四十七話:落とし前の行方【後】
こいつの他に、同じような存在がいると仮定する。
ファルティが迎えた『王妃ルート』というエンディングが数あるエンディングの中の、たった一つとすれば。
他の道へと誘導していた存在は少なからずいるのではないか。先程の話からして、エンディングに到達したらその人物には手を貸さない、そうなっているという。
同じ存在が一人で、何人ものフォローのようなことをしているのか。効率を考えるとそういうわけではなさそうに感じる。
「(さて、どうしてくれよう)」
ルピアがつけ入るとしたら、今のこの状況の歪さだ。
ファルティはエンディングを迎えているにも関わらず、こうしてファルティを介してこちら側に干渉している以上、それこそがルール違反として成立する。
しかし、本当の意味でファルティを見限って無理にでもルピアの意識を乗っ取りにかかったら……?
いやまて、とルピアは再び思う。
考えることを、止めてはいけない。こんな奴に従いたくもないし、自分の未来は自分で決めると、掴み取ると決めたのだから。
「ひとつ、質問があるのだけれど」
《はい、何なりと》
声の調子が明らかに変化した。恐らく、ルピアがこの話に興味を持ったとでも思ったのだろう。
「わたくしが断ったら、どうなるのかしら」
《は?》
「わたくしが、断ったらどうなるのと聞いているの。というか、もう断ったのだから愚問だとは我ながら思うけれど……そうね、何かしらのペナルティはあるの? ないわよね?」
《……いいえ、貴女にこそ達成していただきたいエンディングがあるのです。それを叶えるまでわたしは》
「そう。なら、さようなら」
ルピアは無詠唱で、己の掌に鋭い氷の棘を出現させた。
《は》
その棘はあっという間に形をかえ、刃へと。
まるでルピアの手から氷の刃が生えているような、そんな状態。ルピアは刃を、躊躇することなく首の頸動脈付近にひたりと押し当てた。
《ま、まって!》
「お前に操られるくらいなら、死ぬわ」
《い、いや! まて! そんな勝手なことは許されない!》
「あら、人を唆して未来をずたずたにしてくれた人外がよくもまぁほざいてくれること」
ぐ、と刃に力を込める。
ぷつりと首の皮が切れる感触がして、ぬるりと何かが溢れてくる。勿論血だと理解はしているし、首筋に刃を当てて今にも切り裂こうとしている箇所はじくじくと痛んできているが、やめるわけにはいかない。
賭けでもあるけれど、引き下がるわけにはいかないのだ。
ここまでルピアに執着してくるということは、『ルピア自身』を、紛れもなく目の前の存在が『失いたくない』と思っている。
なら、そんな存在が今にも死のうとしていたら。
目的と、目的を叶えてもらうべき存在の命、どちらが大切か。
「わたくしはね、お前のやり方も、考えも、存在そのものも、何もかもが」
《やめ、て》
「気に食わないし、嫌い」
《やめてくださいお願いします!!》
ぐぐ、と更に刃を進めていくほどに、痛みは強くなり刃が食い込む嫌な感触が手にも伝わる。
とてつもない痛みだけれど、こいつから逃れられれば問題ない。それに、ロッドから護符ももらっている。
あぁでも、こんな痛みを、傷を、己自身に与えたことがルパートやヴェルネラにバレたら、怒られてしまうんだろうな。お父様やお母様も、きっとお怒りになるに違いない。でも、これが一番手っ取り早いのです。ルピアは心の中でそう呟く。
「やめて、ほしいなら……今すぐこの世界から消えることを約束しなさい」
《そ、それは》
「なら、さようならね」
ルピアが意を決して歯を食いしばり、一気に首をかき切ろうとしたその時だった。
『申し訳ございません』
別の声が、驚くほど静かに、馴染むように直接頭の中に聞こえてきた。
「え……?」
『ルピア=カルモンド。どうか刃をそのまま首からお離しくださいませ。貴女様がそのようなことをされる必要は、全くございません故』
「あ……」
操られているわけではないけれど、まるで母親に窘められたような、そんな感覚。
首から流れる血はそのままに、しかし刃は首筋から離れた。否、離された。
ずきんずきんと首は痛いけれど、血を見せつけるためにルピアはとりあえずの止血だけをする。悟られすぎないように魔力を絞り、無詠唱で首の傷を一点狙いで治癒した。
少しでも衝撃があれば、また血が出てくることは間違いないが今はとりあえずこれでいい。
気を抜かないように、もう一人の存在を探すべくルピアは視線を動かした。
「あなた、は」
神の意志の傍ら。もう一つ、別のもやが存在しているが、そのもや自体の存在がまた別格の異質さを放っていた。
まるで土下座をするように、その土下座をしている相手の頭を踏みつけているかのような姿が確認できる。
「……何を……」
しているの、そう続けようとした矢先にもうひとつが話し始めた。
『重大なルール違反を察知いたしまして、急いだつもりでしたが……お怪我をさせてしまったこと、誠に申し訳ございません』
「い、いいえ……」
とても丁寧で柔らかな口調だが、足元の存在に話しかけるとなるとそれが一変した。
『一人につきひとつ、どうしてその程度の規約すらお前は守れないのかなぁ。その転がっている対象が迎えるべき……いいや、到達したかった本来のエンディングに導けなかったのに! たかが『ナビゲーター』のくせに、お前はお前を何と名乗った?』
また、聞きなれない単語。
いよいよ理解の範疇を超えたぞ、そう思いながらルピアは口を挟まないようにじっとそれらの会話を聞く。
『神の意志として……? いやいや、我らごときが神たる存在の何かとして物事を動かしてはならぬ』
