愛されていないはずの婚約者に「貴方に愛されることなど望んでいませんわ」と申し上げたら溺愛されました
「貴方に愛されることなど望んでいませんわ」
婚約者のノア・ヴィアーズにセレア・シャルロットは紅茶を飲みながら優雅に告げた。
何故、このような礼儀知らずなことを王族であるノア・ヴィアーズに告げたのか。
理由は簡単である。
伯爵令嬢セレア・シャルロットは婚約破棄を望んでいるのだ。
ノア・ヴィアーズとセレア・シャルロットが通っている貴族御用達の学園は、今ある噂で持ちきりだ。
「ノア・ヴィアーズがある男爵令嬢と恋仲である」
もちろんセレアだって、始めからそのような噂を信じていた訳ではない。
あの光景を見てしまうまでは・・・
物語は2日前に遡る。
学園からの帰り道、馬車で街を通っていたセレアは噂の男爵令嬢リア・セルナードとノア・ヴィアーズを見つけた。
いや、見つけてしまったのだ。
王族であるノア・ヴィアーズが男爵令嬢の首にペンダントをつけてあげていた瞬間の出来事だった。
そのペンダントはどうみても男爵令嬢が手に入れられる代物とは思えない程素晴らしい輝きを放っていた。
「嘘だとおっしゃって・・・」
そう消え入りそうな声で呟いたセリアに馬車に同乗していたセリアの侍女は立ち上がった。
「すぐに旦那様に報告しましょう」
「大丈夫です。セリア様は何も悪くありません」
侍女の言葉にセリアはすぐに反応出来なかった。
しかし、セリアは屋敷に着くまえに侍女に口止めを命じた。
何故ならセリアは婚約者であるノア・ヴィアーズを建前ではなく愛していたからである。
いくら王族とはいえ婚約者がいる身で他の令嬢と恋仲であるなど、醜聞どころの話ではない。
「セリア様・・・」
貴族令嬢として人前で涙を流さないよう教育されているセリアは涙一つ流さなかった。
それに加え、侍女に大丈夫と優しく微笑む姿は他の令嬢の憧れのままだった。
しかしセレアの心はかつてない程乱れていた。
ああ、今見た景色が夢であったなら良かったのに。
それこそ冗談ね。
だって、ノア様が男爵令嬢に向けた微笑みは見たこともない程穏やかだったもの。
ごめんなさい、ノア様。
今まで貴方の気持ちに気づかず甘えてしまいました。
大丈夫ですわ。
今からちゃんと貴方と婚約破棄してみせます。
大好きな貴方にこれ以上ご迷惑はかけませんわ。
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「愛されることを望んでいない?何を言っている。俺たちは婚約をしているんだぞ」
「それがどうされましたの?愛のない結婚など貴族の中ではよくあることで御座いましょう?」
確かに愛のない貴族同士の縁を繋ぐためだけの結婚は少なからず存在している。
しかし、幼い頃から婚約している私達はお互いの性格を良く分かっていた。
私がそのようなことを口に出すような令嬢ではないとノア様は知っているのだ。
そして、私もノア様のことをよく知っている。
ノア様が王族でありながら、愛のある結婚をしようとしていることを。
基本的に王族の婚約者は公爵家から輩出される。
しかし、公爵家にノア様に相応しい未婚の女性がいなかったこと、また徐々に力をつけつつあるシャルロット家の力を制御する目的で私にノア様との婚約の話が舞い込んで来た。
わずか6歳でこの婚約が決まり、初めての顔合わせでノア様は私におっしゃった。
「この婚約は王家とシャルロット家の繋がりを磐石にするためのものだ。しかし、私はセレアと仲良くなりたい。駄目だろうか?」
6歳の男の子とは思えないほど、達観していて尚私と向き合ってくださる。
幼心ながらにそんなノア様に惹かれたことをよく覚えている。
この人こそが私の国を支えるお方だと、私が愛するお方だと。
言葉を選ばなければ一目惚れだったのだと思う。
「愛のない結婚でも良いでしょう?」
