第一章 今はそれでいい
ギーザーさんと喧嘩した後、教会に戻ってくるとシャロンさんとビルさんも揃っていた。
二人は泥だらけで入ってくる僕らを見るなり、不思議そうな顔をする。
「あらあら、そんなに汚して……二人とも雨上がりの野良猫みたいですわ」
いつも通りカップに注いだ酒を嗜みながらシャロンさんが僕らに言う。
「こいつだけならともかく俺まで畜生風情と一緒にするんじゃねえよ」
ギーザーさんは不機嫌そうにそう吐き捨てた。
「さっきまで喧嘩してたんですよ……」
一連の出来事で疲れていた僕は溜息混じりに説明をする。
「へぇ、ギーザーと喧嘩するなんて根性あるねトニーくん。この町にいる殆どの奴はなるべくこいつの神経逆撫でしないように生きてるのにさ」
ビルさんはそんな僕らを見て可笑しそうに笑った。
「いや、流石に頭に来たので」
「こっちのセリフだ馬鹿野郎。細え事で腹立てやがって」
「いつも小さい事で子供みたいにキレ散らかしてるのはそっちでしょう」
「あ?んだとてめーやんのか」
「なんですかまたやるんですか?」
「よしきた表出ろ」
「ええ」
「何の騒ぎですか」
またもやヒートアップする僕達に、奥から出てきたルイーザさんが声を掛ける。
「うわっ……きったな」
泥んこの僕らを見るやルイーザさんはそう言い放つ。相変わらずの口調だ。
「何やってるんですかまったく……とっととシャワー浴びてきてください」
彼女は呆れ顔で奥の浴室がある方向を指差した。
「俺が先だ。お前は庭で水でも浴びてろ」
「嫌ですよ。僕が先だ」
「んだとてめーコラ。こういう時は年長者が先だろ」
「まともな年長者は後輩に譲るものですよ」
「お?なんだやんのか?」
「なんですかまたやるんですか?」
「よっしゃ表出ろ」
「ええ」
「早くして来てください」
パパァンッと小気味良い音を立ててルイーザさんが笑顔で僕らの頬を引っ叩いた。
「「はい」」
僕らは仲良く返事をして、仕方がなく仲良く一緒に入ることにした。
「しゃあねえ、ち●ちんの大きさで決めるか」
脱衣所に入るや否やギーザーさんがくだらないことを言い始める。
「何をですか」
「どっちが謝るかだよ」
「まだ言ってるんですかあんた」
「大事な事だろうよ」
と、またくだらない押し問答をやっていると、突如脱衣所の扉が開く。
「ちょ、ちょっと!」
ルイーザさんだ。
「ああすいません。さっきシャワー浴びた時に下着を履くのを忘れてたので」
と、またもやとんでもない事を言いながら半裸の男が二人いる空間にずけずけ入ってくる。
「お、なんだルイーザ一緒に入るか?」
事もなさげにズボンを脱ぎ始めるギーザーさんは慌てた様子もない。
「いえ、さっき入ったって言ったじゃないですか……」
彼女も当然のように脱衣所に落ちていた下着を拾ってその場で履き始める。
みんなもう少し憚ろうよ……。
「それとギーザー、その勝負はやめた方がいいですよ」
「あ?」
「トニーさんのち●ちんはマジででっけぇですから」
そう言い残し、ルイーザさんは脱衣所の扉をバタンと閉めて出て行った。
「……」
そんな言葉を受け、パンツ一丁のギーザーさんは扉から僕の股間に視線を移す。
「……いや、あの……早く入ってくださいよ」
「いや、とりあえずは勝負だ」
「はぁ、まぁいいですけど……」
最近知った事だが、どうやら僕のそれはかなりデカいらしかった。ピーチサロンのリカリコ姉妹が教えてくれた。
僕はズボンと下着に手を掛け、勢いよく降ろしてやった。
「はぁ⁈なにそれ⁈どうなってんの⁈え?春画?なんなの⁈え?え?」
因みにこの後、ギーザーさんは僕に泣きながら謝っていた。僕に謝らなきゃいけないことと、大きさで負けた事が本当に悔しかったらしい。どいつもこいつも馬鹿なんじゃないだろうか。
