四十一話:こんなこと許されない
こんなはずじゃなかったのに、とファルティは思う。だって、自分は選ばれし存在で、王太子に選ばれ、民に愛され、友達にも恵まれている、そんな、特別な存在なのだから。
だが、目の前にいる二人はファルティを特別視してくれない。
どうして、何が間違った、そう思いながらがたがたと震えるファルティを見つめているヴェルネラとカーラは、冷ややかな視線だけを向けている。
都合よく人を利用するだけ利用して、肝心なところで詰めが甘すぎるからこうした事態を引き起こしているのだ。
「……っ」
縋り、手を伸ばすファルティを怪訝そうに見つめている二人は、一歩、後ろへと下がった。
「近寄らないでいただけます? ……おかしいと思っていたのよ。ルピアがこんな人と仲良しだなんてあるわけないのに」
嫌悪感丸出しでカーラが言うと、ファルティ側の令嬢たちは駆け寄ってきて、呆然としているファルティを支えながらギロリとカーラを睨んだ。
「学生の間は仲が良かったではありませんか! それは紛れもない事実です!」
「へぇ、それまでは知り合いですらなかったのに、たった一年間だけのお友達?」
「そ、それは、……」
「しかもその方が結婚するまでの期間限定?」
「い、いやでも、それはルピア嬢が王太子妃様を恨んで、そして離れていっただけですわ!」
悲鳴のような声が響き、しん、とその場が静まり返った。
「……へぇ……」
ヴェルネラは呟き、ぱちん、と扇をとじた。
口元にあて、ルピアがファルティを恨んで、と言った令嬢をじっと見つめる。
やっぱり、皆の認識はそうなのかと改めて思うが、わざわざ訂正してやるのも面倒だ。とはいえ、いつまでも同じネタでねちねちとルピアの悪口を言われると、自分も、カーラも苛立つのは間違いない。現在進行形でムカついている。
だから、真実を投下してやらねば。ここで波紋を広げたら、呆然としている王太子妃はどうするだろうか。そう思いヴェルネラは口を開いた。
「お義姉様が、何故、そちらの方を恨みますの?」
「愛しい方を奪われたんですよ?!」
「……誰が、誰の、愛しい人?」
「リアム殿下よ! そうよ、ルピア様はリアム様を愛しておられたからこそ、ファルティ様が羨ましくて妬ましいんだわ!」
そうよそうよ!と騒ぎ立てる令嬢たちを、ヴェルネラは冷ややかに見ている。ただ、じっと。
何も反論がないことは肯定だと思っていたのだが、間違いなくこれは違う。そう思い、一人がおずおずと問いかける。
「っ、ど、どうして……お二人、何も言わないんですの?」
はて、と揃って首を傾げ、ヴェルネラとカーラは互いに顔を見合わせる。そして、再び目の前の令嬢たちへと向き合った。
「お義姉様、別に恋愛感情なんか抱いていらっしゃらなかったですしね……」
「えぇ。国王陛下が『ちょうどいいから』と、そうおっしゃったが故の相当一方的な婚約でしたものね」
平然と言い放つヴェルネラとカーラ。
うそ、と力無く言うファルティにはちらりとだけ視線をやり、溜め息を吐いてから更に続ける。
「嘘をついて、何の得があると言いますの?」
「だって、ルピアの友達だから、あの子をかばう、つもりで、それで……そう言ってるんでしょう?!」
どこまでも、自分に都合のいいようにルピアの印象を操作でもするつもりか。あるいは、『システム』とやらに唆されたことにより、何があろうと己の地位が揺るがないとでも思っているのか。
ムカムカとした感情ばかりが湧き上がり、ヴェルネラは掌に扇を、パン!と打ち付ける。
思いがけず大きく響いた乾いた音に、そういった突然の大きな音への耐性が少ない令嬢たちはびくりと体を震わせた。
「……舐めないでいただきたいわ、わたくしのお義姉様を」
低く、殺意すらこもっていそうなほどの強すぎる眼光で、ヴェルネラは満遍なく令嬢たちを見渡して、きっぱりと言い切った。
ルピアは庇われて良しとするような、そんな女性ではない。追撃をするかのようにカーラも言葉を紡いだ。
「ヴェルネラ嬢の言う通りよ。ルピアのことを舐めるのもいい加減にしてくれないかしら。大体、横槍を入れてきたのはそちらにいらっしゃる王太子妃様なんですから」
「だから!ファルティ様にそういうつもりはなく、お二人は真実の愛をもって!」
まだ言うか、とカーラは先程から痛み始めた頭を押さえる。
「単なる浮気じゃありませんか」
取り繕うつもりではあったが、どうやってオブラートに包めば良いのか分からず、そのまま思わずぺろっと口から出てしまった真実。
言われたファルティからは『へ?』と間抜けすぎる声が出た。
「ですから、単なる浮気でしょう? それを国王陛下も王妃様もお許しになられた。だからこそこんな国にこれ以上いるなんてごめんですけど」
『は?』、『え?』、と令嬢たちはざわつき始める。いや今更なにを困惑しているんだと問い掛けたかったが、後は自分たちで考えてもらえば良い。
その通りでしか無い真実を、色々なタイミングすっ飛ばして思いきりファルティの顔面にパイをぶつけるかのごとく、思いきりぶつけたというだけの話だ。
「言いたい放題、言ったわね……?」
怒りをたっぷりと乗せた声で、ファルティは静かに言い、そしてカーラとヴェルネラを睨みつけた。
可愛らしい美少女であったが、睨みつけてくるその様はまるで般若のようで、可愛らしい分恐ろしさも大きい。