この様に言えば、ノア様が私に悪印象を抱くことは明白だ。
しかし、それだけでは婚約破棄など到底出来ない。
平民たちの間で流行っているロマンス小説では、高位貴族の令嬢が平民をいじめ婚約破棄されるらしい。
そして、その高位貴族は「悪役令嬢」と呼ばれ断罪される。
それでは私の命も危ないし、お父様やお母様のみならず、このシャルロット家に関わる全ての人達に迷惑をかけてしまう。
では、どうすれば穏便に婚約破棄を出来るのか。
セリアが考えた方法は二つ存在した。
一つ目は、あの男爵令嬢リア・セルナードに王族に見合うだけの価値を見出すこと。
つまり男爵令嬢リア・セルナードを「女神の子」に仕立て上げる。
「女神の子」とはこの国では、教会に認められた見目の美しい令嬢でこの国の女神に愛されている娘のことを指す。
もっと言えば、学園卒業時で一番教養があり、成績が優秀な令嬢を教会がそう呼ぶのだ。
基本的に「女神の子」は王族の婚約者が選ばれるのだが、学園で一番「女神の子」に近い存在である私が今から故意に手を抜けばリア・セルナードにもチャンスはあるだろう。
二つ目は、王族ノア・ヴィアーズと男爵令嬢リア・セルナードの仲を多くの国民から応援させるものにすること。
幸い国民はロマンス小説の様な恋に憧れがある。
そのために侍女に密かに国民に「王子は学園で運命の人に出会った」と噂を流す様に命じた。
しかし、どの作戦を決行するにしろ一番大事なことは、ノア様が私に少しの未練もないことが大切である。
もっと言えば、嫌われる位が丁度良いだろう。
「セレア、何かあったのなら教えて欲しい」
ノア様が私のことを射抜く様な視線で見つめている。
「何もございませんわ。ただ、私は別にノア様を愛していないということです。それは、ノア様も同じで御座いましょう?」
「何を言っている…!」
「本当のことで御座いましょう?」
今の私は教養のある令嬢とはほど遠いだろう。
「セレア…!君は私のことを嫌っていたのか…!?」
「嫌ってなどおりませんわ。ただ、良い友人だと言っているのです」
「それが何を意味するか分かっているのか!」
「互いに他に想い人がいるのなら、隠れて愛を育む位は良いのではありません?」
「私はずっとセレアのことを愛している…!セレアは他に好きな男がいるのか…!?」
「そんなことノア様には関係ありませんわ」
「セレア!」
ノア様以外に好きな男などいるはずがない。
でも、ノア様の幸せのためならどれだけでも嘘をつけるわ。
「セレア、もう一度言う。私はセレアを愛している」
男爵令嬢と恋仲でありながら、私に平然とそんなことも言えるのね。
「ノア様、私はノア様の幸せを願っております」
これは本心ですのよ、ノア様。
貴方が幸せになれるのなら、私以外の人と結ばれても許せますわ。
「セレア、話を聞いてくれ…!」
「私はもう話すことなどありませんわ」
私は立ち上がり、屋敷に戻ろうと侍女を呼んだ。
「セレア!」
この時の私は気づいていなかった。
私のこの対応でノア様の態度が急変することを。
まさかノア様が私を溺愛するなど考えてもいなかった。
ノア様とのお茶会から5日が経った。
ノア様は毎日私の屋敷を訪れている。
勿論、顔合わせは体調不良という名の仮病で断っているが。
ノア様はせめてもの贈り物だと真っ赤な薔薇の花束を毎日置いていった。
「セレア様、街の人々にはセレア様の指示通り噂を流しました」
「ありがとう。街の人々の反応はどうかしら?」
「今の所、婚約者がある身で他の女に現を抜かすなどあり得ないという評判です。まさにその通りです」
侍女がしきりに頷いている。
今はそれでいい。
これから、男爵令嬢と王子様との美しい恋物語が始まるのだから。
コンコンと執事長が私の部屋のドアをノックした。
「はい」
「セレア様、殿下がお越しです」
「体調不良と断っておいて」
「・・・・よろしいのですか?」
「ええ」
