表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/9

第一章 泥棒の王様

 あの後ビルさんと別れ、うんうん唸って考えた結果、結局風俗店は行かずに教会に帰ってきた。

 「戻りました」

 扉を開き中の様子を見る。

 「おや〜トニーさんお帰りなさ〜い」

 そう言いながら赤い顔でニコリと微笑んだのはルイーザさんだ。相当出来上がってるな。片手に酒瓶、もう片手に煙草。恐らく僕とシャロンさんが活動費調達に出発してから飲み続けていたのだろう。彼女が座っている食卓には焼いた肉だけが盛られた皿と、食べ終えた皿、そして酒瓶が幾つも置かれていた。


 「あ〜……またこんな散らかして……ていうかまた肉だけ食べて、体に悪いですよ」

 また吸い殻がその辺に落ちてるしさあ……。

 「トニーさん……そんな事はありませんよ〜。好きな物を好きなだけ喰らい〜……ヒック……好きな物を好きなだけ飲んで〜……ウッ……好きな物を好きなだけ吸う……これが私の健康法です。「我慢が一番身体に悪い」ですからね。うふふ……神も仰ってます……うふふ」

 苦言を呈する僕に、ルイーザさんはベロベロになりながらも経典を誦じる。

 「いや、どう考えてもそっちのが悪いですよ……まぁいいや。それでギーザーさんは?」

 僕はテーブルの上や床に散らばった吸い殻を拾って灰皿に集めつつ、ルイーザさんの向かいに座るギーザーさんの方を見やる。

 彼は酒瓶と火の付いてない煙草を両手に握りながら机に突っ伏している。


 「……二度と……飲まねぇ……」

 その姿勢のままギーザーさんがボソリと呟く。思いっきり潰れてるな。しかも真っ赤な嘘だ。短い付き合いだけど分かる、この人が酒を断てる筈がない。

 「は〜いギーザー……迎え酒ですよ〜」

 「おぼぼぼ……」

 そんな状態のギーザーさんの頭を掴んで上げさせると、ルイーザさんが彼の口の中にウイスキを強引に流し込んでいる。

 「いやいやルイーザさん。死んじゃいますよ」

 でも凄い。一滴も溢してないしちゃんと飲んでる……。

 「俺は死なねぇよ……ウッ……」

 そう言って彼は立ち上がると、フラフラとした足取りで何故かキッチンの方へ歩き出した。

 「ちょっと大丈夫ですか」

 僕は転びそうになるギーザーさんを支えて声をかける。

 「うるせぇな……別に酔ってねえよ。そんなに飲んでねぇし……うぅ……一人で歩ける……」

 「嘘八百じゃないですか」

 仕方がないなもう……。僕は彼を長椅子の所まで連れて行ってそこに寝かせ、適当な毛布を掛けておいた。

 今日は黒い安息日。彼らクレプス教徒が一週間で唯一働く日だというのに、この人達はどうやら飲んだくれていただけらしい。

 「ルイーザさん。活動費です」

 テーブルにジャラリと音を鳴らしながら大金貨の入った革袋を置く。

 「おや〜!沢山ありますねぇ。よし、じゃあ飲みに行きますか」

 「行きませんよ!ルイーザさんももう寝て下さい!」

 教会の金を集めて来いってあんたが言ったんじゃないか……!

 「う〜……トニーさぁん……」

 そう言いながらルイーザさんもとうとう机に突っ伏してしまう。

 ダメだこりゃ。


 今日の仕事はもうお終いだな。シャロンさんとビルさんには悪いけど、彼らを寝かせて僕も寝よう。

 ルイーザさんの背中と膝裏を支えに両手で抱き上げ、僕は彼女の部屋に移動する。

 キッチンやトイレ、バスルームがある廊下の突き当たりにある階段を上がると、嘗てのラネル教のシスター達が使っていたと思われる小部屋が幾つかある。

 階段を上がってすぐの所にあるのが彼女の部屋だ。その隣が僕の部屋。……そういえば入るのは初めてだな。

 両手が塞がっていたが、ドアが半開きなので助かった。彼女のズボラさが役に立ったな……って……。

 「……」

 身体で押すようにして扉を潜った先にある光景を目にして絶句する。

 百本程はありそうな空の酒瓶。灰と共に散らばる吸い殻。脱ぎ散らかされた衣類に、腐った果物や肉の食べ残し。僕が足を踏み入れた瞬間に何匹かの鼠とゴキブリがあちこちを駆け回り、蝿が飛び交っている。


 別に女性でも片付けが苦手な人はいる。そこに性別は関係ないと思うが敢えて言わせてもらおう。……これが本当に女子の部屋なのか?


 どう考えても人が住んでいるとは思えない状態だ。この人よくここで寝てたな。ルイーザさんのからたまに生ゴミみたいな匂いがしたのはそのせいか……。

 人生初めてのギャンブルと借金とバニーボーイのコールと双子バニーガールソープランドマッサージで精神的に疲れていた僕は今すぐ寝てしまいたい衝動に駆られていたが、この光景を見て大人しく寝ていられる筈もなかった。

 一応プライベートだしな、と放置していたのがダメだった。この人は羞恥心とかあんまり無さそうだし、そんな流暢な気遣いをしている場合ではなかったのだ。

 深くため息を吐いて、彼女を僕の部屋のベッドへと寝かせる。

 一階からもう使い慣れた掃除用具を持って来て、スカーフで口を覆い、手袋を付ける。

 「……やるかぁ」

 今日はまだ黒い安息日だ……日を跨ぐまであと数時間ある。いや、僕はクレプス教徒じゃないから関係ないんだけどさ。

 僕は麻袋を片手に、分別作業から取り掛かった。


…………………


 次の日になり、二日酔いの状態で起きて来たギーザーさんは頭を抱えながらテーブルへと座った。

 「……おい根暗ァ……卵、ウスターソース……ううっ……トマトソースと酢と胡椒とグラス持って来い……」

 開口一番そんな事を言い出すが、もうこの教会にそんな食材は残っていない。それになに作る気なんだ。

 「いや、もう卵も何も無いんですが」

 「はあ?使えねえな……チッ……根暗ァ……ちょっと面ァ貸せよ」

 「はい?なんですか、ポーカーですか?ドッグレースですか?」

 彼は僕が差し出した水を一思いに飲み干すと、陶器のカップを勢い良くテーブルに置いた。危ないなあ、割れたらどうするんだよ。

 「博打じゃねえよちげえよ殺すぞ。昨日はやる気が出なくて俺も黒シスターも飲んで寝ちまったからな、振替安息日だ。買い物に行くぞ」

 咥え煙草のギーザーさんはポケットに手を突っ込み立ち上がりながらそう言った。

 相変わらず口と態度が悪いなこの人。ていうかなんだ振替安息日って……自由過ぎるだろこの宗教。

 「ルイーザにこの町での買い物の仕方をお前に教えてやれって言われてたしなあ……着いて来い。お前は荷物持ちだ」

 「ええ……」

 「何嫌そうな顔してんだ。俺に重たいもん持たせる気か」

 「いや、まぁわかりました」

 さっき言ったように、この一週間と少しで、この教会にある食料もほぼ底を付いている。この街に来てからというものの、殆ど出歩いていない為どこで買い物をしていいか分からなかったが、ようやくこれで市場の場所や様子が確認できる。

