二十七話:吐き出せるだけ吐き出してしまえ②
あれは、どれくらい前だったのだろうか。
ジェラルドは目を閉じ、兄との会話を思い出していた。
ルピアが静養するために公爵領を経由し、アルチオーニ伯爵領へと向かう。そうアリステリオスから話を聞いた時、直接会話はしなかったものの遠目からジェラルドは姪の様子を見、そしてほぅ、と息を吐いた。
良かった。いつものあの子だ。
とてつもなく安堵した。ルピアが、ルピアであることに対して。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ジェラルドは『姪の様子がおかしい』ということを兄から簡潔には聞いていた。とはいえ、普段から頻繁に交流があるわけではないが、会って話せば沈黙もなく会話も弾む。体術の練習にも付き合う、というくらいには仲は良かった。
兄の言う『おかしい』の基準が、ジェラルドにはいまいち分からなかったが、『頼むから見てくれ、そうしたら分かる』と懇願されてしまったのである。普段は公爵として、そして父として、更には兄として、毅然とした態度を取っているのにと躊躇うほどに必死な様子だった。
何となく胸騒ぎがしたジェラルドは、ルピアには内緒でこっそりと公爵家を訪問してみた。普段と何ら変わらないのではと思っていたのだが、ルピアの目が綺麗すぎた。
まるでガラス細工のような、つるりとした、意思も、生気すらも感じられないようなもの。
「…おい兄上…何だ、あれは…」
「言っただろう…」
「いつから、だ」
「恐らく、三年生になった頃だ」
「恐らく?」
煮え切らないようなアリステリオスの返事に、訝しげな顔をするジェラルド。
「日常生活には支障がないが、問いかけに対してのみ、返答がおかしい。まるで決められた言葉を繰り返すだけの玩具のようなんだ」
「は?」
「最初は皆もおかしいな、くらいだった。だがな、ルピアを心配して問うた内容に対しての答えが全て『問題ない』『大丈夫』しか返してこない」
「待ってくれ、もう一度聞いて良いか? 普段の会話は、それで大丈夫なのか? 本当、なんだな?」
「…ああ、本当に何も問題ない。だが、先も言ったがルピアを心配する、あるいは気遣う問いかけに対してだけ、『何も無いからこれ以上問うな』と言わんばかりの迫力で『問題ない』と返す」
困りきっているらしいアリステリオスは、少しだけ疲れたような顔を見せていた。
ルピアの学院での成績も問題ない。素行も、人付き合いも、何か異常が見られたわけではない。こんなことは無かった。
問えば、おかしくなったのは、三年生になってからだという。
ルピアを心配することの問いには『問題ない』とだけ返す。予め、何かを決められているかのように。
体調に関しては普段から本人も周りも気を付けているので、風邪など引くことも滅多にない。公爵令嬢であるが故に、口に入るものも徹底管理されている。
更に、ルピアが通っている学院の食堂で提供されている料理は、王太子が通っていることもあり、こちらも徹底管理されている。だから、お腹を壊すということもほぼない。食べ過ぎを除いて。
健康面についても成績についても、更には普段の人間関係に関しても問題がない。身の安全も保証されているのであれば、『大丈夫か』と問うことが、さほどなかった。
だから、気付けなかった。
人と会話をする時に目を見て、と言われるが、笑ったり表情を変えたりもするから、目だけをこれほどまでに注視することもない。
様子がおかしいことを指摘してきたメイドや、状態を実際に確認しにいったアリステリオスが、拒絶するかのように『大丈夫』と返答してきたルピアの様子を、肩をがっちりと掴んだ状態で目を逸らすこと無くまじまじと見続け、初めて瞳の様子に気付けたのだ。
「何か魔術でもかけられているのか?」
「分からん…。最初はそう思っていたが、そういうわけではないようだ」
はぁ、と再び溜め息を吐いたアリステリオスと、どうしていいのか分からないジェラルド。
もやついた雰囲気のまま、ジェラルドも調査をしてみて何か分かればすぐに連絡をすると告げてその日は帰宅したのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それからしばらくして、姪であるルピアの様子が元に戻った、という連絡が入った。
王太子夫妻の結婚式の日、披露宴の後で『目に光が戻った』らしいのだ。
