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七話:平穏…のようなもの

 なお、公爵家ではルピアの静養のための準備が着々と進んでいた。

 公爵家が所有している領地の一つに向かうことになったのだが、まずは少しでもルピアの体調が回復してからの方が良いだろうという判断のもと、荷造りが進められていく。


「…こんなにゆったりしていていいのかしら」

「良いに決まってるだろ」

「でもね、ルパート…わたくしやることがないとこう…手持ち無沙汰、とでもいうのかしら…」

「いいから! 姉さんはゆっくりしてて!」

「……はぁい……」


 双子の弟の迫力に押され、ため息交じりに紅茶を飲んでいると専属メイドであるリシエルがクスクスと笑っていた。


「リシエルまで…」

「お嬢様、ルパート様の言う通りでございますよ。もっとゆっくりなさってくださいませ」

「もう…」


 ようやく、いつものようなルピアに戻った様子に、屋敷中が安堵していた。

 姉のためだけに帰宅したルパートもそうだが、母であるミリエールが誰よりも安堵したに違いない。まるで人形のように決められた受け答えしかしない娘。日常生活は送れているようだったが、そこに決してルピア自身の意識は存在しておらず、ただの動く『お人形さん』。

 そのような状態の娘を、一体だれが喜んで受け入れるというのだろうか。

 笑って、困った顔もしている。公の場では淑女の微笑みを浮かべる娘も家では気を抜いているのが当たり前。公爵家といえど家族をとても大切に慈しんでいる、それがカルモンド家なのである。

 王太子妃教育で疲れた娘を癒したい、これまで頑張ってきたのだから今は何を考えるでもなくまったりとした日々を過ごしてほしいと皆が願っている。


「姉さん、何かやりたいことをやりましょう! さ、何が良いですか?」

「何か…」

「何でもいいんです。例えば乗馬とか…あ、俺とチェスとか!」

「…そうね…」


 しれっと自分と余暇を楽しんではどうか、と双子の姉に提案したが、悪気なくスルーされてしまいルパートはしょんぼりと項垂れる。だが、そんな彼を見ているのかいないのか、ルピアはどうしようかと頭を悩ませていた。

 王太子妃教育を行い、そして何かあったときのための次期公爵としての後継者教育を振り返る。

 学ぶことが苦ではなかったので、特に辛いとも思っていなかったが、これまで何をしていて楽しかっただろう、と目を閉じた。

 王太子妃教育の中で学んだ礼儀作法やマナーは、ここからも無駄にはなるわけもない。たとえ記憶を失おうともあれは身体に染みついてしまっているものに違いない。

 ならば、やりたいことよりも優先すべきことが一つあると、不意に気付いてしまった。


「あ…」

「姉さん、何かありますか?」

「…やりたいこと以前の問題だったわ。一つ大切なことを忘れていたの」

「?」


 何だろう、とルパートはルピアの傍に駆け寄って双子の姉をじっと見つめた。


「王太子妃教育で得られた王族に関しての知識。あれ、さくっと消しちゃいましょう」


 微笑んであっさり言われた台詞に思わずルパートとリシエルは頭を抱えてしまった。


「そっちじゃないでしょう姉さん!」

「お嬢様、どうしてそうなりますか!」


 二人から一斉に詰め寄られるが、当の本人はあっけらかんとした様子で首を傾げている。


「だって、早くしないと王家からわたくしに対して登城要請があるかもしれないでしょう? なら、とりあえず先に記憶消去をしてしまわないと厄介なことになるじゃないの」


 あまりの正論にリシエルもルパートも、確かに、と頷いた。それはもう息ぴったりに。


「お父様かお母様に、記憶消去の魔術が使える神官様を手配していただかないといけないわね」

「そうだね。なら、俺が言ってくるよ」

「お願いね、ルパート」


 気にしないでー、と言い残してルパートは部屋を出ていった。

 これでようやく、一つ目の重たい足枷を外すことが出来るのだと思えば、魔術による苦しみなど怖くは無い。

 むしろ王家と縁が切れるのならば、もうそれだけでご褒美にしかならないとルピアは安堵する。

 こうしている間にも王太子や王太子妃となった二人はここにやってくるかもしれない。それまでにはどうにかせねば、とルピアは思考を巡らせていった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇



「嘘でしょう…」


 まさか、余暇を楽しむとばかり思っていた娘が、『さっさと記憶を消してほしい』だなんて、予想もしていなかった。ミリエールは愕然としたが、緩く首を横に振りどうにか持ち直した。

