五十話:帰国①
「疲れた……」
ドレスにハイヒールで全力ダッシュが疲れたのではない。あの場の、あの雰囲気そのものに呑まれそうになったことが、ルピアにとっての一番の疲労の原因だ。
クア王国に戻るやいなや、恐らく待機していたであろう人たちがルピアたちの元へ、わっと駆け寄ってきた。
怪我はないか、向こうに何か理不尽なことを言われていないか、無理矢理に帰国させようとしていたのではないか、などなど。
ルピアのドレスに着いていた血を見て、クア王国の侍女長が顔を真っ青にして慌てていたが、怪我はもう治療した、とルピアが伝えたのだが『そういう問題ではございません!』と叱られてしまった。
祖国にて王太子妃候補にされていた頃のルピアなら、『自分をうまいこと利用するためだけに、こうして親切なフリをしているのだろう』としっかり警戒したに違いない。
しかし、今はそうではない。クア王国の人たちは、とても心が温かい、とでも言うべきか。
新しくやって来たときには警戒もされていたが、住み始めてある程度の月日が経過すれば、広まっていた噂がいかに馬鹿げたものであるか、大体の人は理解してくれたようだ。
その侍女長はルピアをぎゅうっと抱き締め、ご無事で何よりですと言ってくれた。困惑して周りを見渡すと、騎士団のメンバーも、駆け付けていた王女や王子も、安堵してくれている。
あぁ、心配をたくさんかけてしまったのだ。ルピアのことを、真摯に心配してくれたんだ、そう理解出来たから、ルピアは自然と頭を下げて『ごめんなさい』と皆に謝った。
もちろん、一部理解してくれていない人はいる。だが、人はそういうものだ。だから、気にしない。言いたい人には言わせておけば良いし、もしもそれについて後から失敗した、と思ってもルピアには何の責任もないのだから。
そうして、ルピアにようやく訪れた心の平和。
ソファーに座り、大きく伸びをしているルピアに、リシエルがお茶を運んできた。
ソファー前のテーブルに、ティーポットやティーカップ、お菓子、と次々並べながらリシエルはルピアに問いかける。
「お嬢様、これで全て終わりましたか?」
「あら、リシエル。ありがとう。……えぇ、そうね。ようやく終わったわ」
「それはようございました」
「リシエルにも、あの時はすごく心配をかけたわね」
「……本当に、お嬢様がどうなってしまったのだろう、と……思いました」
リシエルはルピアが操られていた時のことを思い出したのだろう。
顔が強ばり、両の手をぎゅうっと強く握り締める。
あの人形のようなルピアはもうおらず、今リシエルの前にいるルピアこそが、本当の『ルピア』なのだ。
「リシエルにもだけど、アルフにも心配をかけたわね。まぁ、アルフはちょっとやらかしもしたけれど」
「申し訳ございません……」
ルピアの背後に立っている護衛騎士のアルフレッドは、少し前にやらかしてしまったことを思い出し、しゅんと項垂れる。
まるで、大型犬が叱られたかのような落ち込み具合に、思わずリシエルは小さく笑い出してしまった。
「り、リシエル?」
「っ、ふふ……ごめんなさい。アルフレッド様がこう、……何だか、わんちゃんに見えてしまって……ふふっ」
頼れる騎士だけれど、見えようによってはそう見えるのか、とルピアは背後にいるアルフレッドを見る。
「お嬢様?」
首を傾げて、ついでに目をきらきらとさせながら『何か御用ですか?』と副音声が聞こえそうなアルフレッドの様子に、確かにこれは大型犬だなぁ……とルピアは納得してしまう。
「あの、お嬢様……?」
「何でもないわ。リシエルの言うことも当てはまってるなー……って思ってただけよ」
「え」
嘘でしょう?!という叫び声のような悲鳴のような、落ち込んだアルフレッドの声と、楽しそうに笑うリシエルの声。
そんな二人の声を聞きながら、ゆっくりとお茶を楽しむルピア。
こんなに穏やかに過ごせるようになれて、本当に良かったとルピアは心の底から感じていた。
