三十六話:獅子の尾は踏まれたけれど
「あ、あの、すみません!」
お茶会を終え、ルピアとルパートが帰宅しようと思い侍女に案内されつつ歩いていた時だった。今呼び止められるとするならば、自分の父母くらいか?と考えていたが、揃って振り返った先にいたのは、ルピアが腕を脱臼させた騎士だったのだ。
「あ、さっき姉さんにぶちのめされた奴」
「……やだ、報復かしら」
思わず物騒なことを口走ったルピアだが、無理もない。
己を試す、と言えば聞こえは良いのかもしれないが、あれは単なる襲撃だったから。
どうやらルピアが呟いた内容は幸いにも彼には聞かれていなかったらしい。
双子の前を歩いていた侍女も二人にならって歩みを止め、ティルミナからは『王宮を出るまでは二人の警護を』と言われていたこともあり、すっと前に立ってくれた。
「恐れ入ります。ルピア様とルパート様に何のご用件でしょうか」
「いきなり呼び止める形になってしまい、申し訳ない。わたしは、クア王国騎士団所属、サイファ=リュドガーと申します。先程はご令嬢に対し、大変失礼なことを…」
失礼、というよりもあれは国王に対する謀反と取られてもおかしくないレベルではなかっただろうか、と。
思わずしかめっ面になりそうなのを表情筋を駆使して寸止めし、表向きの笑みを浮かべてルピアは首を緩く横に振った。
「いいえ。わたくしへの謝罪よりもこの後の方が大変になるのではないかと…」
「…おっしゃる通りです…お恥ずかしい…。わたしも、わたしの父も…他の貴族も、噂話を鵜呑みにしてしまっておりましたこと…恥じ入るばかりです」
「そうだろうよ」
「ルパート」
小声だったが、ルパートの呆れたツッコミは的確であった。
あの場に集まれるということは、ある程度の地位・功績を持った家柄ばかりのはずだ。
聞こえてくるからといって何故、薄っぺらい上辺の噂話を聞き入れてしまったのか。
「いや、ルパート様のご指摘は当たり前です。…本当に申し訳ない」
「…失礼でなければ、その噂の出処を伺ってもよろしくて?」
少し言い淀んだが、サイファは一度大きく息を吐いて決意して告げた。
「あなた方の祖国です」
「………え?」
あまりにあっさり教えられた情報に、ルピアとルパート、そして彼らを案内していた侍女ですらも表情を引き攣らせる。
つまりそれは、故意的にこちらに届くようにばら撒かれた話だということか。
単なる噂話に動かされたのでは無い。『この人たちが言うのであれば確かにそうかもな』と思う人からの情報だったから、クア王国の貴族もあまりに呆気なく信じてしまったのだ。
「…そう、でしたか…。わたくしの…」
「はい」
「あの、リュドガー小伯爵様」
「サイファ、とお呼びください」
「それではサイファ様、お聞きいたします。あなたは、どのような話を聞いておりましたか?」
真っ直ぐにサイファを見据えるルピアの目の奥に、彼は確かな怒りを感じた。
カルモンド公爵家…いや、今後はクア王国にて貴族として生きていくのだから、別の爵位となるのだが。噂で聞くところによると伯爵位を賜るそうだ。
そして、かの国の王家に連なる血を引いた令嬢の目は、怒りこそ感じられるが、くもり一つない。噂の内容については、当事者であるルピアは知らなかったのだろうか。王都に住んでいる頃には少なからず入ってきていたのかもしれないが、そこから遠ざかっているため、今は耳に入ってこないのではないだろうか。
サイファが聞いた内容を話せば、ルピアが傷付いてしまう可能性だってある。しかし、隠されることを彼女は望んでいないだろう。現に真実を求めているのだから。
「その…ですね。『伯爵令嬢に婚約者を奪われた、王妃になれない哀れな令嬢』というものから始まるんですが…」
「何だそれ…」
「まぁ、合っているわね」
「………へ?」
「合っております。それに関して否定いたしませんわ。さ、続けてくださる?」
「あとは、その…」
話せ、と言ったもののサイファはどうしたものかと悩んでいるようだ。一体何を迷う必要があるというのだろうか。
ルピアとルパートが揃って首を傾げていると、ぐっと手を握りしめてサイファは続けた。
「『王太子殿下に未練しかないのに、強がり出国した哀れな女』、『気を引きたいだけのお芝居に親族をも巻き込んだ考え無しの令嬢』…とも」