シャワーから戻ると、木箱が幾つか教会に運び込まれていた。ブラックマーケットの人が約束通り持って来たんだろう。
「おっ届いてんなぁ……ご苦労ご苦労」
髪の毛を拭いていたタオルをその辺に放り投げながら、ギーザーさんが言う。さっき泣いて謝って来た奴と同じ人間とは思えない態度だ。
「おや、ホワイトラベルじゃないですか」
木箱の側面に印字されたホワイトラベルプレミアムのロゴを見たルイーザさんは嬉しそうな顔をしながら、いきなりそのスラリと伸びた足を上に上げると……「えい」と声を上げて木箱に向かって踵落としをぶちかました。
バキィッという音と共に木箱の蓋が割れ、中の酒瓶が露わになる。
「あらあら、いっぱいですわねぇ」
近くに寄って来たシャロンさんが、テーブルに置いていた僕の片手剣を勝手に手に取り、テコの原理で割れ残った蓋を更に取り除いていく。
いや……荒っぽいなぁ……釘抜きとか使おうよ……。
ルイーザさんは中から酒瓶を取り出し、僕ら全員に一本ずつ投げ渡す。
「それじゃあ皆さん、カンパーイ」
彼女が乾杯の音頭をとると、皆それぞれ瓶を重ね合わせてからゴクゴクと一気に飲み干す。早死にするぞあんたら。
四人は飲み干した酒瓶を、いきなり床に放り投げてメチャクチャにする。
「だからそこら辺に捨てないで下さいって言ってるでしょ!」
「ああ、そうでした。すいません」
「なかなか慣れませんわねぇ」
「ごめんトニーくん、癖でつい」
「お前ぐちぐちうるせーんだよ」
四者四様の反応をするが、誰一人片付けようとはせず、また新たに一本手に取って蓋を開け始める。
仕方がないので僕は箒と塵取りで以ってそれを片付けた。
いい加減にしてくれよまったく……。
「さて、そろそろ行きますかね……トニーさん、少し着いて来て下さい」
二本目の酒瓶を片手に、ルイーザさんが僕に声を掛けてくる。
「なんでしょうか」
「振替安息日です。いっぱい集まりましたがダメ押しの金を稼ぎに行きます」
「はぁ……分かりました……」
「あ、その剣は持って来て下さいね」
歩き出そうとするルイーザさんに着いて行こうとするが、彼女はシャロンさんがさっき使ってそこら辺に放り投げていた僕の片手剣を見てそう言った。
「……荒事ですか?」
「ええ、まぁ念の為ですよ」
ニコリと笑ってそう言う彼女は手ぶらの様だし、まぁ護衛的な事だろうか。この町は治安が最悪だということはさっき改めて分かったしな。
僕は剣を拾って背中に背負うと、彼女と共に教会を後にする。
さて、この人はどうやって金を稼ぐのか……ギャンブルか、盗みか、はたまた身体でも売るつもりか……。
「どちらへ」
「賞金稼ぎギルドです」
「賞金稼ぎ?」
彼女の口から出て来たのは意外な言葉だった。
賞金稼ぎとは、その名の通り国が賞金を掛けた犯罪者や賊など……つまり賞金首を捕まえて報酬を得る職業だ。賞金稼ぎギルドとはその賞金首の情報の提供、そして身柄の受け取りと報酬の建て替えを生業としている。
魔物討伐や、旧時代のダンジョンの攻略等の依頼は冒険者ギルドが請け負っているのだが、冒険者登録をするには戸籍が必要である。その点賞金稼ぎギルドは戸籍は疎か、特に登録も手続きもない為誰でも賞金稼ぎになれてしまうのだ。
「この町にもあるんですね、賞金稼ぎギルドなんて」
「賞金稼ぎギルドは元々、扱いに困ったゴロツキ共を上手く使う為に国に作られた物ですからねぇ。毒を以って毒を制す的な感じです」
「なるほど……」
「だから治安の悪い町ほど多いんですよ」
そういうものなのか。確かに城下町には賞金稼ぎギルドは無かった。ていうか賞金首の情報は殆ど騎士団が抱えていたしな。
「騎士団の手が回らない案件や、取るに足らない雑魚はあちこちのギルドに回されます」
「じゃああんまり稼げないんですか」