 荷物持ちっていうのは不本意だが。

 僕はテーブルの上に置いてあった活動費入りの袋を、腰に巻いたベルトの横の留め金に括りつける。

 「なぁ、それもうちょっと増やさねえか?」

 僕が手に取ったそれを見て、ギーザーさんが怖い事を言う。

 「いや、博打なんてもう御免ですよ」

 それにさっき博打じゃない殺すぞとか言ってたじゃないか。

 「いやほら。余分にあったって良いだろ。酒と煙草やり放題だぞ」

 「減るかもしれないでしょ」

 僕は眉を顰めてギーザーさんを睨む。

 「なんかお前スられ易そうな顔してんなぁ……よし、それを俺に預けとけ。安全だぞ」

 「絶対ダメです!ギーザーさんすぐ酒と煙草に溶かすでしょう」

 「ちぇっ……つまんねーな。まあいいや行くぞ」

 「あ、ちょっと待ってくださいよ」

 スタスタと歩いて行ってしまうギーザーさんの後を慌てて追い掛ける。

 この人はここに集う邪教徒達の中でも一番人当たりが悪い。僕の呼び方なんて根暗だし、軽めの蹴る殴るは日常茶飯事だ。


 「それでどちらへ?」

 教会を出て歩きながら僕はギーザーさんに尋ねる。

 「ブラックマーケットだ」

 「ブラックマーケット?」

 「ああ、この街は表の大通りと、この街の地下道に二つ市場がある。大通りの方はこの街に来たばかりの新参者からぼったくる為のクソ市場だ。殆どの物が相場の三倍はしやがる。地下の方は街に慣れて来て、その市場の存在に気が付いた奴が主に利用している。「ここを知らねえ奴らはまだぼったくられてんだろうなぁ……ゲヘヘ」ってほくそ笑んでる奴らが殆どだが、ここもやっぱり相場の二倍はしやがるからクソ市場」

 「両方共クソ市場じゃないですか……」

 「そうだ。この街で商売したきゃ商会ギルド【ブラックマーケット】の長、ブルースに許可を貰ってみかじめ料を払う必要がある。そんな訳でどこもかしくもクソぼったくり店しかねえ」

 「で……そのまだマシな地下の方に行く訳ですね」

 「まぁそういうこったな」


 ここビッグストンは無法者の街だ。城下町が移されてからというものの、国が管理を手放しゴロツキや賞金稼ぎ、浮浪者や札付きの犯罪者達が蔓延っている。どんな些細な事でも現城下町であるスモルストンの常識は通用しない。


 裏路地を歩いて程なくすると、袋小路に行き当たった。行き止まりには荒屋があり、その扉の両脇に屈強なゴロツキが二人程立っている。その横には、木製のテーブルが置かれていた。

 「げっ……ギーザー……」

 その二人の内の一人がギーザーさんの事を見るや否や顔を顰めた。

 「あ?ギーザー?さんはどうした?さんは」

 その刃のような目付きを更に鋭くしながらギーザーさんは男に凄む。

 「いや、すいませんギーザーさん!こんちわっす!」

 「こんちわっす!」

 それに対して男二人はビシッと背筋を伸ばして挨拶をする。

 「はいはいこんちわ〜」

 先程の気迫は鳴りを顰め、飄々とした態度でギーザーさんは返した。

 「で、どうだいブラックマーケット共。景気の程はよ」

 「ええ……お、お陰様でそれなりに……」

 「ええ……そりゃあもう、はい」


 ペコペコと頭を下げる二人組は、ギーザーさんに怯えているようだ。どうやらさっき話にあった商会ギルドのメンバーらしいが……彼らに対するギーザーさんの態度は地元の悪いチンピラみたいだ。俺はビッグになるぜ!とか言って故郷を出たと思ったら数年経って急に帰って来て、「なんで俺に挨拶しに来ねえんだ!」とか理不尽な理由で年下を殴り付けるような、そんな感じ。

 「まぁ、いいや。通してもらうぞ」

 「ええ……そのぅ……ギーザーさん……盗みだけはやめて貰えると……」

 「ああ?」

 男の一人が腰を低くしてそう言うと、ギーザーさんは再び眼をギラ付かせた。

 「俺が?いつ盗みをしたってんだ?」

 「いや、そのぉ……」

 「おい、証拠あんのか?証拠、え?」

 「や、えっと……」

 「証拠もねえのに人疑ってんじゃねえぞ!」

 彼はゴロツキの胸ぐらを掴んで建物の壁に叩き付ける。

 「ちょちょちょ!ギーザーさん落ち着いて!」

 成り行きを見守っていた僕は慌てて止めに入る。もう片方のゴロツキはビクビクしていて動けないみたいだ。

 どんだけ恐れられてんだこの人!

 「てめぇら商売人はよぉ!信用第一だろ?信用!んなのに証拠も無しに人疑うとかどういう了見だ⁈ああ⁈」

 「ひっひぃぃぃ……!」

 しかし、ギーザーさんは止まる気配がない。

 ええと……ブチギレたギーザーさんを宥める方法をビルさんがこの間教えてくれたっけ……確か……。

 僕は教わった文言を思い出し、彼の肩を掴んで大声で叫ぶ。

 「ちょっとギーザーさん!落ち着いてください!煙草買ってあげますから!」

 「了解〜」

 僕の言葉を聞くや否や、スッと殺気を収めた彼はいきなりゴロツキから手を離した。

 叩きつけられていた男はその場に崩れ落ちる。


 「はい、金ちょーだい」

 こ、この男……!

