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大一章 もう少しだけ

 馬を走らせて一時間、僕らは件の夜の森まで辿り着いた。

 広葉樹が所狭しと生え渡るその森は、葉と葉が空を覆い隠し、その名の通り夜の気配を漂わせている。

 近くの茂みにニシヨンブラックを隠して繋いで置き、僕らは森の中へと足を踏み入れる。

 「ここはそれなりに魔物も出るので、警戒は怠らないように」

 「……分かりました」

 注意を促して来る彼女だが、今も当たり前の様に煙草を吸いながら酒を飲んでいるし、警戒を払っているようにはまるで見えない。大丈夫かこの人……僕がしっかりしないと……。


 魔物というのは、普通の動物や植物の姿を更に凶悪化させた様な見た目の、魔力を孕んだ化け物達の総称だ。嘗てこの国を滅ぼさんとした魔王が生み出したもので、一貫して人間を狙って攻撃して来る習性を持つ。百年前に【暁の勇者】が魔王を討ち倒してからというものの、残った魔物は人間に狩られて絶滅するのを待つ一方だ。それでも狩り尽くすまでにあと百年は掛かると専らの噂だったが……。


 そんな事を考えていたら、すぐ近くの茂みに何か気配を感じて僕はそこに目を向ける。

 多分魔物だ。この辺りじゃ狼を模したような魔物が出没する筈だから、多分その類だろう。

 気取られ無いように片手剣を抜き、ルイーザさんに声を掛けようとするが。

 「えい」

 突如彼女が飲み干した酒瓶をその茂みに向かって放り投げた。

 え?

 途轍もないスピードで酒瓶が茂みに突っ込んだ瞬間に「キャンッ」と犬めいた短い悲鳴が響く。

 は?もしかして……やったのか?

 ルイーザさんは何でもなさそうにその茂みの側に寄ると、両手を突っ込んで何かを引き摺り出す。

 片手で今投げた酒瓶を、もう片手で引っ張り出したのは……狼型の魔物だった。赤黒い毛並みに鋭い牙と爪を持つ凶悪な容姿をしているが、どうやら今の一撃で気絶しているみたいだった。

 ルイーザさんは酒瓶を近くの木に当てて割ると、その鋭利な切先を魔物の喉笛に勢い良く突き立てた。

 血飛沫が辺りに散って、一瞬目を見開き口を大きく開けた魔物だったが、痙攣を起こした様に暫し震えると、直ぐに絶命した。

 この人……かなりの手練れだ。

 獣型の魔物は野生動物を模しているだけあって気配を消すのに長けている。魔法が当たり前に使われていた頃は、魔力による探知などが可能だったそうだが、今は自分達の五感に頼るしかない。そんな中で的確に頭部に攻撃を与えて気絶した後にとどめを刺すなんて……素人に出来る芸当ではない。

 「こいつらの牙はそれなりの値段で売れるので抜いていきましょう」

 淡々と言いながら、彼女は魔物の死体から大きめの牙を勢い良く抜き取って行く。

 「王国騎士だったってのは、伊達じゃありませんね」

 「おや、疑ってたんですか?」

 「少しだけ」

 若干申し訳なさそうに僕が言うと、彼女は意に介した様子も見せずに立ち上がった。

 「まぁ、今回は一匹だったのでなんて事はありませんでしたが、群れで来られると厄介です。移動しましょう」

 「はい」


 その後も彼女は、魔物が襲い掛かるよりも早く割れた酒瓶で攻撃を仕掛け、ほぼ一撃で奴らの命を奪い去る。

 僕は正直戦うのはあまり得意ではないので任せっぱなしだ。ちょっと申し訳がない。


 「少し休憩しましょうか」

 辺りに茂みがなく、やや開けた場所に出た僕らは、そこで一休みする事にした。

 倒木に並んで座り、僕は腰に括り付けていた水筒で、彼女はどうやって収納しているのか分からないが、スカートの中から取り出したもう一本の酒瓶で喉を潤す。

 「飲み過ぎると注意力が落ちますよ」

 「大丈夫ですよ。それに、もし酒も飲まずに殺されたとしたら、そっちの方が一大事ですから」

 「はぁ……」

 そういうものかね……。ん?

