四十話:大激怒【後編】
王太子妃からのお茶会の招待は、貴族令嬢にとっての誉である。そう言われ始めたのはいつからだったのだろうか。実際、ある一種のステータスのようなものではあったのだが、今代からそれは変わるのではないか、と囁かれ始めている。いつまでも誉であるのか、と問われればここ最近は『否』である。
原因は勿論ファルティにあるのだが、未だ幸せの幻の中にいる人たちは理解しないのだ。
とはいえ、ファルティは今王太子妃となっている。これが現実であるから、そんな王太子妃の誘いは断れるわけもない。
「現状、あの王太子妃からの誘いは、ある意味汚点になりかねないけれど……最初で最後だものね」
アクセサリーを身につけながら、ヴェルネラは呟いた。
専属侍女は苦笑を浮かべながらも、お茶会に呼ばれたときにはいつも持っていっている扇を数種類差し出した。
「お嬢様、扇はどうなさいますか?」
「そうね……」
イヤリングをつけ終わったタイミングで専属侍女が問いかけてきたので、差し出された三本の扇をじっと見つめる。
一本はルパートからもらったもの。とてもシンプルで軽くて、手に馴染んで持ちやすいから気に入っているが、大切にしたいがあまり、あまり使っていないものだ。大体飾られているが、ルパート本人から『使えよ』とツッコまれた。なお、理由は気恥ずかしくてまだ話せていないのだが。
一本は両親からもらったもの。母の好みがよく反映されているのだが、ヴェルネラとヴェルネラの母の好みはよく似ているので、大体はこれを持っていくことが多い。
そして、残りの一本。ルピアからもらったもので、飾りとして小さな魔道具がついているが、仕掛けがありつつも見た目は宝飾品そのもの。
全てに共通しているのは、絹もしくはレースが用いられていること。メインが絹のものはレースで縁取りされている。
ヴェルネラをイメージして全て作られているため、色は共通してどれも濃紺であった。銀糸で刺繍が施されていたり、骨をまとめて止めている要の部分にサファイアがあしらわれていたり、骨部分に飾り紐がついていたりしていて、開いても閉じても、優美さがにじみ出ていた。
「……そうだ」
夜会に出るとき、これらをローテーションで持ち歩いているのだから、ヴェルネラの知り合いはどれが誰にもらったものか、どれだけ大切にしているのかまでも知っている。特に、ルピアの本当の友人のご令嬢たちは、ルピアから紹介されたこともあってか詳細まできちんと把握している。
ファルティのいうことが正しいとするのであれば、これを持っていけば、食いついてくるはずだ。
だって、送り主がファルティの『友』なのだから。
「お義姉様からいただいたものにしようかしら」
「かしこまりました」
「いつ見ても綺麗よね、これ」
「えぇ、お嬢様にお似合いになるように、というルピア様のお心遣いが溢れております」
広げると黒いレースの繊細な模様が存分にある。見た目こそ華奢であるのだが、骨組みは簡単に破壊されないようにと軽めの金属が使用され、扇飾りを模した多機能な小型魔道具がついている。オマケとして『扇の骨組みをまとめているこの部分、押すと骨部分にちょっとした暗器が仕込まれているから、万が一はそれで相手を刺しなさい』と、にこやかに言われたことも思い出した。
「私のことを考えて作っていただき、似合うだけではなく護身用としても使えるだなんて……!」
「お嬢様、お顔をキリッとさせてくださいませ」
「あらいやだ、失礼」
尊敬し、大好きな義姉のことを考えると、途端にとんでもなくだらし無い表情になってしまうヴェルネラだが、表情を引き締めればそこにいるのはアルチオーニ伯爵家令嬢としての凛とした姿になる。
「……さて、行きましょうか」
艶やかな黒髪は、あえて結い上げることはせずにおろしたままで。髪飾りはドレスが映えるよう花を模した銀細工。
ドレスの形としてはシースドレスで丈はマキシレングス。ノースリーブではあるが肌の露出を好まないため、肘上まであるレースのグローブを着用した。