「へぇ…」
「それを、あんたらは信じた…と」
「そ、っ…!ふ、普通の令嬢ならば王太子妃の座は欲しいものだろう!」
「普通ならね」
「姉さんを普通に当てはめんな」
「そうは言っても、どのような人か分からないのだから…!」
「だからこそ、調べろって言われたんだろうが。陛下に」
「……あ」
「信じられる筋からの話でも、裏付けくらい取れ」
「そう、だな…」
サイファはもっともな指摘にがっくりと項垂れた。
様子を見ており、オロオロとしている侍女には落ち着くようにルパートが指示を出し、今聞いた内容について恐らく出処が推測できたのだろう。ルピアは盛大にため息を吐いてから顎に手をやった。
「興味のないものをいつまで経っても興味があると思い込みたいのね…。何という哀れな思考回路ですこと」
淡々と言うルピアの様子に、サイファは納得する。
本当に、この人は将来的な王妃の座なんか求めていなかったのだ、と。かつて与えられていたであろう王太子の婚約者という地位ですら、ルピアにとっては不要なものでしかなく、足枷のようなものでしかないのだ。
「売られた喧嘩はとりあえず倍のお値段で買って差し上げないといけないかしら…」
「え、買うの?!」
「突き放して、ひたすら距離を取って関わらないようにしているのに、わざわざこうやって人の神経を逆撫でしてくるのだから、相応の反撃をしなければ失礼に当たるでしょう?」
「………あーあ、可哀想」
好き放題、言いたければ言えばいい。
そして、思う存分笑い倒せばいい。話のネタにすればいい。
もう、あの王都を守っていた盾は、存在しない。
ルピアの中にも、ルパートの中にもリアムに対してはそれなりに親愛の情があった。だが、もうそんなものは欠片ほども残っていない。
「そういえば、殿下から意味不明なお手紙をいただいていたわね。あれに返事をしましょう。それと…サイファ様、お願いがあるのですけれど」
「え?あ、は、はい」
「そんなに緊張なさらないでいただきたいわ。ちょっと教えてほしいんですの」
「教えて、ほしい?」
「はい」
とても機嫌よく、先程の怒りが微塵も感じられないほどの笑顔でルピアは言葉を続けた。
「この国の騎士団の、入団試験の日程を。そして、どこに行けば申し込み可能なのかを」
「そんなことで、いいんですか?」
「ええ」
うんうん、と笑みを浮かべて頷くルピアと、彼女の隣で顔色を悪くしているルパート。この二人があまりに対照的で、サイファはよく分からなくなってきた。ルピアの実力なら間違いなく騎士団の試験には受かるだろう。クア王国の騎士団の募集要項の中に、『女性が受験してはならない』というものは記載されていない。
男性でも女性でも、力のあるものを配属して運用していくのは騎士団長の役割だ。実力あるものはしっかりと使う。
「一応…質問なのですが…」
「何でしょう?」
「入団試験に受かった、と仮定しましょう。一体何を…?」
「騎士団員として働こうかなー、と」
「へ?」
「何か問題でも?」
騎士団試験に受かれば騎士として働く、当たり前だろう?と背後にでかでかと文字すら見えるような感覚になるサイファだが、ルピアも至って真剣そのもの。
「あ、の」
「はい」
「本当に…騎士、を?」
「駄目なら他の道を探せばいいだけですもの。今、それができるようになった……えぇ、わたくし、ようやく好きに生きられるようになったんですから!」
嬉しそうに、満面の笑みを浮かべるルピアがあまりに綺麗で、思わずサイファは顔を赤らめるが襲い来る殺気の濃厚さに硬直してしまう。
その主は一人しかいないのだが、どうしてかそちらを見ることができない。恐怖が強すぎて。
「俺の目が確かなうちは、邪な感情を持った奴になんか姉さんはやらんからな」
さっきまであっけらかんとしていたはずなのに、とてつもなくドスの利いた声で言われてしまった。
ちょっとだけ見惚れただけなのに、と言ったところでルパートが許してくれるわけもなく、困り果てた侍女にルピアが謝罪をし、双子はようやく帰路についたのであった。
帰路の途中の馬車の中。
ふと、ルピアは呟いた。
「…でも、あんな手紙…誰がわたくしの部屋に置いたのかしら」
「姉さん?」
「…ううん、独り言よ」




