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作者: 植原 一騎

 私の父はひどい人間でした。

 私には三つ年の離れた弟がおり、母は弟を生んだ時の産褥で命を落としたのですが、そのあと父は再婚することもなく、気ままな独り身で私と弟を育てました。

 何しろ家にいる大人は父だけですから、その振る舞いがどんなに勝手専横を極めても、意見することのできる人間はいなかったのです。明治は家父長権の強い時代だったとはいえ、その点を計算に入れても、父の暴君ぶりは目に余るものでした。

 食事はまず必ず自分から食べます。

 遠く海から隔たった山がちな農村に私たちは暮らしていたのですが、猟師も兼ねていた父は、狸や鹿や、時には熊を仕留めて帰ってくることもありました。仕事の半分は山でしているので、ついでに山菜や茸なども採ってきます。採れたての山の幸をその日の獲物の肉と土鍋で煮るとえもいわれぬ好いにおいが立ち昇るのですが、私や弟が先に箸をつけるのを父は決して許しませんでした。父は小さな小鉢に山菜や茸をよそい、これは美味い、これも美味いなどと私と弟に見せつけるようにしながらひとりで黙々と食べるのです。父は痩せぎすな人間で、食べる量はそれほど多くはなかったため、私と弟が食べる分はじゅうぶん残されているのですが、父がはふはふ白い息を立てながら出来立ての鍋を食べるさまをひもじい思いで見ているのは、何とも辛いことでした。やがて父がひととおりの茸や山菜を賞味すると、ようやく私と弟が箸をつけるのを許されます。幼かった私たちは、父が食べ残した山菜や、火が通りすぎて固くなった肉を貪るように食べたものです。

 父は一日の半分を山で過ごすため、いきおい家の仕事は私たちの役目となりました。

 私と弟の一日は水汲みから始まります。井戸をもたなかったわが家では、近くの小川から水を運ぶ必要があり、私たちは天秤をかついで家と小川を何往復もさせられました。父が山に出かけてからは、裏の畑の世話をします。そして丹精した野菜を一抱えほど木こりの家に持っていき、手ごろな丸太と交換してもらうと、私はまだ文字も習ったことのなかった手で、風呂を沸かすための薪割りをやりました。弟は弟で、近在の野原をめぐって燃料にするための小枝や草を刈ってきました。幼くひ弱な私たちの身体は過酷な労働に毎日悲鳴を上げていました。夕刻になり、父が山から獲物を提げて戻ってくると、今度は獣の解体などをさせられました。この血なまぐさい残酷な作業は、まだ子どもだった私たちの心には負担でした。また父は罠にかかった野鳥を生け捕りにして帰っきた日には、私と弟の見ている前で、生きた鳥を無慈悲に縊り殺して見せました。まるで野原で菊でも折るように、無表情に鳥の首をぽきりとやる父を、私と弟は震える思いで眺めていたものです。

 夏の夜、寝るときは父がいちばん涼しい窓側を独占していました。私と弟は、窓から離れた風があまり来ない部屋の奥に寝かされていました。窓を開けているので眠れないほど暑い、ということはありませんでしたが、それにしてもあの涼しい窓辺で寝られたらどんなに良かったでしょう。父に文句のひとつでも言ってやりたかったものですが、父はいつでも猟に使う銃を身近に置いていたものですから、私も弟もどんなに不平を抱えていても父にこぼすことはできませんでした。

 また父は必要性のよくわからない決まりごとを私や弟にたくさん押しつけました。まだ幼かった弟が「なぜ? なぜ?」と問いただしても父はまともに理由など説明してくれません。ただ「そういうものなんだよ」と煙に巻くような答えをするばかりで、さっさと仕事に出てしまうのです。

 そんな父ですが、酒や放蕩には興味がなかったためかそれなりに身上(しんじょう)を築き、私たち一家は暮らしに行き詰まるということはありませんでした。いつかあの財産は自分と弟のものになるだろうと私はひそかに期待していたいのですが、亡くなる直前、こともあろうか、父はわずかばかり貯えていた財産を、近くの村の寺にすべて寄付してしまったのです。私たち兄弟には、家と裏の畑以外、何も残されていなかったのです。

 私が十八の時、弟は農村の生活を捨てて都会に出て行きました。工場で仕事を見つけて今より良い暮らしをするのだと、彼は私が引き留めるのも聞かず、風呂敷包みひとつ持って、造船のさかんな海沿いの町に旅立っていきました。その後ろ姿を見て、私は若き日の父の強い背中を思い出しました。弟の勝手気ままな性格は、どうやら父親譲りのものだったようです。