光の当たり方によって、黒、もしくは濃紺、あるいは紺に見えるような特殊な織物を使っている。プレゼントしたのは勿論ながらルパート。似合うと思ったから、の一言である日贈られてきたのだが、サイズが見事なまでにピッタリかつ、ヴェルネラの好みど真ん中のため、いつかくる勝負の日に着用しようと思っていたのだが、思ったより早かった。
アクセサリーは髪に着けている花を模した銀細工のヘアアクセと、ティアドロップのダイヤモンドをあしらった揺れるタイプのイヤリング。それから首元には揃いのネックレス。
「では、行ってまいりますわ」
家令に伝え、用意された馬車に乗って王宮へと向かう。
覚悟しておけよ、と心に秘めて。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
招待されたお茶会は女性だけが招待されたもののため、ヴェルネラも勿論単身でやってきた。
どうやら招待されたのは様々な階級の貴族、もしくは結構な財力を有している平民。大体の高位貴族であればヴェルネラも何となく顔は分かるが、そうでないのであれば下位貴族、あるいは平民だろう。
「(ふぅん……)」
ヴェルネラは周囲をじっと眺め、そしてヴェルネラと同じように辺りを見ている貴族令嬢がいた。
「(あの方は……)」
「失礼いたしますわ」
そうしていると、向こうからこちらにやって来てくれた。ヴェルネラの前に立ち、優美に微笑む。そしてヴェルネラも微笑み返してから互いにお辞儀をした。
「ヴェルネラ=アルチオーニですわ」
「ええ、勿論知っておりますとも。私、カーラ=ダズテドと申します」
「まぁ、ダズテド伯爵家の!……ということは……」
「お察しの通りですわ」
うふふ、と笑うカーラ。
数少ないとされているルピアの親友として、ヴェルネラも名前は聞いたことがあった。その内にご挨拶でも、とルピアから聞いていたのだがまさか今日会えるとは、とヴェルネラはとても喜んだ。
「カーラ様は、まだ……その、この国に?」
「その内出ますけれど、最後に思い出でも……と思いまして、ええ」
「同じですわ」
二人で密やかに話しているところに向けられるのは、冷ややかな眼差しばかり。
ヴェルネラに関してはルパートの婚約者であり、ルピアのことが大好きだと知れ渡っているから、『何故王太子妃様のお茶会に参加してきやがった』という敵意ばかりを感じる。来たくて来たわけではなく、お前たちの尊敬する王太子妃様からのご招待ですよー、と内心舌を出しつつ毒づいておいた。カーラにも似たようなまなざしが向けられているが、カーラはカーラで冷めた表情を浮かべている。
一人の令嬢が怒りに満ちた表情でこちらにやってこようとしたが、タイミングが良いのか悪いのか、ここで王太子妃がやって来たのだ。
「王太子妃様!」
カーラとヴェルネラ以外の令嬢がわっと騒いでファルティの元へと走り寄る。
今回のお茶会は立食形式のもので、コンセプトは『誰でも気軽に楽しめるように』というものだった。『誰でも気軽に』は、ファルティが招待したご令嬢たちには大うけだったようだが、カーラとヴェルネラは、長居をするつもりなど毛頭ない。
自身に駆け寄らず、離れて様子を窺っているヴェルネラとカーラにぱっと視線をやり、輪の中から抜け出して、ファルティはこちらへとやって来た。にこにことしていて、一見、人畜無害そうな顔をしているが、コイツによってルピアが未来の一つを奪われた事実はなくならない。
「ごきげんよう、お二方。ルピアの大切な子と、大切なお友達に会えて嬉しいわ!」
「……お招きありがとう存じます、王太子妃様」
揃って淡々と返され、ファルティは一瞬だけ体を固くした。
「そ、そんな他人行儀な……」
「……」
「カーラはルピアのお友達なんですもの、わたくしとだってお友達でしょう?」
「……いいえ、違います」
「っ! ヴェルネラ、は! ヴェルネラはルピアが特別目にかけている大切な子だから、わたくしも大切にしてあげたくて!」
「ご配慮ありがたく思いますが、結構でございます」
二人揃って王太子妃を拒否した。カーラに至っては心底嫌そうにしているではないか。
王族になんてことを!と令嬢たちが騒ぎ出すが、ヴェルネラはそっと溜息を吐いた。この程度の女が、お義姉様を蹴落とすなんて無理がある、と改めて確信する。
