二十七話:吐き出せるだけ吐き出してしまえ③
ミリエールが到着する少し前のこと。
荷物を下ろし、ゆっくりとした馬車移動で凝り固まった体を解してから、各々に与えられた部屋で一息ついたあと、ルピアたちは中庭にある四阿に揃っていた。
休憩を挟みながらとはいえ、普段よりも長い時間馬車に乗っていたので疲労もある。ついでに腰もちょっと痛い。
侍女に人数分のお茶を頼んでから三人は外の空気をまずは目いっぱい吸い込んだ。
「はー…」
「ゆったりしておりましたけれど…久しぶりの長距離移動は、疲れますわね…」
「ルパート、ヴェルネラ、大丈夫?」
一人、そこそこ普通にしているルピア。
王太子妃候補として王宮に行ったり、視察に行ったり、あれやこれや色々と出かけていたこともあって慣れているせいか、二人よりも疲労の色はあまり感じられない。
「姉さんこそ大丈夫なの?」
「ええ、わたくしは大丈夫よ。魔力の巡りも元通りになったし、休憩の時には体も伸ばしていたから」
「伸ばし方が足りなかったかな…俺…」
用意してもらったお茶を飲み、ルピアは空へと視線を上げる。
雲は穏やかに流れ、程よいくらいの風も吹いている。そして、太陽もカンカン照り、というわけではなく薄雲のおかげで丁度いい日差しだ。到着したのが昼を過ぎた頃なので、時間帯も関係はしているが。
「カルモンド領は…穏やかですわね。主要産業が農業だから、かしら」
「そうかもしれないわね。領民も穏やかな性格の人が多いようだし、畑や果樹園もあるから緑も多い。栄えていないわけではないけれど、程よい賑やかさもあるから綺麗に纏まっている…という感じね」
「なるほど…」
ふむ、と頷いてヴェルネラはこれまでの道のりを思い出す。
公爵領に入り、この屋敷に到着するまでにルピアとジェラルドは途中で馬車を止めて見知った顔に挨拶していた。
次期当主として、きっとここにも来ていたのだろう。ルピアの顔を見て『お久しぶりです! 最近来られなかったから体調でも崩されたのかと…!』と心配している人も居た。
改めて、化け物じみた教育を受け続けていた人だなぁ…と内心でヴェルネラは思う。だが、その頑張りの結果として、周りの人がルピアを助けてくれている。表からも、裏からも。
目に見えないところでも支えてくれる人がいるというのは、とてつもない力になるのだから。
「数日、こちらに滞在されるのですよね? 先程、公爵夫人もいらっしゃると…聞いたのですが…」
「お母様ったら、『内緒にしていてほしい』とおじさまに言っていたそうよ。…もう」
「母さんらしいというか、何というか…。あれかな、クア王国に行くついでにここに寄るとか」
「そうでしょうね。お母様はいつも公爵領を経由して行っていたから」
国境を守る、国防の要。それがカルモンド公爵家。
領地が国境に近いところにあるのは、警備にも当たりやすいからという理由。本家と分家が力を合わせて確りと警護している。
「……まぁ、この領地が今後どうなるかは領民次第だろうけれど」
呟いたルピアの目は、真剣そのもの。
カルモンド家を不要と言ったも同然の王家を見限る用意を、両親は超特急で進めている。
静養は静養なのだが、両親の邪魔をしないということも目的の一つだ。あとは王太子夫妻から離れるため。
ルピアが王都から離れたことを聞いて、何やら王家が憤慨しているらしいが、知ったことではない。
「ヴェルネラ、手に入れた『情報』はお父様やお母様に提供してくれている?」
「はい、それは勿論」
にっこり、とヴェルネラは微笑んだ。
艶やかで、それでいて華やかな微笑み。
「わたくしは、別の意味で家業を継いでおります。そこで得られたものは、わたくしの大切なものを守るために使います」
笑みこそ浮かべているが、声音は真剣そのもの。
だが、いつまでもこういう話ばかりしていると気が滅入ってしまうことは確か。
「…よし。ここまで」
「お義姉様?」
「ヴェルネラ、ルパート、あなた達はこの一年間どうやって過ごしていたの?」
「姉さん?」
「まともじゃなかった時間を取り戻したいの。だから、あなた達のこの一年を聞かせて?」
