第10話 婚約破棄されました?!
「エリシア・ファーレンハイト公爵令嬢。お前との婚約を破棄する!」
太陽のように輝く金髪と海のように深い碧眼のクラウス・フォン・ランドール第一王子がエリシアを指差しながら、高らかに宣言する。
彼のもう片方の腕には、ピンクの髪をツインテールにした令嬢が抱きかかえられていた。彼女のブラウンの瞳はクラウスを見上げながらキラキラと輝いている。
「クラウス様! 私が何をしたと言うのですか!」
エリシアは悲しそうにまなじりを下げて、彼女をにらみつけるクラウスに訴えかける。その言葉に、彼はさらに目をつり上げてエリシアを睨む。
「お前は、俺の愛するウィスキア・ボンボン子爵令嬢を嫉妬のあまり度重なる嫌がらせを行ってきた。そんな女は国母である俺の婚約者に相応しくない!」
「そんな、根も葉もない噂でございます!」
「そんなことはない。彼女も何度も嫌がらせを受けたと言っているし、目撃者も何人もいるんだ!」
チラリとエリシアの方を見たウィスキアの口元がわずかに歪む。それだけでエリシアには、断罪劇に至るまでの経緯をおよそ理解できた。
「す、全てはウィスキア嬢が仕組んだことで――」
「黙れ! この期に及んで彼女に罪を擦り付けるとは、どれほどあさましい女なんだ!」
エリシアが何を言ってもなしのつぶて、クラウスは彼女の言葉に耳一つ貸さず、淡々とウィスキアの言葉に従って、ありもしないエリシアの罪を並べ立てていった。
「そういうわけだ。この場を以って、エリシアとの婚約は正式に破棄され、ウィスキアと婚約する!」
「クラウス様……!」
愛おしそうに見つめ合う二人をエリシアは悔しそうに――。
――悔しそうに?
「いやいや、絶対にありませんから!」
そう叫びながら、エリシアは自室のベッドの上で目を覚ました。昨日は、騎士たちが突入してきて、ジュニアを連行していったところまでで、記憶がプッツリと途切れている。
「安心して気を失い、自室に運ばれて治療を受けたというところかしらね……ふぅ」
最後の最後まで正義の味方としての矜持を保てなかったことに、悔しさがふつふつとこみ上げてくる。その一方で湧きあがる疑問――。
「何で、正義の味方にこだわっているのかしら……」
前世において正義の味方という偶像に憧れていたことが理由にあるのは間違いない。しかし、それにしては正義の味方であることに対して強迫観念があることをエリシアは不思議に感じた。
「そして、あの夢……」
冷静に考えれば、ありえない内容の夢に正義の味方が関係しているのではないか。エリシアの直感が告げている。今も夢の中の出来事が現実なのではないかと思いこまされそうになって、エリシアは腕を抱えて身を震わせた。
「エリシア嬢。大丈夫だったかい?!」
勢いよく扉が開いて、クラウスが入ってきた。エリシアが目覚めていることに気付いた彼は小走りで駆け寄ると、彼女の右の手を両手で取ってその翡翠のような瞳をじっと見つめる。
「クラウス殿下? えっと、婚約破棄したんじゃ……。あっ」
いまだに夢と現実が曖昧になっているエリシアは、思わず夢の中であった婚約破棄という言葉を口にしてしまう。それが現実ではなく夢の中だと気付いた時には完全に手遅れだった。
「ん? んんん?!」
変わらぬ笑顔のまま、エリシアを責めるようにクラウスが顔を近づけてくる。その表情とは裏腹に、彼の怒りが握られた手から伝わってくる。
「誰だい? そんな妄想をエリシアに吹き込んだのは?」
「えっと、クラウス殿下です。夢の中に出てきた……」
「ほほぅ。エリシアは僕を、そんな酷い男にしたいと思っていたなんてね」
「あ、いや……」
「これはじっくり話をする必要があるかもしれないね! 僕がどれほどキミのことを愛しているかをね!」
クラウスから発せられる圧に、エリシアは圧倒されて一言も話せないほど全身が恐怖で強張る。もっとも、何か話せたとしても「ひいいぃぃぃ!」という悲鳴しか出なかっただろう。
「クラウス殿下。お嬢様は病み上がりでございます。ご無体はなさいませぬよう」
「ふぅん、僕に口出しするなんて。ずいぶんと偉い侍女なんだね?」
「私はお嬢様の専属侍女。お嬢様の益にならないと判断すれば、たとえ殿下でも容赦はいたしません」
エリシアを追い詰めていたクラウスに専属侍女のマリアが声をかけて諫める。不満そうに彼はマリアに食って掛かるが、涼しい顔で言い返されたことで毒気を抜かれたのか、エリシアの手を放して立ち上がった。
「まあいいや。今日のところは勘弁してあげる。でも、僕は絶対にキミと婚約破棄はしないから。たとえキミが望んだとしても、ね?」
夢が現実を侵食しようとしていることに不快感を感じていただけで、婚約破棄に関して言えば、エリシアにとっては望むところ。夢は夢であって現実でないと知れたことは僥倖だったが、婚約破棄の可能性は不本意ながら完全に潰されたことは想定していなかった。
「そ、それは置いておいて。あの時は助けてくれてありがとうございました!」
「うん? 何のこと?」
「えっと……ジュニア・ボンボンに追い詰められた私を――」
「それは僕じゃなくて溺愛従士クライだよね? たしかに彼もいい人だと思うけど、浮気はダメだよ」
「い、いや……。クライってクラウス殿下――」
エリシアが言いかけたところで、クラウスの人差し指が彼女の唇を塞ぐ。指を口に当てたまま、クラウスは口角を上げて微笑んだ。
「ふぅん。キミは僕が助けに来て欲しいって思ってたんだね。だから、クライを僕と勘違いしていると……。やっぱり僕が好きなんじゃないか!」
「なっ、そ、そんなことは……!」
エリシアがクラウスのことを好き、という言葉を聞かされて、彼女の頬が熱くなる。自然と頬に赤みが差して、全身の鼓動が速くなるように感じられた。とっさに否定しようとするも思うように言葉が出ず、エリシアはクラウスのことを好きなのではないかと思い始めていた。
「ふふふ、冗談だよ。まだ疲れているみたいだから、これで失礼させてもらうよ。おやすみ、エリシア」
「お、おやすみなさいっ!」
そう言いながら、クラウスは布団をエリシアの体に優しく被せる。たったそれだけでエリシアの顔は熱を帯びてしまい、大声で挨拶をするとすぐに、恥ずかしさのあまり顔を隠すように布団を深く被った。
この作品を読んでいただきありがとうございます。
続きを読んでみたいと思いましたら、是非とも↓の★★★★★で評価とブックマークをお願いします。