やはり、人外の存在である『システム』が手助けしていたからこそ、ここまでのし上がったのかと内心で溜息を吐いていたが、いきなりヴェルネラの手をファルティが握ったのだ。
「……!?」
ぞわ、と嫌悪感が一気に駆け抜ける。
「ヴェルネラ、ううん、ネラ!」
一体、誰のことを言っているんだろう、とヴェルネラは思う。カーラも同じだったようで、ぎょっとした表情を浮かべている。
「ねぇ、ネラ。そんなに怖いお顔をしないでちょうだい? わたくしとルピアに見せていた、可愛い笑顔でいてちょうだいな!」
一体、いつの話をしているんだろう。ヴェルネラ自身、ファルティとルピアと三人で会ったことなどないはずだ。
大げさともいえるファルティの様子と言葉に、ファルティ側の令嬢たちは微笑ましそうにこちらを見ている。
駄目だ、気持ち悪すぎる。こんなものがこの国の王太子妃なのか、流れるような嘘を吐く女が!と口を開こうとしたが、先にカーラが口を開いた。
「……本当に、妃殿下はルピアとご友人でして?」
じろりと睨み、静かに問われた言葉にファルティがぎくりと止まった。
「……確かに三年生になってから、いきなり妃殿下とルピアが一緒にいるようになっておりましたが、どうやって、どこから、いつ、あの子と接点を得ましたの?」
「それ、は」
「……それまではクラスも別ですし、何よりわたくしは、ルピア本人から妃殿下のお話など一度も伺っておりませんわ」
「……! は、話したくないことだってあるでしょう!?」
「それにヴェルネラ嬢、『ネラ』ってあなたの愛称ではないでしょう?」
「ええ」
「……な!」
カーラはヴェルネラが想像していたよりもキレていたようだ。ヴェルネラが言うよりも先に我慢できなかったカーラが言ってくれた。
その内容に、ファルティは真っ青になっており、ファルティ側の令嬢たちはきょとんとしている。
「……王太子妃様、手を放してください」
掴まれていると言った方がよさそうなほど、ファルティはヴェルネラの手をきつく握っている。
「ね、ネラっていうのはルピアだけが呼んでいた愛称なの! だ、だからわたくしもそれが移ってしまって!」
見苦しいな、とヴェルネラは思う。同時に嫌悪感がまた更に一気に押し寄せた。
「ルピア様は、わたくしのことを『ネラ』なんかとお呼びになりませんわ」
「だから! それはルピアが私と二人でいるときだけの呼び方として!」
「あの御方は他人を愛称で呼びません」
「は……?」
「それに、『特別目をかけている』と王太子妃様は仰いましたが」
「そうじゃない!だってネラはカルモンド家と無関係なのだから!」
叫ぶように言われた内容に、カーラがぎょっとして表情を歪めた。
そして、一部ファルティ側の令嬢も怪訝な顔をしている人がいる。どうして、無関係ではないとファルティが知らないのか、という顔だ。
「……ああ、王太子妃様のような方でも嘘を吐くんですね」
静かに、淡々とした口調で呟いたヴェルネラに、誰もが注目した。
「嘘ですって!?」
ファルティが叫んでヴェルネラを忌々しそうに睨む。
ああ、駄目ですよ、とヴェルネラもカーラも、微笑みを浮かべる。怒っているファルティとは真逆な二人に全員注目した。
「わたくし、カルモンド家とはきちんと関係ありますわ」
「嘘言わないで!」
「ルパートの婚約者ですもの」
「……ルパート……、っ、あ!」
ファルティの中で何かが繋がったらしい。王族の一員となったのに、他家の婚約事情あたりには全く興味がなかったということか。もしくはただ『システム』に促されるまま人の人生を奪い、本人にその気はなくとも弄んだということなのか。
「わたくしからも聞かせてくださいませ」
笑みを深くして、ヴェルネラがファルティに問いかける。
「貴女が、ルピア様のお友達であるなら、わたくしのことはどう、聞いておりました?」
とても簡単すぎる罠も仕掛けた。
ルピアと仲のいい人なら知っていることだ。ヴェルネラがルピアを『お義姉様』と呼んでいることは。でもあえて、ヴェルネラはそう呼ばない。友であるならこれに対して間髪入れず、ツッコミを入れてくれないといけない。
ねぇ、仲良しなんでしょう?