 ルパートの報告は、ミリエールも衝撃ではあったものの、娘の行動は正しい。

 早急に王太子妃教育にかんする記憶を消さねば、あの王家はまたきっと何かをやらかしに我が家に来てしまう。それは間違いない。


「…ルピアが寝込んでも良いように、準備は万端にするのよ」

「分かってるよ、母上」

「ルパート、そういえば貴方は騎士になる夢はどうするの?」

「ならないけど」

「……え」

「姉さんが王太子妃にならないなら、別にわざわざ騎士でいる必要なんかないだろう?」

「そうなのだけれど、貴方は本当に…」


 ルピアが大好きねぇ、という母の言葉に思わず顔が綻ぶ…よりも、ニンマリと意地の悪いような笑みを浮かべていた。

 昔も今も、双子の姉は父と母を除けば唯一尊敬できる貴重な相手。女性としての立ち居振る舞いに始まり、次期公爵としての教育までもを軽々とこなしてしまうその才能の高さ。

 ルパートはどちらかといえば、体を動かすことを得意としていたから、姉には本当に頭が上がらない。ただひたすら、尊敬しかできない。

 だからこそ、姉と王太子の婚約が決まった時に決意したのだ。


 自分は、姉を守る騎士(ナイト)になろう、と。


 話したら『いらないわよお馬鹿さん』とつっけんどんな反応ではあったが、嬉しそうに微笑んでくれていたルピアの顔を、今でもすぐに思い出せる。

 ルピアの役に立てるのならば、自分の全てをかけてでもやり抜こうと、そう決めていた。だが、あの王太子は『真実の愛』とやらを優先した。

 国が決めた婚約の、あまりに一方的な解消。それをするということはカルモンドを敵に回すということを理解出来ていなかったらしい。


 そして、ルピアはルピアで腹を括るのがとても早かった。未来の王太子妃として様々な教育を受けていた彼女が、その未来を奪われたのであれば、これからは好きに生きてしまえば良い、のだが。


「よりにもよって一番最初に言うのが記憶消去の魔術を施してしまうことだもんなー…姉さん強いわ…ほんと」

「だから、この家の次期当主に選ばれたまま、異例の対応をされていたのよ」

「…だよねぇ、母上」


 公爵夫人と子息は、ニタリと人の悪すぎる笑みを浮かべる。


「その価値が分からない男に姉さんが嫁がなくて良かった」

「えぇ、勿論。あの子にはこれから先色々な未来が待っていてくれるのだから」


 うふふふ、と笑う二人の表情は仄暗いもののひたすらに楽しそうなのだ。

 部屋に入ってきた侍女が思わず何も見なかったことにして、そっと退室してしまうほど異様な雰囲気を醸し出していたが、当人達は至って平和なつもりである。

 そして、あっという間に公爵家は魔術にとてつもなく長けた神官を探し出してきてしまった。


 その神官により、ルピアが望んだとおりに記憶消去の魔術がかけられる。

 万が一に備え、治癒術士の資格も取っていたルパートもその場に立ち会うこととした。父や母に、そう勧められたからだ。勿論公爵夫妻もその場にいる。

 そして、ついにルピアに対して魔術がかけられ始めた。跪いているルピアの足元を中心として魔力で描かれた円陣がふわりと広がる。常人には聞き取れない呪文を唱えながら、神官はルピアの頭に手を置いた。少しして、ルピアの体がびくりと跳ね上がり、そのまま後ろへとひっくり返ってしまう。魔法陣の中で、がくがくと痙攣を起こし、痙攣が終わると同時に跳ね上がるように体を起こしたものの、すぐ『く』の字に折り曲げる。

 一枚一枚本のページが破られ燃やされていくような奇妙な感覚や、自分の意識と体が乖離してしまいそうな程の魔力圧に、ルピアの肉体が悲鳴をあげる。

 ついには耐えきれず、思い切り吐血してしまうが、それが止まることはない。せきこむたびにごぼごぼと喉から嫌な音が響き、嘔吐するように吐き出されるどす黒い血液。死んでしまうのではないかという大量のどす黒い血液を吐き出しながらも、ルピアが感じていたのは解放感。

 あぁ、やっと『自由』になれる。それが分かるから、辛さなど何とも思わない。


「姉さん!!」


 ルパートの悲痛な叫び声が聞こえるが、歯を食いしばり、血を撒き散らした後に、口内の血を全て吐き出してから叫んだ。


「動かないで! わたくしが、この程度耐えられずして何が次期公爵か!!」


 凛とした声。

 あぁ、姉上。だから俺は貴女を尊敬するのです、と決して届くことはないけれど、ルパートは心の内で静かに呟いた。

 駆け寄りたい気持ちをぐっと堪え、ただ見守る。


「ぐ、っ……う…!」


 ごぷ、と更に吐血してから、真っ青な顔色へと変化した弱々しい面持ちでルピアは、己の拳を床に強かに打ち付けた。


「負けて、なるものですか…っ」


 ページが破れ、燃える感覚がどんどん早くなるが、ふとした瞬間にそれが、終わった。


「…え…?」


 吐き気も、喉奥から込み上げてくる感覚も、何も無い。

 ぱちぱち、と数度瞬きをしてから周りを見渡す。

 顔色こそ悪いものの、ルピアはとてもすっきりとした面持ちで座り込んでいた。


「…成功で…ございます…!」


 汗まみれの神官曰く、『人生でこの術を本当に使う日が来るなどと思っていなかった』らしい。

 それほどまでに強く、危険な術なのは今見ていても理解出来た。挑み、打ち勝ったルピアの何とも強いことか、とアリステリオスは満足気に微笑み、ミリエールも涙目ながらに娘に対して賛辞を送る。


「よくぞ耐えました、我が最愛の娘よ…! あぁ…、これでようやく貴女は自由になれるわね!」

「はい、お母様…。お父様…わたくし、…やりました、わ…」

「いかん、ルピア! 血を失いすぎだ!」

「姉さん!」


 床に倒れ込む寸前、ルパートが間一髪間に合ってルピアの体を支える。

 呼吸は落ち着いていて何も問題が無さそうではあるが、やはりというか顔色が悪い。

 まずは着替えからだろうと、リシエルが慌てて血を拭うための濡れタオルを用意しに走り、公爵家は我に返ったようにばたばたと慌て始める。

 これが平穏なのか、と聞かれればルピアは迷うことなく頷く。



 だって、もうあの王家の連中からも解放されるのだから。

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