まぁ怖い、と茶化すようにヴェルネラがつい言ってしまったが、言った本人は全く後悔などしていない。なお、言われた側はカーラとヴェルネラをびっと指さして怒鳴りつけた。
「出ていきなさい! 二度と、この王宮に入れると思うな!わたくしと殿下を愚弄した罪は重いわ! お前たちなんか、この国から出ていきなさい!」
言い終わり、はぁはぁと肩で息をしているファルティ。『可哀想だけど、英断だわ』などと何故かしたり顔で頷いているファルティ側の令嬢たちの意図するところはイマイチ分からないが、恐らくは『家ごとおいだされるなんてとっても可哀想!』なのだろうが、この二人にとっては大ラッキーなのだ。
「言われなくとももう準備はできておりますわ」
「はい、わたくしも……いえ、当家もその支度は出来ております」
「……………………へ?」
次はファルティが更にぽかんとする番だった。
「(何で……?! 追い出されるのよ?! 何でこんな平然としてるのよ!)」
貴族が国を追われるだなんて、あってはならないことではないだろうか。
ファルティは幼い頃、そう両親から聞いている。
国に仕える立場として、更には親の代から自分へと代替わりをした時には誠心誠意をもってして尽くす。
そうだと信じていた。けれど、目の前の二人はあまりにあっけらかんとしているではないか。
「な、な、なな、なんで」
盛大にどもりながらファルティは問いかけになっていない問いかけをするが、カーラとヴェルネラは一切動じていないままにこう答えた。
「こんな国、不要ですもの」
タイミングをはかったわけではないだろうが、綺麗に二人揃って一言一句違わず言われた言葉にファルティは血の気が引いた。
そして、今更ながら思い出したことがある。
貴族たち、いや、ルピアの家と親交のあった家がことごとく国外に出ているということを。
まさか、とは思うが、『システム』に何の影響も受けていない人がいる、もしくは……いや、と考えても考えても、答えなんか出るわけがない。
「不要……この、国が、……不要……?」
ブツブツと、呆然とした様子で呟いているファルティには目もくれず、溜め息を吐いてからヴェルネラは体の向きを変えた。
「ま、まって、待って、ヴェルネラ!」
「……呼ばないでいただけませんか」
「え……?」
「わたくし、あなたなんかに気軽に名前を呼ばれたくなどないわ」
心底嫌そうな顔を向けられ、ファルティの顔から表情がすとん、と抜け落ちた。
「ど、して」
「わたくしが尊敬し、敬愛する、唯一無二の人を、ここまで馬鹿にし続けた人と、何故親しくしなければならないの? あなたの頭の中、お花畑でいらっしゃるのかしら」
「だっ、て、私は!」
「お義姉様の未来の一つを奪ったくせに、親友などと図々しいこと」
未来を奪った、という言葉が突き刺さる。
だって、どうしたら良かったというのか。『システム』から唆されなければ良かったのか。
否、違う。
人の人生を弄ぶことの意味の大きさ、事態の重大さをもっともっと考えていなければならなかった。
ファルティが『システム』から話を持ちかけられた時、ここぞとばかりに、乗った。
野心があったからこそ、自分最優先に考えてしまい、他の人なんてどうなろうが良かった。それの代表がルピアだ。
公爵令嬢だから何でも持っている、ならば一つくらい私にくれても良いのでは?と思った。
結果はどうだ。
彼女が築き上げてきたものの大きさ、人付き合いの濃厚さ、いかにルピアが大切にされているのかを思い知っただけだった。
それでも、自分は輝かしい未来が待っているのだ。王妃になるという、とても輝かしい未来が。
女の子なら、きっと誰しもが夢見る地位にして、簡単には成し得ることのない偉業を達成した。
「正式には文書をお送りいたしますが、先んじて王太子妃様にはお伝え申し上げます」
冷たいヴェルネラの声にファルティははっとする。
「我がアルチオーニ伯爵家は、近日中にこの国を出て行きます。故に、」
あれ、とファルティは今更ながらとんでもないことに気がついた。
駄目だ、ヴェルネラを手放してはいけない。いいや、ヴェルネラだけではない、そもそも『アルチオーニ伯爵家』を手放す訳にはいかない。けれど。
「これまで培ってきた貿易産業はどなたかにお願いしてくださいませね。我が家は皆揃ってお義姉様、いいえ、ルピア様をお慕いしております。あの方がいらっしゃらない国など、もはや我が家にとっては無意味なもの」
許されない。許してはならない。駄目。
ファルティは大声で叫びたくなってしまう。手を伸ばしたところでもう届かないというのに。
ルピアがいなくなり、ルピアの周りの人たちがいなくなり、ラストはこの二人。
「ですので、貴女様がお望みになったとおり出て行きますわ」
「えぇ、そう仰ったのは他でもない。皆様もしかと聞いております。……ファルティ様、貴女ですわ」
「そん、な」
出て行けと言ってしまった。
豊かな国を維持していくための柱が次々と抜け落ちた。
あとは、崩れ去るだけ。
でも、そんなこと許されない。皆に祝福されて幸せに笑っている自分の未来のために、こんなことなんか許していいわけがないのだ。
────その驕りを正してくれる人、あるいは学生時代のような手厚い助けはもう、ないのに。




