五話:後悔とそれぞれの思い
王太子妃となったファルティが自室でボヤいているその頃、王太子であるリアムは国王夫妻に呼び出されていた。
呼び出された理由が分からず首を傾げていたが、これから王として即位するために何をしなければならないのか、ということの教えを受け始めるのだろうとしか思っておらず、言われた通りに執務室へとやって来た。
身だしなみを確認してからノックすれば、室内から『どうぞ』と声がかかる。
『失礼します』と声をかけて入ると、国王夫妻と、そこには何故かずらりと大臣達が並んでいたのだ。
「父上、これは…一体?」
「リアム、まずは我らの問いに答えよ」
重たい口調で言う国王の顔には焦りや憤りが浮かんでいる。
「問い、ですか」
「そうだ」
はあぁ、と聞こえるような盛大な溜息を吐いて、まずは財務大臣が口を開いた。
「では、わたしから。殿下、王太子妃のご予算が減っていることは既に承知の上かと思いますが…」
「ま、待て!何だそれは!」
問いに答えろ、と言っていたのに財務大臣の言葉を遮って叫んだリアムに対して冷ややかな眼差しが向けられた。
だが一方で、あぁやはりな、と誰かが呟くと他の大臣達は揃って険しい顔つきを更に険しく、冷ややかな眼差しの温度は更に下がることとなった。
リアムは、王太子妃の予算が減らされているというのは何事だ、と慌てて財務大臣へと向き直る。
「どうして予算が減るというのだ!」
「当たり前でしょう」
「だから、何故!」
「カルモンド公爵令嬢が王太子妃候補であった際は、公爵家より、ご予算の補充がございました。『娘が王家と縁を結ぶのであればそれ相応のものが必要であろうから』と、公爵閣下御自ら申し出て下さり、かなりの金額が王太子妃予算としてご用意されておりました。カルモンド公爵令嬢が王太子妃候補でなくなった今、公爵家は王家に対してそのようなことをする必要などありますまい?」
「は…?」
「公爵閣下は、ルピア様をそれは大切に慈しんでおられますが故に、このようにご予算を追加で私財から賄われておりましたが…。あぁ…王太子殿下はご存知なかった、ということですね。承知いたしました。なお、いくら補充があったかは文面にて残しておきましたので、現時点での余剰分は即座に返還いたします」
「それではファルティの王太子妃予算はどうなるのだ!」
「どうなる、とは」
「だから、その…減らされた分は!」
「公爵令嬢のようにしたければ、王太子妃殿下がご自身のご実家を頼れば宜しいだけではありませんか」
冷ややかな財務大臣の言葉に、リアムの顔色は蒼くなったり赤くなったりと忙しい。
「伯爵家に…そのような、負担、を」
「王太子殿下、何故元通りになっただけの王太子妃の予算に対して言及なさろうとするのです? 割り振ってないわけではないのですよ? …よもやルピア様が王太子妃候補であらせられた時のご予算をお使いになって、王太子妃殿下に贈り物などなさっておいでだった、とかいうことはありませんでしょうな」
ぎく、と表情が強張るリアムを見て、その場の全員が『ああ、こいつやってたんだな』と満場一致で思った。
その状況には、国王夫妻も頭を抱えてしまう。
まさかこのような事態になるとは思っていなかったらしいリアムは、慌てて全員を見渡して言葉を続けた。
「っ、家臣として!今後も変わらぬ忠誠を示すために…だな!」
「金を出せ、とそう仰るのですね?公爵家に」
「そ、…っ、あ、…あの…」
「できるわけないでしょう」
リアムは必死に何か言おうとしているようだが、王妃がゆっくりと口を開く。
「できない理由としてまず一つ目。カルモンド公爵家は、貴方の後見を取りやめました」
「…な、何故!」
「ルピア嬢が婚約者でなくなったからよ。そして二つ目、ルピア嬢は静養のために本邸からすでに領地へと向かったわ」