 僕は彼女の顔から視線を外して、辺りを見渡す。

 「さて、囲まれている様ですし……休憩はこの辺りにしますか」

 隣に座っていた彼女はそんな事を口にして、酒瓶を近くに置いて立ち上がる。

 彼女も気が付いた様だ。魔物って雰囲気じゃない……多分人間だ……それも複数。

 「バレているので奇襲は不可能ですよ、酒がまだ残っていますから、一緒にどうですか?」

 二本目の酒瓶を掲げて揺らしながら、ルイーザさんはやや大きな声で言い放つ。

 すると、辺りの木の後ろから、ゾロゾロと隠れていた連中が姿を現した。

 茶色のケープに身を包んだゴロツキ達だ。恐らく賊の類だろう……人数は五人。


 「酒は後で頂くさ、小僧を殺して……ねえちゃんぶち犯して殺した後になあ」

 そのうちの一人……一番体格がデカい奴がフードを取ってその顔を露わにする。ボサボサの総髪に、頬にある十字傷……首輪の似顔絵と一致する……こいつがメナガか……。

 「って……あんたシスターかい?こんな所まで何の用だ?犯されに来たのか?」

 飄々とした態度で、両手を広げたメナガが尋ねて来る。ケープの裾が持ち上がり、その腰にある二振りのダガーが見え隠れする。

 「ええ、私はシスターですよ」

 対して彼女はまだ酒を飲みながら、更に新しい煙草に火を付けて返す。

 「なんだぁ?シスターが酒?……ていうか黒い修道服……ああ、あんたクレプス教徒かぁ」

 「そうです。クレプス教ビッグストン教会がシスター。ルイーザ・ペニーブラックと申します」

 ルイーザさんは見事なカーテシーで以って名乗りをあげる。咥え煙草で、酒瓶を手に持ってたままだが……。


 「まぁどうでもいいや。取り敢えず小僧を殺してシスターは生捕りだ。顔に傷つけんじゃねえぞ」

 メナガがそう指示を出すと、残りの四人が徐々にこちらに近付いてくる。

 僕も抜剣して構えを取る。五対二か……あまり不利な状況で戦いたくはないのだが……。


 そんな事を考えていたら、突如ルイーザさんが行動を開始した。

 手に持っていた酒瓶を上に放り投げ、一瞬彼らの注意を逸らした瞬間に、足元にあった割れている方の酒瓶を拾って直様投擲する。

 狙われた男の一人は、ギリギリでそれに気が付いて躱そうとするが……違う、狙いは彼本体じゃない……瓶の切先はケープの裾を突き破り、すぐ横の木に釘付けにしたのだ。

 ルイーザさんは軽く飛び上がって落ちて来た酒瓶を手に取り、一瞬で動きを止めた男に距離を詰めると、彼の顎を的確に瓶で打ち抜いて気絶させて見せた。

 「てめぇ!」

 やや近くにいた二人が、ルイーザさんの方にナイフを抜いて襲い掛かる。

 メナガは出方を伺っており、残った最後の一人は、ルイーザさんに目を奪われていた僕の方に襲い来る。

 僕は慌てて片手剣で振り下ろされたナイフをいなす。直ぐに体当たりをする様に男を吹き飛ばしてルイーザさんの方に駆け寄ろうとする。

 だが……。

 ルイーザさんはスカートをヒラリと持ち上げ、その大胆に入ったスリットの隙間から、二振りの武器を取り出す。


 トンファー……かと思ったが違う。黒塗りの逆さ十字だ。鉄製の、その十字架を模した鈍器の短い部分を持ち手として、二人が振り下ろしたナイフを同時に受け止める。

