二十五話:何もかもが、進む
「さて、と」
鼻歌交じりにカルモンド公爵夫人ミリエールは身支度を進めていく。
ドレスを選び、アクセサリーも選び、侍女に化粧をしてもらう。外出するための、いつも通りの慣れたルーティーン。
普段と違うことがあるとすれば、今のこれが、何のための外出の身支度か、ということ。
「奥様、またお茶会の招待状が届いております」
「そう。次はどこから?」
「ラフェル侯爵夫人からでございます」
「…ふぅん。中身、見てくれる?」
かしこまりました、と言ってミリエールの侍女は封を開け、中身を確認する。
そして、手紙に記載されていた内容を読み終わると『如何なさいますか?』と確認をした。
「後で返事を書くわ。欠席とね」
「はい、奥様」
この国の貴族が今楽しんでいるのはルピアが王太子妃の座から引きずり下ろされたという醜聞。
だいぶ面白可笑しく話が誇張されているということも聞くし、実際のところはどうなのか、とミリエールに探りを入れてこようとする者も少なくない。だが、そんなものに付き合ってやる義理など、ミリエールにあるはずもない。
大切な娘を貶し、嘲笑う者たちへの笑いの種をどうして提供してやらなければならないのか。
更に、迂闊なことをしてしまえばルピアの評判とかそういうことではなく、カルモンド公爵家そのものに傷がつきかねない。
「人を舐めるのもいい加減にしていただきたいものね…」
普段には決して聞かせることのない低く冷たい声。
家族を大切に、己の身内も大切にしているミリエールだからこそ、守るためならば何一つ容赦などしてやらない。
「奥様。また招待状が」
「今度は誰?どこの家?」
「……アーディア伯爵家より、でございます…」
「あぁ…」
ルピアから未来を奪ったつもりになって、何を勘違いしたのかアリステリオスに対してもミリエールに対しても、まるで子供のような暴言を放ってきた、あの家か、と心の中でボヤくミリエール。
我慢していたつもりだが、内に秘めておこうと思っていた本音がぽろりと零れ落ちた。
「あのはしたない女の実家ね」
ルピア本人がいくら気にしていないとはいえ、未来のひとつの可能性は確かに奪われている。
どの面下げて、という思いが勝つのは当たり前のことで、婚約者変更の知らせでカルモンド公爵家を指差しながら『身分だけではないのよねぇ!』と高笑いをしていた人達に会ってやる義理もない。そもそも会って何をしたいのか訳が分からない。
どんな顔をして謝りに来るのかは見てみたい気もするが、時間の無駄でしかない。
ミリエールはにこやかに侍女に手を差し出した。
「その手紙だけは、今、すぐに返事を書くから開封してわたくしに頂戴」
「はい奥様」
ペーパーナイフで封を切り、侍女は手紙を取り出してミリエールに差し出した。
テンプレートのような謝罪文句がつらつらと書かれており、最後には『身の程知らずなことを言い、夫人をとても悪しざまに罵ってしまったこと、どうか…どうか謝らせてくださいませ』と記載されていたが、それを見てミリエールは鼻で笑う。
「よくもまぁ、ぬけぬけと」
「奥様、レターセットにございます」
「ありがとう、助かるわ」
「こちら、ペンです」
「どうもありがとう」
受け取ってから便箋に書いたのはたったひと言。
『二度と関わるな』と、大変綺麗な文字で書いてから、封筒に入れて侍女に手渡した。
「封をして、お送りして。それと、わたくしが公爵領へと向かう準備を早めなさい。それと、旦那様の荷物もね。親戚の皆様はどうするか返事が来た?」
「はい。当家に従う者らもおりますし、別の縁者を頼って他国に移住を決めた者もおります」
「そう…。では…この国からカルモンド公爵家の関係者が居なくなる準備も整いつつある、そういうことかしら」
「勿論でございます。此度の件、あまりに非道すぎるとお嬢様の味方をする者の方が無論、多く居りますので」
「ふふっ」
今更ながら理解を始めた貴族達と、守りの要を失うことに気付いてしまった王家は必死に謝ろうともがいているが、受け入れる必要はない。
突き放しても突き放しても追い縋ってくるのは、一体何なのか。まるで昔怪奇譚で読んだ化け物のようでもあるなぁ、とミリエールは冷静に考えてしまう。
「わたくし達と同じ国に移住をする者もいるかしら?」
「はい、おります。旦那様からもクア王国の国王陛下宛に書状を出されましたので手続きは滞りなく進むかと予測されます」
「わたくしにもお兄様から連絡が来たのよね」
「…まぁ、そうでございましたか。奥様とクアの国王陛下の仲の良さは相変わらず、ということでございますね」
「そんなところよ。『身内の七光り』と後ろ指をさされることになるから、こちらに来た時はあえて厳しくしなければならないのが今から辛い!と手紙で大層嘆いていらっしゃったわ」
あら、と侍女は笑う。だが同時に『確かにそうだな』とも思う。
国王の妹だからという理由で、ただ甘やかすだけでは国民や貴族に対して示しがつかない。
対外的なところを取り繕わなければならないし、嫌な思いをさせるようなことも言うし、臣下の前でわざと言っておけば、後々何かと楽になる。