「は…?ルピアには、ファルティの王太子妃教育をするようにと命じたではありませんか! 家臣としての務めは果たして貰わねば困ります! ルピアをすぐに呼び戻しましょう!」
「そうね…普通ならば、そうでしょうね。けれどまず、貴方に公爵令嬢を呼び捨てにする権利も資格もありません」
「…っ」
淡々と語られる現実に王太子が混乱しているのは理解できるが、この状況を生み出したのは紛れもなく彼自身。そして現在王太子妃となっているファルティ自身だ。
それを容認してしまった国王夫妻、賛同してしまった家臣たちも公爵家からすれば恨みの対象でしかない。
カルモンド公爵本家、そして分家問わずルピアの評価は高いのだ。それは将来の王太子妃候補として、であったのだがもう一つ。カルモンド次期女公爵としての評価である。
資質があれば男女問わず家督を相続できる、という国の法律に則り、公爵家での歴史の中には女公爵もいた。他の貴族も同様に、だ。
そして、ルピアは王太子妃教育と公爵家次期当主としての教育を並行して行えていたほどの才女。評価が低いわけが無い。そのような令嬢に対して、王家が下した決定は公爵家全体を怒らせた。
本家、分家問わず、口を揃えたわけでも、示し合わせたわけでもないのに『この度のルピア様への対応については、王家が公爵家を不要だと判断したと理解した』、『カルモンド一族を馬鹿にしないでいただきたい』という内容の抗議文があちらこちらから届いているくらいだ。
それをようやく、今、知ったリアムは顔色を悪くした。
「わたくし達も勿論浅はかだったんだわ。大臣達も、貴族達も、…はては学院の生徒達もね」
「そ、そうだ!ルピアを側妃として迎え入れれば!」
「貴方…阿呆なの?」
いかにも良い案を思いついたと言わんばかりの提案だったが、王妃がそれを一蹴した。
誰が喜ぶと思っているのか。
しかも、それをやってしまっては今以上に公爵家の怒りを買うことは間違いない。
「それをやったら公爵家が我が国を離れかねないけれど、理解はしたうえで今の案を言ったのね?」
「う…っ」
おかしい。
ここまで考え無しな我が子ではなかったと思うのだが、一体何があったというのか。無論、それは自分たちにも当てはまってしまう。
通常、王太子の婚約者の変更ともなれば様々な手続きをふんだ上で、もっと時間がかかるものであるのに、色々な手続きをすっ飛ばして話を進めてしまった。しかも、取り消そうにも出来ないようにしていたような気がする。それすらどうして、そのようなことをしたのか理解不能だ。
「まったくもって、わたくし達そろって皆、頭がおかしくなっていた可能性すらあるけれど…おかしな魔術反応はないから、王太子妃が魅了の魔術を使ったことはないでしょうね」
「ファルティはそのようなことはしません!」
「そう。まぁ、そういうことにしておきましょう。けれどね、これは覚えておかなくてはならないわ」
王妃が言い終わると、国王が言葉を続けた。
「何がどうであれ、我が国はカルモンド公爵家をとことんまで軽んじてしまった。これは、揺るがぬ事実である」
ごく、と大臣たちが唾を飲む。
「カルモンド公爵家、それに連なる分家の数々は、我が国の国防を担っている大事な家門である。…そんな彼らを、軽んじた。更に、これまで王太子妃候補として役割をしかと果たしてくれていた公爵令嬢にまでも、大変失礼なことをしてしまったのだ」
「謝罪をしようにも、公爵家は一切を拒否しております。皆、勝手に動かぬように」
しっかりと言い含めてから、その場は解散された。
リアムは今更ながら己の決断が誤っていたのかと考えるが、ファルティを愛している気持ちや王太子妃に選んだことに対しては、間違いだとは思えなかったし、思いたくなかったのだ。