 「おいどうした、早く金寄越せよ」

 掌をこちらに差し出し、ヒラヒラと手招く彼に僕は思わず溜息が出てしまう。

 「あとで買ってあげますから……。ええと、貴方大丈夫ですか?」

 先程まで胸ぐらを掴まれていた男に声を掛け、手を貸して起こす。

 「あ……ああ……ありがとうございます……!」

 「ありがとうございます……!」

 なんかめちゃくちゃ感謝されてしまった。どう考えても身内であるこっちのせいなんだけど。

 ギーザーさんは言い掛かりだ的な事言ってたけど、この人泥棒なんでしょ?疑われても仕方がないんじゃないか。

 「命拾いしたなぁお前ら……次俺が盗んだとか証拠もねえのに適当こいてみろ、舌引っこ抜いて耳に詰めてやるからな」

 「ひぃぃぃぃぃぃ!」

 「すすすすいません!」

 再度脅し掛ける彼に対して、彼らはペコペコ頭を下げている。なんだか可哀想だな……。

 「ブルースのバカ野郎にもそう伝えとけ」

 そう吐き捨てるとギーザーさんは横に置かれていたテーブルに、ポケットの中身の財布や煙草等の持ち物を置き始める。

 「これは……?」

 「お前も同じ様にしろ。ここのルールだ」

 「はぁ……」

 持ち物検査だろうか……。危険物の持ち込みは禁止とか?

 男二人組は立ち上がると、僕らの荷物を改め始める。でもギーザーさんがジャケットの内側から取り出したナイフや、僕が背負ってる片手剣なんかを見せても特に反応は無いし、預ろうとするような事はなかった。


 「えっと……そちらの方お名前は」

 「あ、トニーです」

 男達は僕らの荷物や名前等を細かく羊皮紙に書き込んでいる。

 程なくして、「お待たせしました」と言って荷物を返してくれた。

 「はいよ」

 荷物を仕舞ったギーザーさんは、そう言いながら建物の扉を勢い良く開く。

 するとその先には、部屋ではなく地下へと続く階段が広がっていた。四人、五人くらいは並んで歩けるくらいの幅だ。

 なるほど、これで地下の市場に入る訳だな。

 扉の前を守るように立っていた男二人を見るに、許可を得た人間しか入れないのだろうか。それか盗みがあった時に捕まえる為とか……色々考えられるな……。

 石畳の階段を降りると、段々と人の声が聞こえて来た。

 「ここがブラックマーケットだ」

 ギーザーさんの声と共に視界が開ける。

 そこはまるで夜市のようだった。

 上の大通りとほぼ同じ通路幅の地下道には、左右に様々な出店や、壁を掘って造られたと思われる店構えが立ち並ぶ。道行く人はどいつもこいつもゴロツキ風で、あちこちから笑い声や怒号が絶え間なく響き渡り、天井付近にはロープが何本も張られていて、そこに淡い橙色を放つランプが幾つも吊り下げられていた。

 「わぁ……」

 現城下町にもこういった地下道は存在する。兵士や物資を秘密裏に動かしたり、緊急時に王族を逃す為に張り巡らされたものだ。ここも旧時代にそういう使われ方をした筈だ……しかし今は見る影も無く、活気沢山の薄汚いストリートが広がっている。

 「ほら、行くぞ」

 「いてっ」

 感心していた僕の足を蹴飛ばして、ギーザーさんが歩き出した。

 前方は結構な人混みで、互いに肩がぶつかっただけで「どこ見て歩いてんだ!」とか「てめぇ殺されてぇのか!」みたいないざこざが聞こえてくる。治安悪いなぁ……。

 しかし、僕は目の前の光景にハッとする。

 人垣が割れて来ているのだ。それも、ギーザーさんを中心に。

 この喧騒をどこ吹く風といった様子で、ポケットに手を突っ込んだままの彼に、道を開ける様に皆両脇へと退がって行く。その彼らの目に宿るのは決して敬意や、憧れ、親しみの眼差しではない。恐怖だ。ここにいる人達は明らかにこの男を恐れている。

 上にいた二人組といい、一体なんだっていうんだ?


 「ここにある店の半分はブラックマーケットの直営店、もう半分はみかじめ払って店出してるゴロツキ商人共だ。直営店はみかじめが無い分品が安いんだが、俺はあいつらが嫌いだからそこでは買わない」

 そんな彼は、僕の方を見もせずに此処の説明をし始める。

 「はぁ」

 なんだそりゃ

 「とりあえず根暗。このメモに書いてあるやつ買ってこい。ルイーザに頼まれてたもんだ」

 「え?あ、はい」

 突然ギーザーさんが僕に羊皮紙を手渡して来た。それに目を落とした僕は、思わず深い溜息を吐く。


 『ブラックドープ×百本(一本あたり銀貨一枚まで値切れ。出来なきゃ殺す)』

 『煙草×五十箱(銘柄はなんでもいい。銀貨一枚まで値切れ。出来なきゃ殺す)』

 『なんか良い感じのツマミ(品物、量はお前のセンスに任せる。気に入らねぇもん買って来たら殺す。高くても殺す)』

 『あとなんか良い感じの気の利いたもん(気が利いて無かったら殺す)』


 なんだこれは。

 酒と煙草とおつまみって……これが活動費で最初に買うものなのか?それにしたってウイスキ百本ってなんだ、五人で割っても一人あたり二十本…いや、あの人達ならこれくらい必要か…。後で細々とした食材は僕が自分で買う必要があるな。ていうか最後の気の利いたもんってなんだよ、抽象的過ぎるだろ。


 「……あの、これ持ちきれないんですけど……」

 「ん?あ〜……だろうな」

 彼は少し何か考える仕草を見せたが、すぐになんて事のないような顔で返事になってない返事をする。

 「いや、だろうなじゃなくて」

 「俺は他に寄るところあるから、一時間後にまたここで集合な。遅れたら殺す、そんじゃ」

 「ちょっと!」

 手早く説明を終えると、彼は人混みを文字通り分けながら去って行ってしまった。

 「はぁ……」

 いきなり来た場所に置いていくなよな……。まぁ簡単な地図と店名は書いてあるみたいだし、お使いくらいは出来るけどさ。

 だけど、繰り返すが一人で持ち切れる量ではない。台車とか貸してくれる店はあるだろうか……。辺りを見渡すと、手押し車に買った物を大量に詰め込んでる客も数人見受けられる。恐らくスロープの様になっている出入り口が何処かにある筈だ。

 まぁいい。とりあえずは軽そうな煙草から行くか。ていうか煙草屋って教会のすぐ向かいに無かったか?窓から見えていたが、あそこではダメなのだろうか。


 そんなくだらない事を考えながら、更に地図を見ながら歩いていたこの時の僕は、側から見たらかなり注意散漫だっただろう。忘れてはいけない、この街は無法者が集う、国に忘れ去られた街なのだ。


 「あっ」

 メモにある煙草屋『スモーキー』に着いた時だった。腰のベルトの辺り手をやった時、とある事に気が付いた。

 「……ないッ……!」

 活動費が無い!大金貨五百枚が入った袋が無いぞ!

 僕は焦ってジャケットのポケットなどを確認するが、何処にもない。

 まさか落としたか……!