とはいえ、言う方はどうしても後々激しく後悔もしてしまうのだが、立場的にそれはそれ、これはこれと気持ちを切り替えて処理をしなければいけないのだから。
「そういえば、分かりきった答えなのに聞くのも何だけど…」
「はい、奥様」
「みんなは一緒に来る?」
「勿論でございます。この身、カルモンド家にお仕えしております故に、どこまでも参ります」
「…ありがとう」
答えは分かっていても、実際に聞くと安心する。
この家の使用人達は、しっかりとミリエールやアリステリオス、そして子供達のことも大切にしてくれている。
だが、ルピアに対しての教育面だけを見て、『公爵家はあり得ない教育をしている』、『家族仲が良いわけがない』など言いたい放題。
一部分だけしか見ていないのにこの言われようは一体何なのか、と思っていると次には『お高く止まっていたから王太子様も安らぎを求めた婚約解消と婚約者変更をされたのだ』という言われよう。
王族と公爵家の婚姻の意味を理解していないものが、よくもまぁここまで言ったものだ。王家にこの話が届いていない訳では無いのに、誰も否定をしなかった。
だから、もう我らはこの国にいる必要などない。
そう、結論を出したアリステリオスは大変に清々しい顔をしていたという。
「皆様方、こちらの動きが本気だとようやくご理解していただけているようだけれど…遅いわよね」
「まったく、その通りです」
「さて、もうクア王国での移住の準備は着々と進んでいるようだから、荷物の配送の手配をしても良いわよ。屋敷の所在地も書類が届く頃合だから、一気に進めてちょうだいな」
「はい、奥様」
にっこり、と擬音がつきそうな程の二人の爽やかすぎる笑顔。
公爵家の使用人一同は、当たり前ながらこの一家に付いていく以外の選択肢などありえない!と憤慨しているし、ミリエールはさっさと貴重品から送る手筈を整えている。
やると決めたのなら、行動は速やかに、迅速に。
ルピアが倒れ、静養に入るとなったあの日から、ミリエールもアリステリオスも、そして使用人一同も動き始めていた。
まとめられる荷物は早々にまとめ、不要な物はさっさとゴミとして廃棄する。
最後は、『この国が不要だとした自分たち』が、居なくなれば終わりだ。
「大体どれくらいで色々と整いそうかしら?」
「そうですね…長くて三ヶ月もあれば」
「分かったわ。わたくしはルピアたちを追いかけて、少し一緒に過ごしてからちょっとクア王国に行ってくるわね。そうねぇ…二週間くらいで戻るから、留守を頼んだわよ」
「はい。奥様達のこの家は、我ら使用人がお守りいたします」
深く腰を折り、頭を下げる侍女は年若いながらに大変有能なので、ミリエールもいつも助けられている。
昔、アリステリオスに惚れ込んで婚約者がいないというのをいいことに、押しかけ女房のようにして結婚に持ち込んだけれど、自分に対しての文句は結婚後の実務で何もかも黙らせてきた。
『隣国の王女が権力をたてにこちらに嫁いできたそうだ』と言われたが、本当だから特に何も否定はしない。
『これだから隣国人は』と言われても、ひっくり返して挽回した。
きっと、クア王国に移住をしたらしたで『これだから』と後ろ指をさされることなど分かりきっている。
そうやって文句を言うしか出来ないなら、いつまでも言っていると良い。
「では、行ってきます。執事長、あの子たちに追いつけるように手配はしてくれているかしら?」
「勿論です。ジェラルド卿が速さを調整しつつ向かわれていると知らせも受けております」
「ふふ、さすがジェラルド卿だわ」
笑いながら屋敷を出て、馬車が止まっている所に向かい、用意されていた馬車へと乗り込んだ。
「奥様、馬車内に軽食をご用意しております。ごゆるりと、いってらっしゃいませ」
「ありがとう。では、行ってくるわね」
見送りをしてくれる使用人に手を振り、合図とともに馬車は動き出した。
「…さて」
背もたれに体を預け、魔力で小鳥を練り上げて右手の指に止まらせた状態で、自分の声にも魔力を乗せていく。
「……《あなた、わたくしも色々と準備をするために行ってきますわ。ルピア達が静養を終える頃が、頃合です》」
くりくりとした目の小鳥がミリエールの、魔力を乗せた声を吸い取り淡く発光した。
馬車の窓を開き、小鳥が止まっている右手をそっと外へと出した。
「旦那様へと、届けてちょうだい」
ぱたぱた、と小鳥は羽ばたいて、普通ではない速度で勢い良く飛んで行った。
飛び立ち、真っ直ぐ目的地へと飛んでいく鳥を見送り、ミリエールは馬車の窓を閉める。
その表情は穏やかで、どこまでも晴れやかだった。
なお、小鳥からの伝言を受け取りはしたものの、飛んできた小鳥の勢いが強すぎてガラスが割れるという事件が起こり、アリステリオスの執務室では敵襲か?!と騒ぎになりかけたが、飛ばした主が分かり全員が納得したという。
「ミリエールは…こういう魔力の調節は……下手くそだからな」
そう呟くアリステリオスは何となく遠い目をしていた、というのは彼の側近談である。




