二十二話:絶縁
ルピアの父・アリステリオスは本気で怒っていた。
ルピアのこれまでの境遇、そしてこれからの道。更には、善意であげたわけではないのに使い込まれていた、カルモンド家からの資金。ルピアがあのまま王太子妃となるのであれば、若気の至りで許してやらなくもなかった。お灸は間違いなくがっつりと据えるだろうが。
使われた先がまさか、現王太子妃となったファルティへの贈り物をするためであり、しかも馬鹿正直なのか使用用途を記載していたものだから思わず笑いが出た。
加えて、リアムの先ほどの発言の愚かさ。
あれがどれだけ愚かなのかは、その場に居合わせた人の顔色からも見て取れた。勿論アリステリオスはほくそ笑むだけだったが。
放った嫌味にも気付いていたのかどうかは分からないが、これからの『材料』としては遠慮なく使えるものだろうと思い、リアムと別れて王の執務室へと歩いて行った。
これから話すのは、王にとっては泣きたくなるような内容の話なのだろうと思うが、知ったことではない。
一度深呼吸をして、王の執務室の扉をノックし、中から入室の許可が得られてから室内へと進んだ。
「失礼いたします」
「う、む…」
王の顔色は酷く悪い。
これから話す内容を理解しているのか、はたまた、先ほどの小さな騒動を既に聞きつけているのか、あるいは両方か。
だが、公爵家を切り捨てにかかった王家のことなど考える必要なし。アリステリオスはそう判断した。
「単刀直入に申し上げます。当家は爵位を返上いたしますので、我らへの干渉はおやめください」
「ま、まて! 待ってくれ!」
「それと、当家は隣国へと移住いたしますので…領地はどうしましょうかね?」
「公爵、ひ、人の話を…!」
「領地はお返しする形がよろしいでしょうか? 領地ごと、となると我らの反逆と思われてもこちらは嫌ですし…。そして我が領地の民はどのような判断をするでしょうね。聞いておきましょうか、どうしたいかを。同時に、我が領地を治めるための代わりの者を早々に手配されるのがよろしいかと思います」
「…っ!!」
王の側近も、王も、真っ青な顔で何度も口を開閉している。ショックだったようだが、公爵家を不要とするような動きをしていたのは王家なのに、何をそんなに『傷つきました』というような顔をしているというのだろうか。
ルピアのことにしてもそうだ。いきなり王太子が気持ちを変えたのは、恐らく学院で過ごした時間が解放感満ち溢れるもので、今までの環境と異なったものであり、閉じ込めていた何かが爆発したのだろうが、王家の人間としての振る舞いとしては未熟すぎるもの。
「おや陛下、お顔の色が大変悪いですが」
「…隣国に移住して、何をするというのだ。貴様の娘のルピアに、また家の駒になれと、そう言うつもりかね!? まさか、ルパートにも何かを押し付けるつもりか!」
「いいえ。妻は王位継承権を放棄しておりますし、その事実はクアでも認識されておりますので継承権争いは無いよう徹底しております。それに、何をどうするかは当家とクア王国との間で進めていくつもりではありますが、王への報告義務などない。…違いますか? ルパートのことも関係ないはずですが」
「う、ぐ」
「わたしは、ルピアがやりたいことはこれまで我慢させた分、何でもやらせてみようと思います。それが、ちょうどいいからという理由で我が娘をこの国に縛り付けたことへの償いになればいいと思っております」
「ルパートは王国騎士団に入隊する予定であったろうが!」
「ええ、ルピアが王太子妃になれば、ですが」
「……あ」
「陛下も王妃様も、それで了承しておりましたでしょう。王太子妃とならないのであれば、我が息子も進む道を変えて何の問題がありますか? 騎士団試験を受けて受かっていたわけでもあるまいに」
「そ、それ、は」
強烈な皮肉…というよりも、事実。
それは容赦なく国王に突き刺さる。
政治を行う上では名君であるのだが、こういった人間関係はとてつもなく下手くそ。だから、様々な家臣が手を貸していた一面もある。無論、アリステリオスもその一人。
「殿下が、かの伯爵令嬢を好いている。婚約者を変更したい、などご希望があったのならば…順番通りに動いてくれれば、このような手段には出ませんでしたが…仕方ない。ご自身で蒔き、育てた花は世話をしていただかねば」
「…っ」
「あと、こちらは早々に返還願います」
す、と出された書類。
王の側近はそれを確認して震えていたが、アリステリオスが返還を迫っても何ら問題のないもの。
「わたしが、娘可愛さに準備し、使えるようにしておいた、わたしの個人資産。ルピアは使っても全く問題はない。だが…」
アリステリオスの目が細められる。
「殿下はどうしてこれに手を付けられたのですかなぁ…?」
部屋に満ちる怒りの気配。
ルピアのための資産を、どうしてリアムはお小遣いのように使っていたのか。額は結構なものなので、さすがのアリステリオスも見過ごせなかった。
「民に隠したければ、それでいいでしょう。ですが、我らがこの国を出るまでには返還願いますよ」
「わか、った」
了承するしかない。リアムがしたのは公爵の資産の横領のようなものだから。
どうして自分の王太子予算から出さなかった!と叫んだところでもう後戻りはできない。
「金額については一括で。遅れようものならどのような手段を用いても…」
「か、返す! 無論返す!」
こんな醜聞を暴露されてはかなわない。民が熱狂している恋愛物語の主人公たちがこんなにも馬鹿なことをしていたと知られてはどうなるか。
「返すのは当たり前ですよ。それから、そろそろ爵位の返上についても許可をいただけませんか。移住の準備は滞りなく進んでおります故、色々な手続きをせねばならないのですから」
