四十七話:落とし前の行方【前】
いってきます、と伝えて王族のみが利用できるという転移ゲートを使い、クア王国から祖国へと戻った。
転移先は王宮の、国外からやってきた来賓の通る門から少し離れた、転移専用ゲートの設置された場所。特に名称があるわけではないが、皆が口を揃えて『転移宮』と呼んでいたことは知っている。
王太子妃筆頭候補として教育を受けていた時、諸国の使節団の出迎えをしたこともある。王太子妃教育の記憶はないけれど、王宮のどこに何があってどういう施設があるのかは覚えていた。
「(良かった)」
内心、ホッと安堵した。
しかし、通常ならばここに出迎えの要員がいるはずなのだが、今ここには誰もいない。
「一人で来い、そういうことかしら」
覚悟はしていたけれど、いざこうして立ってみると結構な怖さがある。とはいえ、行かないという選択肢はルピアの中には存在しないのだ。
「……せめて、形式的な案内人くらいは欲しかったけど……」
まぁ、いいか。そう心の中で付け加えて、慣れた足取りで歩き始めた。
記憶消去の魔法に関しては、さすがのもので王太子妃教育に関してだけがさっぱりすっきり消えている。
未だに仕組みを教えてはもらえないけれど、あの魔法を使える人の少なさから察するに何かしらの秘伝があるのだろうと思う。
いつか、騎士として限界を感じた時には素質は必要だけれど魔術師としての道を歩んでみても良いのかもしれない。
そう思いながら歩いていると、何度も通った回廊が見えてくる。
「……お父様とも、何回か通ったわね」
よみがえってくるのは、父に手を引かれて歩いた記憶。
幼かった頃は、なるべく父に傍にいてほしくて何度か駄々をこねたものだ。しかも父は嫌がることなく、むしろ快く引き受けてくれた。
どうして貴族たちの間で、カルモンド家は仲がよくない。特に公爵の子供たちに対する態度の冷たさはおかしい、などという噂が広がったのか。
恐らく父であるアリステリオスの無表情っぷりが原因の一つであることは間違いないだろうけれど、噂を広める側の気持ちは何があっても理解したくない。
コツ、コツ、と歩いて長い回廊を抜けた先、また見知った扉が現れる。
「さて」
手紙に指定のあった、『謁見の間』。ここにきっと、ファルティがいる。恐らく、リアムもいることだろう。
ここから逃げるわけにはいかないから、今から乗り込むしかない。大丈夫だ、とルピアはゆっくりと自分に言い聞かせておく。
万が一があったとしてもルパートには時間の設定もしてある。それをアリステリオスやミリエールにも、ロッドにも伝えていてもらっている。
「だから、大丈夫」
もう一度、声に出して自分に言い聞かせて扉のノブをぐっと掴み、意を決して思いきり引いた。
案の定、鍵はかかっていない。
引くままに扉は開かれ、謁見の間にいるのは一組の男女。
「……ファルティ=アーディア。……王太子殿下……」
「ふふ、お久しぶりね。ルピア様」
リアムは、不気味なほど真顔で口を開こうとはしない。
にっこりと微笑んでゆったりとした様子でファルティが挨拶をしてくる。親しくもないけれど、まるで親友のような態度が、ルピアにとってはどうにも違和感しかなかった。
「……ご招待、どうもありがとう」
「うふふ、きっと来てくれるって思っていたの!」
ファルティが座っている場所は、本来王妃が座る椅子。そしてリアムが座っている場所は国王が座っている場所。
本来であれば、彼らが座っていいはずの場所ではないというのに、とルピアが嫌悪をあらわにしていると、それを理解しているかのように立ち上がってずんずんとルピアの元へとファルティが歩いてきた。
「……何でしょうか、王太子妃様」
「まぁ! 何て他人行儀なの!」
「他人ですので」
躊躇なく言うと、ファルティの頬がひくりと動いた。
「他人、ですって?」
「他人でしょう? だって、貴女様とは親友でもなんでもないですし、まして身内でもないわ」
「……っ!」
あえて蔑むように馬鹿にしきった表情を作って言えば、ファルティの顔は更に歪む。
今、こうして対峙しているファルティが、果たして彼女自身であるかは、見た目では分からないけれど、こんな分かりやすい挑発に乗ってくるのであれば本来の彼女なんかではない。
「あら、どうかなさいまして?」
「何でも、ないわ」
悔しそうな顔で言うファルティに、更にルピアが続けていく。
「それで? わたくしのような醜聞まみれの令嬢を、わざわざお呼びになった意味をお教えいただけますこと?」