 すると、青褪める僕を見た煙草屋の女性店主が、カウンター越しに半ば煙に埋もれる様に声を掛けてきた。

 「どうしたぃ……にぃちゃん……見ねぇ顔だが……困り事かぃ……」

 ヤニと酒でやられたガラガラの声だった。伸び切った天然パーマの白髪と、丸くて小さいサングラスが特徴的な三十代前半くらいの女だ。美人だが……何故か煙草を五本くらいいっぺんに火を付けて咥えている。怖い……。

 「あ、えっと……財布落としちゃったみたいで」

 「落としたぁ……?ははっ……にいちゃん随分楽観的だねぃ……そりゃ落としたんじゃねぇよ、スられたのさ」

 ニタニタと笑いながら女店主はそう言った。

 「え?……いや、単に落としただけじゃ」

 「いんや……スられたのさ……だってにぃちゃんがウチの看板見上げてる時に……それっぽい奴がにぃちゃんのベルトん所から袋盗って走って行くのがアタシにゃよぉく見えてたぜ」

 「おぉい!見てたんなら教えて下さいよ!」


 とんでもない事を言い出す煙草屋のおねえさんに僕は思わず大声を上げてしまう。

 「あぁん?なんでアタシがわざわざカウンター乗り越えて……その盗人追い掛けなきゃなんねぇんだぃ……んな義理ねぇだろ?」

 さも当然の様にその女性店主は言い放つ。

 「大体……メモ見ながらフラフラしてる奴なんざカモだろ。見るからに狙い目って感じだったぜにぃちゃん……もうちっと気ぃ張ってた方がいいぜ……こんな所じゃあよぅ」

 今朝教会を出る時にギーザーさんに言われたことだ。本当にその通りになってしまった。

 そうだ……此処は治安の良いスモルストンでは無い……。王国騎士が守るあの城下町ではないのだ。奪ったり騙す奴が悪いのでは無く、奪われたり騙されたりする者が悪いのだ。僕が油断していた……!

 あの教会の人達はろくでなしばかりだと思っていたけれど、見知らずの僕の持ち物を奪って、素っ裸で追い出すような人達では無かった……それ故に勘違いしていた。

 「……それもそうですね……油断してました。ご忠告ありがとうございます」

 そう言って僕は店からやや離れて出て当たりを見渡す。

 人混みが多すぎて分からない…!

 「まぁ、そのスリの見た目は覚えてっから、教えてやらない事もねぇけどねぃ」

 そんな僕を見るに見かねた女店主が声を掛けてくれる。

 「本当ですか!ありがとうございます!」

 僕は彼女の言葉に、思わず礼を言って頭を下げた。

 「……」

 僕の態度が気に障ったのだろうか……目を細めながら此方を見てくる。

 「……あの……何か……」

 「いんや、まともに礼を言う奴を久しぶりに見たもんでねぃ……ま、いいや。にぃちゃんおもしれーから特別に教えてやるよ。ちょっと面貸しな」

 五本の煙草をいっぺんに掴み、溢れ返った灰皿に押し付ける店主。ハミ出た吸い殻がボトボトとカウンターの向こう側とこちら側に落ちていく。

 顔を近付け……煙草臭いな……彼女は小声で僕の耳元で囁く。

 「いいかぃ……此処らで盗みやってんのは盗賊ギルド【ダッシュ】の連中だ」

 「盗賊ギルド……?」

 「ああそうさ……。この街に蔓延る泥棒集団さ。こいつらは一人一人はただのコソ泥なんだが一つ厄介な事があってねぃ」

 厄介な事?

 眉を顰める僕に、店主はまたまたとんでもない事を告げてくる。

 「この盗賊ギルドダッシュと……此処を仕切ってる商会ギルドブラックマーケットは裏で繋がってんのさ」

 「はぁあああ⁈」

 またもや僕は思わず声を荒げてしまう。

 「静かにしねぇかッ」

 「あ、すいません……」

 僕の頭を押さえ付け、彼女は話を続ける。

 「ったく……にぃちゃん、此処にいるって事はどっかの入り口から入ったろ、見張りみてーな奴等が二人くらい居た筈だ」

 「はい……」

 僕はギーザーさんが脅していた二人組を思い出す。

 「このマーケットでは買った商品には必ず購入証明書を付ける決まりでねぇ……商品名と金額、そしてアタシら店主の認め印がある奴だ。奴等はマーケットから出る奴の荷物を改めて、品物を盗んでないか確認すんのさ」

 「ああ……」

 だから荷物を改められたのか。ここを出る時に証明書無しの、最初に持ち込んだ荷物以外の物があれば、それは盗品という事になり、取り上げられるという事だろう。

 店主は新たに六本の煙草に火を付け、紫煙を撒き散らかしてまたもや煙に埋まる様に話を続ける。

 顔が近いからやめてくれないだろうか……。

 「だが、ここでスリに遭ったって話は有っても、スリを捕まえたって話は一度も無ぇ……なんでだかわかるかぃ?」

 「……ダッシュが盗んだ品を、ブラックマーケットが回収しているから?」

 「御名答。盗まれた品はマーケットの外れにある『奈落』って店で売られてっからそこで買い戻すしかねぇが……財布や金なんかはそのままギルドの懐一直線さ」

 「な……」

 なんて仕組みだ……盗んだ物をそのまま商品として売っているだって?しかも買い戻さなければならないだと?更に金まで抜かれると来た。これには流石に頭が痛くなってくる。

 「それは僕のものだって言い張ったらどうなるんですか?」

 「腕っ節で買われてるブラックマーケットのメンバーに事務所まで連れてかれてタコ殴りさ」

 「ええ……」

 もう滅茶苦茶だ。血も涙もないじゃないか。

 「唯一助かる手段は、スられた瞬間にそいつを捕まえるしかないねぃ……ま、でもダッシュの奴等は皆んな似た様な格好してるから、逃しちまったらもう見つかんねえよ、表見てみな」

 彼女の言葉を受けて、僕は辺りを見渡してみる。

 「深緑のフーデットケープを被った連中が数人居るだろ……あれ全部ダッシュの連中だ」

 「はあ⁈」

 今左右見ただけで五人は居たぞ?

