占い師後輩「お願いですから、死なないでください」
「あの、ちょっと良いですか」
僕は息を潜めるのを我慢できずに、恋鐘ちゃんのご両親がいるダイニングへと足を踏み入れた。
「あ、月無君……」
「恋鐘ちゃんに、お兄さんがいたんですか?」
ダイニングに座っていた恋鐘ちゃんのお母さんは僕を見て戸惑っているようだったが、お父さんはフゥと一息ついてから口を開いた。
「君も知っているべきだろうね。そうだ、恋鐘達には兄が、私達の長男がいたんだ。
だが六年前……あの時は雪が降りそうなぐらい寒かったね。あの子はもう高校生で、山奥にあるグラウンドで陸上の大会に出るためにバスに乗っていたんだ」
「……そのバスが凍結した路面でスリップして、カーブを曲がりきれずに崖から転落したんですね?」
僕がそう言うと、恋鐘ちゃんのご両親は驚いたような表情をしていた。
「君も知っているのか?」
「ここら辺じゃ有名な話ですからね。じゃあ恋鐘ちゃんのお兄さんは、その時に?」
「あぁ……胸に木の枝が突き刺さって、血を流し過ぎたんだ」
「その事故を聞いた時は、頭が真っ白になったわね……」
「母さんはショックで失神してしまったからな。特に恋鐘は──」
すると、ダイニングの入口から物音がした。見ると、そこには寝巻き姿の恋鐘ちゃんが、今にも泣きそうな表情で佇んでいた。
「こ、恋鐘ちゃん!?」
「恋鐘……!」
僕達は恋鐘ちゃんの登場に焦ってしまっていたが、恋鐘ちゃんはお父さんとお母さんを睨みつけて口を開いた。
「その話はしないでって言ったのに……!」
恋鐘ちゃんはそう言い残して、涙を流しながら玄関の方へ走り出してしまった。
「ま、待って!」
僕は恋鐘ちゃんを追いかけようと慌てて玄関の方へと向かい、靴も履かずに外へ飛び出した。すると、軒先で恋鐘ちゃんはうつ伏せで倒れていた。
「恋鐘ちゃん!?」
僕は慌てて恋鐘ちゃんの体を起こした。すると恋鐘ちゃんは目から大粒の涙を流しながら言う。
「自分の運動音痴っぷりを恨みます……」
……あぁ、どこかに走っていこうとしたけど、いきなりこけちゃったんだね。僕は勝手に恋鐘ちゃんのことをなんでも出来る完璧超人だと思っていたけど、苦手なこともあるらしい。
とまぁ僕は恋鐘ちゃんの運動神経に助けられて彼女の部屋まで連れていった。僕は学習机に座り、恋鐘ちゃんはベッドに腰掛けた。そして僕は恋鐘ちゃんに話しかけた。
「さっきは、たまたま恋鐘ちゃんのお父さんとお母さんが話していたのを僕が盗み聞きして、僕が気になって恋鐘ちゃんのお兄さんの話を聞いたんだ。だから悪いのは僕だよ」
しかし恋鐘ちゃんは首を横に振る。
「いえ……占いでクロ先輩に話さない方が良いと出ていたので、隠そうとしてしまっていただけです。ですが、やはり先輩に隠し事なんてしたくありません」
「でも、辛いならまた今度でも良いよ」
「クロ先輩にはあと一日しか残ってないじゃないですか。なので聞いてください……私が、どうしてクロ先輩と付き合おうとしたのか、そこに至るまでの経緯を」
確かに、恋鐘ちゃんは自分の占いの結果に従って動いているとはいえ彼女の行動に疑問点は多くある。
僕の一番の疑問は、例え僕が明日死んでしまうとしても、何故恋鐘ちゃんはそんな僕と付き合おうとしたのか、というところだった。恋鐘ちゃんは目元をティッシュで拭った後、静かに話し始める。
「私の七つ上の兄は足がとても早くて、あの日も陸上の大会に行くはずだったんです。兄は私の占いをよく聞いてくれて、私も兄の大会の成績を喜んで占ってました。私がアドバイスを伝えると、兄は私のアドバイスを実践して一位ばかり取っていたのですが……あの日は違ったんです」
六年前ということは、恋鐘ちゃんはまだ小学生の時か。恋鐘ちゃんの七つ上となると、もう大学を卒業して社会人になっていてもおかしくなかったのだ。
恋鐘ちゃんの占いを真摯に聞いてくれるなんて、きっと妹思いの良いお兄さんだったんだろう。だけど恋鐘ちゃんの表情が急に曇ったのを見るに──まさか、と僕は恋鐘ちゃんが見てしまった占いの結果に気づいた。
「あの日、兄が乘るバスが事故を起こして、兄が死んでしまうという未来が見えたんです」
恋鐘ちゃんは涙が溢れる目元を拭った後、水晶玉を再び大事そうに両手で持った。
そうか、僕と同じだったのか。
「私は自分の占いを信じることが出来ませんでした。あの日、大会に出なければ死を回避できる可能性はあったのですが、兄にとって大事な大会だったので兄に言おうか迷っていたんです。
そして、私は兄に明日の大会でも一位だよと嘘をついてしまい……真実を伝えられないまま、私は大会に向かう兄を見送りました。
それが、最後になってしまうかもしれないとわかっていながら……」
ようやく僕は、恋鐘ちゃんが僕に対して積極的な理由を理解し始めた。
そうか……その時は、信じたくなかったのだろう。自分の兄が死んでしまうだなんて。
「私はあの事故をきっかけに占いをやめようと思ったんです。誰かの死が見えてしまうなら、そんなものは見たくなかったから……でも、次こそは誰かを助けられるかもしれないと思って、私は占いを続けました。私の占いで誰かを幸せにするために……私の占いが好きだった兄のためにも」
……そんな背景があったのか。
あんなに僕に対して積極的だった恋鐘ちゃんはすっかり肩を落としてしまったが、僕は椅子から立ち上がって恋鐘ちゃんの前でしゃがみ、彼女の頬を擦った。
「……恋鐘ちゃんは、明日死んでしまうかもしれない僕のために、戦ってくれてたんだね」
不幸なことに、恋鐘ちゃんの占いは絶対に当たってしまうという裏付けがある。どうあがいても僕が明日死ぬ運命は避けられないのだろう。
僕は体を震わせる恋鐘ちゃんの頬を優しく擦りながら言った。
「さっきお風呂に入った時、僕の背中の傷を見たでしょ?