執事長は幼い頃からこの屋敷に勤めていて、私を実の娘のように可愛がってくれている。
執事長に面会を断る様命じて、暫くが経った頃。
庭の方から何やら揉めている様な声が聞こえた。
私はゆっくりと椅子から立ち上がり、バルコニーへ出た。
「困ります、殿下!セレア様は床に伏せっておられます!」
「そのような嘘はつかなくてよい!セレアに一目合わせてくれ!」
執事数人でなんとかノア様を抑えている状況だった。
このままではノア様は帰らないだろう。
私は落ち着いて息を整えて、バルコニーからノア様に呼びかけた。
「ノア様」
「セレア!」
「体調不良だとおっしゃっているのに、非常識ではなくて?」
「セレア、話を聞いてくれ・・・!」
「話すことなどありませんわ」
その瞬間、ノア様の顔が悲しそうに引きつった。
「セレア、君には私の愛は伝わっていないのか」
私に向けた愛など初めから存在しないのだから当たり前だろう。
「ノア様の愛など求めていませんわ」
そう言った私はちゃんと立てていただろうか。
しかし、その言葉を聞いたノア様の態度は急変した。
「よく分かった」
ノア様が執事たちを押し退け、バルコニーの真下まで近づく。
「あら、分かって下さいましたの?」
「ああ、これから毎日セレアに愛を伝えよう」
「何をおっしゃいますの・・・!」
「どうやら、私の愛は伝わっていなかったらしい。これからは思う存分セレアを愛でることにしよう」
そう言って、ノア様は小さく微笑んだ。
「セレア、一つ言っておく。君には想い人がいるかもしれないが、他の男を愛することは婚約者の私が一切認めない。君が愛を注いでいいのも愛を注がれていいのも私だけだ」
「そんなことノア様に制限されたくありませんわ・・・!」
「セレア、君は私から逃げられると思っているかもしれないが、私は狙った獲物は絶対に逃さない」
そう言って、ノア様はバルコニーの下に一輪薔薇を置いて帰って行った。
「貴方が愛しているのは、あの男爵令嬢でしょう・・・?」
まるで本当に私を愛しているかのような振る舞いに、顔に熱が集まる。
明日から休暇が終わり、また学園が始まる。
「どんな顔をして、ノア様に会えばいいの?」
伯爵令嬢セレア・シャルロットの苦悩は続く。
学園は休暇明け、必ず試験を設けている。
試験の結果は廊下に張り出され、生徒の注目の的である。
毎回ノア・ヴィアーズが一位、セレア・シャルロットが二位と二人は良いライバルとして有名だった。
しかし今回、私は故意に平均程度になる様手を抜いて試験を受けた。
そんな私の注目は自分の順位ではなく、男爵令嬢リア・セルナードの順位である。
リア・セルナードにはこれから「女神の子」になれる様努力してもらわねばならない。
リア・セルナードの順位は13位と令嬢の中では優秀と言えたが、この順位では「女神の子」には程遠い。
「リア様、少しお話がありますの」
私はリア・セルナードを呼び出した。
黄金より少し薄い色でウェーブのかかった長い髪を靡かせるリア・セルナードはまさに可愛らしい令嬢と呼ばれるそのままの印象だった。
「私、リア様の教師になろうと思いますの」
「はい・・!?」
リア・セルナードが戸惑うのも当然だ。
何故なら上位貴族が自分より下の位の貴族に教師を申し出ているのだから。
「だめかしら?」
「私にはありがたい申し出ですが、セレア様のご迷惑になるのでは・・・」
「大丈夫。私の復習にもなりますわ。何より、私、リア様と仲良くなりたいの」
「あ、ありがとう御座います・・・」
リア・セルナードは戸惑いながらも、私の申し出を受け入れ、これから放課後に私のレッスンを受けることになった。
リア・セルナードと別れた私は、小さく息をはいた。
「おい、ため息なんて珍しいな」
「急に現れないで、びっくりするわ。それに言葉遣いに気をつけなさいといつも言っているでしょう、アレン」
「相変わらず、セレアは真面目だな」