「いえ、物によってはそれなりの報酬ですよ」
ていうかこの人、戦えるのだろうか。
賞金稼ぎなんてかなり荒っぽい職業の一つだ。当たり前だが賞金首だって無抵抗な訳がないし、賞金が掛けられてる時点でそれなりの手練れの筈だ。
「私が心配ですか?」
心の内を見透かすように、彼女はやや振り返って僕の方を見る。
「いえ、まあ……」
「大丈夫ですよ、トニーさんが守ってくれますから」
「他人任せかよ……僕にあんまり期待しないで下さいよ」
「ふふふ……」
程なくして、件のギルドに辿り着く。
【賞金稼ぎギルド Bee・Bee】と書かれた、ド派手な看板を掲げるその建物は、全体を黄色のネオンダイトで装飾しているが、今は昼過ぎなので光ってはいない。
因みにネオンダイトというのは、この国にまだ魔法があった頃の遺物で、西の方の山脈で採れたとされる魔光石だ。極少量の魔力を通すと光る性質で、加工も容易く様々な色をしている為、こうして建物や看板の装飾として使われているんだそうだ。
魔法が無くなった現在では、魔蓄石という魔力を溜め込む性質がある代物で、これらの旧時代の魔道具を動かしている。まあ、その魔蓄石も後百年もすればこの国から無くなってしまうと言われているが……。
そんな事を考えていたら、ルイーザさんが中へと入っていってしまうので、僕は慌ててそれに続いた。
中はまるで異世界だった。
ギルド内はガールズバーの様になっており、何やらよく分からないが蜂を模した制服を来た女性があちこちで給仕をしている。奥にはバーカウンターがあり、そこで依頼のやり取りをするようだ。蜂の巣を模したテーブルや椅子にはゴロツキ達が座って酒を飲んでおり、怒号や笑い声が飛び交っている。
装飾やモチーフは置いておいて、城下町にある冒険者ギルドと造りは殆ど同じな様だが、とにかく治安は悪そうだ。
「おお!黒シスターじゃあねえか!一杯やってくか?」
ここで、一番手前に居た屈強そうなゴロツキがルイーザさんに声を掛けてくる。
「後程頂きますよ、これから仕事なので」
「なんでぇ、今日は月曜日じゃねえか。まーた昨日もサボってたのかい!」
「ええ、興が乗らなかったもので」
「相変わらずのダメ宗教だなあ!ガハハ!」
上機嫌な男を軽くあしらって、彼女は奥のバーカウンターに進む。
そこには、黄色と黒を基調にした艶やかなミニスカートのドレスに身を包んだ少女が立っていた。
「やあルイーザ、久しぶりだね……」
下の方が黒っぽくなっている金髪のボブカットと、長い睫毛が特徴的な美しい女性だ。声がややハスキーめだが……男をダメにしそうな小悪魔的な雰囲気を持っている。
「こんにちはエル・エルさん。景気の程は?」
「ぼちぼちだよ……最近の賞金首は小物ばっかりでつまらない。このままじゃあ髭が伸びちゃうよ」
「そうですか」
ん?髭が伸びる?何かの慣用句だろうか。
「そっちの可愛い彼は?」
エル・エルと呼ばれた彼女は、カウンターに悩みを乗り出し、肘を付いて僕の方に目線を向ける。
「最近教会で家事を手伝って貰っています。トニーさんです」
「どうも」
僕は軽く会釈してから、彼女に手を差し出す。
「ふ〜ん。まだこの町に染まってないって感じだね……ボクはもっと危険な男の方が好みかなあ……偶にはギーザーも連れて来てよルイーザ」
変わった一人称で、僕と握手を交わしながらそんな事を言い出すエル・エルさん。
「相変わらずですねエル・エルさん。趣味が悪いのなんの……」
「君もボクの好みだよルイーザ。また一緒に寝てくれる?」
「気が向いたらお相手しますよ」
なんだって?今サラッととんでもない事言わなかったか?
「ああ……トニーさん、彼は男ですよ」
困惑気味の僕に対して、ルイーザさんはとんでもない事を言い放つ。
「はあ⁈」
男⁈この見た目で?
