四十二話:私は、選ばれた存在なのだから(誰に?誰が?)
去っていく二人の背中をファルティは呆然と見送った。止まることなく、談笑しながら去っていくカーラとヴェルネラ。
ファルティ側の令嬢たちは皆こぞってファルティを心配し、そっと背中を撫でてくれたり、揃って労りの言葉をかけてくれる。そう、これこそが本来の形であるべきなのでは。
《はぁ、貴女馬鹿ですかねー?》
辛かったもののこうしてまた大切にされているという喜びを、再び噛み締めようとしたのに。
気が付けば周りの色も、音も、無かった。
「……っ、神の意志!!!」
いつものように不快な雑音とともに現れたファルティの顔を模した、ファルティを唆した張本人。今回はご丁寧にまたファルティの顔で、面倒くさそうな表情を張り付けて現れたのだ。
いつもいつもいきなり、とギリギリと歯噛みする。
来てほしい時には来ないくせに!と内心罵れば、蔑んだように見られた。
──おかしい。
ここまで、こんな目を向けられることなんてなかったというのに、何かが、ねじれているのか。
もしくは、また何かをやらなければいけないのか。
《貴女がエンディングに到達したから、大丈夫だと思っていたんですよ。そうしたら、これはまた》
はー、と思いきり溜め息をついて、鼻と鼻が触れ合いそうな程までに距離を縮めてきた『システム』。
ぎくりと体をファルティが強ばらせ、そんな彼女と近距離で見つめあったまま言葉を続けていく。
《貴女、とんでもないポンコツでした》
「はあ?!」
聞き覚えのない単語ではあるが、罵られたことは間違いないだろう。
どういう意味だ、と言おうとしたが、言葉が紡げない。口は開閉するのに音が出てこない。まるで無音。
「…………! ……………、……………?!」
黙ってやられてなどやるものか、と言わんばかりに罵ったのだが音にならない。空気が漏れる音すら聞こえないほどに、ファルティが出そうとするありとあらゆる音は、『システム』によって遮断された。
「(どうして……)」
呆然としているファルティをじっと見つめ、ようやく顔の距離を離した『システム』は冷たく言い放つ。
《エンディングを迎えたから、関わりのある者らを解放した途端にこのザマとは……。お勉強だけできる、頭のいいだけの優等生。臨機応変さもない欠陥品》
はー、と溜め息までもが追加された。
言いたい放題言ってくれる、とファルティは悔しそうにするが、次いだ言葉に本当の意味で絶句した。
《ルピア様に次をお任せしようと思ったのに拒否されてしまったし……。コレは……》
向けられた視線に含まれる、侮蔑。
《自分が取りこぼした『イベント』なのに、こちらのせいにするどうしようもないお子ちゃま。……今までの令嬢たちは恋愛エンディングだからまだ容易かった》
過去を振り返っているとでもいうのだろうか。『システム』はファルティの姿のまま懐かしむように目を細める。
《エンディングを迎えるまでに、彼女らはキッチリやってくれた。お目当ての心を掴み、ライバル令嬢とも交友関係を築き上げたというのに! お前は……それすらもできなかった!》
ルピアと交友関係は築いていたつもりだった。
あくまで、数値の上で。
だって、そんなにも大切なことだなんて、聞いていないのだから。
そんなに大切なことなら、もっと早く言ってほしかった。もっと丁寧に教えてもらいたかった。それに、と付け加えたところでファルティは言葉を発せられるようになる。
「もっと丁寧に導きなさいよ! アンタこそ役立たずじゃないの!」
《……は?》
悲鳴のようなファルティの声と、電子的な『システム』の、ファルティと同じ声。
感情的な叫び声と、淡々とした冷たいだけの声。
「……あ、アンタが、そんなこと、わ、わたしを、罵ることなんか、できるわけない!」
《何故》
「アンタが私を選んだんでしょう?!優秀だから、大団円にいけるからって!」
《ファルティ=アーディア、お前には、こう言ったはずだ》
声の質が、変わる。
男とも女ともつかない、気持ち悪い声。否、『音』。
《お前の望みを叶えてやる手助けをしてやろう、その代わり『大団円エンド』を迎えてほしい》
「あ、っ」
《お前は、頭が良いと思っていた》
過去形で、『システム』は淡々と話す。
《頭は、良かった。そう、お勉強はできたのだから》
ファルティの姿だったものがボヤけ、影のようなぼんやりとしたものへと変化し、黒いモヤのような奇妙な姿へと変化していく。
あまりの恐ろしさに足がすくみ、腰が抜け、へたりと座り込んだ。
《お前が望んだ地位にはたどり着けたろう?でも、お前はなし得なかった。否、ある意味なし得てくれた。『王妃エンド』に到達したのだから。けれど、違う》
どう表現していいものか分からない奇妙な音が、ファルティの耳から頭へと飛び込んでくる。
うるさい、うるさい、うるさい!