 さて私はひとりになり、二十二の春に近所の娘と結婚しました。彼女は私より四歳下で、貧しい小作人の末娘だったものですから、貞淑でおとなしく、また頼りない体格をしていました。こんな細身で子どもが産めるかと危ぶんだものですが、当時産()まず()は孫の手よりも役に立たない厄介者扱いされていましたから、彼女は頑張って一人目の子を産み育てました。やがて三年後には第二子をもうけたのですが、お産の負担が重かったためか、彼女は二人目の男の子を生んだ後、ひと月ほどして亡くなってしまいました。私のもとには幼子が二人残されたのですが、彼女が命と引き換えに産み落とした子どもたちだったので、私は里子に出すことも考えず、自分ひとりの手で育ててゆこうと固く心に決めました。そしてひどかった自分の父のような親にはなるまいとひそかに心に誓ったのです。

 さて私はまだ足元もおぼつかない幼子を男手ひとつで養わなければならなかったのですが、幼児というものは想像以上にもろくはかなく、手のかかる代物でした。ちょっと目を離すと怪我をこさえる。甘やかすと図に乗ってわがまま放題になる。腹を空かせると耳を(ろう)するほどに泣きわめいて食物を要求する。腹を出して寝ただけで熱を出して死にかける。母なしで子を育てるというのは思っていた以上に困難を極めると私はため息をつきました。かといって後妻を迎え入れられるほど私に経済力があるわけでもありません。意地でも自分の手でこの子たちを立派に育て上げようと、折れそうになる自分自身に言い聞かせました。

 子どもたちが少し大きくなると、私は父が遺した銃を携え、猟に出かけるようになりました。育ち盛りの子どもたちを満足させるには、雑穀や野草だけでは足りないと思ったからです。山では山菜や茸も採りました。幼いころ、父が採ってきた野草や茸を見て育ったので、私にはどれが食べられるもので、どれが食べられないものなのか、容易に見分けがつきました。

 私は収穫した山の幸と獲物をかついで家に戻り、鍋料理の作り方を子どもたちに教えました。しかし好いにおいの立ち昇る鍋に子どもたちが箸をのばそうとすると「待て!」と声を荒げて制しました。万一毒のある野草が紛れていたら危険だと思い、まずは自分が毒味をして、安全を確かめてから食べさせた方がよいと思ったのです。そして自分がひととおり具材を吟味した後、初めて子どもたちに箸をつけさせました。

 栄養不足と母親譲りの性質もあってか、子どもたちはひ弱な体格をしていました。これでは過酷な農村を逞しく生き抜いていけまいと危惧した私は、子どもたちに幼いころから力仕事を与えました。だらしない習慣がつくといけないので朝早く起こして水汲みに行かせ、私が山に出ている間は裏の畑を耕させました。薪割りや下草刈りなど、とにかく筋肉を使う仕事に従事させ、膂力(りょりょく)と腕力を鍛えさせました。またゆくゆくは自力で獲物の料理が出来ないと話にならないと思い、とってきた獲物の解体を任せ、生きた野鳥の始末の仕方も見せました。子どもたちは怯えた様子でしたが、これが自分でできるようにならないと、将来ひとりで生きてはいけないのです。

 また猟師として山の恐ろしさを知っていた私は、夜眠るときに子どもたちを窓際に置いてはおきませんでした。熊に寝込みを襲われるといけないと思い、私は常に猟銃を脇に置き、子どもたちは奥で寝かせ、自分が窓辺で寝るようにしていました。風通しの悪い寝床に子どもたちは辟易していたようですが、熊が冬眠につくまでの間、こうして夜を過ごすのが安全だと私は判断したのです。

 このようにして私が整えていった決まりごとに、子どもたちは疑問を呈するようになりました。しかしまだ理屈の分かる年頃ではなかったので、「そういうものなのだよ」と言い置いて私は仕事に出かけました。子どもに理屈など教えるより、働いて身上を築いて、加えて自分で生きていけるだけの知恵と力をつけさせてやる方が彼らのためになると思ったからです。

 やがて私も年をとり、自分の先が長くないことを悟りました。日に日に食が細くなり、体力が落ちていくのが自分でもわかりました。私が床に臥せりがちになると、子どもたちが代わって猟や野良仕事を買って出てくれるようになりました。子どもたち、という言葉がふさわしくないほど、彼らはすでに体躯(たいく)逞しい青年に成長していたのです。

 いよいよ臨終が近づいてきたと感じたとき、私は自分が築いた身上を近くの寺にそっくり寄付することに決めました。親譲りの財産など持っていると碌な大人にならないと思いましたし、何より彼らは仏の加護以外にはもう何も必要としないほど、都会に出ようと農村にいようと、ひとりで立派に生きていける力を身につけていたからです。


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