僕は改めてエル・エルさんを見やる。
華奢な身体付きに、髪型や顔付きだって何処からどう見ても女性だ。
「信じられないって顔してる……良かったら確かめてみる?」
妖艶な雰囲気で、彼女……いや、彼はそのスカートを両手で摘み上げると、徐々に上に引っ張って行く。
「だ、大丈夫です」
「なぁんだ、意気地なし」
つまんなさそうにエル・エルさんは溜息を吐くと、奥から何か羊皮紙の束を持って来てカウンターに並べた。
「これが今ある賞金首の首輪だよ」
どうやら賞金首の似顔絵と共に、情報が載っているリストみたいだ。
近くの山を縄張りにしている賊の頭領や、殺人鬼、果ては下着泥棒なんてのもある。賞金を掛けている人間の名前も載っていて、私怨で賞金を掛ける場合もある様だな。ていうか首輪って何だ。
「このリストは首輪と呼ばれています。首輪は報酬に応じて色分けされていて、大金貨十枚以下は青首輪、五十枚以下は赤首輪、百枚以下は黒、それ以上は全て金と分けられています」
カウンターに目をやっていたルイーザさんが説明してくれる。
「ふむ……」
少し黙って幾つかの首輪を見比べた彼女は、その中の一枚を選び取ってエル・エルさんに差し出す。
「では今回はこれで」
「……大金貨八十枚の黒首だね……残虐無比な快楽殺人強姦者、通称【斬りヤリ捨てのメナガ】。大振りのダガーの二刀流の使い手で、城下町付近で第七騎士団五名を相手に負傷を負わせて逃げ切った強者だよ。因みに生死は問わない」
羊皮紙に目を落としながら、彼は賞金首の説明をしてくれる。強姦に殺人……しかも番付の王国騎士相手に大立ち回りか……。
この国の王国直属騎士団は、主に番付と呼ばれる七つの上位騎士と、番外と呼ばれる下位騎士とで分かれている。
総団長率いる第一騎士団から実力は下がっていくのだが、第七と言えど番付は番付……とんでもない手練れである。それを五人相手に逃げ切ったとなると、このメナガという男はかなりの強さだ。因みに僕は勿論番外の一兵卒だった。
「最新の情報だとビッグストン付近の【夜の森】に潜伏しているみたいだね。つい一昨年の朝こいつ目当てで森に出発した手練れの賞金稼ぎが帰ってきてない……」
「成る程、まぁ丁度いいですかね」
そんな情報を聞かされても、眉一つ動かさずにいつもの調子で返事をしたルイーザさんは僕の方に向き直る。
「では向かいましょうかトニーさん」
「……ええ、はい」
正直僕は不安だった。
まず僕が勝てるかどうか分からない上にこの人が戦えるかどうかも未知数だ。
見るからに丸腰だし、そもそも戦っている姿が想像出来ない。
颯爽と歩き出す彼女の後を追い、僕らはギルドを後にする。
「取り敢えずは馬を借りましょうか。夜の森までなら馬を使えば一時間程ですから」
「はあ」
ギルドのある通りから大通りに出ると、今朝行った地下道の市場の様な活気を見せていた。両脇に所狭しと突き出された出店には、ギーザーさんの言う通り相場の三倍近くの値段で様々な商品が売り買いされている様だ。治安の悪さはどっこいどっこい。あちこちで笑い声と怒号が飛び交っている。
「こんにちは」
外壁の大門の近くにあるテントの前で立ち止まったルイーザさんは、近くに立っていた男に話し掛けた。
「へい、いらっしゃ……って、黒シスター殿!」
遊牧民の様な衣服を身に付けた四十代くらいのその男は、ルイーザさんを見るなり、やる気の無さそうな表情から一変させて頭を勢い良く下げる。
「景気はどうですかサイオウさん」
「ええ、お陰様で!本当に、お陰様で!」
ニコニコと笑いながら喋り掛ける彼女に対し、サイオウと呼ばれた彼はペコペコと頭を下げ続ける。
どう考えても怯えられてるなこれは。何があったというのだろうか。
「ニシヨンブラックを受け取りに来ました」
「ええ!只今連れて来ますので!暫しお待ちをっ」
彼女の言葉を受け、サイオウさんは跳ねる様にしてテントの方へと向かっていった。
「ニシヨンブラック?」