 「ま、そういう事で見た目は教えられるが、なんの役にも立たねえってこった。もう金も抜かれちまってるだろうしねぃ……」

 「そ、そんなぁ……」

 話が終わって、僕はガックリと項垂れてしまう。もう終わりだ……。あんな大金失くしてしまうなんて…。


 「おい根暗、何やってんのお前」

 ここで不意に後ろから声が掛かった。ギーザーさんだ。

 「ああ……えっと……」

 「手ぶらみてぇだけど、まだ一個も終わってねえの?時間に遅れたら殺すよ?」

 なんて説明したらいいか分からなくて、戸惑っている僕に対してギーザーさんは手に持った酒瓶を振り上げてくる。

 マジでこれ殺されるかもなぁ……。

 「おぉ……ギーザーじゃねぇかぃ」

 ここで店主が声を掛けてきた。

 「よぉチャー。景気はどうだ?」

 どうやらこの女店主はチャーさんというらしい。

 「ぼちぼちだねぃ……てか、あんたこのにぃちゃんの知り合いかぃ」

 「ああ。俺の子分だ」

 誰が子分だ。

 「えっ……ああ……あ〜……」

 それを聞いたチャーさんは目を丸くして、咥えていた煙草を数本落としてしまう。何に驚いているのだろうか。

 「おい、にぃちゃん……」

 彼女の声に、僕は顔を上げる。

 「なんとかなるかもしんねぇよ」


……………


 「お前どん臭えなあ」

 「本当にごめんなさい……」

 チャーさんと僕から、大金貨入りの袋をスられた話を聞いたギーザーさんは、呆れ顔を向けてきた。

 「お使いも出来ねえのに金までスられるたぁ……こりゃあもう重症だな」

 「はい……」

 「酔っ払い以下だ」

 「はい……」

 「虫ケラだな」

 「仰る通りで……」

 ギーザーさんの罵倒に、僕はどんどん小さくなってしまう。

 「しゃあねえな……俺がなんとかしてやるよ」

 「え?」

 なんとか出来るのか?

 「おいにぃちゃん。運は悪かったが、最悪じゃあ無かったなぁ……」

 チャーさんが僕の方を見てそう言った。

 「え?」

 「さっき言ったろ?なんとかなるかもしんねぇって……このマーケットで盗みが出来るのはダッシュの連中の他にあと一人だけいるんだ」

 「あと一人?」

 僕が首を傾げると、チャーさんは顎で隣に立つギーザーさんを指す。

 「あっ」

 僕はルイーザさんの紹介を思い出す。この人はこの町で、泥棒の王様と呼ばれているのだ。

 この一週間と少し、彼が働いた盗みといえば、うちの教会に置いてある酒を勝手に持ち出す程度の可愛いものだったからなんとも思って居なかったけど、そう呼ばれるだけの実力がこの人にはあるって事か?

 「で、でもどうするんですか?」

 「ま、見てからのお楽しみだな……うちのバカが世話んなったなチャー。事が済んだら煙草買いに来るぜ」

 彼はそう言うと、出口の方に向かって歩き出してしまう。

 「あ、ちょっと!……あの、ありがとうございました!」

 「アタシゃなんもしてねぇよ。またなにぃちゃん。次は煙草買ってくれよ」

 チャーさんにお礼を言って、僕はギーザーさんの背中を追いかける。

 「それで、本当にどうするんですか?」

 「とりあえずはここを出る」

 「はぁ?」

 スタスタと歩いて行くギーザーさんは、そのまま最初降りてきた階段を登って、出口へと戻ってしまう。

 「よぉお疲れちゃん」

 「あ、毎度有難う御座いました……!」

 「……ッした……!」

 最初に会った二人組の所まで戻り、再度僕らは荷物を改められる。

 「……あれ、そちらの方……革の袋はどうしました?」

 男の一人が僕に声を掛けてくる。

 「あ、えっと…」

 「それが聞いてくれよおまえら、こいつ間抜けでさぁ……買い物しようとしてたらスられちまったんだってよぉ」

 横にいたギーザーさんが僕の肩に手を回して戯けるように言った。

 「えっ」

 それを聞いた二人組は、その一文字だけを発すると石のように硬直した。

 「いやぁ、アレは俺らクレプス教会の共有財産でさぁ……。共有財産ってかほぼ俺の金っつーかなんっつーか……」

 言葉を連ねるギーザーさんに対し、男共は徐々に脂汗を顔全体に滲ませる。

 「ま、そういうことだから……」

 そう言って彼らを見たギーザーさんの横顔は、隣にいる僕ですら震え上がるくらいの殺気を放っていた。

 「また、来るわ」

 静かに、けれど確かに、心臓に抉り込む様な冷たい刃。そう思わせる鋭い眼光が、彼らをいっそう縮み上がらせた。

 言い終えるや否や、ギーザーさんは歩き出してしまうので、一拍遅れて僕も着いていく。

 「あ、あのギーザーさん……」

 「あ?なんだよ」

 「さっきのって……」

 「……この街に来たばっかの時さぁ……俺もまだまだだったから、アイツらに財布スられたことあんのよ」

 懐から取り出した煙草に火を付けて、ギーザーさんはボソリとそう言った。

 「頭来たからさぁ、その後三日掛けてブラックマーケットの商品の中でも大金貨十枚以上の品だけ選んで盗みまくってやったの」

 「えっ」

 「まぁどっかでそれを売るのもめんどくせぇから大金貨五百枚で品は返してやるって言って手打ったんだわ。そこまでの事が出来る奴なんて世界広しと言えど俺くらいだからな。それ以来アイツらは俺と、俺とよく連んでるルイーザとかには手ぇ出してこねえのよ」

 詳しくは分からないが、アレだけの規模の商会ギルドの商品倉庫か何かから、高騰なものだけ選んで全て盗み去ったというのか?一人で?

 「ま、今回も似た様なもんさ……こっちだ」

 暫く歩いて辿り着いたのは、またもや荒屋であった。

 ギーザーさんはそこの扉を開いて中に入り、床の木材を何枚かひっぺ返す。すると、地面の土に半ば埋っている木の板が現れた。

 「よっと」

 それを持ち上げると、人の頭が通れるくらいの穴があった。

 「ギーザーさん……これは……」

 「俺が掘った。地下のブラックマーケットの事務所付近に通じてる」

 「なっ……でもこれ通れないんじゃ」

 「そう、俺以外は通れない。俺以外はな」

 そう言うと彼は、突然その穴に頭を突っ込んだ。

 「ちょっと!何してんですか!」

 しかし、そこで恐るべき事が起きる。

 ゴキリ、という不快な音と共に、ギーザーさんの肩の関節が外れたのだ。

 「ッ!」

 ゴキリ、ゴキリと音を何度も鳴らしながら、肩を含め体の様々な部位の関節を外しては穴の中に捩じ込み、外しては捻じ込みという動作を繰り返すと……とうとう彼は足まで穴の中に入っていってしまった。

 痛くないのかこの人⁈

 僕も騎士団にいた頃、訓練中の事故で肩関節が外れた時の痛みは経験済みだ。外れる時もそうだが戻す時がとんでもなく痛い……それを意図的にやるなんて……。

 「……てなわけでよ〜」

 暫く絶句していると、穴の中から声がした。恐らく少し下の空間は広めに掘られているのだろう。

 「俺ちょっと仕返ししてくっからさ〜、三十分くらいしたらまたさっきのマーケットの入り口辺りで待っててくんね〜?」

 「……わ、わかりました!」

 「そんじゃ〜」

 その声を最後に、なんの音もしなくなってしまった。

 ば、化け物だ……。あんな狭い隙間を、関節を外して入り込んで盗みを働くのか?これなら、王族の住むエドゥリーバ城ですら忍び込めるのではないか?