微笑んで、ルピアは二人に問いかける。
恐らく一年間はこの二人ともまともに交流など出来はしなかったのだろう。
それは、問いかけた際の二人の顔の輝き具合でよく分かる。
「まずはルパートからではありませんか? わたくし、貴方が留学していた国のお話も聞きたいわ」
「勿論!」
普段、真剣な顔をしていると年相応だが、こうして表情を輝かせ、楽しそうにしている姿は、少しだけ幼く見える。
いつしか、三人は王都でのことも忘れ、出来ていなかった会話に花を咲かせていた。
ヴェルネラやルパート、周りにいる人からするとルピアがこうやって笑ってくれて、気を許している人の前で感情を出してくれることがとても嬉しくて。
些細なことも話し、そして盛り上がり、笑いあった。令嬢らしからぬ、と言われようと今は公式の場ではない。今くらいは、仲良しの会話を楽しみたい。
──だが、楽しい時間はあっという間に終了する。
けれど、それは必然。
母が到着すると聞いてから決めていた。何もかも、話そうと。
信じてくれなくても、自分が置かれていた状況を話しておきたい。
「皆、楽しそうね」
穏やかなミリエールの声。
ジェラルドも着いてきており、ここにやってきた時とジェラルドの服が変わっていた。
「母さん、来るなら一緒で良くなかった?」
「三人の楽しい時間も必要でしょう?」
ねー、と少しだけおちゃらけて問いかけてくるミリエールに、ルパートが不満そうにしてみせても、微笑んでいるだけ。まぁ、これがいつもの母なのだから仕方ないか、とルピアは笑って立ち上がる。
「お母様、お疲れ様でした。誰か、お母様とおじさまのお茶の準備をしてちょうだい」
「かしこまりました」
近くにいた侍女に声をかけると、素早く動き、二人分のお茶を追加して持ってきてくれた。
ルピア付きの侍女であるリシエルを最初から連れてくれば話は早かったのだが、生憎と今は引越しの荷造りに奔走している。
公爵領の邸宅に仕えている侍女も引けを取らず優秀なため、リシエルが『向こうのメイドも優秀ですし問題ないですよ』と、荷造りを優先したのだ。
仕える主人の荷物を他に任せるわけにはいかない、という思いもあったのだろう。
「お待たせいたしました」
二人分の新しいティーセットと、お茶の入ったポットが追加される。
ジェラルドに配慮して、甘いものだけではなく塩っけのあるものも抜かりなく用意されていた。
「ありがとう。…さて…早速だけれど」
侍女が距離をある程度取ると、ミリエールの目から笑みが消えた。
「ルピア、話しなさい」
「はい、お母様。…馬鹿げた話になる、と…前置きさせていただきますわ」
ジェラルドも、ミリエールも、真剣な顔でルピアに向き合った。
ルパートとヴェルネラは、『あ』と思わず声を出したが双方頷き合う。ルピアが何を話すのかを早々に理解したようだ。
「まず…この一年間。わたくしは、おかしなものに操られておりました」
「……犯人は?」
短くミリエールが問う。
「…『システム』と、そう言いました」
ルピアの答えも、短いもの。
ジェラルドはその答えを聞いて、訝し気な表情になる。
「しす、てむ?」
「そして王太子ご夫妻の式の日。わたくしの意識はようやくはっきりしました。これまで、薄布一枚隔てたような、奇妙な感覚でしたわ」
「…は?」
入れてもらったお茶を飲み、ルピアは淡々と続ける。
なるべく、感情を入れないように。自分が体験したことを、ありのままに。
「そしてあの日、ほんの少しの時間だけ、時が止まり、世界から色が無くなりました。そして、『システム』とやらは、こう続けました」
あの日の無機質な声を思い出し、更に言う。
「『システムからの、解放完了』。あれは、そう言いました。そして、わたくしは『わたくし』に戻った」
「…つまり…」
「わたくしは、それに操られていたのです。気付かぬうちに、思い通りに動かされていました」
「………っ!」
だん!と苛立ちを隠さないまま、ジェラルドはテーブルを叩く。
「人を何だと思っていやがる!」
「落ち着きなさい。…ルピア、まだある?」