「私達が所有してる馬です。サイオウさんは馬の貸し出しや売買等を生業にしているのですが、月額幾らかでこうして預かったりもしてくれます」
「へぇ……幾らくらいなんですか?」
「確か大金貨三枚程だった気がしますけど、私達は一銭も払ってません」
「はい?」
何でもなさそうにそんな事を言う彼女に、僕は首を傾げてしまう。
「彼は大変な酒飲みでしてねえ……酒場で酔っ払ってギーザーを含めた私達に喧嘩をふっかけて来た事があったのですが……まぁギーザーが引く程ボコボコの返り討ちにしたので、以降ずっとあんな感じです。詫びとして私達のお馬さんの世話をロハでさせています」
「ああ……」
ルイーザさんが恐れられてるっていうか、教会メンバーに手を出すと短気で執念深いギーザーさんが出張ってくるかも知れないから怯えているって事か。
程なくすると、サイオウさんが一頭の馬を連れて戻って来た。
「お待たせ致しました!」
ニシヨンブラックと呼ばれたその馬は、綺麗な青毛が特徴的な大きな馬だった。青毛と言っても別に青くは無く、全身真っ黒だ。もう少し茶色がかった毛色は黒鹿毛と呼ばれるらしい。その身体に同化する様にこれまた黒い鞍と手綱が付けられている。
「ご苦労様ですサイオウさん。また今度一緒に酒でもいかがですか?ギーザーも交えて……」
「い、いえ!滅相もありません!」
「そうですか」
またもや勢い良く頭を下げる彼に対し、ルイーザさんはニコニコ笑いながらニシヨンブラックを撫でている。
脅しだよなあこれ……まぁいいか。
「トニーさん、馬の扱いは?」
「それなりに心得てますが」
騎士団で乗る事も多かったしね。
「では前は任せます。私は面倒なので後ろで」
「はあ」
僕は取り敢えずニシヨンブラックの首周りをポンポンと撫でてやる。馬は顔前面の箇所は死角になっているので、その辺りを触ろうとすると怯えたり驚いて暴れてしまう。
うん、大人しくて良い馬だ。よく調教されている。初めての僕が乗っても問題なさそうだ。
「よろしく」
声を掛けてやると、ニシヨンブラックは返事をする様に小さく嘶いた。
手綱を掴んで、鎧に足を掛け、勢い良く跨る。ルイーザさんに手を貸して彼女を後ろに座らせて準備は完了だ。
「では行きますか」
「はい」
すると、彼女は僕の身体に抱き付くように腕を回して……うおっ……!む、胸が……!決して大き過ぎず小さ過ぎない彼女の乳房の柔らかさがハッキリと分かってしまい、思わず狼狽える。
「おや、緊張してますね?問題ありませんよ、減るもんじゃありませんし」
「いや、そういう問題では無く……」
「身体と身体を……肌と肌を合わせる事にはリラックス効果があるんだそうです。なので落ち着いて下さい」
「はぁ……」
これが落ち着いていられるか。何故かそんな話をしながら密着度を高めて来ているし……。
取り敢えず脹脛でニシヨンの腹を圧迫し、前進の指示を出すと、驚く程従順に歩き出してくれる。良い子だなこの子。
僕らは門を潜って街の外へと飛び出す。
この街に来てから、外に出るのは初めてだ。
「夜の森はここから北東の方角にあります。轍に沿っていけば迷いませんよ」
ルイーザさんの指示を聞いて、僕はその方向へ馬を走らせる。
春の青々とした芝生に刻まれた轍に沿って、風を切って進む。辺りには倒壊した建物や、何故か転がっている髑髏、地面に突き刺さった剣や槍などが目立つ。
「そういえばルイーザさん、いつもどうやって賞金首を捕まえてるんですか?」
やや後ろを振り返って、気になった事を彼女に尋ねてみる。
「普通にぶん殴って気絶させて縛ってからしょっ引きます」
「ぶん殴るって……」
殴って気絶させるなんて顎を正確に狙わない限りかなり難しいぞ……僕はそういうの得意だけどさあ。
「まぁ、何かあったらトニーさんが守ってくれますから」
「いや、だから何を根拠に……」
「元王国騎士でしょう?」
「ッ……」
突然、前の僕の身分を言い当てられて、面食らってしまう。
