国王の言葉にも刺々しく返す。
「用件は前に伝えた通り。クラウスの婚約者候補としての顔合わせだけだぞ」
「どうせいつもと結果は同じだろう?」
「ククク、やって見なければ分からんだろう?」
刺々しく当たるゴルドーに対して、国王はのらりくらりとやり過ごす。ゴルドーがムキになればなるほど、状況は国王の方に傾いていった。
「父上、これでも僕の婚約者の父親ですよ。少し暖かく見守ってあげたらいかがですか?」
「そうですよ。お父様も、そのような態度では何しに来たのかわかりませんわ!」
あまりにも一方的なやり取りに、見かねたクラウスが国王をたしなめる。その言い方にゴルドーは顔をしかめるも、エリシアの言葉によって撃沈されてしまった。
「後は二人に任せて、我々は向こうで待ってましょう」
「……そうだな」
意気消沈したゴルドーを、今度は国王がなだめながら、部屋から出ていった。ようやく落ち着いたところで、大きく深呼吸をして、エリシアはクラウスと向き合う。
「ようやく、二人きりで話ができるね」
「ずいぶん気さくな王族でございますわね」
国王が出ていったことで、先ほどまでの作り物の笑顔から一転、クラウスは心の底から楽しそうな笑顔に変わる。口調まで馴れ馴れしくなって同じ人物とは思えないほど。
エリシアは、彼の雰囲気に呑まれまいと努めて令嬢らしく振る舞う。本来なら、それが正解ではあるのだが、クラウスは愉快そうにクツクツと笑いながら、エリシアの方へと身を乗り出してくる。
「ふふふ、ずいぶんと他人行儀じゃないか。僕相手だったら、もっと気さくにしてもらってもいいんだよ。あの時みたいにね」
「あの時、と言われましても私には見当もつきませんわ」
クラウスの言っていることが分からず、エリシアは他人行儀の姿勢を貫く。それが彼にとっては余計に可笑しいようで、それがエリシアにとっては余計に腹立たしい。
「ふふふ、それじゃあ。半月ほど前、妹が助けてもらった時の話をしてあげよう」
「……?」
突然、クラウスが妹の話をすると言い出して、エリシアは訳が分からず首を傾げた。そんな彼女の様子を意に介することなく、クラウスは滔々と話し出した。
「ここだけの話なんだけど、僕の妹は時々王都に行ってるんだ。素性を隠してパン屋で働いているんだよね。妹は王位継承順位が低いこともあって、黙認されてるんだ。でも、二週間ほど前、帰りが遅くなってしまった妹は、帰り道で酔っ払いに絡まれてしまったんだよ」
「……王族に絡むなんて命知らずなんですね」
「いやいや、もちろん素性を隠すために認識阻害の魔道具を身に着けているんだよ。どういうものかは知っているよね?」
クラウスは、まるでエリシアが認識阻害について詳しく知っているかのように話をしてくる。もちろんエリシアは知っているが、認識阻害の効果は貴族の間でもあまり知られていないもの。知っている前提で話すこと自体が不自然で、エリシアは何と答えたものかと戸惑う。
「そんなわけで、妹が王族だってことはわからないから、当然絡まれても不自然じゃないんだ。そんな妹に助けに入った人物が現れたんだよね」
「それは、仮にも王族ですから護衛がいてもおかしくないでしょう?」
何があったら護衛が間に入るのは当然。そんな話をされて、エリシアは意味がわからず眉を寄せて険しい表情になった。
「助けに入ったのは、とっても小さい女の子だったんだよ。シルクハットを被って、マントと変なマスクを付けて、ステッキを手に持っていたんだけどね」
「……」
彼の言った特徴に合致する人物に、エリシアは心当たりがあった。これまでの話の内容を考えると、クラウスはエリシアの正体が『怪盗淑女エリィ』であることを知っている可能性が高い。
「その女の子は体が全然小さいにも関わらず、酔っ払いたちを一瞬で撃退したんだよ。いやあ、凄かったね。その子だったら、婚約者にしてもいいなって思ったよ」
「……えっ?」
「だって、大人に幼女が立ち向かったんだよ。それだけじゃなくて撃退までした。間違いなく面白い子だと思ったんだよね」
「……それはいいですね。どなたか存じませんが」
それっぽい話を彼が執拗に振ってくる意図は、エリシアがポロッと漏らすのを期待してのことだろう。業腹ではあるが、迂闊なことを話すと、そこから切り込んでくる恐れがあるため、エリシアは当たり障りのない答えを心掛ける。
何しろ、相手はお見合いクラッシャーと呼ばれた第一王子。今日を無難に乗り切りさえすれば、翌日にはお断りが来るだろう。
「というわけで、その『幼女仮面』を探しているんだよね。エリシア嬢も何か知ってたら教えてくれないかな?」
「そうですね。何か分かったらお伝えしますわ」
『幼女仮面』という呼び名は不本意ではあったが、ここで過剰に反応してクラウスの興味を引くのは得策ではないと考え、エリシアはひたすら無難な回答に終始した。
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