 人が入れると想定されていないルート……例えば水道管や排水口……頭さえ潜れる大きさなら、息の続く限り彼はどこにでも入れてしまう。

 泥棒の王様……。その呼び名に偽りはないという事か……。


……………


三十分経って、僕はさっきの入り口のところまで戻ってきた。

 すると、荷物検査役の男二人が何故かボコボコにされており、地面に転がっている。

 まさか……ギーザーさんがやったのか⁈

 「やぁ、君かね……」

 不意に背後から声が掛かる。

 振り返るとそこには、黒い礼服に身を包んだ、初老の男性がステッキを片手に立っていた。撫で付けられた白髪と、柔和な面持ちの品の良さそうな老人だ。

 若干警戒していた僕は、その雰囲気に肩の力を抜く。物凄く優しそうな人だな。

 「えっと……」

 「ああ、挨拶がまだだったね、私はブルース。このブラックマーケットのギルド長をしている者だ」

 ニコリと目尻に皺を寄せて、彼は微笑んだ。

 「⁈」

 ブルース?この人が⁈あの黒い仕組みを実行するギルドのリーダーだというのか?

 どこからどう見ても孫を可愛がるタイプの好々爺にしか見えない。

 「君の名前は?」

 腹黒さだなんて微塵も感じさせない様子で、ブルースさんは僕に尋ねてきた。

 「……トニーです」

 驚きを隠せない僕は、少し黙ってしまってから名乗り返す。

 「トニー……ふむ、いい名前だ」

 この人が……僕らの金を……。

 「……あの、えっと……盗んだ物を返して頂けませんか?」

 思わず聞いてしまっていた。

 「……?盗んだ物?はて、何の事だかわからないなぁ……」

 しかし彼はどうやらすっとぼける気のようだ。

 「いや、だから僕から盗んだ金貨入りの袋を……」

 「無駄だぜトニー、そいつらは盗みをぜってえ認めねえさ」

 また背後から声が掛かる。ギーザーさんだ。またあの穴を通って戻ってきたのだろう。よく見ると今朝着ていた服と違うな……侵入の手段を悟らせない為か、泥が付いた服は着替えてきたようだ。

 「……やぁギーザー、久しぶりだね」

 「よぉブルース、相変わらず顔面と腹ん中がチグハグだな」

 「君のように顔付きと心中がここまで一致している人間も珍しい」

 「そりゃどうも」

 ブルースさんはニコニコと、ギーザーさんはニヤニヤとしながら、探り合うような目線を交差する。

 「そいつらどうしたんだい?」

 ギーザーさんは、マーケットの入り口のところで倒れている男二人を顎で指して意地悪そうに笑う。

 「なに、重要な事柄の報告を怠ったようでな……少々お仕置きしたまでだ」

 恐らく、僕がギーザーさんの連れであるということの報告を怠ったせいだろう。いや、入り口を潜って割とすぐにスられたから、情報が行き渡る前にやられたのかもしれない。

 ニコニコ笑う彼の手をよく見ると、血が付着している事に気が付いた。

 この人がやったのか……。

 「おいおい、ちょっと可哀想じゃねえか?」

 と微塵も可哀想と思ってなさそうな顔のギーザーさん。

 「なぁに、これから発生する損害を考えれば、まだまだ足りないくらいさ」

 「そうかい……。あ、そうそう……ちょっとアンタに売りてえもんがあるんだけどさ」

 そう言ってギーザーさんは、ジャケットの内側から何かを取り出そうとするが、ブルースさんがそれを手で制した。

 「……まったく、彼らから報告を受けて五分で百人を警備を付かせたというのに……」

 ブルースさんが溜息混じりに言う。

 なんだって?百人の警備を掻い潜って盗みを働いたのかギーザーさん。

 「どうやった……それを保管してある部屋には十人いた。それに、君と思われる人影が我々の前に姿を現し、そして逃げ出してからその部屋には誰も入っておらず、それが入っていた箱は一度も開けられてない筈と報告を受けているぞ」

 ブラックマーケットの事務所内での話だろうか。

 「さぁ、何のことだかわかんねえな。俺はこれを偶々拾っただけだぜ?」

 「ふっ……まぁいいだろう」

 そんな話に目を白黒させていると、更にとんでもない言葉がブルースさんの口から出てきた。

 「……その品物、大金貨千五百枚で買おう」

 「っ……」

 僕は絶句する。

 大金貨千五百枚だって?