ルピアたちが帰国した後、祖国からは超特急で謝罪文が国王から届けられたと聞いている。
王太子夫妻の行動の愚かさについて、当たり前だが激しく糾弾もされたようだ。
しかし、あの国の行く先は見えている。
リアムが国王となり、ファルティが王妃になる。これが固定されているのだ。
まるで呪縛のようだけれど、あの二人が未来の統治者なのはどう足掻いても変えられない。そういうルートに入ってしまって、その未来が固定されてしまったのだから。
『システム』という存在の力の大きさを改めて考えると、ルピアは生きた心地がしなかった。
アレに操られ、感情や行動を制限されながら一年を過ごした。ルピアの場合、それだけで解放されたのだから相当マシな方なのだ。
あの国の人たちは、どれだけ嫌でもリアムとファルティの即位からは逃げられない。恐らく……想像したくはないけれど、クーデターのようなものも起こる可能性だって大いにある。
未来は固定されているが、あのストーリーからルピアのように解放された人たちは今や違和感に支配されている頃だろう。
ルピアは、早々に意識もクリアになり、これまで通りの日常へと戻ることが出来た。
だが、当たり前のようにファルティを支持し、持ち上げていた人たちの中には、『どうして自分は王太子妃をあそこまで応援していたのだろうか』と思う人だって少なくない。
いつかは終わってしまう、甘美な夢。
そういえば、とルピアは思い出す。
ファルティが達成したかったエンディングというものは、相当難易度が高かったらしい。
しかし、これまでにも立場こそ違えど、あの馬鹿げたゲームに巻き込まれた人たちは少なからず存在する。
その人たちはどうやらファルティの選んだ道とは難易度がだいぶ異なっていたらしい。システムが『他の人はライバル令嬢との関係性もしっかりと築いていたから、なんの問題も起きなかったのに』と、ボヤいていたのをルピアはぼんやりと思い出す。
恐らく他の人はファルティとは全く異なるストーリーを進んでおり、綺麗に丸く収めたのだろうと推測される。
そうでなければ、最後までいった人に対して、あそこまでの暴言はほいほいとは出てこないだろうから。
他の人が何を思い、願い、『システム』の手を取ったのかなんて、ルピアは想像すらしたくなかった。
願いは己の手で叶えてこそ、価値あるもの。
他の人に叶えてもらっては、面白味も何もなく、達成感も何もないだろう。
しかし、願いが叶うのならばと、少しでも近道をしたい人だって存在する。
ルピアは香りの良い紅茶を飲みながら、ぽつりと呟く。
「利用されるだなんて……わたくしは、嫌よ」
家のために、と思ったからこそルピアは厳しい教育にも耐えられた。
父や母、親戚が『よく頑張った!』と認めてくれたから、どんなに辛くても歯を食いしばって耐えられたのだ。
「お嬢様、どうされましたか?」
「……ううん、何でもないわ」
どうやら、ルピアの表情は思いがけず険しくなっていたようだ。リシエルに心配させないようにと、ルピアは微笑んだ。
「ちょっと、色々と振り返っていただけよ」
「……色々、ありましたもんね……」
しみじみと呟くリシエルに賛同したように、アルフレッドも頷いている。
視線をリシエルに向けていたルピアからアルフレッドの様子は見えないけれど、何となくの気配で察したのだ。
「でも、もうこれで本当に終わりよ。……とっても心配性なおじさまからお休みもいただいたし、何日かゆっくりしようかしら」
「それがよう御座います!お嬢様、このお屋敷の探索などはいかがですか?」
「……ふむ、楽しそうね。確かここ、家から持ってきた本を保管した書庫とは別の書庫もあったわよね?」
「確かございます!」
「じゃあ、お茶が終わったら行きましょう。どんな本があるのか、今から楽しみだわ」
ルピアはそう言って、笑う。何せ、まとまった休みをもらったのだ。ダラダラするのではなく、有意義に過ごさなければ、勿体ないのだから。