諸々の流れも聞き、そこまで思いきりが良いとは思っていなかったが、我が姪ながら流石と言わざるを得なかった…が、同時に無茶はしてほしくなかった、とも思った。
だが、体にも精神にも負担はかかっていたようで、今回のこの静養に至ったとのこと。公爵領に行くまでに何かあってはいけないから、信頼できる人に護衛を頼みたい、と依頼され快諾した。
「…何が起きてるんだかな…」
ルピアに魔術の類はかけられていなかった。
これは紛れもない事実。では公爵令嬢に対して催眠術でも暗示でもかけたとでもいうのだろうか。そうだとしたら、掛け手はとんでもないやり手ということになる。
ルピアは学院にいる間は、王太子の婚約者だったのだ。当然、陰ながら王家の護衛がしっかりとついているのは間違いない。
「……駄目だ、分からん」
カルモンド公爵領にある屋敷の、ジェラルドに与えられた客間で、わしわしとジェラルドは頭を搔きむしる。自分には想像もできない『何か』があるのは違いないのだが、一体何が話されるのか内容はさっぱり予測できない。
ルピアから話されるであろう、ここ一年もの間、彼女に起こっていた異変。
話を聞くなら堅苦しい格好よりも、と。ジェラルドは動きやすい私服へと着替えていた。
時計を確認すれば、時間にして一時間程度。遅れて王都を出発するとは聞いているが、馬車の速度はルピア達よりも早い。休憩を取りつつ、途中で昼食を取ってまったりとこちらが進んでいた間、恐らくミリエールはほぼノンストップでやってきているだろう。
「そろそろ、か?」
日の傾き具合や自分達が到着してからの時間経過を考え、ジェラルドは客室から出て玄関へと向かう。
途中、ふと廊下の窓から中庭を見ると、ルピアやルパート、ヴェルネラが微笑ましく三人で笑いながら会話をしていた。飲み物も用意されているし、きちんと護衛もついている。邪魔をしない程度の距離だったが、周囲に対してはかなりひりついた様子で警戒している。
公爵家襲撃をした馬鹿共の件があってから、改めて気を引き締めさせようとアリステリオスが相当キツい稽古をしていると聞く。
これなら安心だ、と安堵して再び歩みを進めていく。
ちょうどジェラルドが階段を降りきったあたりで、邸の管理を任されていた使用人が走っていくのが見えた。
「来たかな」
出迎えのために駆けていく使用人たちに交ざり、ジェラルドも外に出る。
そこに止まっていたのは公爵家の紋章がついた馬車。
中からミリエールが降りてくると、並んだ使用人たちがバッと頭を下げた。
「あら、お出迎えありがとう。…まぁまぁ…ジェラルドまで!ふふ、皆は無事に到着出来ていて?」
「えぇ、義姉上。ルピア達は四阿でゆっくり話をしておりますよ」
「…良かった…。やはり王都を離れて正解だったわね」
出迎えてくれた使用人の一人がミリエールに日傘を差し掛け、邪魔にならない立ち位置に控える。そして、四阿に向かうジェラルドとミリエールの進行を妨げないよう、かつ、ミリエールには日影ができるようにしながら共に歩んでいく。
「妙な追っ手はいなかった?」
「大丈夫でした。ここを経由してアルチオーニ領まで行くのはヴェルネラ嬢が提案したのですか?」
「そうよ。ルピアの静養先については『王都から離れて静養する』と言ったし間違いではないわ。ただ、どこに行くかを詳細に言ってないだけで」
「…まぁ、それはそうですが」
「大体、王都にいても気が休まらないわよ。『王太子妃の座を奪われた哀れな公爵令嬢』、『愛は強し!真実の愛で結ばれた王太子夫妻と棄てられた令嬢』とか、あちらこちらでそれはもう好き勝手、嘲笑われているんだから」
はー…、と深い溜め息を吐いて苦笑いを浮かべていたミリエールだったが、四阿にいる子供たちを見て、すぐに柔らかな微笑みを浮かべた。
「ふふ、ルピアはとてもスッキリした顔をしているわね。貴方のおかげかしら?」
「悩んでいたようだったので、少し背を押しました」
「…ありがとう。やっぱり貴方で良かったわ、ジェラルド」
「いいえ、ルピア自身も考え、頑張りましたよ」
「ルパートがいたことも、良かったわね」
「ヴェルネラ嬢も、です」
大人たちは、笑う子供たちを見て同じように微笑む。
これから何があるのか、待ち構えているものに対してジェラルドは深呼吸をし、ミリエールは微笑んでそのまま四阿の方へと歩みを進めたのであった。