 「ん〜……たった千五百かぁ。これの価値はあんたが一番よくわかってると思ってたんだがなぁ……」

 「はっはっは……欲をかくものではないぞ若僧……それで見逃してやると言ってるんだ」

 「強突張りはどっちだい爺さん。これがあるからあんたらは億単位の金が稼げるんじゃねえのか?」

 「そうとも、だがそんな物を君が持っていても仕方がないだろう。それに、君がいくら優秀だからといって、百の人間を相手取って守れるのは自分の命だけだろう?」

 「言うじゃねえか」

 二人の間に、鋭く刺すような不穏な空気が立ち込める。なんだ、何を言ってるんだこの二人は。

 「ま、そうだなぁ……大金貨千五百枚と、ホワイトラベルプレミアム百本と煙草、銘柄はなんでもいいや……百箱で手打ってやるよ」

 「……いいだろう」

 数秒黙った後に、ブルースさんは頷いた。

 ギーザーさんは一体……彼らから何を盗んで来たっていうんだ……。

 「んじゃ、交渉成立って事で……品は教会に届けとけ、二時間以内な。あ、煙草はチャーの所で買ってやれ、正規の値段でな」

 「どうしてかな?」

 「アイツの店のツケがそろそろやばくなってきたから、それでナシ付けといてくれ」

 「相変わらず君は金欠のようだな」

 「盗みの才能はあるんだが、博打の方はどうやらからっきしでね。あ、別に俺は今回盗みなんて働いてねぇからな?」

 「そういう事にしておこう。……おい」

 ブルースさんが誰かに向かって声を掛けた、すると茂みから深緑色のフーデットケープを着た男がサッと出てきた。

 こいつ……ダッシュの構成員か。堂々と出してきたな……。

 フードの男は懐から取り出した革袋をブルースさんに手渡す。

 これは……僕が盗まれた物だ。しかし、どう見てもあの時より中身がパンパンに入っているようだ。

 ブルースさんはそれをギーザーさんに向かって差し出した。

 「さぁ、大金貨千五百枚だ……」

 「はい毎度あり」

 大した事なさそうに彼はそれを受け取ると、懐に突っ込んでいた手を出してブルースさんに渡す。

 あれは……紙か?羊皮紙の束に見える。

 僕が訝しげに見ていたが、ブルースさんはすぐにそれをフードの男に手渡してしまった。

 「袋の中身は確認しなくていいのかな?」

 彼はギーザーさんに声を掛けた。僕に挨拶した時と寸分違わぬ笑顔で。

 「ああ、商売は信用が第一だからな。……あんたもそれ全部あるか確認した方がいいんじゃないか?」

 ギーザーさんもいつもの邪悪な笑みを浮かべて返す。

 「必要あるまい……商売は信用が第一だからね……」

 そう言い残すと、ブルースさんはマーケットの入り口へと歩いていってしまった。

 大金貨五百枚をスられたが、何故か千五百枚と、高級ウイスキ百本と煙草百箱になって帰ってきた。どうなっているんだ一体……。

 「あの、ギーザーさん……結局何を盗んで来たんですか?」

 恐る恐る僕は彼に尋ねる。

 「ああ、通行手形だよ……行商人用のな」

 「通行手形?」

 通行手形って……関所とかを潜る時に必要なアレか?

 「そう、アイツらは腐っても商人だからなあ。どっかの町で買い付けた品物をこの町で売るわけだ。その逆も然り……高価なもんが手に入ってもここの貧乏人共にゃあ手が出ないから他所で売り捌く。その為には町や街道にある関所を越えるための通行手形が必要だ」

 この国では街や領地を行き来する際に、通行手形というのが必要だ。端々の小さな町や村などの例外はあれど、基本的にこれが無いと大きな街の中には入れない。

 平民が旅行なんかに行く時は、自分が住んでいる町の役所で発行してもらう必要がある。

 旅行手形なんかは地元と行き先の往復分だけだが、行商用の通行手形は国の何処にでも行けるのだ。

 「成る程……それを取り上げてしまえば奴等は商売が出来なくなるって事ですね、確かにとんでもない大痛手だ。……いやでも待って下さい、そんなのまた国から発行して貰えばいいんじゃないですか?」

 「バカかお前は。アレは失くしたからってそうポンポン再発行出来る代物じゃねえんだ。あの手形はちゃんと戸籍があって、国に認められた商会に所属してる商人にしか発行されねぇ。アレを欲しがる犯罪者は多いからな、高値でゴロツキに売り付けて、失くしましたって言ってすぐ再発行可能だったらそれだけで儲けちまえるだろ?」

 「ああ……確かに……それが可能ならそこら辺の犯罪者が商人のフリして……ってあれ?ブラックマーケットって国に認められてるんですか?」

 「まさか、あいつらの中に戸籍がある奴なんて半分もいねぇだろ。だからあの手形には価値があるんだ。あれはな、恐らく賄賂かなんかで作らせたもんだろうよ」

 「えっ……賄賂って……。ブルースさんが国に賄賂を渡して、そして国は彼ら用に通行手形を秘密裏に発行してるって事ですか?」

 「そういうことだろうな。ブラックマーケットはこの町以外では普通に適正価格で商売してるだけだ……関税も多分ちゃんと払ってんだろ。国としてはあいつらに手形を出してやっても別に損はしない、なんならアイツらはその辺のザコ商会より金持ってるから経済が発展してラッキーくらいに思ってんじゃねえかな」

 「なっ……」

 思わず触れてしまった国の負の側面に、僕は驚愕の色を隠せない。

 「まぁとにかくアレはそういう代物だ。再発行なんか出来るわけねえし、盗まれた!って訴えた所で国は知らぬ存ぜぬだ。なんなら、偽装手形を作成して使用していたのか?とか言われて難癖付けられて証拠隠滅の為にしょっ引かれるのが落ちだろうよ」

 「それじゃあ……その手形って、行商に出ている時以外は相当厳重に保管されてるんじゃ……」

 「行商に行く時も厳重だぜ、馬車に備え付けた鍵付きの鉄の箱なんかに入れたりしてな……ありゃ行商人の命だからな、そらぁもうガッチガッチに保管しとくさ」

 なんでもないふうにギーザーさんは答える。

 「どうやって盗んだんですか?」

 そう、問題はそこだ。厳戒態勢が敷かれた百人の警備の目を掻い潜ってどうやって盗んで来たのかと言う事だ。

 まぁ何を盗もうとしているのか、向こうはわからないから手形に重点を置いていたわけでもないんだろうけど。

 「簡単な話さ。警備が薄い時に忍び込んで、手形が入ってる箱ピッキングして開けてかっぱらうだけさ。こういう事もあろうかと、偶に事務所内の下見はしてたしな。場所も分かってた」

 とギーザーさんは何でもなさそうに言い放つ。

 あれ?ブルースさん確かは五分で警備を整えたとか言ってたけど……。

 「僕ら、あの穴のあった場所まで行くのに十分は確実に過ぎてたと思うんですけど」

 「そうだな。さすがに厳戒態勢敷かれてる中であんなもん盗むのは流石に不可能だから、予め盗んでおいた」

 「は?」


 予め盗んでおいた?


 「手形が入った箱の近くにいた十人掻い潜って盗んで、それで残りの九十人煙に巻いて逃げて来たんですよね?」

 「いやちげえよ。お前にお使い頼んで別れた後に盗みに行ったんだよ。流石に平常時に事務所の警備なんてそんなに固くしてねぇからな。そっちのが盗みやすい」

 「え?は?」

 どういうことだ?僕にお使いを頼んだ時点で盗みに行っていた?何故?だってその時はまだ僕は金貨を持っていた。マーケットの入り口の二人組がブルースさんに報告を上げるのはそのずっと後だ。

 おかしい。絶対におかしい。だってギーザーさんがそんな事をする必要はない筈だ。その時点では僕等とブラックマーケットの間には何にも起きていない。彼が盗みに入る理由がない……。

 そこでふと僕は、今日のギーザーさんの様子を思い出す。


 ギーザーさんは活動費を増やしたがっていた。

 僕はスリに遭い易そうだという事を指摘していた。

 どう考えても持てない量のお使いを僕に課して、更にそれを本当に持てるわけがないと本人も認識していた。


 つまりどういう事か。ギーザーさんは端からあの荷物を僕に持たせる気はなかったのである。

 現在、活動費は大金貨五百枚から千五百枚に膨れ上がり、高級ウイスキと煙草が百ずつ手に入り、更にそれはブラックマーケットが教会まで運んでくれる。しかもちゃっかり自分のツケを帳消しにしている。

 全て、全て彼の思い描いた通りになっている。

 まさか……まさかこの男……!

