占い師後輩「私の、大切な人」
最後の晩餐を終えた僕は腹痛と戦いながら午後の授業を乗り切った。放課後になる頃には大分お腹も落ち着いてきて帰り支度を始めようとした時、僕は担任の先生に声をかけられた。
「すまない月無、ちょっと良いか?」
「はい、どうかしましたか?」
「実は伊藤に倉庫の整理を頼もうと思っていたんだが、急に体調を崩してしまったそうでな。代わりに手伝ってくれないか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「いつもありがとなぁ」
伊藤というのは僕のクラスの委員長で、確かに午後の授業中に腹痛で保健室に行っていた。僕は校舎の端にある散らかった倉庫に先生と一緒に向かい、色々と指示されて作業に入った。先生は職員会議のため作業を離れ、僕一人でせこせこと働く。
こんな雑用をやらされるなんて委員長も大変だなぁなんて思うが、僕自身はこういう作業は大好きだ。散らかった部屋が綺麗になっていくのは素直に気持ちがいい。だから僕は半ばウキウキで作業に励んでいたのだが……僕は重大なことを忘れてしまっていた。
「──クロ先輩!」
そう、昨日出来たばかりの自分の『彼女』という存在を。
「こ、恋鐘ちゃん? どうしたの、そんなに慌てて」
僕が整理していた倉庫の扉を勢いよく開いて恋鐘ちゃんが現れた。余程慌てていたのか髪も少しボサボサになっていて、そして息を切らしながら恋鐘ちゃんは口を開く。
「クロ先輩。貴方、もうすぐ死ぬかもしれないってこと、わかってるんですか……!?」
恋鐘ちゃんは倉庫の中にズカズカと入ってきて、そして僕を睨んだ。
「うん、わかってるよ」
「じゃあどうしてこんなところにいるんです?」
「先生に手伝いを頼まれたからだけど」
僕がそう答えると、恋鐘ちゃんは僕の腕をガシッと力強く掴んで、今度は泣きそうな表情で言う。
「先輩は死ぬかもしれないんですよ!? なのにこんなことに時間を使っていていいんですか!?」
恋鐘ちゃんの予言では、僕の頭に野球ボールが直撃して死んでしまうのは今日の放課後。つまり今この瞬間にも、どこからか飛んできた野球ボールが窓ガラスを割って僕の頭にいつ直撃してもおかしくない。
「でも、僕は誰かのためになれるなら全然良いよ」
僕は気づいていなかった。恋鐘ちゃんがどうしてこんなにも怒っているのかを。
「じゃあ、その作業と私のどっちが大切なんですか!?」
恋鐘ちゃんにそう言われて初めて、僕は自分の行いの愚かさに気づいた。
恋鐘ちゃんは、僕の彼女だ。それは今日死んでしまう僕を気遣って、恋鐘ちゃんが作り上げてくれた偽物の関係だと思っていた。
でも違う。恋鐘ちゃんは本当に僕のことを想って、僕の身を案じてくれているのだ。僕はもっと恋鐘ちゃんのことを考えないといけなかったんだ……。
「……ごめん、恋鐘ちゃん。もうすぐ作業も終わるから、一緒に帰ろう」
「まったく……しょうがない人ですね」
幸いにも丁度作業が終わるタイミングだったため、僕は倉庫を出て鞄を取りに教室へと戻る。外からは野球部の威勢のいい掛け声が聞こえてくる……いつボールが飛んできてもおかしくない状況だ。
「クロ先輩。グラウンド側を歩かないでください」
僕の袖をギュッと握りながら恋鐘ちゃんは言う。
「でも恋鐘ちゃんの頭に当たっちゃうから危ないよ」
「それだと、クロ先輩が……!」
「いや、僕だって恋鐘ちゃんのことが心配なんだから」
僕は不安な感情が表に出ないよう精一杯明るく振る舞って、無事教室へと辿り着いた。後は生徒玄関へと向かうだけ……なんだけど、恋鐘ちゃんは僕の袖を引っ張って、僕の足を止めていた。
「……行かないでください、先輩」
恋鐘ちゃんは顔をうつむかせていたが……肩を震わせていて、泣いているのがわかった。
「もう、わざわざ占わなくてもわかるんです。この教室を出たら、クロ先輩は死にます」
あ、もうそれがトリガーになってるんだ。じゃあ帰れないじゃん僕。
「それって、野球部の練習が終わるまで待ってても無理?」
「はい。事故だの火事だの何らかの出来事で、クロ先輩はこの教室から出ざるをえなくなります」
運命って怖い。じゃあ遅かれ早かれ、僕はこの教室を出て……そして、死んでしまうのか。
未だに僕は、目の前にいるであろう見えない死の運命を実感できていない。でも僕の足は正直に震えていた。死というものは経験出来るものではないからわからないけど、この教室を出るのは勇気がいる。
「クロ、先輩……」
恋鐘ちゃんは僕の袖から手を離すと、今度は僕の腕を掴み直す。恋鐘ちゃんが感じている恐怖が彼女の体の震えから感じられた。
「私は、クロ先輩を助けるために何度も占いました。あらゆる可能性を考えて、どこか一つ、何かを変えればクロ先輩を助けられるんじゃないか、と。