アレンはシールベルト伯爵家の一人息子で、幼い頃から仲が良く、数少ない気負わずに話せる友人だ。
「セレアがリア・セルナードになんの用事があったんだ?本当に噂通り悪役令嬢にでもなるつもりか?」
「冗談はよして。リア様には勉強を教えたいと申し出たところよ」
「勉強を?今回、平均点でリア・セルナードより順位が低かったセレアが?」
「それは・・・」
「なんで手を抜いたんだ?」
アレンが鋭い目つきで私を見つめている。
「誰にも秘密よ」
私は、事情をアレンに打ち明けた。
「セレア、お前は本当に馬鹿だな」
「どういう意味?」
「それは俺の口から言うことじゃない」
「はっきり言って頂戴」
「まぁ俺には好都合かもな」
そう言い残して、立ち去ってしまった。
「どう言う意味よ」
そう呟いた声は校舎の壁へ消えてしまった。
校舎の中に戻ると、ノア様が私を見つけて軽く手を上げ近づいてきた。
「セレア、今日の昼食を共にとらないか?」
「ええ」
私がいくらノア様と距離を置きたいと考えていても、王族からの誘いを断ることは無礼に当たる。
「良かった、セレアの好きなものをシェフに作らせたんだ」
「有難うございます」
私とノア様はテラスに移動した。
「見て、ノア様とセレア様が御一緒に昼食をとられているわ」
「まぁ本当に仲がよろしくて羨ましい」
「やっぱり殿下と男爵令嬢との噂は嘘だったのね」
男爵令嬢とノア様の噂を広めようとしているのに、周りの令嬢たちが私たちを羨ましそうに眺めている。
「あの、ノア様・・・少し、離れていただけますか・・・?」
私はノア様から少し離れた席に移動をしようとしたが、ノア様に腕を掴まれた。
「セレアの隣は私と決まっているだろう?」
ノア様が微笑みながら、私をノア様の隣の席に促す。
「しかし・・・」
「セレア、私の隣は嫌か?」
ノア様は私が断りにくい誘い方をよくご存知でいらっしゃるようで、私は静かにノア様の隣の席に座り、昼食を頂いた。
「愛しいセレア。さっきはアレンと何を話していたんだい?」
「見ていらっしゃいましたの!?」
心臓が速なるのを感じながら、私は昼食を食べる手を止めた。
「ああ、校舎の窓から見ていたよ。セレアがアレンと仲睦まじそうに話しているのを」
ノア様の目が一切笑っていないが、しかし、アレンに私の計画のことを話したなんて言える訳がない。
「えっと・・・」
「セレア、君の想い人はアレンなのかい?」
「違いますわ・・・!アレンとはちょっとした世間話をしていたんです!」
ノア様が私の頬に手を添える。
「ノア様・・・!?学園の皆様に見られています・・・!」
「婚約者を愛でている所を見られても、何も問題はないだろう?」
「そんな・・・!」
「愛しいセレア。私を嫉妬させて楽しいかい?」
「からかわないで下さいませ!」
ノア様がこんなに積極的な所を私は見たことがなかった。
顔に熱が集まるのを感じる。
「セレア、君は悪女だね。私が近づけば頬を赤らめて、私に恋をしている顔を見せておきながら、私の愛を求めていないなどと言い放つ」
「その悪い口は私が塞いでしまいたいくらいだ」
ノア様が私の頬に手を添えたまま、私に顔を近づける。
私はあまりの恥ずかしさに目を瞑ってしまった。
「その可愛い顔に免じて、今回は口付けはやめておこう。しかし、その顔を他の男には決して見せないように。特にアレンにはね」
ノア様が私の頬から手を離す。
「さぁ、セレアの好物をシェフに作らせたんだ。冷めないうちに頂こうか」
折角、ノア様が私のために用意してくれた食事だったが、私は気が動転していてあまり味を楽しめずに終わってしまった。
「セレア、また会いに行くから」
別れ際、そう仰ったノア様は精悍とした王族らしい佇まいだった。
放課後、リア・セルナードに勉強を教えるため、私は図書館に向かった。
「セレア様!」
私を見つけ、嬉しそうに駆け寄ってくるリア・セルナードは女性の私でも可愛らしいと思うほど愛嬌があった。
