四十四話:にじり寄るモノ
ルピアの騎士団試験合格祝いは盛大に、けれど身内だけで行われた。身内とはいえクア王国の国王がいる時点で下手をすれば家をあげてのパーティーの規模だろう、と双子は思ってしまったが、あくまで親戚として祝ってくれているのだから、一旦置いておくことにしたらしい。
更にこっそりとティルミナがやってきてロッドが怒ったものの、『わたくし、お母様にちゃーんと許可を得ておりますし従姉妹代表ですもの』と反論されたことに加え、ルピアにあれこれプレゼントをしたものだから、これにはヴェルネラが『わ、わたくしだってお義姉様にプレゼントが!』と張り合おうとしたがルパートが止めた。
「ヴェルネラ、急がなくても……それに、こうやってお祝いに駆け付けてくれただけで嬉しいのよ」
「お義姉様……!」
まさに心酔、と言わんばかりだがティルミナはルピアから事情を聞いてなるほどな、と察した。
自分が持っていた才能を、家族以外の人があまりに簡単に見抜いてくれて適切な未来へと導いてくれた。背を押してくれた。きっと彼女にはそれだけで十分だったのだろう。
「アルチオーニ伯爵令嬢」
ティルミナは良い機会だ、そう思ってヴェルネラに声をかける。
「公式の場ではないから、簡単に挨拶を。ティルミナ=リ=クアと申します。貴女のことはルピアから聞いているわ。とても、大切な義妹だと」
「……王女殿下に大変失礼を致しました。ヴェルネラ=アルチオーニと申します。身に余るお言葉、光栄にございます」
す、と綺麗な礼をしてからヴェルネラは恭しく頭を垂れた。
そして顔を上げて微笑みを浮かべる。
あぁ、この子は本当にルピアが大好きなんだ、大切なんだ。そう思いながらティルミナは言葉を続けた。
「アルチオーニ伯爵家が展開している事業、人脈の広さなどの評判の良さは聞いています。けれど……本当に我が国に移住を決めてしまっても良かったの? ……これまでの事業などは……」
「当家が直接主導していた取引関係は、全てこちらへと持ってまいりましたのでご心配には及びませんわ。捨ててきたのはあくまで、当家が間に入って仲を取り持っていたもの。どうにかなさるのではないでしょうか」
楽しそうに言いながらルパートに着席を促されたヴェルネラは、彼の隣の席に元のように座った。
ティルミナはちらりとルピアに視線をやれば、大丈夫だと言わんばかりに頷かれる。
「アルチオーニ伯爵令嬢……」
「王女殿下、わたくしのことはヴェルネラ、とお呼びくださいませ」
「ではヴェルネラ嬢。……先の言葉からすると、祖国に対して特に思い入れがない、とも取れるけれど」
「ええ、ございません」
「……どうして?」
「わたくしも、家のものも、恩義を感じているのはこちらにおられるルピア様に対して。事業に関しては、まぁ確かに祖国に感謝することもございますが、潰えかけていた当家の『裏』に関しての才を見抜いてくださった御方を、お慕いするのは当然のことかと」
「なるほどね……」
「加えて、信用などできなくなりましたもの」
「え?」
ヴェルネラは手にしていたグラスをゆるりと動かして、穏やかな口調で続けた。
「たった一人のご令嬢を、貴族たちが、民たちが、何よりも国のトップが嘲笑った国に対して……どうしてこのまま住んでいたい、と思えましょうか」
あぁ、そうだ。そうだった。
ティルミナの心に、ヴェルネラの言葉はすとん、と落ちてきた。
これだけルピアのことを慕っている人からすれば、あの国全体の対応がおかしなものであったことは明白である。
クア王国にまで届いてくる、運命で結ばれた王太子夫妻の恋物語。
平民は御伽噺が現実になった!と沸き立ち、下位貴族たちは身分差があったとしても互いの気持ちがあればもしかして……と期待に胸を膨らませたそうだ。
──現実は、そううまくいくはずもないのに。
結ばれたその瞬間までが、きっと幸せの絶頂。
何年もの間下地を積み上げ、公務も任されていたほどに信も厚く期待に応えてきたのに、何が不満だったのか。そもそもあの関係を求めたのは、誰だったのか。何だったのか。
実際、崩れた。
ファルティの支持は現状まだ相当高い。
しかし、足元から崩れ去っていることに気付かぬまま、『ファルティ』は堕ちていったのだから。
なお、これに気付いている人は、更に悪いことに誰もいない。今の『ファルティ』は、本来のファルティではない。
「……現状は、どうなっているの?」
「王太子妃様が少し取り乱したものの、特に変わらないそうです。表向きは」
「……表向き、は?」
「はい」
ほんの少し、ヴェルネラの纏う雰囲気が変わる。
「恐らく、荒れます。あの国は」
ぽつり、と呟かれた不穏な空気を纏った言葉に、ティルミナは訝しげな顔になる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ねぇ、リアム様。わたくしやはりルピアに謝らなければいけないと思うの」
最近、ルピアのことを話題になるべく出さないようにしていたのではなかっただろうか、とリアムは思い、自身の執務室にやって来たファルティへと視線をやる。