そう、言外に問う。
「ヴェ、ヴェルネラの、ことは……」
駄目です、不合格です。これで、こいつは、まさにわたくしの敵だ。改めてヴェルネラは思い、カーラにちらりと目配せをして、扇を広げる。
誰も、気付いていない。いつの間にかヴェルネラが魔道具を起動させていたことに。けれど別に危なくはない。起動させたのは録音機能だけだから。
「そ、そう!ルパートの自慢の婚約者だと!」
更に失敗してくれてありがとう、と加えた。
カーラもそれは同じのようで、いつまでもヴェルネラの手を離さないファルティの手を、自身が持っていた扇でぴしゃりと叩く。
「っ、え?」
驚いたファルティはヴェルネラの手をようやく離し、カーラに文句を言おうとそちらに視線を向けるが、彼女の迫力に顔色を悪くした。
「貴方が……いいえ、お前が! お前ごときがルピアの友を騙るな!」
びりびりと空気が奮えるような怒鳴り声に、ファルティ側の令嬢たちも揃って顔色を悪くする。
「……カーラ様、そのようにお怒りにならないでくださいませ。でも、これではっきりいたしましたわね」
「ええ……。ごめんなさいね、ヴェルネラ嬢」
「良いのです。もうわたくしたちはお暇いたしましょう。だって……」
「……そうよね……」
二人、揃ってニタリと笑う。
「お義姉様の友と騙る大噓つきと、これ以上一緒になどいられませんわ」
「何がルピアの友ですか。ヴェルネラ嬢をルピアがどう呼んでいたかすら知らない、更に言うならルパート卿の婚約者だとも知らないなんて。これではまるで」
ファルティははっとして駆け寄ろうとするが、ヴェルネラが簡易シールドを出現させてそれも叶わなくなった。
「やめて!」
決定打はカーラから。
二人、頷き合ってシールドを破ろうと叩こうと手を振り上げたファルティに向く。学院で特待生だったファルティのことだ、こんな簡易シールドなんかあっという間に破る、でも、ほんの少しだけ時間が稼げればいい。
「王太子殿下狙いで、ルピアに近寄っただけではありませんか!」
「やめてえええええええ!!!!!!!!」
お茶会が騒然となろうと、構わない。不敬だと、国外追放だと言われても構わない。
ファルティが望んでヴェルネラとカーラを呼んだことは揺るがない事実。
手を振り上げたファルティによって、シールドは簡単に割れた。
けれど、双方の表情は全くの逆であった。
ヴェルネラもカーラも何も悲観的にならず、真っ直ぐに、凛としてファルティを見据えている。
一方、ファルティは愕然と二人を見ている。
ルピアの『友』を招待するなら、『義妹』を招待するなら、リアムなんかの攻略よりももっともっと気をつけていなければいけなかったのに。
そして、いつまでもルピアのことを『友』だと嘯くなら、こうして暴露されることも覚悟のうえでなければいけなかっただろうに。
ここにも、亀裂は発生した。
『真実』を知る人の手によって、本当にルピア自身と仲が良く、正しく関係性を築いていた人の手によって。