「恐らく、これには王太子妃が関係しております」
は、とジェラルドとミリエールの声が重なった。
「王太子妃が、わたくしのことを何故だか友人だと、あちらこちらで吹聴しているそうだ、とお友達から聞きましたわ」
「…そうね、だからルピアに側付きのようなものになって勉強をどうとか、とふざけたことを言ってきたんだもの」
「お義姉様、アーディア家とは何の関係もございませんでしょう?」
「ないわね、何も」
一体何がどうして、どうやればルピアがファルティの友になるのか。
このルピアの反応を見ても『いや友達でしょ』という人が居るならば、それは是非とも顔を見てみたいものだ。淡々と、あまりに無感情に、ルピアが報告するものだから、ジェラルドも思わず頭を抱えてしまった。
「王家連中もその…何だ? しすてむ、とやらに操られていた、という可能性もあるか?」
「可能性としてはありますわ。どこまでそうだったのかはわかりませんが、アレは、わたくしを始めとした…とか何とか申しておりましたもの」
あぁ、だからか。思わずジェラルドの口から呆れきった声が零れた。
「その『しすてむ』とやらに操られていた筆頭がルピアで、お前やお前に関係する人も少なからずそうなっていた、と?」
「恐らく。他の人がどの程度だったのかはわかりませんが…」
「王家は操られていた、というよりも思考能力をどこかに置き去りにでもさせられていたんじゃないかしら。現在進行形で」
あー、とかうー、とか唸りながらジェラルドが天を仰いでいたが、ミリエールがこめかみを押さえつつ言った。
「母さん、思い当たることあるの?」
「旦那様が言っていたのよ。『反省していると思える言動をするのに次会えば反省がなかったような言動を繰り返している』って」
「何それ」
「王宮で何度も何度も『当家は国を出る。爵位も捨てる。そうさせたのはお前たちだ』ってお伝えしているのに、国王陛下が縋り付いてきて、その度に反論して黙らせる…の繰り返しらしいわ」
「…それ……大丈夫なんですの……?」
ヴェルネラもルパートもドン引きしているし、ジェラルドに至っては唸るのをやめて思わず絶句するが、はっと気付いて呟いた。
「そんなことを企てた女が王太子妃、だと…」
「どうやったのかしら、あれは」
ミリエールとジェラルドは考え込み始めたが、話した当の本人のルピアはぽかんとしていた。
ルパートやヴェルネラはルピアの言うことだから、と信じてくれはしたが、ジェラルドやミリエールもこんなにすんなり信じてくれるものなのか、と。
「…お二方…」
「なぁに?」
「何だ」
「どうして…こんなにあっさり信じてくださるんですか」
それを問うと、ミリエールもジェラルドも、目を丸くする。
「子を信じるなんて当たり前よ?」
「俺は半信半疑だが、点と点が線で繋がっていくような感じだな。今は」
「点と、点」
「俺が見たもの、聞いたものと合わせると、おかしな状況ではないからな」
「実際、おかしいでしょう。王家の行動や言動は」
「…そう、ですけれど」
ミリエールはお茶を飲み、ふぅ、と一息ついた。
「ルピアはそんな器用に嘘はつけない、ということも理由の一つね」
「そうだな」
大人たちの意見を聞いたルパートやヴェルネラは、うんうんと頷いている。
第一、こんな嘘をついて何になるというのか。
王太子妃の座にこだわるならば、記憶消去の魔術をその身に受けたりもしない。
ルピアの行動が少しでもおかしければ、大人たちはルピアをいかに愛していたとしても幽閉なり何なり、閉じ込めてしまっただろう。
「…あり、がとうござい、ます」
「ルピア、思いっきりぶちまけなさい。この話は旦那様にも報告して良いんでしょう?」
「良いですけど…」
「けど?」
申し訳なさそうな、だが、どこかスッキリした笑顔でルピアは言葉を続けた。
「お父様に知らせては、また陛下たちと言い争いなどなさってしまうでしょう。だから、この国を出てからにいたしましょう」
「それでいいの?」
「はい」
頷いて、更に続ける。
「わざわざ知らせてやる義理など、無いんですもの」