「…ぐ、ぅ」
ああそれから、とアリステリオスは嗤う。
言葉の意味も分からず使っている者がいるのだ。今はまだ臣下であるからこそ、報告せねばと思い、微笑んで見せるが王の顔色は酷くなる一方だ。
「陛下のご子息様は大変優秀にして野心家でいらっしゃるようだ」
「…何?」
「おや、側近の方からまだ聞いてないとみえる」
こういう時、何かを企んでいるアリステリオスは碌なことを考えていない。
きっと何かまた王家側に対して警告やら忠告やらをしたいんだろう、そう、軽く考えていた。
「先ほど、殿下に呼び止められたのですよ。…王命と言ってね」
「……は?」
アリステリオスは、愉快そうに笑っている。
王は、呆然としている。
この二人の対比がとても奇妙なものに見え、王の側近の顔色はとことんまで悪くなっていく。
更に加えて、王の顔色も悪くなっていく。
迷惑をかけるな、そうキツめに注意もしていたはずなのに、何ということを言ってくれたのかと、王の中に沸々と怒りの感情が湧き上がってきた。
そもそも、リアムはまだ『王太子』なのであって、『王』ではない。そんな彼がまさか『王命』と叫ぶことそのものがおかしすぎることにリアム自身が気付いていなかったようだ。
証人はいくらでもいる。あの時、廊下のど真ん中で会話をしていたし、二人の会話を聞いてとんでもない顔をしている貴族や城勤めの人間も多数いた。
「り、リアムが、王命と、そう、言ったのか」
「はい」
アリステリオスは間髪を容れずに肯定し、それまで浮かべていた笑みを消した。
「ルピアのことも未だに名前を呼び捨てにする始末。…既に王太子妃様がいらっしゃるにも関わらず…もしや、小間使い程度の認識なのでしょうか」
違う、そんな、すまない。
国王から悲鳴のように否定する言葉がぽんぽんと出てくる。そんなものよりも爵位返上についての許可をくれ、そう言いたいがあまり言いすぎると何をしでかすか分かったものではない。
「…陛下、一つずつよろしいですか」
「うむ…」
それまで立ったまま話していたアリステリオスは、ようやく執務室内に用意されていた応接セットの椅子に腰を下ろす。
国王も向かいに座り、げっそりとした様子で改めて並べられた書類を絶望の表情で見つめている。
「わたしの個人資産の使い込みについては、早々にご返却願います。…寄付したつもりはございません」
「勿論だ!」
「そして、爵位返上についてです」
「そ、それは困る! それだけは何とか考え直してくれ!」
「無理でしょう?」
「何故だ…!」
「当家との縁を求め、持ち掛けてきた婚約話をそちらから一方的に解消。挙句、婚約解消し、立場が危うくなった我が娘を王太子夫妻の式に呼び、教育係を押し付けようとなさった。仮に受けたとして、それが終了した際はどうしていたおつもりですか」
青かった顔色がついに白くなった国王だが、知ったことではないとアリステリオスは続ける。
「我が家は、便利屋ではないのですよ」
「そんな、そんなつもりは!」
「それともう一つ。王太子妃様と、我が娘の間に友情など存在し得ない」
「…………は?」
すとん、と国王から表情が抜け落ちる。
側近も『え?』と困惑しているようだが、アリステリオスはさらに続けた。
「王太子妃様は、ルピアを自身の友だと仰っているようですが、あり得ないのです。…貴族同士の友であってもなくても、当家の事情…もとい、公爵家の令嬢の友となるのであれば、家同士なんらかの繋がりができましょう。…無いのですよ、アーディア伯爵家と、我が家の繋がりは、何一つ」
呆然とする国王と側近を見て、アリステリオスは溜息を吐いた。
ファルティがどうやってリアムと仲良くなったのか、そんなことなどどうでも良いし興味もない。あるのは『自分の娘は王太子妃の座から蹴り落とされた』ということ。
だが、ファルティが良く王宮内で言っているらしいのだ。『ルピアとは友達なので自分のことをきっと手助けしてくれる!』と。
家同士の付き合いもなければ、親同士顔見知りというものでもない。
ルピアの様子がおかしくなっていた、あの一年間。あの時にファルティがルピアに何かをしていた、もしくは操っていたのでは、と考えると辻褄が合う。
本人とも話をしてみないことには分からないことではあるが、アリステリオスはファルティという人そのものを、どうしても信じることはできそうになかった。
「陛下、もういい加減に当家のことはお諦めください。当家を見限ったのはこの国そのもの。民衆もその他貴族も、当家を必要ないと判断しているからこそ、我らはこの国から出ていく決意をしました。もう、関わってくださいますな」
何度も告げられていた公爵家からの絶縁状。認めたくなくて拒否し続けていたが、もうここまでくると戻れないことに王はやっと気付き、理解し、受け入れようとしている。
「…リアムが、馬鹿なことをして、すまなかった」
「いいえ、わたしは気にしておりませんとも。ただ…」
はっ、と国王が顔を上げた先、とてつもなく愉快そうな顔で笑んでいるアリステリオスが居た。
「ここに来るまでに、王太子殿下は『王命だ!』と叫んでおりましたので…ご対応を急がれてはいかがですかな。野心があるのは結構ですが…お立場というものをご理解なされるよう、しかと申し付けられた方がよろしいですよ。…きっちりと、ね」
それでは失礼!と颯爽と立ち去るアリステリオスを呆然と眺めていたが、慌てて国王はリアムを自分の執務室へと呼びつける。
無論、怒鳴り声が響き渡ったのは言うまでもないが、同時に、王宮内では公爵家の爵位返上について、とんでもない勢いで話が広がっていたのであった。




