三話:家に帰ろう―後編―
王宮でのバカげた会議の後、通常であれば国王陛下との謁見を常に申し込んで必要事項に関して内容の確認を行っていたアリステリオスだったが、それをしないまま早々に帰宅した。
そして、決まった内容についてミリエールに伝えると、同じようにミリエールも激怒した。
会議の場では感情を露わにしなかった二人がこうして感情を露わにするのは、己の大切な存在であるルピアを傷つけられたから。
公爵夫妻は、これでもかと娘を可愛がっているのだ。現在進行形で。
なお、夫妻にはもう一人子供がいる。ルピアの双子の弟であるルパートだ。ルパート=カルモンド。彼はとてつもない姉バカ、もといシスコンであると国内では有名だった。
姉が王太子妃になるならば、自分は姉を守る騎士になる!と幼い頃、早々に決意して隣国へと留学した。武術に長けている国の学院にて、剣術だけではなく魔法も身に付け、姉の婚姻と共に王宮騎士団に入団すべく準備をしているという抜け目の無さだっただが、思いもよらない父からの報告にルパートはブチ切れた。
知らせを聞いてから一週間後、早々に手続きをして一時帰宅をし、父母に姉の状態を聞いて部屋に向かい、短い会話を済ませて両親の元に戻ってきて発した彼の台詞は、『この国捨てましょう』だった。
「まぁそのあれだ、落ち着きなさい」
「落ち着いている場合ですか! 何なんですか国王陛下も王太子殿下も! 姉さんのこと馬鹿にしすぎてませんか!?」
「貴方の怒りを見ていると冷静になれてしまったわ、ルパート。とりあえず落ち着きなさいな」
「母上まで!」
「ルピアお嬢様が大好きなのは存じ上げておりますが、ハーブティーを飲んで落ち着いてくださいませおぼっちゃま」
「ジフ!?」
いくら怒っていても、自分以外の怒りがそれ以上であれば、思ったより冷静になれるというもので。
ルパートのあまりのキレ散らかし様に、公爵夫妻と執事長はあっという間に冷静さを取り戻してしまったのである。
幼い頃から誰よりも努力している姉が大好きで、負けていられないという気持ちが切欠ではあったが、それ以上に尊敬もしていたのだ。だからこそ、扱いの軽さが許せなかった。国王も、王太子も、一体何を考えているというのか。
「ファルティとかいうアーディア伯爵令嬢には申し訳ないが…我が娘をそのように扱われることは許せるわけもない」
「当たり前ですわ」
「このままだと早々に物事が進みますよ。どうにかして姉さんの意識を正気に戻せませんか? …なんだか意気消沈しすぎてしまっているように思えるんですが…」
ルパートの言葉に、アリステリオスとミリエール、ジフは顔を見合わせる。
「父上、母上?」
「いや…ルピアの様子は王立学院の最高学年に上がってからずっと、ああなのだ」
「は?」
「正確な時期は分からないのだけれど…。でもね、お医者様に見せられるものでもないでしょう?」
「見せましょうよ。さすがにひどいですって」
「体調も悪くないし、顔色も良好ですし…」
「精神状態がぎりぎりすぎるんでしょうが!」
もっともなツッコミに全員がいたたまれなくなる。
ルパートは溜息を吐くも、両親やジフの言わんとしていることも理解できてしまった。
体調が悪くないのに医者を呼べば、姉の自尊心が傷ついてしまうかもしれない。
まして、王太子妃としての未来をありとあらゆる人たちから期待されていたのだから、もしかしたらちょっと気を張っていただけなのかもしれないと思うと、ある意味納得もできてしまう。
何より姉自身は『大丈夫』と言うのだから、手が出せなかったのだ。
「…とりあえず、俺は早々に卒業試験を受けて帰国するようにしますから、姉さんを何とかして家に居させましょう。このままの勢いだと、その伯爵令嬢と王太子殿下、結婚式を挙げて姉を王宮に幽閉しかねませんよ」
「そうね…。それはわたくし達でどうにかするわ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ルパートの予想通り、卒業式が終わってからあれよあれよという間にファルティとリアムの式の日取りは決定してしまった。
勿論ルピアは強制参加、公爵夫妻も参加を義務付けられていた。
微笑みながら主役の二人へと、まるで自動人形のように拍手を送るルピアの様子を歯噛みしながら見守っていたが、不意にその表情が変化していたのだ。