「リア様、まずは歴史からお教えしたいのですがよろしいですか?」
殿下の婚約者になるには、まずこの国の歴史を学んでいる必要がある。
「はい!セレア様に教えて頂けるなんて光栄です!」
純粋な眼差しで私を見つめてくれるリア様に、ノア様がリア様を好く理由が分かった気がした。
教え始めて分かったことだが、リア・セルナードは飲み込みが速く、優秀な生徒そのものだった。
「リア様、お疲れではなくて?少し休憩しましょうか?」
「大丈夫です。セレア様は疲れていらっしゃいませんか?」
「大丈夫よ」
本当は怖かった。
ノア様を奪ったリア・セルナードにキツく当たってしまうのではないかと。
しかし、杞憂だった。
リア・セルナードが様々な人から好かれる理由も知れた気がしたから。
これなら大丈夫ね。
私もリア様なら安心してノア様を任せられるわ。
「セレア様?」
「何でもないわ。続きをしましょう?」
例え、私とノア様が婚約破棄しても私がこの国の民であることは変わらない。
その時は、ノア様とリア・セルナードが作るこの国の未来を信じよう。
「セレア様、明日も私に教えてくださいますか?」
「もちろんよ」
それからも一ヶ月ほど私とリア・セルナードの勉強会は続いた。
リア・セルナードに勉強を教え始めて一ヶ月。
リア・セルナードは順位を5位まで上げた。
まだ「女神の子」には遠いが、この短期間でこの成果を上げられることは素直に素晴らしいことだろう。
「リア様、頑張りましたね」
「セレア様のおかげです!」
私とリア・セルナードも随分と仲良くなり、私がリア・セルナードに嫉妬しているという噂も少々あったようだが、さっぱりと消えたようだった。
リア・セルナードの順位発表から数日後。
今夜はノア様とオルシア公爵家の主催のパーティに参加することになっている。
「セレア、準備は出来たかい?」
ノア様が私の屋敷まで馬車で迎えに来て下さった。
「遅くなり、申し訳ありません。準備に手間取ってしまって・・・」
私がノア様の待っている客間に入ると、ノア様が椅子から立ち上がった。
「今夜のセレアもとても美しいね。このままパーティなど行かず、誰にも見せたくないくらいだ。しかし、今宵は私の花を皆に見せびらかしに行くとしようか」
ノア様は馬車まで私をエスコートしてくれる。
馬車でパーティ会場まで着いた私たちは、まず、主催者のオルシア公爵に挨拶をした。
オルシア公爵は随分前に妻を迎え入れ、子も成人なさっているが、精悍な顔つきで今でも女性たちに人気がある。
「オルシア公爵。今宵は招待くださり、誠に有難うございます」
「殿下にセレア様。我が公爵家主催のパーティにお越し下さり、誠に嬉しい限りです。どうぞ、ゆっくりとなさっていって下さい」
「ええ、そうするつもりですわ」
その後も、招待客と挨拶を交わしているうちにダンスの時間になっていた。
「セレア、一曲どうだ?」
ノア様が私に手を伸ばして下さる。
「喜んで」
私はノア様の手を取りながら、いつかはこの手を掴むのが私じゃない女性になるのだと思うと寂しさが湧いてきていた。
「セレアは私のことだけ考えていればいい」
「え?」
「さっきから上の空だろう?」
「そんなことは・・・」
「セレア、ダンスが終わったらバルコニーへ出ないか?話したいことがある」
ノア様に誘われ、私たちはバルコニーへ向かった。
バルコニーへ出ると、夜風が気持ちよく、不安を飛ばしてくれる様だった。
「セレア」
ノア様と私と目を合わせる。
「何故突然、私に愛されることを望んでいないと言った」
「それは・・・・」
私はうまく言葉が出て来ず、ただただ涙を流してしまった。
淑女として、涙を流さないと今まで頑張ってきたのに、何故ノア様の前では上手くいかないのだろう。
「セレア、私に出来ることなら何でもしよう。どうか、私に君の悩みを話してくれ」
ノア様が私に近づこうとした時、誰かがバルコニーに出てきた。