耳を塞いでも隙間からぬるりと入ってくるような、ノイズ。ざざー、じじー、と何重奏にもなってファルティを襲ってくるそれらの音の洪水は、耐え難いものであった。
「っ、あ……!」
《周りに気を配れない、自己中心的な我儘女。それが、お前だ》
「ちが、う、私は……私、は……」
《ルピア様のことも、数値でしか存在価値を見ていない。あぁ、どうやってでもあの人を主人公にするべきだった!!》
「うる、さい」
《あぁでも駄目だ。あのお方は大団円どころか、そもそもこんなことやる必要がない! 完璧すぎて!》
自分語りのようにベラベラと喋っている『システム』の声が鬱陶しくて。
どこまでいってもファルティは、ルピアと比べられてしまう。まさかコイツにまで比べられるだなんて、思いもしなかった。
だってコレは、ファルティの手助けをしてくれる存在で、うまく導いてくれていて、そして。
《……お前とは、まるで反対だ》
こんな風に、人をなじるような存在などではないはずなのだ。だから、とファルティは思う。
ゆるりと顔を上げた彼女の目にあるのは、狂気じみた怒気を孕んだ光。
《……おや》
「欠陥品は……お前でしょう……?」
周りの音は、まだ聞こえない。そして、動きはしない。
「お前が、もっときちんと導いてくれていれば……っ、私は、失敗なんか、しなかった!!」
ああやはり、責任転嫁するのか。
コレは、駄目だ。
《残念でなりませんよ、ファルティ=アーディア》
もやが、ファルティへと手を伸ばしてくる。
「…………………………え?」
包み込むように頭ごと呑み込まれるような形で、黒いモヤにすっぽりと覆われた。
「……………っ!!」
バタバタと手を動かし、モヤをはらおうとしても取り除けない。
それどころか、耳からずるりと入り込んでくる感覚すらあることが気持ち悪い。
実体を持たないモヤなのに、これは何なのだろう。
例えるならば、煙に似ている何か。
それが、じわじわとファルティに染み込んでくるような、おぞましい感覚。
《お前は、もう、自分の意思で動くな。お前の行動で、言動で、周りが迷惑する》
──違う! 私は誰にも迷惑なんかかけていないわ!
呑み込まれまいと、ファルティは必死に否定する。だが、嘲笑うように『システム』は続けた。
《王太子妃教育を始めるとき、どれだけの人に拒否された? どれだけの人がお前の発言によって不快になった?》
──それ、は。
《結果、多忙な王妃が自ら時間を捻出して、お前の教育に取りかからなければならなかった。あのお方なら、そんな必要ないのに》
──やめて、もう比べないで。
《おかしなことを言う人だ。比べられて当然だろう?》
──リアムは彼の意思で、私を選んでくれた! アンタに導かれて好感度を上げた結果だとしても、事実として残ってる!
ファルティも必死だ。
たとえ唆されたとはいえ、結果を出したのは紛れもなく彼女自身の行動によるもの。努力もした、好感度もしっかりと上げてきた。だから、と続けようとしたが、ファルティを呑み込もうとしているものは、容赦しなかった。
《ゲーム、とは言ったが……お前、意味を考えたのか? お前の行動によって、不幸になる人間が少なからずいるというのに》
──え?
これは、『システム』がファルティにもちかけた取引であり、ゲームの一年間をなぞるストーリーを楽しむものである。
そこに生きる人を、一種の玩具として取り扱う。
その意味にようやく気付いたファルティは、小さく『あ』と呟いた。
《おや、まさかそこまで考えが及んでいなかった!?》
ケラケラと楽しそうに笑いながら、ソレはファルティを侵食していく。
──わたし、とんでもないこと、を。
《もう遅い、馬鹿が》
ごめんなさい、と。
意識を失っていく中で、ファルティはようやく心の底からの謝罪をした。
それはルピアに向けてでもあり、好きになったけれど攻略対象でもあったリアムに向けてでもあった。
この一年間、自分がとんでもない存在の手を取ってしまったことにより、少しでも人生を狂わせてしまった人たち全てへの謝罪も込められている。
優秀だったからこそ、野心があったからこそ、付け入れられてしまったことに、ようやく気付いてももう遅かった。
ずぶぶ、と呑み込まれ、ファルティの意識は堕ちていく。
──ルピアさん、ごめんなさい。わたし、とんでもないことを、してしまったわ。
それを最後に、『ファルティ=アーディア』の意識は途絶えた。
「……随分と、手こずらせてくれたものです」
代わりに出てきたもの。
「さぁ、貴女様を引きずり出しましょう……!」
本来関われないはずなのに、『システム』はファルティの体を乗っ取って顕現した。
「コレが迎えたエンディングは、もう良い。達成は達成なのだから。しかし、軌道修正しておかなければ、このまま捻くれた未来へと進んでしまう。それは良くない」
芝居じみたトーンで言ってから、改めて自分の姿を見る。
「さぁ、『私』はこのまま素敵な未来へと向かいましょう。王妃エンドは達成している。だから、あとはきちんと王妃になるだけ」
中身は違えど、表は『ファルティ』のソレが、立ち上がる。
歪な笑顔で笑い、また、時が動き始めた。
「王太子妃様!」
周りには、ファルティを心配してくれている令嬢たち。
「……大丈夫、……私ったら……思い上がっていたみたい。カルモンド公爵令嬢に、謝らなければいけないわね……」
『ファルティ』の失敗は、無かったことにしてやる。その代わり、謝罪の場を設けて、もう一度ルピアをこちらへと引き戻す。だって、あの人こそ全てを収める存在として誰より相応しい。
はらはらと涙を流しているファルティを心配してくれている令嬢たちには弱々しい微笑みを。
腹の中で、ルピアに対してはある種の崇拝に似た何かを。
深い闇の中に沈んだファルティが知らないまま、終焉に向かい、進んでいく。