 「トニーさん、このナイフには毒が塗ってあるみたいですから、斬られないよう気を付けてください」

 そんな状況下でも冷静に僕に話し掛ける余裕があるのか、彼女は彼らの攻撃を受け止めていた腕の力を突然抜いて、バランスを崩させる。

 ルイーザさんはすり抜け様に両手の十字架を振るうと、男達はフラリと足の力が抜けた様にその場に倒れてしまった。


 恐らく、的確に顎を打ち抜いて気絶させたのだ。

 なんだこの人……めちゃくちゃ強いじゃないか……!

 彼女の華麗な動作に目を奪われていると、地面に影が刺す。さっき吹き飛ばした奴が体勢を整えて再度襲いかかって来たのだ。

 影の形から横の大振りだろう。僕は瞬時に身を屈めてそれをやり過ごし、剣の柄を勢い良く彼の腹部にぶち当てる。


 「カハッ」

 息を漏らす様に呻き声を上げたその隙を見逃さない。僕はしゃがんだまま足払いを仕掛けて男を転ばせた後、再び柄で彼の頭を殴って意識を奪い去る。

 直様僕は立ち上がって、メナガの方に目を向けるが……いない!

 どうやってか、彼はその場から忽然と消えて姿を晦ませていた。

 何処だ……!

 辺りを警戒していると、突如ルイーザさんの背後にメナガが姿を現した。いつの間に木に登っていたのか、どうやら上から飛び降りて来たみたいだ。その両手には、二振りのダガーが握られていた。

 「ルイーザさん!」

 焦って声を掛けた僕だったが、ルイーザさんは眉一つ動かしていなかった。

 背後を見もせずに、前傾姿勢を取ると同時に後ろ足を突き出して、見事な蹴りをメナガの股間にクリーンヒットさせながらそのまま前に転がって距離を取って見せる。

 「ッッッ!」

 急所をやられたメナガは、上手く着地出来ずにその場に転げる。

 その隙を見逃すルイーザさんではなかった。一瞬にして飛び上がった彼女は、地面を転がるメナガが仰向けになりそうなタイミングに合わせ、彼の両の腕を彼女の両足で持って踏み付け、動きを封じたのだ。


 「サービスです」

 スカートをひらつかせながら、ルイーザさんはジョークを口にした瞬間、右手に持っていた十字架を振り抜く。


 鈍い音が響いて、踠こうとしていたメナガの力が抜けた様に止まった……気絶させたのだ。


 「トニーさん、ロープを」

 「……あ、はい」

 こちらに向かって手を差し出した彼女に、呆気に取られていた僕は教会に出る前に持たされていたロープを手渡す。

 他に転がっている四人も含めて念入りに縛り上げ、ものの数秒で無力化して見せた。


 「はい、お疲れ様でした。街に戻りましょうか」

 淡々と事を終えて、僕の方に向き直るルイーザさん。

 剣や槍も使わず……酒瓶とあんな短い鈍器二つで四人の男を難なく倒してしまった……。その身のこなしから察するに……下手をすればこの人番付の騎士だったんじゃないだろうか。


 「どうかしましたか?」

 キョトンとした様子で、彼女は僕に問い掛ける。

 「……いえ、その……何で殺さなかったんですか?」

 ふと、僕は彼女に尋ねる。


 この賞金首は生死問わずと首輪に書かれていた筈だ……つまり、ギルドに受け渡すのが死体だろうが生きたままであろうが報酬に関係ないのだ。狙って相手を気絶させるより、殺した方が手っ取り早い……しかし、彼女は一貫して気絶させるというやり方に拘っていた。