理由なんか分かりきっているけれど、あえて聞く。どうせ、と心の中で予想していたことと合致しているかの、これは答え合わせだ。
「醜聞まみれだなんて! 私、貴女に是非とも『力』を手に入れていただいて、物語の主人公になっていただきたいと」
「ああ……本当に予想通りだこと」
「…………え?」
ファルティ側も、予想はしていた。
ルピアはきっと何を提示しても断ってくるだろう、と。しかし、ルピアも予想していないわけではない。
心の内を読んでいるのかというくらいの勢いで、それに、とルピアは続けていく。
「あなた、ファルティではなくて神の意志でしょう?」
「……」
ぴたり、とファルティの動きが止まった。
まるで呼吸をしていないかのように、人形のように。『停止している』という言葉がぴったり当てはまるように止まっている。
≪……分かっておいででしたか≫
「どうして分かっていないと思っていたのかしら」
≪可能性の一つとしてあり得るかと、思っただけですよ≫
どこか媚びるような声音が、気持ち悪い。
しかしこいつにだけは感情の振れ幅を見せてはいけないと、何となく本能的にルピアは理解する。
「まどろっこしいことはやめて頂戴。あなたの目的は?」
≪最上級の、終わりを、貴女に迎えていただきたいのです≫
「なぜ、わたくし?」
≪決まっているではありませんか!≫
きっと、感情が昂ったのだろう。ファルティの体ががくりとのけぞり、大きく開いた口からもわり、と黒い影が噴き出てくる。
そしてそのままファルティの体は崩れ落ち、黒いもやがゆらゆらとうごめいて人の形を成した。
「――っ!」
――ただ、気持ち悪い。
人外のものと話すことが、これほど気持ち悪いものだなんて思わなかった。前は短時間だったからどうにかなっていたのだ、と今思い知った。
≪以前もお伝えいたしました。貴女ほど、主人公にふさわしい方はいらっしゃいません!≫
「それならばわたくしも断ったはずだわ」
≪お考え直しください! 楽をして貴女の望むものが手に入るのですよ!?≫
「……で、手に入った瞬間にファルティにしたように見放すのね」
≪見放す、だなんて人聞きの悪い…。目的を達成したのだからそれは当たり前ではございませんか!≫
ケラケラと笑う神の意志の様子を見ている内に、別の嫌悪感が襲ってくる。
つまり、こうだ。
恐らく、ファルティもこの神の意志にこうして唆されて、『ゲーム』とやらの主人公になったようだ。
彼女が本当に目指していたのは、確か以前ちらりと聞いたことのある『大団円』とかいうエンディングなのだろう。だが、ファルティは何かを漏らしたことが原因で、別のエンディングを迎えた、ということだろう。
だが、ここで矛盾が生じる。
『エンディングに到達すれば、見放す』
先ほどの言葉が本当であれば、今こうしてファルティに神の意志がかかわっていること自体がおかしなことなのだ。
見放すという割には、ファルティの体を乗っ取るようにして動いていることがおかしい。
≪ねぇ、ルピア様。あれからお時間を差し上げたのですから、多少は考え直していただけたのでしょう!?≫
そのもやは、嬉しそうに語りかけてくる。
神の意志、というが、一体これのどこが『神』の意志だというのか。
こんなものが『神』などであるはずはない。
百歩譲って、人間の上位の存在であることは認める。実際にそうなのだから。しかし、こんなものは神なんかではなく、いうなれば自分で自分を神だという『神もどき』でいいだろう。
「……前と、返答は変わらないわ。お前となんか関わりたくないのだから、早々に消えて」
≪こんなにも、有益な提案を断ると?≫
「何が有益で、無益かを判断するのは、わたくしではないかしら」
じっと、双方はにらみ合う。
にらみ合うと言ってもいいのかはわからない。何せ、相手はもや。目のような丸いなにかはあるけれど、はたしてそれが本当に目なのかも定かではないのだから。
しかしここで、精神的に怯んではいけない。そうすればルピアは意識ごと持っていかれそうなほどの圧がある。
「(あまり得策ではないかもしれないけれど……)」
ゆっくりと深呼吸してから、ルピアは頭をフル回転させる。きっと、こいつは何か目的があってファルティが目指していた何かをルピア自身にさせたいのだろう。
けれどルピアはそんなものに乗ってやるつもりはない。加えて、思い通りに動いてやる義理もなにもない。
そもそも、既にエンディングを迎えたというのに未だに干渉してくるというのは神の意志側からすると、どうなのだろうか、と。ふと思った。
もしも、コイツそのものがこうして干渉しているのがルール違反だとしたら……?