「殿下、セレアを泣かさないで下さいよ」
アレンが私に近づき、ハンカチでそっと涙を拭いた。
「アレン、君には関係ないことだ」
「セレアも馬鹿ですけど、殿下も大概ですね」
「どういう意味だ・・・?」
「どんな理由であれ、好きな女性を泣かせるなんて紳士として駄目ですよ?」
アレンが私の顔を覗き込む。
「セレア、君がそんなに辛いなら、俺がセレアを貰ってあげようか?」
「アレン、何を言っている・・・!セレアは俺と婚約している!」
「俺ならセレアを泣かせませんよ」
アレンの意図は分からないけど、アレンを止めないと。
なのに、涙が止まらなくてうまく話せない。
「行こう、セレア」
アレンが私の肩を抱き、バルコニーを出ようとする。
「セレア!」
殿下の声がバルコニーの外まで聞こえた気がした。
私を別の部屋に連れて行ったアレンに私は何とか涙を止めて問い詰めた。
「何で、ノア様にあんなことを言ったの・・・!」
「セレアが泣くからだろ」
「どういう意味よ!」
「俺はセレアに笑っていて欲しいだけだ」
アレンが私を壁際まで追い詰める。
「何するの・・・!」
「なぁ、前に言ってた殿下との婚約破棄の計画。俺も協力してやるよ」
「急にどうしたの?」
「殿下とさっさと婚約破棄して、俺と結婚すればいい」
「アレン・・・?」
「俺は好きな女を泣かせたりしない。殿下と幸せになればいいと思ってたけど、気が変わった」
アレンが私に顔を近づける。
「なぁセレア。俺はセレアのことが好きだ。殿下がセレアのこと泣かすなら俺も譲れない」
「冗談よね・・・?」
「冗談だと思う?」
そう言ったアレンの顔があまりに真剣で、私は何も言えなくなった。
「セレア、お前はただ笑っていればいい」
アレンはそう言って、私から離れると部屋を出て行った。
「何が起きているの・・・」
その後、どうやって屋敷に帰ったか私はよく思い出せなかった。
翌日、学園が休暇の日だったので、私は屋敷で本を読むふりをしながら頭を悩ませていた。
コンコン。
執事長が私の部屋の扉をノックする。
「お嬢様、ノア・ヴィアーズ様がいらっしゃいました」
どうしよう、まだ心の準備など到底出来ていない。
「どうしてもお嬢様の顔を一目見たいと、とても苦しそうに仰っておりました。どうか、会える時間を大事にして下さいますよう。お嬢様を幼い頃から知る者のお願いです」
執事長がいつもの優しい声色でそう言った。
「ノア様を客間に通してくれるかしら?」
「かしこまりました」
私は深く息を吐いてから、殿下のいる客間の扉をノックした。
「ノア様、お待たせしました」
「セレア!」
ノア様が椅子から立ち上がり、強く私を抱きしめた。
「セレア、どうか私以外の男に取られないでくれ。君が他の男に取られるなど嫉妬で狂ってしまう」
「ノア様・・・」
「例え、君がアレンのことを想っていると言っても、私は君を離すことの出来ない愚か者だ。どうか私を見捨てないでくれ」
「見捨てるのはノア様でございましょう・・・?」
私はようやくその言葉だけ絞り出した。
「セレア、それはどういう意味だ?」
「私はノア様の幸せを一番に祈っております。どうかそれだけは覚えておいて下さいませ」
私は何とか笑顔を作って、背筋を伸ばした。
「セレア、言いたくないことがあるなら言わなくてもいい。でも、私が愛しているのはセレアだけだ。どうか覚えておいてくれ」
ノア様が私の髪に持ってきて下さった一輪の薔薇を添えた。
「セレア、君は世界一綺麗な女性だ。私が愛する私だけの花だ」
ノア様は、私の手にキスをして帰ってしまった。
ノア様が帰った後、私はもう一度リア・セルナードとの噂をノア様に尋ねることにした。
先程のノア様がどうしても嘘をついている様に見えなかったからだ。
侍女に頼み、街に噂を広げるのは一度中断してもらった。
明日はまた学校がある。
ノア様、もう一度あなたを信じてもいいですか?