 「ふむ、殺生が好きではないからですよ」

 対して、彼女の答えは単純なものだった。


 「私達は金を稼ぐ為に彼らを捕まえますが、別に命を奪う事はしません……終わり方は彼らが決めるべきです」

 縛り上げた彼らを見下ろしながら、彼女はそう言った。

 「……投獄されても?」

 「はい。獄中で自殺するのも、脱獄するのも彼らの自由です。私はパニッシャーではありませんから……彼らを捕まえるのはただの金稼ぎ、裁く事が目的ではありません」

 まぁ、それもそうか。別に正義感でやってる訳じゃないもんな。生きる為に家畜を殺すのとそう違わない。


 「それで?トニーさんも何故殺さなかったんですか?」

 「……」

 そう聞き返して来た彼女に対して、僕は少し言葉に詰まった。

 「相手を殺さないのは私の流儀ですが、別にトニーさんにそう指示をした覚えはありませんからね」

 そういえば、特にその辺りの事は何も言われていなかったな。生死問わずとエル・エルさんは言っていたが、僕は何の相談もなしに最初から生捕りにするつもりでいた。


 「……ルイーザさんと同じです」

 僕の口から出たのはそんな言葉だった。


 「同じ?」

 「はい、理由はなんであれ、僕も誰かを殺すのは好きじゃない」

 ただ、それだけだ。

 僕が騎士団を離れた理由の一つ。

 人を殺すなんてのは、もう沢山だ。


 こうして捕えられた彼らが、仮にこの後死刑になったりしても、もう僕の預かり知らぬ所だ。結局は同じ事かも知れないけれど、僕の手で命を奪う真似だけはしたくない。

 無責任で、結局上辺を取り繕っただけの願望だ。

 しかし、その言葉を受けた彼女は少しだけ笑って「そうですか」、とだけ返して来た。


 僕らは、捕まえたメナガ達をニシヨンブラックの鞍に括り付けて、引き摺りながら帰路に着いた。

 そのまま僕らも上に乗ったら進めなさそうなので、歩いて帰る事した。

 陽が傾き始めて、街に着く頃にはすっかり夜になっているだろう。

 「どうでしたか、黒い安息日は」

 道中不意に彼女が、そんな事を尋ねて来た。

 「どうって?」

 「シャロンやビル、ギーザーや私達とこうしてやっていけそうですか?」

 夕陽に目を向けながら、彼女はそう言葉を紡ぐ。

 暗に、この生活が気に入らない様なら立ち去ってくれでも構わないと言っているのだろうか。来るものも、去るものも拒まないのが彼らクレプス教徒だ。個人の生き方には口を出さないのが流儀なのだろう。

 でも……。

 「そうですね……滅茶苦茶で、突拍子もない事ばかりですけど……何とか上手くやれそうですよ」

 僕には居場所が無い。帰る場所も無い。家族はもう居ないし、勿論だけど騎士団には戻れない。

 だけど、彼らと一緒にいるのは悪くないんじゃないかって、思い始めていた。

 「それに、まだ対価を払ってる最中ですからね」

 ダメ押しで、彼女にそんな言葉を言ってやる。

 僕と、彼女らを繋ぎ止めている楔……理由の一つだ。

 これを盾に、暫くそばに置いてもらおうとするのは我儘だろうか。


 「そうですか、それはよかった」

 その言葉を受けて、彼女はフワリと笑う。夜風に靡く黒百合の様な、新月の夜に輝く星の様な、そんな笑顔だ。

 「まぁそれじゃあ、帰ったら美味しい夕食をお願いしますね」

 「ええ、またブラックマーケットに行く必要がありますが」

 なんだかんだ酒と煙草しか手に入れてなかったしね。


 酒を飲んで、飯を喰らい、語らって、明日の事を考えながら眠る。

 そんな生活が来るなんて、思ってもいなかった。もう少しだけここで、彼らとこうしていよう。

 それが許されるなら、対価という鎖で繋がっていられるのなら。

 もう少しだけここで、酔っ払っていたいと……そう思った。

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