あれ、六年前の事故でついた傷なんだ」
え、と恋鐘ちゃんが少し顔を上げた。泣きすぎてすっかり充血した目を僕に向けながら戸惑っているようだった。
「僕はね、家族で温泉旅行に行く途中だったんだ。確かそのバスの終点が目的地だったと思う。
トンネルを抜けてね、山奥の壮大な自然に圧倒されていると、突然バスがスリップして……どれだけ落ちたのか、どのぐらい斜面を転がったのかわからないけど、その時は何が起きたのか全くわからなかったね」
僕の不運っぷりは幼少期からずっと続いているけど、それはその不運っぷりが一番に発揮されてしまった出来事だっただろう。
「気づけば、僕の視界の右側に地面が見えたんだ。僕の前には誰かの腕が見えて、丁度僕の首元を大きな木の枝がかすっていて、その先を見ると……僕の父さんの胸に突き刺さってたんだ。僕の目の前に見えたのは父さんの腕で、そのときにはもう死んでたんだ」
僕の隣に座っていたはずの母さんは、バスが斜面を転がり落ちていた時に外に放り出されていたらしい。それは後になって知ったけど。
「あの時は雪が降るんじゃないかってぐらい寒くてさ。でも事故の直後は結構生き残っている人がいて、皆で励ましあって生き延びたんだ。僕は父さんと母さんを失ってしまったけど……バスの通路に倒れていたお兄さんが僕を励ましてくれたんだ」
『──頑張れ少年、俺がついてるからよ!』
寒さに凍える僕の手をギュッと握りしめて、あの人はあんな状況でも僕を不安にさせないよう笑顔でずっと励ましてくれていた。
「でも、僕にはわかったんだ。段々とお兄さんの顔から生気がなくなっているのが。僕の手を握る力も弱くなっていって、救助隊が駆けつけた頃にはもう……僕は救助隊の人に助けられてから初めてお兄さんがどうなっていたのか気づいたんだ。僕の父さんと同じように、胸に木の枝が深く突き刺さっていて、たくさんの血を流していたんだよ」
そんな状況でもあのお兄さんは僕を元気づけようとしていた。自分の死期が近づいていたことはわかっていたかもしれないのに……。
「そのお兄さんは丁度高校生ぐらいで、どこかの学校の緑色のジャージを着ていて……確か口元にホクロがあったよ。
それが、恋鐘ちゃんのお兄さんかな?」
恋鐘ちゃんはコクリと頷いてから口を開いた。
「すいません、クロ先輩……私は今回も、誰かの死を見届けないといけないかもしれません。
私は、皆を幸せにしたいのに……!」
「ううん、恋鐘ちゃん。僕は今、とっても幸せだよ。僕の命の恩人の妹さんと出会えて、さらにその子と付き合えるだなんてとても運命的じゃないか。これも、恋鐘ちゃんの占いのおかげだよ」
すると恋鐘ちゃんは崩れ落ちるように僕の方へと体を倒してきて、僕は彼女の体を抱きしめる。
「そんなこと、言わないでください……」
僕の耳元で恋鐘ちゃんは嗚咽する。
「お願いですから、死なないでください……!」
……凄い無茶なお願いだなぁ。恋鐘ちゃんの占いは絶対に当たるっていう自信があるだろうに。もっとも、恋鐘ちゃんはその占いを信じたくないだろうけど。
僕は震える恋鐘ちゃんの背中を擦る。まさか、こんなことになるとはなぁ……世界は狭いものだ。
恋鐘ちゃんは落ち着くと眠くなってきたのか、ようやく床に就くことになった。さっきの宣言通り一緒のベッドで寝ることになったけれど……ただ並んで寝るのではなく、僕の左腕は恋鐘ちゃんに強く抱きしめられている。
「お兄さんじゃなくて、僕で良いの?」
「私はクロ先輩を兄の代わりにしようとしてるわけじゃありません。クロ先輩は私の彼氏ですから、これぐらいいいですよね?」
うん、なんか恋鐘ちゃんの圧が戻ってきた。これぐらいが恋鐘ちゃんらしくて良い。
「もしかして、周りのこのぬいぐるみってお兄さんからのプレゼントとか?」
「はい。全てに兄の魂が籠もっていると思ってください」
「いや、それはそれで落ち着かないんだけど……」
ひとまず恋鐘ちゃんが落ち着いたようで良かった。恋鐘ちゃんの可愛らしい笑顔が見れて僕も幸せだ。
……これが僕の人生の、そして恋鐘ちゃんと迎える最後の夜だと思うと、途端に寂しく感じることがある。でも今は、隣に恋鐘ちゃんがいてくれるからか不思議と怖くなかった。
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