四十五話:呼び声
「ルピア」
「はい、陛下」
どうしてこうなった、とルピアの顔には書いている、でかでかと。
そして可愛い可愛い姪っこを呼んだ張本人のロッドは満面の笑みを浮かべている。
「ルピア、お前に手紙だ」
「……何故、陛下の元に?」
「中を見れば分かる」
「そうですか」
くく、と楽しそうに笑うロッドとぼやきながら微妙な顔をしているルピア。未だに慣れないのだ、この部屋と環境に。
騎士団試験に合格し、初日に登城した際、申し訳なさそうな副団長にここに来るように言われた。そう、今まさにルピアがいるこの王の執務室へ。
おかしい、確か自分は騎士団に見習いとして配属されたはずだ、と思いながらも入団手続きに何か必要なことがあるのかもしれない……と、信じていた。それなのにどうして国王から直々に呼ばれて補佐官のような業務を日々こなすことになっているのか。
かれこれ三日はこうしているが、そういえば父や母が大変に申し訳なさそうな顔をしていた。もしや両親は知っていたのだろうか?など、色々な考えがぐるぐると巡る。
手元の手紙に集中したいのにそうさせてくれない。
ふと手紙から顔を上げると、ばっちりロッドと視線が合い、ニタリと意味ありげな笑みが向けられているではないか。
「お前の筆記試験の成績が群を抜いていたからだよ。あと、アリステリオスの親心も含まれている」
「……陛下、人の心を読むことはお控えくださいませ」
「すまないな、部下に泣きつかれると弱いんだよ」
「わたくしも、お父様の一声には弱いのです。最初から理由を仰っていただければこんな顔にもなりませんわ」
「いやまったくもってその通り」
「ですが、こういった政務官のような業務にも興味はありました。王太子妃教育の記憶こそ消しましたが、後々家をわたくしが継ぐのであれば知識はいくらあったとて無駄にはなりません」
「出来る姪で助かったよ」
「結果良ければ何とやら、というやつですわ。何度も申し上げますが、最初にこういったことに関しては当人に確認が必要かと存じます」
「そこに関しては全くもってその通り過ぎる」
声こそ申し訳なさそうなものだが、実はこの人事、満場一致で決定したらしい。本人は騎士団勤務希望だったのだが、筆記試験でこれだけの高得点を取った者はかつていなかった、らしい。点数が何点かは聞いていないが、二位との点差がかなりあいていた、と聞いた。成績の開示を希望すれば良かったと後悔したものの時すでに遅し。
ちなみにそんなルピアを熱烈に欲したのは、王宮の政務部のロッドの側近。今まさに同じ部屋にいる人物で、『お願いします、彼女の力をお貸しください!』とロッド、アリステリオス双方に懇願した。
さすがに騎士団への所属が決まっている人間を横からかっさらうのはいかがなものか、と苦虫を噛み潰したような顔で注意するロッドだが、部下の気持ちは理解出来る。優秀な人材は喉から手が出るほど欲しいものだ。
そこで、妥協案として『一年限定』という期間を設けた。
最初から騎士団でも良いが、間違いなくルピアのことだからほいほい昇進していくだろう、と推測した親バカ満開なアリステリオスと身内バカなロッドは、『一年限定』という期間を設けること、ならびに騎士団の訓練には基本的に参加させること、この二点を受け入れることで、緊急すぎる配属願いを承認した。
様々な業務を体験すると良いよ、というアリステリオスの鶴の一声でルピアは頷いたのだ。確かにアリステリオスも補佐官業務をかつて経験していたと聞く。
勿論、騎士団の訓練にも参加できるように手筈は整えている。そうでなければルピアは間違いなく了承などしなかっただろうから。
この会話をしている最中、本当に申し訳ございません!という希望した張本人からの謝罪の言葉が聞こえてくるが、謝るなら最初からするな、と言いそうになることをぐっとこらえた。こうまでも言われてしまうと『大丈夫です』としか言えない。