カルモンド家が出国してしまい、そして連なる分家たちまでも出て行き、国防に関して誰が彼らの役割を担ってくれるのか会議を繰り返し、ようやく決まったところで疲れ切っていたのだがリアムは『またか』とげんなりした様子で口を開いた。
「……ファルティ、君は――」
「聞いてくれるでしょう?」
にこり、と笑うファルティに違和感を覚える。
おかしい、と思うが早いか違和感の次に恐怖が襲ってきた。
「……え?」
ファルティなのに、自分が心惹かれたファルティではない。けれど見た目は間違いなくファルティなのだ。
は、は、と呼吸が浅くなっていくのが分かる。
ゆっくりと、深呼吸をしなければいけないと思っているのに、そうできないのはどうしてか。
「ねぇ、リアム様」
違う、と本能的に、そう思った。
目の前のファルティは、『ファルティ=アーディア』ではない。
「違う」
「……何が?」
「お前は、わたしが愛したファルティではない!」
「おかしなことを仰るのね、リアム様」
けらけらとファルティは嗤う。
「わたしは、ワタシなのに」
ニタリ、と歪な表情を浮かべたファルティがゆっくり手を持ち上げてリアムの顔の前へと翳した。
「こうやるしか、ルピア様をこちらに引っ張り出すことができないじゃないですかぁ」
ファルティの口から、彼女ではない音が聞こえて言葉を紡ぐ。
ルピア様、という名前にリアムがハッとして立ち上がろうとするが体が動かない。
「うまいことファルティ=アーディアが動いてくれればアフターケアにまでこちらが出向く必要もなかったんですけどねぇ……」
「なに、を」
「頭がいいだけの愚か者だなんて、誰も思わないですよ……こちらの選択ミスとはいえ、王妃エンドは達成してくれたので『次』を設定してから本格的に関わりを絶とうかな~、って」
リアムには意味の分からない単語ばかりが紡がれる。
『王妃エンド』、『次を設定』とは、どういうことだ、と問いただしたくても声が思ったように出ない。
「き、さま」
「そんな怖い顔しないでくださいよ。ファルティに誑かされて心変わりして、国が定めた婚約を解消してファルティと結婚した単なる浮気者のくせに」
ひゅ、と妙な呼吸音が、聞こえた気がした。今まで誰からも表立って指摘してきた人はいないけれど、水面下で密やかに囁かれていた事実。
平民たちにもこれはじわじわと広がってきているが、まだそれが王宮にまで届いていないだけ。
「貴方も馬鹿な人ですよねぇ。ルピア様とそのまま結ばれていたのならば、きっとこんな尻拭いをしなくて良かったはずなのに。この国の未来も安心だったんですけどねぇ」
あははははははは!と笑うファルティは、すぅ、と息を吸い込んでこう告げた。
「システム権限、発動。干渉開始」
得体のしれない何かが、場を、国そのものを支配していく。
本当ならば、ストーリー本編が終われば『システム』は一切の関与をしないままに消え去るつもりだったのだ。
他で恋愛エンドを迎えている令嬢たちのサポートをしている『システム』はそのようにしている。
しかし、ファルティだけはそうならなかった。
彼女は、『どうして大団円ではないのか』と『システム』を責めた。
どうしてもこうしても、大団円に到達することができなかった原因はルピアとの好感度が足りていなかったからだけの話。もしも好感度が規定値に達していたら、ルピアとのイベントが始まったはずだ。
たとえルピアの様子がおかしいことに、公爵家の人間の中で誰かが気付いていたとしても、ゲームシステムとして調整が入り、『ルピアの様子がおかしい』という違和感さえも喪失していたはずなのだから。
ファルティが喚き続けた結果として、『システム』そのものがルピアに対して興味を持ち、目をつけてしまった。
そして、『システム』は狙いを決めたのだ。大団円エンディングを迎えるに相応しい存在が、ルピアであると。
クア王国の王妃となれ、ということばを筆頭にして様々な揺さぶりを行ったのに、揺らがなかった意志の強さ。
拒否されたが、ほんの少しだけ残されていた最後の権限解放機能を使い、ルピアをこちらに呼び寄せることで大団円ルートをやり遂げたいという『システム』サイドの欲が溢れてきた。
新しいルートを始めるならば、別の人物を主人公という舞台へと引きずり上げ、物語を演じさせる必要がある。
できないのであれば、無理矢理やらせる。
そのためには王妃エンドに到達したファルティと、このリアムを使い、ルピアがこちらの手の内に入ってくるような環境を作り上げてしまえば良い。
「……くそ、っ」
悔し気にこちらを睨んでくるリアムを鼻で笑い、ファルティは彼との距離を詰めてそぉっと頬に触れた。
距離が近いまま、彼女は囁きかける。
「ご協力、よろしくお願いいたしますわ。ルピア様を物語の主人公にするために……ね」
そのまま唇を重ねられ、ずるりと何かが吸い取られたような感覚にリアムの意識が急激に遠のいていった。
「(ルピア、ごめん)」
謝罪は届かないまま、リアムは意識を手放した。
一人で立っている『ファルティ』は、成功するとは限らないというのに、既に勝者のような笑みを浮かべ、窓の外に視線を向ける。
「待っていてね、ルピア様」
恍惚とした笑みで『ファルティ』は呟き、ご機嫌な様子で足取り軽く、リアムの執務室から出て行ったのであった。




