第1話 侵入者は父でした?!
「誰?!」
エリシア・ファーレンハイトは、窓の外から聞こえた物音と気配に目を覚ました。カーテンを開けると、明かりの消えた暗い部屋の窓から月明りが差し込む。一瞬だけ、月明りを遮るように人の姿がよぎる。
「侵入者っ?!」
エリシアはベッドから飛び起きて窓にしがみつく。窓に触れた時にカチャという音がしたけれども、侵入者には気付かれなかったようだ。チラリと外を覗くと、男は振り返る様子もなく、慎重な足取りで小走りに屋敷の壁沿いに進んでいく。
「何をしているのかしら……。やっぱり、泥棒かしら?」
ベッドの上に立つと、開いていた窓から冷たい夜風が吹き込んできて、彼女の美しい銀色の髪と薄桃色のネグリジェをはためかせる。
「もう、この服、すっごい邪魔なんですけど!」
薄手のシルクでできたネグリジェは、実際に着てみると思ったよりも透けていて下着までハッキリと見える。六歳の幼児体型とはいえ、男だった前世の意識が残っているエリシアにとって、あまりに刺激的すぎた。最近まで鏡に映った自分の姿すら恥ずかしくてまともに見れなかったほどだ。
しかし、今は忍び込んだ不審な男を追いかける方が大事である。泥棒や暗殺者だとしたら逆に危険かもしれないけど、自分が見逃したことで誰かが被害を受けるのはエリシアにとって耐えがたいことだった。
見失わないように素早くネグリジェの裾をたくし上げると、腰の辺りで縛る。窓枠に座って下を覗き込むと、思っていたよりも高く見えて鳥肌が立つ。
(この高さに恐怖を感じるなんて、信じたくありませんが――)
意を決して窓から裏庭に飛び降り、素早く茂みに身を隠して男の様子をうかがう。男は裏庭の奥まった所で立ち止まると、きょろきょろとあたりを見回す。
(何をやっているのかしら……)
エリシアは不審に思いながらも、男との距離を詰めるために、木や柱の陰と茂みを使って近づいていく。裏庭はあまり整備されていないのか、あちこちに小石が転がっていて、歩くたびに足の裏に痛みが走る。
「見失わないように、と焦って出てきてしまいましたが……。スリッパくらいは履いてくればよかったですわ」
エリシアの柔らかい足の裏は、素足で外を歩くには向いていない。かといってスリッパなど履いたら、ここまで静かに移動することができなかっただろう。
「あれから一歩も動かずに、辺りを見回しているだけ……。あそこが目的地なのでしょうか?」
見回していた男が、今度は屋敷の方を向いてわずかに見上げるような姿勢を取る。
「あの部屋は……。お父様の書斎があるところですわ」
男の狙いはエリシアの父であるゴルドー・ファーレンハイト公爵の書斎。この時間なら、彼は寝室で寝ているはずだし、部屋の明かりは消えている。
「あの部屋には誰もいない。であれば、おそらく何かを盗むつもりですわ」
エリシアは決定的瞬間を押さえるため、男をしばらく泳がせることにした。物陰から、男が壁を登るのを待っていると、男は急にジャンプした。
「えっ、ええっ?! ジャンプで二階まで上がりましたわ」
ワイヤーもロープも使わずに二階まで上がったことに少し驚いたものの、男から目を離さないように注視する。男はガラガラと窓を開けると、部屋の中へと入っていった。
「えっ?! 鍵を確認する様子もありませんでしたわ。とはいえ、施錠を忘れるなんて……」
男が開いているのが当然のように窓を開けて中へ入ったことも驚きではあったが、ゴルドーの防犯意識の低さに対する悲しみの方が上回る。
「おっと、そんなことを言っている場合ではありません。急いで追いかけませんと」
レンガでできた屋敷の壁を地道に登っていく。幸いにもレンガ造りの壁には隙間が多く、足場に困ることは無かった。
「うんしょ、うんしょ。まだ、いますわね……。あっ、あの箱は……。お父様が『絶対に中を見てはダメだよ。大事なものが入っているからね』って、言ってた箱じゃありませんこと?!」
二階まで登ったエリシアが窓の縁から中を覗くと、部屋の真ん中にある床下収納から箱を引っ張り出したところだった。男は躊躇いもなく箱の蓋を開け、脇に退ける。
「うーん。ここからだと、どうやっても中が見えませんわね……」
窓の下から覗いても、小柄な体を活かして雨どいに足を引っかけて、ぶら下がるように窓の上から覗いても、彼女の位置からは何一つ中身が見えなかった。
「こうなったら、出すところを押さえるしかありませんわね」
エリシアが中身を出すのを期待しながら待っていると、男はおもむろに服を脱ぎ始めた。
「えっ、何で?! 何で服を脱ぎ始めてますの?」
服を脱ぎ捨てて、男はあっという間に下着姿になった。机の上に置かれたランタンに火を付けると、うっすらとした明かりが部屋の中を照らす。ランタンを手にして、脱ぎ捨てた服の側に座り込むと、丁寧に服を畳んで箱の中にしまっていく。
箱の蓋を閉めて元の場所に戻し、壁にかかっていた灰色のローブを着込む。ふたたびランタンを手に机の方へと向き直ったところで、男の顔がランタンの明かりに照らされた。
「えっ、お、お父様……?」
エリシアは驚いて声が口から洩れる。何しろ、その男はゴルドー本人だったからだ。
「何で今まで気付かなかったのかしら。たしかに暗かったし正面から見たわけではありませんでしたけど……。もしかして、魔道具なのでしょうか」
そうつぶやいてエリシアは思考を巡らす。ジャンプで二階にあがったことも、魔道具だとすれば説明が付く。公爵邸の警備を抜けてきたにしては、男の動きは素人っぽさが残っていたが、それが認識阻害によるものであればエリシアが気付かなかったのも当然と言える。
「認識阻害と言っても、思い込みを強めるだけのものですわ。警備が気付かなかったということは、いるはずがないと思い込んでいるせい……これは、少し注意をしなければいけませんわね」
エリシアが考え込んでいる隙に、着替え終わったゴルドーは書斎から出ていってしまった。様々な効果の付いた魔道具の衣装は彼女の好奇心を大いに刺激する。
「見た目も正義の味方っぽくてカッコよかったですし。今すぐ着てみたい気もしますが……。お父様が戻ってくる可能性を考えると少し危険ですわね」
もう一度、書斎の中を覗いてみるが、彼が戻ってくる気配はない。しかし、何か忘れて戻ってくる可能性が無いとは言えなかった。
「やはり、お借りするのであれば入念に準備をしませんと。バレたら怒られてしまいますわ」
エリシアは、こっそりと服を借りる計画を立て始めた。
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