もやもやを抱えたままだが、これまでの人生がある意味で思い通りに行き過ぎていたのだ。その枠から外れたのだからこういうこともあるが、気持ちをうまくコントロールできないという不甲斐なさに襲われる。
思わず手にしていた手紙をぐしゃ、と握りつぶしかけたが、慌てて我に返る。
「……へぇ」
差し出し人はリアムからだった。
見慣れた筆跡と、綺麗な文字の綴り。あぁ、懐かしいなと思いながらルピアは既に切られていた封筒の中を取り出し、内容を確認していく。
国王宛ではあるが、宛先にルピアも含まれていた。
だから、ロッドはまず側近に内容を確認させて自分も内容の確認を行ってから、ルピアにもこれを見せているのだ。
側近も内容を覚えているのか、神妙な顔をしている。なお、先ほどまで謝っていた雰囲気はもうなく、どうにも気持ちの悪いものを見たという何とも言えない顔だ。
ロッドは先程までの明るい顔とは別の、『王』としての顔になっている。
そして、手紙を読み進めるルピアも、段々と表情が険しくなってくる。
「これは……。かの国の王太子殿下は、何を、今更」
「あぁ、わたしも思ったよ。どの面下げてそなたを呼びつけるのか、とね」
「……まるで、もう既に国の頂点に立ったような物言いですわ、この手紙の内容は」
「……見ていて、あまり気持ちのいいものではないな。彼は以前からこうだったか?」
「いいえ」
ロッドの問いに、ルピアは迷うことなく首を横に振る。
と、その時だった。
「え」
手紙を折り、封筒の中にしまおうとしたのに、手から離れてくれない。
どうしたらいいのかと少し嫌な予感が過ぎった刹那だった。
『ルぴア、さマ』
手紙から発せられた奇妙な気配と声、そしてぶわりと立ち上がった黒いモヤ。
「ルピア!!」
モヤはあっという間に人の形を取り、空中に浮かんでいる。
人の形ではあるが、顔はない。のっぺらぼうのような、つるりとした頭を形どったような何かがあり、そこに唐突に口のような横長の切れ込みがつぅ、と入り、にちゃりと端がつり上がった。
男でもない、女でもない奇妙な高さの声で、一体どうやって、どこから声を出しているのかと思いたくなるような奇怪な『音』としか思えない。
『お待ちしテ、オリ、ます』
そうか、つまりこれはアイツからかと思うとルピアの顔が忌々しげに歪められた。
モヤはルピアの頬に触れようと手のような何かを伸ばそうとしてくるが、室内にいた近衛兵によって手のようなソレが切り落とされた。
はずだった。
「なんだ、これは!」
切った手応えはあった、と後に兵は告げた。しかし切ったはずなのにそのままくっついている。落ちていない。
「ルピア!! 手紙から手を離すんだ!! 今すぐ離せ!!」
ロッドは鋭く叫ぶが、ルピアは怒りを込めた目で眼前のモヤをギロりと睨みつけ、ひと言、告げた。
「────失せろ」
言葉遣いが令嬢らしからぬ、と指摘されるかもしれないが知ったことではない。湧き上がる怒りを抑えろという方が無理だ。
だが、その怒りを込めた言葉は、どうやらモヤへと突き刺さったようで、ほんの少し距離が広がる。
続いてルピアは魔力をぶわりと高め、手の中にある手紙を一気に燃やした。
『ア、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ──!!』
通常の赤い炎ではなく、立ち上ったのは魔力のみで生成された青い炎。
魔力を濃く、強く圧縮したそれは跡形もなく手紙を燃やし尽くし、取り付いていたかのようなモヤまで苦しんで、消えていく。
あ、あ、と声のような、あるいは音を撒き散らしてモヤが消えきった後、ぽかんと立ち尽くしていたロッドと近衛兵は慌ててルピアに駆け寄った。
「おい大丈夫か!」