 「あんた……僕があの後スリに遭って…こうなるって……わかってたな?」

 わなわなと震える唇で、僕は彼に尋ねた。

 「おう」

 ギーザーさんは今日一番の笑顔でそう答えた。

 「おう、じゃないでしょお⁈」

 この男!僕達の金が奪われたから仕返しに盗んだんじゃない!僕が財布をスられて仕返しという形で金と労力が得られる事を予想して予め盗んでおいたんだ!

 あの後穴に入って、ブラックマーケットの前に姿を現したのも、その時に盗んだと思わせる為だ!

 全部この人の掌の上だったということだ!

 「何怒ってんだよ。金が増えて、荷物も持たなくていいんだから良いだろ。喜べよ」

 「あんた!あんたねぇ!」

 流石の僕もこれにはブチギレ、ギーザーさんの胸ぐらを勢い良く掴む。

 「お?何だこの野郎。やんのか?あ?」

 「ええ!やってやりますよ!人の事なんだと思ってんだあんた!」

 「あ?俺以外の人間は全部クソだね」

 「何言ってんだ!せめて僕にくらいは説明しておいて下さいよ!あんな大金失くして……!泣くかと思ったんですよ!」

 「だって説明したらお前大人しくスられてくれねーだろ。それって詐欺じゃないですか!とか言いそうだし」

 「言いますよそりゃ!止めますよそりゃ!」

 「ったくなぁ……お前ちょっとは考えろよ。奴らはズブズブの犯罪者だぞ?この町のバカ共から悪どいやり方で金巻き上げてんだ。奴らを懲らしめたって喜ぶ奴は居てもそれに腹を立てる奴なんていやしねーよ」

 「うぐっ……!」

 そう言われてみればそうだが…。

 「それにこんな所まで騎士団は出張ってこねーから、捕まえることも出来ねえし、裁くことなんて以ての外だ。こうやって俺たち無法者が牽制し合うのが一番良いんだよ」

 「うぐぐっ……!」

 「俺らクレプス教徒はなぁ、自分の幸せの為に生きてんの。そんで余程の余裕がある時と、対価を貰った時だけ片手間で誰かを助けるんだ」

 「うぐぐぐっ……!」

 「その為なら詐欺上等、泥棒上等、犯罪上等だよ……分かるか?明日生きてる保証も無えのに、法も倫理もクソもねえんだよ」

 彼の言う通りかもしれなかった。僕だって、法も決まりもクソもない、ただただ自分の為に、自分の都合で逃げてここまで来たんだ。

 任務中の敵前逃亡は罪だ。僕はもうスモルストンに戻ることは出来ない。ここに住んでいるゴロツキ達と何ら変わらない……ハグれ者の一人だ。

 ギーザーさんはそんな僕に、ここでの生き方を……この世界での生き方を教えてくれようとしているのだろうか。やり方は滅茶苦茶だけれど。

 「いいか、この世は奪い合いだ。強え奴が奪って、弱え奴は奪われる。このクソッタレな世の中は残念ながらそう出来てんだ。だから奪われる前に奪うんだ……奪われてからじゃ遅いんだよ」

 そう吐き捨てるギーザーさんの目には、計り知れない経験や過去が幾重にも重なって刻まれているように見えた。

 この人の昔の事は殆ど知らないけれど、その過去が、付けられた傷が、痛みが、彼をそうさせているのか。この生き方を選ばせたのか。

 不意にギーザーさんが僕の胸ぐらを掴んだ。

 僕を見据えるその眼は鋭い。刃のようだ。ただ突き立てられたその剣は僕を殺す為のものではなかった……僕を生かす為に、彼はその切先を向けたのだ。

 「てめぇはまだ、今までの価値観や下らねえ常識ってやつに囚われてる。自分や仲間以外の連中の事なんざ考えるな、俺達は笑って死ぬ為に生きてんだ」

 深く、深く胸に突き刺さる言葉。

 たった一週間と少しで、僕は何度この言葉を浴びせられたのだろう。

 耳で聞いて頭に入れて口で言葉にしたって、僕はそのほんの少しだってわかっちゃいなかった。そんな気がするんだ。


 「……わかりました」

 嘘だ。ただ返事を返しただけだ。でも、口に出さなきゃ……選ばなきゃ……。

 ただなんとなく生きてきた。「世の為人の為」とか、思ってもないのにそれを思って生きてきた。

 独りよがりで、自分勝手な生き方だ。でもだからどうした?彼らは自分の足で立って歩いてる。知らない誰かを言い訳にして、寄りかかるのはもうやめだ。


 「僕は僕の幸せの為に生きます。悔いのない、晴れた夜空を見る為に生きます。だから……」

 「……」

 ギーザーさんは黙って僕の話を聞いてくれている。いつもの飄々とした態度は鳴りを潜め、真っ直ぐに僕を見据える。


 「だから……とりあえず謝ってください」

 「はぁ?」


 僕の口から出た言葉が予想外だったのか、彼は素っ頓狂な声を上げた。思わず僕の胸ぐらを掴んでいた手が離される。


 「ギーザーさんの言う事はわかりました。僕も覚悟が決まってなかった。ありがとうございます。でももっといいやり方があった筈だし、言い方も考えた方がいいです」

 「おいお前!俺がいい話してたのになんだそりゃ!殺されてぇのか!」

 「いえ、悔いのない方を選んだだけです。だから謝ってください。「あぁ……あの時ギーザーさんにちゃんと謝って欲しかったなあ」なんて思いながら死ぬのは御免です」

 「てめっ……ぐ……」

 僕の返す言葉に、初めてギーザーさんは口籠る。

 そうだ、彼が歩く道と、僕が進む道は必ずしも同じじゃない。目指す場所が同じなだけだ。

 「ほら、早く謝ってくださいよ」

 「やだ」

 「なんでですか」

 「俺は人に謝るのが大嫌いだからだ」

 「子供か!」

 「あ?大人子供の定義ってなんだよ。どうなったら大人って認められるんだ?俺は大人んなったつもりはねえよ」

 「あんた僕より年上だろ!屁理屈捏ねるな!」

 「なんだとこのやろう!てめぇ年下の癖に礼儀がなっちゃねぇな!歯ぁ食いしばれ!」

 「ふざけんな!」

 この後、僕はギーザーさんと取っ組み合いになって、泥だらけになって、一時間も地面を転げ回っていた。


 結局謝ってはくれなかったけれど、手を出してきたって事は彼も僕の言葉を聞いて思うところがあったからだ。

 今回はこれで許してやろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