翌日の朝、私はノア様を昼食にお誘いした。
「セレアの誘いを私が断るはずがないよ。昼休みを楽しみにしている」
その時のノア様の笑顔を信じようと思ったのだ。
昼休み、ノア様と約束したテラスに向かうと何故かノア様とリア・セルナードが談笑していた。
「ノア様・・・」
貴方を信じたいのに、何故そのような優しい微笑みをリア様に向けるのですか?
その時、誰かが私の目を手で覆った。
「セレア、あんなものは見るな」
「アレン・・・」
「そんなに悲しい顔で殿下を愛するなら、俺と一緒にいればいい」
「ねぇ、アレン。本当はもう一度殿下を信じようと思ったの。私は間違っていたのかしら・・・?」
自分の声が段々と潤んでいくのを感じる。
「セレア、俺は絶対にセレアを不安にさせない」
「アレン、前に私のことを馬鹿だと言ったわよね。アレンは殿下とリア様の噂の真実を知っているの?」
「セレア、俺はずるいやつなんだ。セレアだって知っているだろう?今、セレアが弱ってる時がチャンスなんだ・・・って言うつもりだったんだけどな」
アレンが悲しそうに笑った。
「俺はどうもセレアの笑顔が好きらしい。好きな女が泣きそうなのに、そのままでいられない。なぁセレア、もう一度殿下と話合えよ」
そう言って、アレンが私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「それでも、駄目だったら俺も遠慮しない。セレア、どうか幸せになってくれ」
アレンが殿下のいるテラスの方へ、私の背中を押した。
「もう殿下に泣かされるんじゃないぞ」
アレンの優しさに触れて、もう一度頑張ろうと思えた。
「ノア様」
「セレア」
リア・セルナードが私にお辞儀をする。
「セレア様、私はお邪魔でしょうからこれで失礼しますね」
「リア様、一つ聞きたいことがございますの」
「え?」
「リア様は殿下をお慕いしていますの?」
「何を言っている、セレア・・・!」
ノア様が立ち上がる。
私の震えた声でリア様は私の不安を感じ取った様だった。
「セレア様、私は殿下をお慕いしていますわ。ただし、一国民として」
「殿下もまだまだですね。私の大好きなセレア様にこんな不安そうな顔をさせるなんて」
リア様がいたずらっ子の様に笑った。
私は気づいたら、涙を流していた。
「セレア様も気持ちは言わないと伝わらないものですよ」
そう仰って、リア様は校舎に戻って行った。
「セレア、君は私とセルナード嬢が恋仲と勘違いをしていたのか・・・?」
「だって、ノア様が街でリア様にペンダントを・・・」
ノア様が私を抱きしめる。
「あのペンダントはセルナード嬢の祖母の形見だそうだ。取れてしまったようで、私が留めて上げただけだ」
「では、なんで二人で街に出かけたのですか・・・?」
「二人ではない。他の友人が店の中にいた。あの時はセレアへのプレゼントを買いに行きたくて、クラスメートが街にいくのを付き添わせてもらったんだ」
ノア様が私の顔を見つめ、口付けをした。
「皆様が見ていらっしゃいますわ・・・」
「私の可愛い婚約者を見せつけさせてくれ。可愛いセレア。私のせいで悩ませてすまない」
ノア様が私の首にネックレスをつける。
「セレア、君を愛している。もう二度と私の愛を求めないなどと言わないでくれ。私にセレアを愛させてくれ」
私はノア様の抱きしめる手に力を込めた。
「私が愛しているのも、愛されたいのもノア様だけです。もう二度と不安にさせないで・・・」
「セレア、これからも毎日セレアに愛を注ごう。もう二度とセレアが不安にならないように」
「ノア様、あの時の言葉を言い直させて下さいませ」
「貴方に愛されることを望んでいます」
「セレア、私の妻になってくれ」
「もちろんですわ」
ノア様がもう一度私にキスをした。
「貴方に愛されることなど望んでいませんわ」なんて残酷な言葉。
本当は貴方に愛されることしか望んでいないのに。
ノア様、もう二度と私にこの言葉を言わせないで下さい。
そして、ずっと愛を注いでくれますか?
fin.