《し、しかし、ゲームを進めるためには》
全く意に介していない様子で、踏みつけているソレは言葉を続ける。
お前の言葉なんか聞くに値しない、そういった類の拒絶すら感じられるくらいに、ただ、淡々と言う。
『さて、結果から申し伝えよう。お前の人物選定も、その後の対応もランクとしては下位クラス。お前自身が驕りすぎたことの責をお前自身で償うと良い。よいか、決して』
ぐるん、と踏みつけている側の視線だけがルピアを捉える。ぎくりと体が強ばってしまったことはどうにか許してもらうしかないけれど……と、そう思っていたが、問題無かったようだ。
また、淡々と言葉を続けていく様子を、ルピアはただ眺めることしかできない。
『他を、巻き込んではならぬ。ましてエンディングを迎えた世界への干渉はしてはならぬ。それらのルール違反の罪は、重いが……どうしてくれよう?』
《たす、けて》
泣き声のようなものが、間違いなくこれはルピアに向けられている。
『そうですねぇ……ルピア様』
「は、はい」
声が上ずってしまったけれど、それも問題なかったらしい。むしろ微笑ましそうな空気すら感じられる。
『どうしたいですか?』
「え?」
『ルール違反をしでかした、コレを。どうしたいですか?ご希望があるのならば、今回はこちらの不手際ということもございます。……いいえ、それしかないのですが……』
あっはっは、と場違いな程に明るく笑う、ソレ。
片や、踏みつけられてガタガタと震えているような気配すらする、ソレ。
似ている存在なのにまるで違う力関係と、この、現状。
踏みつけられている方が下で、踏みつけている方が上。それも圧倒的なほどに力量差までもが感じられてしまい、どうしたものかと悩む。
『此度、貴女様に対して多大なるご迷惑をかけてしまったお詫びといってはなんですが、全て、お望み通りにいたしましょう。勿論、対価などいただきません。何せこちらの』
ぐぐ、と踏みつけられているソレに対して、圧が更に増した。
『言い訳するに値しないほどの愚行に対しての、お詫びだと、お思い下さいませ』
きっと、それは本当なのだろう。
まさかとは思っていたがルピアの予想は全て的中した。軽く考えていたけれど、彼らにとってのルール違反は存在そのものが危うくなるほどの『侵してはならないタブー』として浸透しているようだ。
それを破り、ルピアに接触してきたソレの意気だけは認めてやらなくもないけれど、どこの世界にも定義されたルールはあり、破ると当たり前だが罰は与えられる。そういうことだった。
「……本当に、何でも?」
『疑い深くなるのも尤もでございます。ですが、どうかお信じください。あくまでわたしは、コレの失態についてのお詫びをしたいだけなのですから』
表情があれば、きっとルピアに話しかけているソレは胡散臭い笑顔に違いないと確信できた。
だが、それすらにも今はすがりたい。だから、ルピアはゆっくりと言葉を紡いだ。
「ならば、貴方が踏み付けている……えぇと、その人、で良いのかしら。ともかく、そちらを連れてお帰りくださいな。そして、今後一切の接触をしないでいただきたい」
『勿論でございます』
「我が血統が、続く限り」
『……ほう』
にぃ、と口らしき割れ目が見えて、つり上がる。怒りではなく、とてつもなく、愉しそうに。
『確かにこれは、執着してしまいたくなるほどに賢いご令嬢だ。なるほどなるほど……』
「できるのでしょうね」
『はい、勿論』
あぁ惜しい、何たること!と大袈裟なほどの身振り手振りを付け加えてから、ふわりとソレはルピアの元へとやって来た。
『きっと、最初に貴女様を見つけていたら……きっと、貴女様を主人公として迎えたいほどに、貴女はとてつもなく魅力的な御方だけれど……駄目ですねぇ。己の想いが、強すぎてしまう』
「そう、ありがとう」
『どういたしまして。それでは、『我ら』は、貴女様の血統が続く限りこの世界への一切の干渉はいたしません。もししてしまった場合には早急にソレの存在を処分させていただくことを誓います』
「……ねぇ、聞きたいのだけれど」
『はい、何なりと』
執事のように腰をおり丁寧に礼をしたソレに、ルピアは問いかけた。
「貴方たちは、何をしたいの?」
純粋な疑問。
結局、彼らの目的はそもそも何なのか。何を思い、人をおもちゃのように、駒のように動かしたりするのか。
『それは、貴女がたの側には、一切合切、関わりのないことで……きっと何も理解していただけないことでしょう。ですから、敢えてこう言います』
また、口らしき割れ目が出てきて、ニィ、とつり上がった。
あぁ……また愉しそうに笑っている。そう思っているとソレは顔らしき箇所をルピアに対してずい、と近付けてこう告げた。
『貴女方と、同じ。ただ、シリーズをコンプリートしたいだけですよ』
言い終わるのとほぼ同時。
嫌だ、助けて、お願いと懇願してくるソレを羽交い締めにするような形で、無理やりにソレは片方をこの世界そのものから引きずり出してくれたようだ。
虚空に吸い込まれるようにして消えていった彼ら。……果たしてその表現が合っているのかは分からないけれど、きっと、もう彼らそのものがルピアの生きる世界に干渉はしてこないのだろう。
だが、ただ今は。
「……………疲れた」
その場にルピアはへたり込む。
アレが現れてくれなければ、命を落としていた。今更ながら、とてつもない震えが体を襲う。
「……いやだわ、わたくしったら……」
ぽつ、と今は一人だからと零した。
「死ぬことって、……怖いのね」