「貴方を介抱している時に、王国騎士団の紋章が付いたタグを見てしまいました。あれは騎士団に所属する者しか持っていない筈ですから」
ああ、今僕が服の下に首から下げているものか……。身に付けている事が当たり前過ぎて失念していた。ていう事は一緒にシャワーを浴びたギーザーさんや、ピンクサロンの双子も気が付いているかもしれない。不用心過ぎたな……。
「まぁ、特に詮索するつもりはありませんよ。話したくなったら話して下さい」
「……どうしてですか?」
「はい?」
僕は、目線を前に戻して、彼女に尋ねる。
「どうして、いつも何も聞かないで居てくれるんですか、貴方達は」
僕がどうしてこの街に流れ着いたのか……どうして死のうなどと考えていたのか……普通だったら聞くだろう。
「ふむ……そうですねぇ……あんまり興味が無いからですかね」
彼女は、少し考えた後にそんな言葉で応えてくる。
「興味が無い?」
「貴方という人間には興味がありますよ。でも、貴方のして来た事や、過去にはあまり興味はありません」
「……」
「あの街に前向きな気持ちでやって来る人間なんて、多分片手で数える程しかいないでしょう。皆、後ろ向きに……逃げて逃げてあそこに辿り着く。私も例外ではありません」
彼女も、逃げて来たのか……あの街に。逃げた先でやりたい放題やって死のうと、あの暮らしをしているのか。
「どうして逃げて来たのか、何故死に場所にあそこを選んだのかなんて……そんな暗くて面白味の無い話なんてどうでもいいです。ギーザー、シャロン、ビルだって……三年くらいの付き合いになりますが、彼らがこの街に来るまで何をしていたか、何故この街に来たのか、果ては本名や素性に至るまで私は知りませんよ」
そうか……まあ通り名とか、偽名とかそういう事もあるのか。僕は思いっきり本名を名乗ってしまったけど……。彼女のルイーザ・ペニーブラックという名前も、もしかしたら偽名なのかも知れない。
「もし仮に、ギーザーが以前残虐無比な人殺しだったとしても……シャロンが小賢しい詐欺師だったとしても……ビルが最低な強姦魔だったとしても……それはどうでもいい事です。この街で出会って、こうして共に酒を飲み語らう彼らは、ロクデナシの馬鹿でクソ野郎で最低な連中かもしれませんが、私に取って気の良い友人でしかありませんから」
「……」
確かに、彼らはこんな僕にも優しく接してくれている。見ず知らずの、素性も知れない僕に……同じ釜の飯を食らっただけで、同じ瓶の酒を飲み交わしただけで、側に置いてくれている。
過去を問い、罪を吐かせ、贖罪や救いだ何だと教えを説くラネル教と違って、彼らクレプス教徒は今幸せになる事を重んじる。上辺だけの優しさや、安寧かも知れないけれど、そういう優しさもあるんだと、気付かされた。
「……まぁ、私だけ貴方の素性を一つ知っているのは不公平なので、少し私の事を教えてあげます」
不意に彼女がそんな事を口走るので、僕はまた視線を少し後ろにやる。
「私も元々、王国騎士だったんですよ」
「……ルイーザさんが?」
「ええ、この私が」
「……想像付きませんね」
「でしょう。私も似合わないと常々思っていたので逃げ出しました」
大酒を飲み、大飯を喰らい、煙草を吸いながら排便し、酔い潰れて吐瀉物を撒き散らす。そんな彼女が国を守る王国騎士だったなんて、さっぱり想像出来なかった。
「まぁですので、それなりに戦いには慣れてますから……大きな心配は無用ですよ」
「……分かりました……」
そう語るルイーザさんに、色々と聞きたい事はあった。
番付だったのか、番外だったら何処の隊に所属していたのか、何年前まで騎士をやっていたのか……しかし、それを聞くのはやめておいた。
僕が教会で出会ったこの黒シスターは、滅茶苦茶で、だらしがない人だけど、少なくとも僕にとっては良い人だったから、今はそれでいい。
手綱を握り直して、再び前を向く。
取り敢えずは彼女達と生きて行く為に、出来る事をやればいい。