「お怪我はございませんか!」
「……大丈夫ですわ、ただ……」
ぎくり、とロッドですら硬直してしまうほどの迫力を持った、怒りに満ちた目。
「この宣戦布告、受けて立ちますわ」
「正気か!?」
「……陛下、そして皆さま。理由を話します」
ここまで怒る理由、この国にやってきた理由。何もかもを話そう。後ろめたいことなど何もないのだから。
手紙の入っていた封筒もついでと言わんばかりに燃やし、さぁ今から話そうと思ったその時、ロッドの机の上に燃やしたはずの手紙が、そのままそっくり置かれていた。
「何だ……これは。今、お前が燃やしたはずだろう」
「……神の意志。ソレは己をそう、呼んでおりました」
「……は?」
「大方、ソレが手紙が『燃やされた』という事象を『なかったこと』にした。もしくはわたくしたちの動きに影響が無いように時を戻した。様々な可能性がございます」
執務室にいたメンバー全員、ルピア以外がぎょっとする。
現実ではありえなさそうなことを、ルピアがあまりに淡々と話していることにも驚いた。ルピアが提示した可能性にも、驚いた。果たして何から何にまで驚けばいいのか分からなくなってくる。
だがルピアは淡々と、無表情で言葉を続けた。
「そして、その力を借りて、わたくしを追いやり、王太子妃におさまっているのがファルティ=アーディアですわ」
言葉を無くす、とはこういうことなのだろうか、とロッドは思った。
得体のしれない、意味の分からない存在の力を借りて、本来進んでいくべき運命を捻じ曲げて己の物にしてしまった女が、一国の王太子妃なのかと。全員がすぐさまそれを理解し、同時にゾッとする。
「……先ほどの、あの黒いモヤ、が」
「ええ、きっと神の意志ですわ」
「きっと?」
「アレは姿を自由自在に変えます。存在を理解し、姿かたちが分かれば、変化は容易なのでしょう」
ロッド、近衛兵、側近がついに絶句する。それを平然と答えたルピアにもだが、そんなものを相手にしなければならない恐怖にも。
「陛下にはご迷惑をおかけいたしません。ですが、その手紙にあったようにわたくしはかの国に向かいます。そのことで、少しお力をお借りしたく」
「言ってみろ」
「はい。ちょっとお借りしたい道具が」
「……?」
ルピアが借りたがるようなものがあったのだろうか、とロッドは首を傾げる。
「陛下に何かあったときに、きっと存在しているかと思います。身代わりの護符のようなもの……そうですわね、えぇと……何かそういった魔道具はございますか? もしくはそのような魔法を込めた装飾品はございますか?」
側近、ロッドそれぞれが息を吞む。確かに存在しているが、ルピアがしようとしていることがあまりに恐ろしく感じてしまったため、さっと顔色を悪くした。
「お前、何を」
「陛下にご迷惑はかけられませんもの。ですから、わたくし一人で参ります」
この子は、最悪の場合まで覚悟しているとでもいうのだろうか。
学院を卒業し、十八歳を少し過ぎているとはいえまだ守られていていい子供なのに。
ようやく色々な未来に歩いて行けるという、ちょうどのタイミングなのに、とロッドは苦い顔をする。そして側近も唇をかみしめる。
まさかこんなことになるなんて思っていなかった。欲を出してここに呼ばなければ、こうなっていなかったのではなかろうか、そう、思った。
「皆さまがた、そのようなお顔をなさらないでくださいませ。ちょっと、けじめをつけてくるだけです。なので、ほんの少し、お力をお貸しください」
片膝をつき、ルピアは胸に手をあてて深く頭を下げた。
「ルピア=カルモンド。伏してお願い申し上げます」
その凛とした姿と声。あっという間に覚悟を決めた彼女を、助けるという選択肢以外は、取っていけないような気すら……してしまったのだ。
急展開ですが、こうしたかった展開なのです←