悔し気な、というよりも苦し気な顔。見慣れたものにしか分からない範囲での娘の変化に、公爵夫妻はどちらからともなく顔を見合わせる。
あれは、何かを我慢しているような顔だと、すぐに気が付いた。披露宴の終了する少し前に、ルピアはその場を離れてどこかに行った。勿論、護衛騎士のアルフレッドを伴って。
自分達の居場所を把握しているアルフレッドが付いているならばきっと大丈夫だと確信し、公爵夫妻はいつでも席を立てるように準備を密やかに進める。
それが功を奏して、アルフレッドが呼びに来てくれた時には、颯爽とルピアの元に駆け付けられたのだ。
そこから行動は早かった。
小さな控え室に逃げ込むかのように入ったというルピアは、昔のように目に光が戻っていた。一年近く人形のような顔しかしていなかった娘が、ようやく『人』に戻ったような感覚に公爵夫妻はとても喜んだ。
アリステリオスはあまり感情を表に出さないように気を付けていたが、ミリエールはそういうことは無理だったようで、遠慮なくルピアへと抱き着いた。
大好きよ、と全身で表現する妻と、驚いている愛娘。ようやく昔のような光景を見られたと、内心喜ぶアリステリオス。
どうやらルピアの想いとこちら側の想いに齟齬があるらしいと気付いたアリステリオスは、ひとまず帰宅することを選んだ。
馬車まで向かい乗り込んでからも、ルピアはとても体調が悪そうに見えるし、加えて何かを言いたそうにもしている。そんな状態の娘を放置などできるわけがない。ここ一年の間、何があったのかもきちんと整理がしたい。
馬車の中でついに倒れてしまったルピアの事を、父として、公爵家の人間としても守ろうと心に改めて誓ったアリステリオスはミリエールを真っ直ぐ見て告げた。
「ミリエール、この子にはまず休息が必要だ」
「ええ、あなた」
「それと、王家が我らを必要としていないとも言える此度の件については、我が公爵家として容認できるものでもない」
「…えぇ、勿論」
ひやりと、馬車の中の温度が少し下がる。
向かいの座席で横たわるルピアの顔色は極端に悪い。
これまでの肉体的疲労や精神的疲労が噴出してしまい倒れたのであれば、王太子妃としての役割もなくなってしまった現在、登城させる必要もないだろうと判断する。公爵家の一存で判断できるものでもないのかもしれないが、ルピアを切り捨てたのは王家そのもの。
王太子であるリアムとの婚約も、彼の後ろ盾としてカルモンド公爵家を欲した王家たっての願いだったからこそだが、それも不要ということなのだろうと、そう判断せざるを得ない状況でしかない。
「まずは、ルピアに休息を与えよう。王家が何と言ってきても、それはわたしが止めてみせる」
「わたくしも微力ながらお力添えいたしますわ。だって、娘のためですもの」
「ルパートも卒業したら一度帰ってくるだろうからね」
「あの子、卒業を早めてとかどうとか言っておりませんでした?」
「…」
「……」
ルパートの留学先の学院の卒業条件が、卒業試験担当の教官に手合わせで勝つことであった。それと併せて試験で一定以上の成績を示すこと。これらを満たせば『学院内で勉強して身に付けたことと学んだことはきちんと学生自身の身に付いている』と判断されるとか、らしい。ルパートから聞いた話なのでどこまで本当なのか判断がしづらいというか、双子の姉のためだけに卒業時期を早めるなどと誰が予想しただろうか。
思わず夫婦そろって顔を見合わせるが、ルパートはあれできちんとした息子なのでまぁ大丈夫だろうと思い、どちらから示し合わせたわけではないけれど頷き合う。
馬車は王宮から変わらぬ速度で走り続け、無事にカルモンド公爵家までやって来た。
出迎えてくれたジフを始めとして、馬車内でついにルピアが倒れたことをきいたアルフレッドが慌てて御者席から来てくれ、そっと抱き上げてルピアを彼女の部屋まで運ぶ。
顔色は変わらず悪いままで、どう見てもしばらく療養が必要だろうと判断できるものであったし、この状態で王家から呼び出されたとしても行かせるなど親として鬼畜の所業であるように思えるものだ。
今はただ、ルピアに休息を与えようと公爵家一同が頷き合い、心を一つにしたところでまた一つ、王宮では問題が出てこようとしていたのだが、解決できる手段を持ち得ているカルモンド公爵が既に帰宅したことを知り、国王夫妻が頭を抱えていたのである。