でも、もしも私がクロ先輩とお付き合いしたら……その選択の向こうにある未来はわかりませんでした。何故なら、占っていないからです」
恋鐘ちゃんは僕が死ぬ運命を回避できる方法が無いかと数十回も占いを繰り返したのだ。僕は、もうその気持だけで十分だ。
「これが、私に残された最後の、唯一の方法だったからです……!」
そして恋鐘ちゃんは僕に抱きついてきた。恋鐘ちゃんは僕の胸の中で、子供のようにワンワンと泣き始める。
「ごめん、恋鐘ちゃん」
恋鐘ちゃんはまた、大切な人を失うことになってしまう。奇しくも、自分の凄すぎる占いの腕前によって、その避けられない未来が見えてしまっているのだ。六年前、恋鐘ちゃんがお兄さんを失った時と同じように……僕は少しでも、恋鐘ちゃんの悲しみを和らげてあげたかった。
「でも、僕は恋鐘ちゃんと出会えて、とても幸せだったよ」
僕はそう言って、胸の中で泣いている恋鐘ちゃんの頭を撫でた。すると恋鐘ちゃんは顔を上げて僕を見る。大泣きしてくしゃくしゃになった顔で、恋鐘ちゃんは僕に必死に訴えた。
「お願いですから、死なないでください……!」
恋鐘ちゃんはそう言うと、突然表情を強張らせた。何事かと思って恋鐘ちゃんの視線の先、僕の後ろを見ると──グラウンドからこちらに迫ってくるボールがはっきりと見えた。
「せ、先輩!」
バリィンッ、と窓ガラスが割れる音と同時に、僕は恋鐘ちゃんに体を押されて机や椅子をなぎ倒しながら教室の床に背中から倒れた──。
「──先輩! クロ先輩! 起きてください!」
床に仰向けに倒れた僕は、恋鐘ちゃんに激しく体を揺さぶられていた。いや、全然起きてるけど。
「だ、大丈夫だって恋鐘ちゃん! 起きてる! 起きてるって!」
「お怪我はありませんか? 頭は打ってませんか? むち打ちになってませんか?」
「大丈夫大丈夫、ちょっと背中とか腰を打ったけど大丈夫だってこれぐらい」
僕は起き上がって、心配そうな面持ちの恋鐘ちゃんを見る。側にはどこからか飛んできた野球ボールが転がっていて、それが直撃したらしい教卓は結構凹んでいた。
……これがこめかみに直撃していたら、と思うだけでゾッとする。
「恋鐘ちゃんも怪我はない?」
「はい、私は大丈夫です」
僕は今にも泣き出しそうな恋鐘ちゃんの頬に触れて、そして優しく撫でた。
「ありがとう、恋鐘ちゃん。君のおかげで僕は助かったみたいだね」
「せ、先輩……!」
すると恋鐘ちゃんは再び僕の体に抱きついてきて、またわんわんと泣き始めた。さっきは悲しくて泣いてたけど、今度は嬉しくて泣いてしまっているらしい。
た、助かった……!
今まで散々ミスターアンラッキーとか呼ばれてた僕が、とうとう不運から回避できたぞ!
無事最悪の未来から生還した僕は、まず窓ガラスが割れたことと教卓が凹んだことを用務員さんに伝えるため教室を出ようとする。
「私は、またクロ先輩と一緒に帰ることが出来るんですね」
散々泣き腫らした恋鐘ちゃんだったが、ようやく落ち着いて僕に笑顔を見せていた。
「うん、僕も嬉しいよ」
そして、僕はふと疑問に思った。
恋鐘ちゃんは自分の占いで僕が死ぬ運命にあることを知って、どうせ最後だからと僕の彼女になったのだ。
じゃあ僕が生還した今、この関係はどうなるのだろう? もしも、もしも恋鐘ちゃんが本当に僕のことを好きでいてくれるなら──と僕は恋鐘ちゃんと一緒に教室を出た瞬間、ハッと外を見た。
僕の視界に映る、グラウンドの上空に高々と上がった野球ボール。その軌道の先には、まだそれに気づいていない恋鐘ちゃんがいた。
「危ない──」
咄嗟の行動だった。僕の命なんて関係ない。
「せ、先輩!?」
僕は恋鐘ちゃんを庇うように彼女の体を抱きしめた。そして──野球ボールは先程割れた窓ガラスの隣の窓を突き破り、僕の視界の端に映った。
自分にボールが迫ってくるのがやけにゆっくりに見える。気づいた時には、ボールが丁度僕のこめかみに直撃していた。
「へうっ」
僕達は油断していたのだ。
恋鐘ちゃんは、僕が教室を出た瞬間に野球ボールが当たって死ぬと言っていた。さっき、教室の中で恋鐘ちゃんが身を挺して僕から回避されたあの野球ボールが、僕のこめかみに直撃するとは、僕の命を奪う予定だったボールだとは限らなかったのだ。
成程、二段構えという訳だったんだ。最初の一撃で僕を油断させ、そして二撃目で確実に僕を仕留める、と。
「──クロ先輩! クロ先輩!」
僕の頭部を襲った激しい衝撃。朦朧とする意識の中で、微かに恋鐘ちゃんの叫びが聞こえてきた。
「そんなっ、そんな……死んじゃやだ────」
僕の目に最後に映ったのは、泣き喚く恋鐘ちゃんの姿だった。
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